5. 寸胴鍋は死んだ
「ちょ、ちょっと待って。ほら、テーブルならそこに沢山あるから」
獣。
魔王の目の色が変わった。白い喉仏が上から下へ。シチューを食い入るようにじっと見て。手前の飲食スペースの方にお皿とスプーンを置くと、引き寄せられるように座った。
「……本当に、食べていいのか?」
「え、ええ。はい、どうぞめしあがれ」
確かに、シチューの誘惑は凄い。寒くて雨しか降らない魔王城では、特にそうだろう。とはいえ、あの冷徹そうな魔王が、ここまでなるものなのかしら。
「いただきます」
お行儀よく手を組んで祈りを捧げてから、パクリと一口。もぐもぐと噛んで、飲み込んで、ふぅっと満足げにため息をつく。
わかる。野菜や鶏肉の旨味がつまった熱いシチューが喉を過ぎると、こう、ほっとするのよね。クリーミーな優しさと、とろりとした食感は全てを包み込んでくれる。
次の一口は前よりも大きくなっていて、なんだか、私も満足。美味しそうに食べてもらえるって嬉しい。じっと見ていると、見る見るうちにお皿は空になった。
「……」
空のお皿を見てシュンとしている魔王。え、その、まだ、食べたいの?
「お、おかわり、いる?」
目を輝かせて元気よく頷いた。おかしい。怖かった魔王が、すごく、かわいく見える。
もはやお鍋ごとテーブルの方に持ってきて、よそって、空のお皿を受け取って、よそって……。
「うまかった」
「っお粗末様、でした??」
気が付けば寸胴鍋は死んでいた。あの犬耳共にも食べさせるつもりが空っぽも空っぽ。すっからかん。
私の食べる分は、何処へ。
「久々に、こんなに食べた……」
赤い目はとろんと、口角はやんわり。なんか、魔王がシチューになってる。かわいい。
「いつもこの量食べるわけじゃないの?」
「最近はそもそも飯を食う機会が少なかった……ような気がする」
「魔王様が?」
母国じゃ上に行けば行くほど豪勢な食事をしていたけれど。もはや食いきれないでしょうってレベルに。
「いや、俺だけじゃなく魔族全体でそうだろうな」
せっかくとろけた魔王が、憂える顔になってしまう。こうしてみるとなんだか若く見える。
「皆、人間との戦争に必死で、飯は二の次なんだ。実際、食材の確保が難しいしな」
「……それって、どういう?」
割と国の中心にいたけれど、魔族の食材事情なんて聞いたことない。
「魔族は、300年前に領土の大半を奪われ、それ以来衰退の一途を辿っている」
常識のように語る魔王。
人間側では、魔族は厄災であり、人を襲う存在とされてきた。それに対抗する力を持つのが、女主人公の場合は聖女、男主人公の場合は勇者だ。実際そのストーリー通りに進んでいたし、私はその前提条件を疑わなかった。
「常に曇天な不毛の地で、作物がよく育つはずもないだろう?」
でも、真実は違ったらしい。
確かに、よくよく考えるとおかしい。前世でゲームをプレイしていた時、ダンジョンのボスや四天王は会話ができて、魔法を使っていた。つまり、人間と同等の知能がある。そのごく少数が、自分より多い上に群れで過ごす人間と、敵対なんてしないのでは? ただ、領土を取り返そうとしているだけの方が、妥当な気がする。とはいえ。
「でも霊氷庫には食材が……」
「魔族がこの量で足りると? ……俺の腹五分目が多すぎるのは認めるが」
嘘、これで腹五分目?? この倍食べられるの?? というか、魔族ってそんなに食べてくれるの?
この人生で初めてときめいたかもしれない。
「おかげで、この食堂も寂れてしまった。昔は活気があったんだがな」
自分含め、皆食事を摂るようにしなくては、と一人ごちる魔王。
魔王城の社員の健康と社食存続の危機ねぇ。ん?
「……少し、喋りすぎたな。どうして、生贄に」
これってチャンスなんじゃ……。
ナプキンで口元を拭いている魔王の手を取る。
「ねぇ!」