19. 胸の高鳴り
茶会の席に集まっている貴婦人たちの前で国王陛下のことをジェリージェリーとなれなれしく呼びながら考えなしに喋り続けるマデリーン妃に辟易しながらも、私は何とか彼女の発言をフォローしようとした。
とにかく、王宮の内情やジェラルド様のことで悪い噂が立つのは避けたい…。
「…皆さん、今そちらのマデリーン妃が仰ったことですが、彼女が陛下の元に嫁いでこられたタイミングで私が離宮に居住を移したのは本当です。…ですが、これはひとまずの措置として決めたこと。…実は最近、私の身辺を嗅ぎ回る何者かの不穏な動きがありまして…。ですから、念のために万全の警備をと陛下が仰って、騎士団の詰め所に最も近く人の出入りの少ない離宮に一時的に居を移したというだけですわ。ちょうどマデリーン妃がいらっしゃったこともあり、では空いている私の部屋をお使いになってはという話になりましたの。遠方から一人で王宮に嫁いで来られたマデリーン妃が、心細い思いをせずに済むように、と。私は毎日王宮に行き陛下と共に公務に邁進しておりますわ。ご心配なく」
信じてもらえるとも思えなかったけれど、ありのままをバラしてしまうわけにもいかない。
しかしマデリーン妃は気に入らなかったようだ。
「あら違うわ!あたしが王宮で一番豪華な部屋に住みたいって言ったらジェリーがそうしてくれたのよ。彼もすっごく喜んでるわよ。昼も夜もあたしの顔をずっと見ていられるから寝室続きの隣の部屋に住んでくれてよかったって。あなたはただ飽きられただけでしょう?見栄を張らないでよ」
「……っ、」
こ……、この人……っ。
集まっていた貴婦人たちが眉をひそめはじめた。どうやら今王宮はドロドロとした争いの最中にあって、正妃と側妃はいがみあっているらしい。そう感じているはずだ。
「…あなたがそう思いたいならそれでも結構よ。だけど、ここでそんな話はもうお止めになって。皆さんが心配なさるわ」
「えぇ?何が?別にいいじゃないの、本当のことなんだから。ジェリーはあなたの侍女たちのほとんどをあたしのお世話係に回してくれたし、毎日お姫様気分よ。うふふふっ。そちらは狭くて質素なお部屋なんでしょ?その上侍女たちもいなくなっちゃって、可哀相ねぇ」
「…少し黙っていてくださる?マデリーン妃。皆さまに聞かせるような話ではないわ。場を弁えてください」
「何よ、嫌な言い方するのね!あなたがそんなだからジェリーの心もあたしに移ってしまったんだと思うわよ」
「……。」
その後はもうマデリーン妃のことは無視していつものようにご婦人方との有益な情報交換に集中しようとした。けれど茶会の雰囲気は明らかにいつもと違ってぎこちなく、皆が私を顔色を伺っているのがひしひしと伝わってきた。
「…アリア様。大丈夫ですか」
「……。…え?え、ええ。私なら大丈夫よ」
茶会がお開きとなり離宮に戻る途中、エルドが気遣わしげに声をかけてきた。さっきまでの茶会のことを考えていたから、気持ちがずっと沈んだままだ。きっと表情に出てしまっていたのだろう。リネットも心配そうにこちらを見ている。…こんなことではダメね。
「少し書庫に寄ってから離宮に戻るわ」
「…承知いたしました、アリア様」
これから先のことを考えながら、私は踵を返して書庫へ向かう。気分転換に新しい本を借りようと思った。でも…、一度宰相と話をしなければ。あの人は何か思惑がある気がしてならない。宰相が私に話したこととマデリーン妃が言っていたことは全然違う。
もしかして、あの宰相、アドラム公爵は……
(……?……あ、れ、……何だか…)
「……っ!アリア様っ……!」
「きゃぁっ!アリア様…っ!」
(……あ……)
ただ歩いていただけなのに、ふいに視界がぐるりと回った。突然の激しい目まいに動揺していると、そのまま倒れそうになった体を後ろからしっかりと抱き止められた。
「……っ!」
見上げるとすぐそばに、エルドの端正な顔があった。思わず息が止まる。エルドはその美しい翠色の瞳でただ私のことだけを見つめていた。
「…大丈夫ですか」
「あ…、ありがとう…。ごめんなさいね、急に目まいがして…」
何だかものすごくドキドキする。慌てて彼から離れようと足を踏ん張るけれど、目まいと緊張でなかなか力が入らない。
「……っ、無礼をお許しください、アリア様」
「……きゃっ……!」
次の瞬間、私はエルドに抱きかかえられそのたくましい腕の中にいた。私を横抱きにしたままエルドは正面を向いて歩き出す。
「エ……エルドッ…!大丈夫だから…、お、降ろして…」
「駄目です。アリア様はかなりお疲れでいらっしゃるんです。ご自分でお分かりになりませんか?あなた様は離宮に移られてからますます勉強に打ち込まれるようになった。ただでさえ、日々の公務でお疲れであるはずなのに…。…このまま離宮に戻ります。どうかアリア様、もう明日まではゆっくりとお過ごしになってください。…心配で、見ていられない」
「……っ、」
最後の一言を、エルドは切なげに私を見つめながら呟いた。抱き上げられているこの状況とエルドのその眼差しに、なぜだか体中が熱くなりどうしようもなく頬が火照る。驚いた表情の使用人たちとすれ違うたびに恥ずかしくて恥ずかしくて、私は思わず両手で顔を覆った。
「っ?!ア…、アリア様っ?どっ、どうなさいましたっ?」
「目まいがひどいらしい。きっと疲れが溜まっておられるのだろう。扉を開けてくれ、クラーク」
「は、はいっ」
離宮の部屋の外に待機していたクラークにそう声をかけると、エルドは私を抱いたまま、部屋に足を踏み入れる。
エルドは黙って私をベッドまで運ぶと、そのままゆっくりと、静かに私の体をそこに寝かせた。
(……っ!)
ほんの束の間、彼の体が私の上に重なるような体勢になり、心臓が大きく跳ねる。呼吸が重なってしまうほどの至近距離で目が合った時、エルドの翠色の瞳が一瞬大きく見開かれ、その動きが止まった。
だけど次の瞬間、エルドはすぐさま自分の体を起こした。
「…失礼いたしました。…ごゆっくりお休みください、アリア様」
「……あ……っ、…ありがとう、エルド…」
返事をする声が無様にうわずった。心臓がうるさいほどに高鳴っている。エルドはそのまま振り返ることなく扉の外に出て行った。
「ビックリしましたよぉアリア様…っ!貧血かもしれませんね。あまりお食事をとられないからですよっ!もう…。すぐにお医者様を…」
「いいの、リネット。…少し様子を見るから」
「ですが…っ」
「寝不足なのも自覚してるし。…ごめんなさいね、心配かけて。今夜はちゃんと食べて、ゆっくり眠るわ」
「はい…。ぜひそうなさってください~!絶対ですよっ!」
考えなくてはならないことは山のようにあったけど、私の頭はさっきまでのエルドの温もりでいっぱいだった。
(…今日だけ…、今日だけはこのまま休もう…)
エルドのあの真摯な瞳が頭から離れず、心臓がちっとも大人しくならない。困り果てながら、私はブランケットを引っ張り上げて顔を覆った。




