13. 良い夢を
「……アリアさま……」
「…大丈夫よ、リネット。でも…、ガゼボはまたにするわね。少し休みたいわ」
「……。はい…」
自室に戻ってくると、少し目まいがした。横になりたい。
目を真っ赤にしてプルプル震えているリネットは、私の気持ちを慮ってくれているのだろう。私はどうにか明るく見えるであろう笑顔を作る。
「ふふ、そんなに気にしないで。こうなった以上、事実を受け入れるのみよ!側妃となった方が居心地の悪い思いをせずに済むよう、皆優しく接してあげてね。…まぁ、私付きの侍女や護衛たちが彼女と接することはほとんどないかもしれないけど」
私の言葉を聞いて、ジェラルド様が側妃を迎えたことを初めて知ったであろう他の侍女や護衛たちがヒュッと息を呑んだのが分かった。私は目まいがすることを伝え、寝室に行こうとした。
「…外におります、アリア様。何かありましたら声をかけてください」
「…ありがとう、エルド」
美しい翠色の瞳が気遣わしげに私を見つめていた。
寝室のカーテンを全て閉めきり、薄暗くなった部屋のベッドで私はひとしきり泣いた。もう何の涙なのか自分でもよく分からない。この数ヶ月虚勢を張って必死で頑張ってきた気持ちがボキリと真っ二つに折れ、ぐちゃぐちゃに乱れていた。辛い、虚しい、寂しい、……カナルヴァーラに帰りたい……、家族に会いたい……。
決して誰にも見せることのできない涙、吐露することのできない弱音を、私は枕に顔を押し付け声を殺して吐き出し続けた。
そして外が本当に暗くなる頃、ようやくもう一度気持ちを奮い立たせた。
(……よしっ。もういい。もう充分泣いた。馬鹿馬鹿しいわ、こんなことで二度と泣くもんか。私はラドレイヴン王国の王妃なのよ。気持ちを切り替えて、また明日から頑張らないと!)
自分の小さな問題にいつまでもかまけて落ち込んでいられないわ。私は大国の母となったのよ。民たちの暮らしをよくすること、平和な国を守っていくことに全精力を注がなくちゃ。
大丈夫。私は一人じゃない。支えてくれる人たちはいる。
「……。」
『…俺たちがついています、アリア様。あなたはお一人じゃない。…何かあったら、頼ってください』
「……ふふ」
あの日のエルドの言葉を思い出す。多くを語ることが苦手そうなあの彼が、あんな優しい言葉をかけてくれた。
とても嬉しかった。けれど…、これ以上皆に気を遣わせていちゃダメだわ。私自身がもっと成長しなくては。
(なんて頼もしい王妃様なんだ!って王宮の皆に思ってもらえるような人間になるわ。頑張ろう)
目の腫れが落ち着いたと思われる頃、私は気合いを入れ直して寝室を出た。そこにはリネットや侍女たち、エルドやメルヴィンらが待っていて、皆一斉にこちらを見た。
「はぁ…。ちょっと眠ったらだいぶ良くなったわ。心配かけてごめんなさいね」
「だ…、大丈夫ですか?アリア様…。無理はなさらず…」
「ううん、もう平気よ。お腹すいちゃったわ」
「あ、ええ!では夕食の準備ができているか確認してまいりますねっ!」
リネットはぱあっと顔を明るくすると嬉しそうに部屋を出ていった。私に食欲があると分かって安心したのだろう。優しい子…。
食堂でいつものように一人ぼっちの夕食を済ませ、湯浴みをし、部屋に戻る。
寝室に向かう前に、エルドが声をかけてきた。
「…今夜の護衛には俺がつきます。一晩中扉の外に控えておりますので、何かあったらお声をかけてください」
「…えっ?でも…、あなたは日中もずっといてくれたでしょう?…ねぇ、気になっていたんだけど、エルド最近お休み取った?あなた何だか…」
「取っています。大丈夫です」
「…だけど…」
「最近はあまり夜勤をしていなかったので夜はしっかり休んでおりますし、他の者との兼ね合いもあってたまたま連勤が続いているだけです。そのうち休みますので、お気になさらず」
「……。そう」
まるでムキになって言い訳をするようにエルドが言い張るから、私もそれ以上追求できなくなった。
「無理はしないでね、エルド」
「無理など。私は王妃陛下の護衛筆頭です。職務遂行のための体調管理こそ大事な任務の一つと心がけておりますので、ご安心くださいアリア様」
「…ふふ。分かったわ。じゃあよろしくね。…おやすみなさい」
「お休みなさいませアリア様。…どうぞ、良い夢を」
噛みしめるように呟いた最後の一言に、エルドの心遣いが溢れている気がした。
(…本当に優しい人だな…)
寝室の扉を閉めて、私はぼんやりと考えた。
ここにやって来たばかりの頃、彼が護衛筆頭だとエルドの父君であるファウラー騎士団長に紹介された時は、真面目で寡黙な美男子、という印象だった。
だけどこうして一年近くの時が経ち、だんだんと分かってきた。言葉の少ないエルドの中にある、私への労りや優しさ…。
(最近はよく喋ってくれるようになった気がするわ。ふふ…)
さっきも連勤していることを何だか一生懸命言い訳していた。私に気を遣わせまいとしている彼の気持ちが伝わってきて、思わず顔が綻ぶ。
今、この部屋のすぐ外には彼がいる。私の夜を守ってくれている。
そう思うと、一人で過ごすにはあまりにも広すぎるこの夫婦の寝室の中で、いつも感じていた寂しさが不思議とどこかへ消えてしまった。
衝撃的な一日だったけど、その夜私はエルドのことを考えながら穏やかな眠りにつくことができたのだった。
だけど、その翌朝のことだった。
「……ど、どういうことですか?なぜ私が……、この部屋を出なくてはならないのです…?」
突然やって来たジェラルド様付きの侍従らの言葉に、私は呆然とした。
「は…、誠に恐縮ではございますが、陛下のご意向にございまして…。アリア妃陛下には即日、中庭の奥の離宮にお移りいただくこととなりました」