私が産まれた日
私がこの性癖に気が付いたのは高校生に成り立ての頃。
いや、やっぱり中学生の頃だった。高校受験の帰りに電車の中で不安に揺られながら窓の外の凄まじい速度で流れている景色を眺めていた時だった。
流れる景色と共にグルグルと頭の中で問題が何度も何度も繰り返される、わからない問題はほとんどなかった、ケアレスミスさえ無ければ、ケアレスミスさえなければ。
当時の私は心のケアの方を失っていて、受験が終わったというのに肩の荷が降りず座席に座ったら二度と立てなくなるような気がして座席の前で呆然と吊り革を祈るように両手で掴んでいた。
受けたのは少し遠い進学高校で、頑張ったから中学校の先生からは行けるとお墨付きをもらったけど、友達がいないのが不安すぎた。知り合いすらいない電車の中で不安に揺られる。
駅に着いた、ここからまた乗り換えだ。電車を降りてグルグルとした景色から自分のペースで動かせる景色になって一息ついた、また一息ついて階段をのぼる。
二度も一息ついていたから階段には人が少なくてゆっくりと歩けた。ふと階段をのぼりながら顔を上げた私の前にヒールが見えた。
ちょっと大人っぽい赤っぽいピンヒール、私にはキラキラと輝いて見えた。
度のキツい瓶底メガネをかけて、御洒落の限界が三つ編みで、化粧だってまだ一度もしたことない私からしたら、憧憬の対象だった、モボやモガに憧れる大正少年少女のような心持ちで見ていた。
何より私の心をドキリとさせたのはヒールの爪先だけで階段をのぼっている姿、カッカッカッとヒールの踵の部分を階段に乗せずに早足で階段を登っていく姿。
私は気が付けば階段を走って1段飛ばし2段飛ばしで駆け上がっていた、そして追い抜かして階段の一番上まで登って見下ろした。後ろからだけじゃなくて前からも見たかったのだ、歩く姿を見たかったんだ。
体は疲れて息は少し上がってるけど苦しくなかった、辛くなかった、だって楽しかったから。
人間は普通は歩く時に踵から足を地面につけるもので爪先から地面に付けるのは疲れるし安定しない、そんな風に階段をのぼって恐怖は感じないだろうか?
ヒールの人が階段をのぼる。私はそれを上から眺めてる。そして階段をのぼりきって私の横を通り過ぎるヒールの人、私はフラフラと吸い寄せられるようにヒールの人を追う。
私はついさっき階段を駆け上がって恐怖を感じなかった。きっと、この人も私と同じなのかもしれない楽しいから恐怖も不安も吹き飛ぶのだ。その時に初めて私は気付いたんだ、人が歩いている姿を見ていると楽しくなってあらゆる苦痛が吹き飛び視野が狭くなってしまうという性癖に。
駅の改札を通って別の線の電車ホームで待つ、もちろんヒールの人を追って来ただけで家に向かう電車の路線じゃない。むしろ家とは逆の方向だけどICカードには心配性なお父さんが1万円も入れてくれてるから大丈夫だ。
電車を持ったいる間、私は心底後悔して退屈していた。ヒールの人が歩いていなくて暇になって、自分が無為に時間を過ごしている事実にかき消されていた不安が襲いかかって来たんだ。早く家に帰って親を安心させたほうがいいんじゃないか?こんなことで金を無駄にしていいのか?このヒールの人はどこまで遠くに行くんだろうか?もしかしたらとてつもなく遠くに行ってしまうんじゃないか?あまり遠くに行っては1万円を超えてしまうんじゃないか?矢継ぎ早に胸を刺してくる疑問、苦しい。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
電車が来た、ヒールの人が待っている路線とは反対側の路線だった。私は電車から降りる人たちに釘付けになった、人が歩いているのだ。
人が歩いている、立ち止まらずに人が歩いている、電車から降りた人たちが歩いている、ただそれだけの事実に私の心は天にも昇るような楽しさに襲われ先程までの浮き足立っていた心が吹き飛んでいた。
兄がゲームにハマってプレイしてる姿を見て私は「何が楽しいの?」と思っていた、きっと兄が今の私を見たら同じことを思うだろう。父が虚空を見つめながらお酒を飲む姿を見て私は「精神を病んでるの?」と心配していた、きっと父が今の私を見たら同じように心配するだろう。母が一人でいる時はつまらなさそうに家事をしているのに私が声をかけ私が帰って来ていると知ると鼻歌を歌いながら家事をしている姿を見て私は「何が違うの?」と思っていた、きっと母が今の私を見たら同じことを思うだろう。楽しいから楽しい、きっと理由なんて存在しなくて、理由なんて考える暇もないぐらい次々に楽しさに呑まれる。
電車を待って立ち止まっている人と歩いている人は違う、こんなにも胸が楽しさでいっぱいになってるんだから。何が違うかはわからない、でもこんなにも、こんなにも満面に笑顔が広がってるんだから、何かが違うに決まってる。
今まで私はうつむきながら歩いていた、それが普通だった、きっと自分の歩く姿を見て楽しさを感じていたのだろう。だから今まで気が付かなかったのだ、自分一人の世界に閉じこもっているよりも広い世界に目を向ける方が楽しいということに。
「ふふっ。」
ああ楽しい。凄く当然のことに気がつかなかった自分に笑ってしまった。自分の足元だけしか見れない状態よりも他人の全体の歩く姿を見る方が楽しいに決まってる、足元だけよりも全身の方が楽しいに決まってる。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
ヒールの人が待っていた路線の電車が来た。ヒールの人が電車に乗った、その乗る瞬間に少しだけ歩いた。私はその一瞬で私はもう駆け出したい気分になっていた。駆け込み乗車はダメだから普通に歩いて乗り込むけど心はもう超特急だった。ちなみに乗った電車は急行だった。
流れて行く景色のなかでたまに見える歩く人さえ輝いて見えた、世界が輝いている、これが高校デビューというやつなのかもしれない。そんなことを私は考えていてもう高校受験への不安は無くなっていた。既にもう高校生になったような、今までの自分では無くなっているような、大人の階段を登ったような気持ちになっていたのだ。
電車が停止するたびに降りる人に、乗り込んでくる人に目を奪われる。そのたびにヒールの人へと目を戻さないといけないと焦る、今は初志貫徹だ。
こんなことをして何の意味があるのかなんて考えてない、考えられない、ただ楽しいからやっているんだ。
どうやら私が楽しんでいる間に目的地についたようでヒールの人をは電車を降りた。空は赤く染まっているが黄昏と言うにはまだ早い時間で、焦る必要を私は感じていなかった。
私は走ってヒールの人を追い抜かした、そして改札の先で改札を出る姿を見ていた、楽しい。ヒールで歩きながらICカードを出せるなんて凄いバランス感覚だ、おもしろい、かっこいい。
前から見たから今度は後ろから、ヒールの人の後をついて行く。唐突にヒールの人が後ろに振り向いて目が合った、私は思わず頭をペコリと下げた。
次にそのヒールの人は急に走り出して道を右に曲がった。すごい、ヒールで走るなんて凄い。私は追い駆けた、当然だ、体がもう勝手に動いていて口から笑い声が溢れる。走って息が上がるからゼエゼエと大きな声で笑っていた。
今度は左に曲がった、次は右に、狭い道を走る姿を見ながら少し私は心が落ち着いて行ってるのを感じた、ヒールの人が歩いていないからだ。ヒールの人が歩いていないからテンションが落ちているのだ、最初は驚いたし面白いと思ったが歩いていないから興味が失せて来ていたのだった。
ヒールの人は転んだ。私は途中から笑えなくなっていて、ただただ苦しく辛い。転んだヒールの人に手を差し伸べることは、あまりの苦痛でできずにフラフラとヒールの人を追い抜かして近くの電柱にもたれかかった。
ヒールの人は手をついて転んだから擦りむいたりなどをしていないようで、安心した。しかしすぐに顔を上げずに地面に手をついて地面を見ながら少し震えていた。早く立って歩いてほしい。
人通りの少ない道で他に人影も何もなくて私は退屈していた、喉もカラカラで家に帰りたくなってきていた。さっさとこの人が立って歩き始めたら帰ろう、今度また走り出したら無視して帰ろうと思った。
私が大きくあくびをしているとヒールの人は顔を上げて目があった、私はあくびをしながらペコリと頭を下げた。早く歩け。
ヒールの人は立ち上がって歩き始めた、しかし今度は先程までと違って前をあまり見ずに下を見てゆっくり歩いていた。これはこれで面白かったので私はヒールの人の前に回り込んで後ろ歩きをすることにした、こうすればヒールの人が急に走り出す心配はないだろうし後ろからだけじゃなくて前からの歩き方を見ていられる。
私はチラチラと後ろを確認しながらヒールの人の速度に合わせて後ろ歩きをする、今のヒールの人の歩く姿も面白いな楽しいな。さっきまでの全力で走っていた自分がバカみたいでちょっとニヤニヤと笑っていた。とっても楽しいな。
ヒールの人が道を右に曲がる、ヒールの人からしたら左かな?そんなことどうでもいいか。私は鼻歌を歌いながら後ろを追いかける、駆けない、かける必要はない。そう、正しいのは追い掛けるだ、でもさっきまでの私の感じは追い駆けるという感じだった。
欣喜雀躍していると小鳥の鳴き声が聞こえた、信号機の音だ。ヒールの人が走りはせずに少しだけ歩く速度を上げたので私は小鳥のようにヒールの人の周りをグルグルと走った。歩き方が変わったから色んな角度から見たいと思ったんだ。私は疲れが飛んでいて笑っていた。
小鳥の鳴き声が止まった、信号が点滅し始めたのだろう。ヒールの人が強く足を踏み込んで走ろうとしたのを私は見逃さなかった。
「信号が点滅してる時に渡り始めるのはダメですよ。」
ヒールの人の肩を掴んで止めた、ここでまた走られたら興醒めだしね。信号機の方を見るとちゃんと青信号が点滅していて渡っている最中の人は走るように、これから渡り始めないようにと主張していた。
「ひぃっはいっすみません」
ヒールの肩は少し震えていた、面白い歩き方だなぁ。にしても礼儀正しい人だな私みたいな子供にも敬語を使うなんて、どうでもいいけど。
信号機があるだけあって少し人通りの多そうな道で遠くの方にはポツポツと人影が見えて私は気分が高揚していっていた。楽しいなぁ。
信号機が青に変わって私は白線の上をピョンピョン飛んで横断歩道を渡ってヒールの人を待った。歩け、歩け、歩け、歩け。あっ歩いた、歩いた、歩いた。楽しい、楽しい、楽しい。
震えながら一歩一歩確かめるように横断歩道を渡る人を見ながら、私は大人になった気分で少し母の気持ちを理解していたような気がしていた。私が兄と父と手を繋いで横断歩道を渡ってる時に母は横断歩道の先でニコニコと私を見ていた、数年前の記憶、懐かしい、母もきっとこんな楽しい気持ちだったんだ。
ヒールの人は強くカバンを握っているようで握り拳を作っていた、下を向きながら歩く姿を見ているのは本当に楽しい。世界には私たち二人だけのような気さえしてくる。
信号を渡って左に曲がる、そして少し歩いて、どうやら家に着いたようだ。縦格子の門を開けて家の中に入っていく玄関ドアの前には3段ぐらいの段差があってコツコツコツとのぼっていく、駅で階段をのぼってる時と同じだぁ。
家の中に入っていくヒールの人。ドアを閉める時に目が合ったので手を振った。心の中はもうスタンディングオベーションでしばらくは余韻に浸っていた。
本当に楽しかったなぁ。今日一日から人生が始まったような気さえする、今までの人生が全て報われたかのような喜びに打ち震えていた。
喜怒哀楽で表現されるように喜びと楽しさは違う。喜びは達成や勲功、社会的な成功や自己実現的な欲求の末にある、人生という長大な視点から見た幸福。楽しさは休憩や性交、瞬間的な渇望の充足や動物的な欲求の中にある、人間という矮小な視点が感じる幸福。
楽しみは終わり喜びに浸り笑う。
「ふふっ、ふははっ、あはははははっはっはっ。」
自身の誕生の瞬間に私は詩的な気分になっていた。
ふと空を見上げると煌々と月が輝いていた、新月だ。空の闇の全てが月でスポットライトのように私を照らしている、世界を輝かしている。お腹いっぱいに笑って満足したので家に帰ろうと後ろを振り返った。
暗かった、汗が乾いて少し肌寒かった、でも楽しくて、喜ばしくて、何も怖くなかった。
周囲は住宅街という雰囲気で街灯が光っていて、それが新月の闇に照らされて美しい。なんてことのない普通の風景で今までなら何も気にしなかっただろう。
私の足は一歩もヒールの人の家の前から動かなかった。世界の美しさに見惚れていたのではない、駅までの道のりがわからなかったのだ。ここまでの道なんて覚えていない、ヒールの人の歩いてる姿しか見ていなかった、道なんて覚えていない。
汗をかいていて、ちょっと疲れていたから何もせずにヒールの人の家を眺めていた。気が付いたら呆然としていて、そして次に立ち竦んでいた。怖い。
芥川龍之介のトロツコの主人公の良平とだいたい同じ気持ちになっていた。家に帰れないかもしれないという不安、さっきまで自身を抱き締めていた空の暗さに押し潰されて「命さえ助かれば」などと考えている。大人の世界に踏み入っていた気がしていたがまだ自分は子供なのだと叩きつけられた。
右を見ても左を見ても街灯に照らされて明るい道に住宅街。全ての電気がついた家々に人がいて安心していると思うと孤独を感じて今の自分が世界中の誰からとも隔絶されているような錯覚に陥る、過呼吸になって孤独に溺れる。
疲労がドッときて足がふらついて門の格子に手をかけて体重を預ける。ギィと音を立てて門が少しだけ開いた、私はボーっとそれを見ていた。
何か、何かが頭の中が繋がったような気がした、頭の中で繋がったんじゃなくて頭の中と外の世界が繋がったような気がしたんだ。さっきまでの孤独とは違う、一縷の希望が見えた。
ああ自分って若いなって、見えてる世界がコロコロと変わって新しい景色が見えて、1秒ごとに成長と変化を感じて、そう若さが全身を迸っていた。喜びも怒りも哀しみも楽しさも体内で何度も何度も爆発して消えていくのが若さなのだと、生まれて初めて実感した。
そうだ、帰り道がわからないのなら人に聞けばいんだ、ちょうど今この目の前のヒールの人の家のインターホンを押して聞こう、そうしよう!
ピンポーン。
私にとってもうヒールの人は他人じゃなかった、顔は覚えていないし服装とかもヒールを履いてたことしか覚えていないけど歩き方は覚えている、たったそれだけで同じ世界に生きる人間であると認識できて自分が孤独ではないと理解できた。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
地面で繋がっている、浮世であろうと地に足をついて歩いている限りは人は同じだ。私以外に世界の人が歩いていると思うだけで私もまた歩き出せるのだ、世界は人々が歩くためにあるのだと思える、生きていける、希望に満ち溢れている。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピピピピピピピンポーン。ギィ。
私は門を開けて家の敷地内に入った、歩みを止める気になれなかった、居ても立っても居られなかった、私は若さを実感していたから……。
1秒後には世界の何もかもが変化する可能性が存在するのが若いということだ。強大な世界に産み落とされて、ただ流されていた幼い時とは違う。少しだけ力が付いて自分で流れに乗ることができるようになったから視野が広がって世界が常に大きく変化しているということに気付けるようになったから頼りない力で舵を取ろうとして右往左往している。だから地面に足をつけて安定している肉体は前に前にと歩き続けるべきなんだ、止まっちゃいけないんだ。
コンコン、コンコン、コンコン。
ドアをノックする、何度も何度も、戸を叩く。すぐそこまで迫っている恐怖から逃げるように何度も、何度も何度もドアを叩く。
ココココン、ガチャガチャ、ガンガン、ガチャガチャ、ガンガン、ガチャガチャ。
前に歩きたかった、楽しさで恐怖を忘れたかった。目の前に立ち塞がる壁の先に道が存在していると、目の前の壁がドアだと信じたくて何度も何度もドアを叩いてドアを開こうとする。
ドアの覗き穴に目を当てて中を覗こうとする、何も見えない。
ガンガンガン、ガチャガチャガチャ、ガンガンガン、ガチャガチャガチャ。
私を歩かせろ、家に帰らせろ。泣きそうになる、迫る恐怖から逃げられなくて泣きそうになる。
ここが行き止まりだと無慈悲に突きつけられて私は一歩、後退りをした。ドアから一歩離れた。
一歩だけ後ろ歩きをした私の脳裏に走馬灯のように今までの人生の記憶が駆け巡った、大半がどうでもいい読書とか勉強とか家族とか同級生とか先生とかゲームとかの思い出だが、その中で一際輝く間違いなく私にとって大切な記憶があった、ヒールの人の歩いている記憶だ。
私にとって今、最も大切なことは人の歩く姿だ。それが見れただけで心が弾むように浮ついて良い気持ちになるだろう、それこそが私にとっての生き甲斐であり希望だ。そして今、この状況を打開する手段もそれだった。
脳内の走馬灯を逆回転させる、胸の中に炎が燃え上がっているから回り灯籠の影絵はより濃くなるのだろう、ヒールの人の歩く姿の影が強く強く焼き付いて忘れない。脳内でヒールの人の歩き方が逆再生されている。
一歩後ろに下がった、つまり一歩だけ後ろ歩きをした、それが答えだった。そうだヒールの人の歩き方を逆回しに再生すれば駅に辿り着けるはずなのだ、私はヒールの人の歩き方を全て記憶している。それ以外はほとんど覚えていないから帰り道を忘れてしまっていたが、それだけを覚えていたから家に帰れる。
「ふふっ。」
なんだか楽しくなってきた、家に帰れると確信したらまた楽しくなってきた。身長差や足の長さを考慮して歩幅のみをヒールの人に合わせてゆっくり歩く。
あっ今さら気が付いたけど足の長さに対して歩幅が狭いんだね、やっぱりヒールを履いてると少し歩幅が短くなってしまうんだろうな。あーあつまんないな、ヒールをして階段を歩く姿をカッコイイとか思ったけど単に面白い歩き方なだけだったな。まあどうでもいいか、人間なんて。
たぶん私がモボやモガに憧れを持っていたのは大正時代の写真で歩き姿が一番多かったのがモボモガだったからだ。基本的に当時の写真は集合写真とか記念写真であまり歩いている最中の写真が出てこない上に着物を着ていることが多くて足の周辺を見ることができず歩き姿が想像できなかったから興味がわかなかったのだろう。
ヒールの人の家の敷地内から出ながら門を閉じる、この時に足の動きが直線的な動きじゃないからちょっと難しい、いつもやってるからヒールの人は何気なくやっていたのだろうが真似しようとすると難しい。
「ありがとうございます、今日は受験があって本当に怖かったんですけど、おかげで私は産まれれました。」
去り際にインターホンに向かってお礼を言った。
空はかなり暗くなっていて信号機が赤信号で渡っても問題ないぐらいに人通りも車通りも少なくなっていた。後ろ歩きだからどうせ信号が見えないし信号無視してもいいだろうと思ったが、渡り終わってから信号機がピヨピヨと鳴いており、そういえばここの信号は鳴るタイプだったと思い出した、覚えておけばよかった。まあ信号機や風景に興味を持てないし記憶に残そうと思えないからこんなことになっているわけだから無理な話だけどね。
走っている姿には大して興味は持てなかったが記憶には残っていたので後ろ向きに立ち幅跳びをするように跳んで歩幅を再現する。ちょっと怖い。
行きと違って帰りはずっと楽しいわけじゃなかった、自分の歩く姿は足元ぐらいしか見れないから、ずっと楽しみに包まれていられるわけじゃなかった。恐怖もあった、退屈もあった、でも行きとは違って帰りは一瞬で駅に着いたような気がした。
ふと今、歩いてきた道を振り返るとあの女の人の家が少し遠いが見えていた。一直線に帰ろうと思えば帰れるだろうに、あの女の人はなんで遠回りをしたのだろうか?まあいいや興味ないし。あれ?女の人だっけな?なんか底の厚い靴履いてたし女の人だった気がするな、まあいいか興味ないし。
興味がないというのは恐ろしいもので、私はそれ以前の人生というのを、とんと覚えていなかった。
私はその時に産まれた。