繋がる魂と、王の奇跡
消えゆくシンドバッドを、私は創造の力で抱きしめる。破壊と創造、二つの相反する力が奇跡を起こし、私たちは生き延びた。しかし、その代償はあまりに大きい。力を失った彼を、今度は私が守る番。そう誓った。
灼熱の光が、世界を白く染め上げる。バハムートが放った、全てを焼き尽くす破壊のブレス。そして、それに抗うかのように、私とシンドバッドから放たれる、金と青の二色の光。私は、消えかけていく彼の体を、力の限り抱きしめていた。
「離すものですか……!」
私の魂が叫んでいた。この人を失うくらいなら、私も一緒に、無に還る。私の持つ、王家の血に宿るという「創造」の力が、彼の「無」の力を、必死にこの世界に繋ぎ止めようとしていた。
破壊と、無と、そして創造。三つの根源的な力が、この砂漠の一点で激突し、世界が悲鳴を上げているようだった。
どれほどの時間が経っただろうか。永遠にも思える時間の後、光が、ゆっくりと収まっていった。
私が恐る恐る目を開けると、そこに、信じられない光景が広がっていた。
山のように巨大だった古代兵器バハムートは、まるで風化した砂の像のように、形を保ったまま、完全に沈黙していた。その巨体は、もはや何の力も持たない、ただの巨大な石の塊と化している。
そして、私の腕の中には、確かに、シンドバッドがいた。
「……シンドバッド……?」
彼の体は、もう透けてはいなかった。しかし、その顔色は青白く、ぐったりとして、意識がない。彼の体から、あれほど感じられた強大な魔力の気配が、嘘のように消え失せていた。まるで、ただの人間のようになってしまったかのように。
私の金色の光と、彼の青白い光。二つの力がぶつかり合った結果、バハムートの破壊の力を相殺し、シンドバッドの消滅という最悪の事態だけは、免れたらしかった。
だが、その代償は、あまりに大きかった。
「……姫殿下! ご無事ですか!」
ラシード国王や、反乱軍の仲間たちが、呆然としながらも、駆け寄ってくる。彼らは、目の前で起きた神々の戦いのような光景を、ただ見ていることしかできなかったのだ。
「シンドバッドが……彼を、早く手当てして!」
私の悲痛な叫びに、皆が動き出す。私たちは、意識のないシンドバッドを連れ、王都へと凱旋した。
王都は、私たちの帰還を、熱狂的に迎えた。暴君ジャファルと、彼を操っていた魔術師は、バハムートが倒された衝撃で錯乱し、何の抵抗もなく捕らえられた。長きにわたる圧政は、ついに終わりを告げたのだ。
私は、民衆の歓呼の声に迎えられ、女王として、父の玉座へと還り咲いた。
しかし、私の心は、少しも晴れなかった。隣に、あの不遜な笑顔がない。それだけで、世界の色が、褪せて見えた。
シンドバッドは、王宮の一室で、眠り続けていた。最高の医師や魔術師が診ても、原因は不明。ただ、彼の体内から、魔力がごっそりと抜け落ちてしまっていることだけが、わかった。
「……おそらく、姫殿下の創造の力が、彼の消滅を無理やり防いだ際に、力の大部分を代償として失ってしまったのでしょう。彼はもう、伝説の魔神ではない。魔力を持たない、ただの人間と同じです」
医師の言葉は、私に、残酷な現実を突きつけた。
彼は、私を、この世界を守るために、全てを失ってしまったのだ。
私は、政務の合間を縫っては、毎日、彼のそばに付き添った。眠る彼の、人間と同じように、穏やかな寝顔を見つめながら、その手を握りしめた。
「……ごめんなさい、シンドバッド。私の力が、もっと強ければ……」
罪悪感が、胸を締め付ける。
そんなある日、私がいつものように彼の手を握っていると、その指が、ぴくりと動いた。
「……!」
私が顔を上げると、彼の瞼が、ゆっくりと開かれていく。そして、その紅い瞳が、私を映した。
「……ファ……ラ……?」
その声は、かつてのような力強さはなく、か細く、掠れていた。
「シンドバッド! 気がついたのね!」
私は、涙ながらに、彼に抱きついた。
「……ここは……。俺は、どうなった……?」
「あなたは、眠っていたの。ずっと。でも、もう大丈夫。大丈夫よ……」
彼は、ゆっくりと自分の体を見つめ、そして、全てを悟ったようだった。自分の体から、力が消え失せていることを。
「……そうか。俺は、人間になったのか」
その表情に、悲しみや絶望の色はなかった。ただ、どこか、不思議そうな、穏やかな顔をしている。
「……後悔、していないの?」
私の問いに、彼は、おぼつかない手つきで、私の頬に触れた。
「……後悔など、するものか。俺は、お前を、この腕で、直接抱きしめることができる。お前の涙を、この手で拭ってやれる。……何千年もの間、望んでも手に入らなかったものが、今、ここにある。これ以上の、幸せがあるか」
その言葉は、どんな魔法よりも、私の心を温かくした。
その日から、彼の、人間としてのリハビリが始まった。最初は、起き上がることすらままならなかったが、彼は、驚異的な精神力で、少しずつ回復していった。私は、女王としての務めを果たしながら、彼の世話を焼いた。食事を食べさせてやり、歩く練習を手伝い、文字の読み書きを(彼は、魔法で知識を得ていたため、手で書くのは苦手だったのだ)教えた。
それは、まるで、今までとは全く逆の立場だった。強大な力で私を守ってくれた彼を、今度は、私が守る番なのだ。
「おい、ファラ。粥が熱いぞ」
「文句を言わないの。火傷しないように、ちゃんと冷ましてあげてるでしょう」
「女王陛下自らが、病人の世話とはな。国が傾くぞ」
「あなたのお世話も、女王の重要な務めの一つです」
軽口を叩き合いながらも、その時間は、満ち足りていた。彼が、ただの人間として、私の隣にいてくれる。それだけで、よかった。
しかし、平和は、長くは続かないのかもしれない。
ジャファルと魔術師は、地下牢に投獄されたが、魔術師は、不気味な予言を残していた。「この世界の歪みは、まだ始まったばかりだ。我らは、ただの露払いに過ぎぬ」と。
そして、シンドバッドが力を失ったことで、世界のバランスが、微妙に崩れ始めている気配があった。遠い国で、天変地異が頻発しているという、不穏な噂も耳にする。
私の「創造」の力も、あの時、ほとんどを使い果たしてしまったのか、以前のような奇跡を起こすことはできなくなっていた。
私たちは、あまりに多くのものを失い、そして、かろうじて、この平穏を手に入れたのだ。
私は、隣で穏やかに眠る、愛しい人の寝顔を見つめながら、固く誓った。
この幸せを、この国を、そして、この人を、今度こそ、私が、この手で守り抜いてみせる、と。たとえ、その先に、どんな運命が待ち受けていようとも。