砂漠の舞姫と風のジン
祖国を奪われ、舞姫として生きる亡国の姫ファラ。目的はただ一つ、圧政を敷く叔父への復讐。手に入れた古びたランプが、最強のジンと私を繋ぐまでは、そう思っていたのに…。
灼熱の太陽が照りつける砂漠の王国、ザルバード。その王都のバザールは、香辛料の匂い、人々の喧騒、そして遠い異国から運ばれてきた珍しい品々で常に活気に満ちている。
その喧騒の中心にある酒場の舞台で、私は舞っていた。薄いヴェールで顔の下半分を隠し、きらびやかな踊り子の衣装を身に纏う。人々は私のことを「ナジュマ(星)」と呼んだ。しなやかな手足、妖艶な腰つき、そして何より、ヴェールの奥から覗く、決して誰にも屈しない強い光を宿した瞳。男たちは熱狂し、金貨を投げる。
しかし、彼らは知らない。この私が、三年前に叔父である現国王ジャファルに国を追われた、亡国の姫「ファラ・アル=ラシード」であることなど。
舞を終え、投げられた金貨を拾い集める。叔父に復讐し、民を圧政から救い、祖国を取り戻す。そのためには、金と情報、そして力が必要だった。私は酒場の裏口から抜け出し、人目を避けるように路地裏の情報屋へと向かう。
「ジャファルは最近、西方の魔術師を雇い入れたらしい。不老不死の研究をさせているとか」
「不老不死……。欲深い男め」
新たな情報を手に、私は重い足取りで自分の住処へと戻る。それは、バザールの片隅にある、小さな安宿の一室だった。焦燥感が胸を焼く。私一人では、あまりにも無力だ。
その帰り道、ふと、薄暗い骨董品屋の店先に置かれた一つの品に目が留まった。それは、何の変哲もない、青銅でできた古びたオイルランプ。しかし、なぜだろう。そのランプが、まるで私を呼んでいるかのように、淡い光を放って見えたのだ。何かに導かれるように、私はなけなしの金貨数枚でそのランプを買い取った。
部屋に戻り、ランプの汚れを布で拭う。長年積もったであろう砂埃を払い落とした、その瞬間だった。
ゴオォォッ!!
窓も扉も閉まっているはずの部屋に、突風が吹き荒れた。布が舞い、髪が逆立ち、息ができないほどの風圧。ランプの口から、青白い煙が渦を巻いて立ち上り、みるみるうちに人の形を成していく。
煙が晴れた場所に立っていたのは、一人の男だった。褐色の肌、空色のトゥルワール(だぶだぶのズボン)、そして上裸の体には金の装飾品がきらめいている。長い白銀の髪を一本に束ね、その顔立ちは人間離れした美しさだった。しかし、彼の唇に浮かぶのは、全てを見下すかのような不遜な笑み。そして、その紅い瞳は、この世の全てに退屈しきっているように見えた。
「――ケホッ、ケホッ……。なんだ、お前が俺の新しい主人か? 随分と貧相な住まいだな」
男は私を見下ろし、面白そうに言った。その声は、低く、そして有無を言わせぬ響きを持っていた。
「あなたこそ、何者なの……」
「俺か? 俺はシンドバッド。しがない風のジン(精霊)さ」
ジン。精霊。伝説上の存在。私は目の前の信じがたい光景に言葉を失った。シンドバッドと名乗ったジンは、宙にふわりと浮くと、私の周りを旋回し始めた。
「三つの願いを言ってみろ。退屈しのぎに叶えてやらんこともない。だが、まあ、お前のような小娘の願いなど、たかが知れているだろうがな」
彼の侮辱的な言葉に、私の心の奥で何かが燃え上がった。そうだ、これは好機かもしれない。この伝説の存在の力があれば、私の悲願は――。
「私の願いは一つだけ。祖国を取り戻し、暴君ジャファルに裁きを下すこと。それができるのなら、あなたに魂でも何でも差し出すわ」
私の言葉に、ジンは初めて、その紅い瞳を興味深そうに細めた。そして、私の顎にそっと触れ、顔を覗き込むようにして囁いた。
「面白い。気に入った。いいだろう、その願い、叶えてやる。だが対価は魂なんぞじゃない。――お前自身だ、ファラ」
なぜ、私の本当の名を? 彼に触れられた肌が、灼けるように熱い。最強のジンとの出会いは、私の孤独な復讐劇を、予測不能な恋と冒険の物語へと変えていく。そのプロローグだった。