10. デイヴィス侯爵家
「ところで…、アドラム公爵。先ほど話に出た、その、…デイヴィス侯爵家のことなのだけれど」
「ああ、はい」
せっかくの機会だ。誰も私の耳には入れようとしないのでほとんど情報が入ってきていないジェラルド様の元婚約者の方と、そのご実家。そのことについて、今のうちに宰相に尋ねてみようと思った。
「知っておきたいの。よければ教えてくださらない?その、陛下の元の婚約者であった方やご家族について…」
「は…。デイヴィス侯爵家のご令嬢コーデリア様は、ジェラルド陛下の幼い頃からのご友人でもありました。お二人は同い年で、婚約は互いが3歳の時には決まっておりましたので、頻繁に顔を合わせては親睦を深め共に勉学に励まれておりました。王立学園にも共に通われて」
「…そう、ですか」
どうやら相当古い仲らしい。ますますもって疑問に感じる。なぜわざわざそんな大切な方とのご縁を解消してまで…。
「コーデリア様は、妃陛下の前でこのような話をするのも何でございますが…、非常に優秀なご令嬢でいらっしゃいました。妃陛下と肩を並べるほどの聡明さをお持ちであったと思います。気品と教養、そして家柄…、間違いなく、国内随一のご令嬢でございます」
「そうなのですね…」
「ジェラルド様とコーデリア様の仲も順風満帆で、またお二人の婚約に異を唱える者など一人もおりませんでした。誰もがこのままお二人がご一緒になる未来を信じて疑ってもおりませんでした。…ところが…、先代が病に倒れ、それから呆気なくこの世を去ってしまい、奥方であらせられる今の王太后様が南の離宮に早々と隠居されてしまった途端、ジェラルド様は真っ先にコーデリア様との婚約の解消を宣言されたのです」
「……。」
「皆寝耳に水のことでしたので、王宮内はそれはとんでもない大騒ぎに…。コーデリア様の父君であられるデイヴィス侯爵は長年王宮の外交官長を務めておりましたが、この一件をきっかけにその職を辞することになりました。これは陛下がそのように求めたのではなく、デイヴィス侯爵自らが王宮を去る道を選ばれたのです」
…つまり、ジェラルド様に愛想を尽かしたということね…。
「デイヴィス侯爵家へ王家が支払った慰謝料は法外な金額であり、またジェラルド様が当時王太子領として所有していた土地の数ヶ所をデイヴィス侯爵家に譲り渡すこととなりました。侯爵は今、それらの土地や元々所有していた侯爵領で手広く商売をしております」
「…それで、その…、コーデリア様は今…」
「ええ、コーデリア様はつい先日ご結婚なさったそうです。お相手はプレストン辺境伯と言って、ラドレイヴンの西端の領土の領主であります。年の頃はコーデリア様より随分上にはなりますが、領地では諸外国との貿易が盛んでして、その経営は安定しておりますし、辺境伯は温厚で素晴らしい人格者です。当時は大変でしたが…きっと、今は心穏やかにお過ごしでいらっしゃると思いますよ」
「……。そう…」
そうかしら。まだ私がここに嫁いできてから一年も経っていない。コーデリア様の立場を考えれば、とても心穏やかになど過ごせるはずがないと思う。
(だって、3歳よ。3歳の頃から、この国の王子と結婚して末は王妃となるために教育を受けてきた方なのよ。ジェラルド様と同い年なら、今はもう22歳頃…。どれだけの年月をジェラルド様との未来のために費やしてきたか。人生のほぼ全てだわ。挙句の果てに土壇場になって、22にもなって、すぐにでも結婚するべきところを突然一方的に婚約解消などと申し渡され、きっともう年齢も家柄も釣り合うご令息など独身で残ってはいなかったはず…)
それで泣く泣く年の離れた辺境伯の元へ嫁いだ。そんなところだろう。
心穏やかなわけがない。
「…ジェラルド様とコーデリア様がそんなにも早いうちから婚約しておられたのに、王太子である間に結婚なさらなかったのは、どうしてでしょうか」
私がぽつりと尋ねると、アドラム公爵はニコニコしながら言った。
「それはもうひとえにアリア妃陛下、あなた様にお心を奪われてしまったからでございますよ。ジェラルド様がカナルヴァーラ王国の留学から戻られたら結婚を、という話はすでに出ておりました。が、その留学先であなた様に出会われたのです。当時ジェラルド様は17歳。あなた様は14でいらっしゃいました。留学から戻られてすぐ、ジェラルド様はお父上であらせられる当時の国王陛下に直談判なさいました。デイヴィス侯爵令嬢との婚約を解消してカナルヴァーラの王女を正妃に迎えたいと。ですが陛下は難色を示されました。デイヴィス侯爵家やその派閥である高位貴族たちの反感を買うのは必至でしたから。両陛下とジェラルド様との話し合いは膠着状態のまま、デイヴィス侯爵家との婚約関係も継続した状態で5年の歳月が流れたというわけです」
「…そうですか…」
聞けば聞くほど、デイヴィス侯爵家とコーデリア様にとっては理不尽な話だ。一体ジェラルド様は私のどこがそんなに気に入ったというのだろう。こうして妃に迎えたところで、ものの数ヶ月でこの有り様だというのに…。
ラドレイヴンの王太子殿下からそれほどまでに熱烈な恋をされたのだという喜びは微塵も湧かなかった。
ただ彼の移り気で浅はかな言動に嫌悪感を覚えただけだった。