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三人のターゲット

結解と幸太郎が通う学校から徒歩十分ほど離れ、大通りから一本外れた車の通りも少ない道路沿いにトミーズベーカリーはあった。一階が店舗、二階が住居となっており、駐車場もなく、敷地もそこまで大きくはないが、その味は確かで全国紙に掲載されたこともあるほどだ。地元の人からも人気で毎朝開店と同時にサラリーマンや学生が通勤通学の途中に惣菜パンを購入していったり、昼や夕方にかけては近くに住んでいる主婦や御婦人が友人と一緒に食パンなどを買いに来ている。半年ほど前に大手チェーン店がこの街にも進出してきた影響で人足が絶えるかとも思われたが、食感や素材へのこだわりの差からむしろ半年前よりも客数は増えた気がする。隣にいる幸太郎がトミーズベーカリーの店長たちと話をしている傍らで、結解は欠伸をしながら店内を見回した。店内にいくつもある三〜四段の棚にはバスケットがキレイに配置されており、そのバスケットの中にはアンパンやカレーパンなどオーソドックスな物や地元の特産品を使ったオリジナル商品、子供向けに動物の顔を模した菓子パンなどがオシャレに盛り付けられている。レジの奥にあるキッチンで焼き上がったパンはバスケットに入れられ、キッチンから出てきたスタッフが棚の空いているスペースに並べている。店内は焼き上がったパンのいい匂いで充満しており、早起きして食欲がなく朝食を食べていなかった結解もこの匂いを嗅いでいるとお腹が減ってきた。腹がなりそうになるのを我慢していると幸太郎が肘打ちをしてきた。話を聞いていなかったことがバレていたらしい。結解は店内を観察するのをやめて、目の前の店長たちとの会話に混ざった。

「いやぁ、本当にごめんねぇ。わざわざこんな朝早くから来てもらっちゃって」

店長の奥さん、富沢菜々さんが眠そうな俺を見て申し訳無さそうに言った。隣にいる店長の富沢源さんも学生である俺たちに対して丁寧に頭を下げた。二人とも優しそうな雰囲気を纏っており、人の良さそうな顔をしている。

「そんな気にしなくて良いっすよ。イタズラで困ってるって聞いて、僕たちが勝手に助けに来ただけっすから」

幸太郎が嘘くさい笑顔を浮かべながら返答した。本性を隠した、いつものお調子者モードだ。

「本当にイタズラだと良いんだけどねぇ。流石に十日近く毎日となると、誰かからのメッセージなんじゃないかと思っちゃうわぁ」

「それかウチのパンの味に不満を持っている人がクレーム代わりにやっていってるのかな?もっと味の研究をしていかないといけないかもね」

「ここのパンが美味しいのは僕が保証するっすよ。きっとあれじゃないっすか?店のパンを潰すのが趣味で、いろんな店を出禁にされた末にこの店にたどり着いたとか」

店のパンを潰すのが趣味って、どんな趣味なんだよ。昨日あれだけ熱心に言っておいて何をふざけたことを言っているのか。富沢夫妻にしても危機感がないというか、明らかにおかしな現象が起きているのに随分のんびりとしている。すると、背後から咎めるような声がした。

「お父さんもお母さんもまだそんなこと言ってるの?いい加減、この事件に対して緊迫感を持ちなよ。若林くんも付き合いで冗談言わなくていいから」

振り返ると、店の入口から女の子が入ってきてこちらに近づいてきた。顔立ちは富沢夫妻両方に似ているが、ハキハキとした口調がおっとりした二人よりも活発な印象を与えた。結解たちと同じ制服を着ており、校章の縁が一年生の色をしていることや幸太郎のことを知っていることから、幸太郎の友達か同級生なのだろう。

「星乃。せっかく来てくれた幸太郎くんに失礼なこと言わないのぉ。それに何もまだ事件と決まったわけじゃないでしょ?」

星乃と呼ばれた少女が幸太郎の隣に立つと、腕を組みながら自身の両親を鋭い目つきで見た。

「これが事件じゃなかったら世の中の大抵のものが事件じゃなくなっちゃうよ?こないだ出来たチェーン店の人が交渉しに来た時もそう。二人がそんなんだから、私やスタッフの人が代わりに動くことになるんじゃない」

焼き上がったパンを運んでいたスタッフの人が星乃の言葉を聞いて深く頷いている。周りの人間から見ても、この二人の危機感のなさは異常らしい。

「そんなこと言ってもね。この店に被害が出ているわけじゃないし、イタズラしてる人も悪気があってやってるわけじゃないかも……」

「売り物を駄目にされてる時点で十分被害が出てるでしょ。もしお客様が気付かずにそのパンを買っていったら本当にクレームになるよ?そうやってこの店の妨害をしてくる人のどこに悪気がないわけ?コレが善意だっていうならその意図を教えてほしいものだけど」

富沢親子が言い争いを始めてしまった。夫婦がなんとか好意的に解釈しようとしているのを娘が言い負かしているというのが正しい言い方だが。幸太郎から話を聞かされただけの結解ですら、星乃の言い分の方が理にかなっていることがわかる。一体どこに善意で店で売られているパンを潰す人間がいるというのだろうか。横にいる幸太郎を見ると、三人の会話に交じるべきか判断に迷っているようだ。

「お父さんもお母さんもお人好しにもほどがあるよ。そうやって簡単に他人を信じるから騙されてお店が乗っ取られそうになるんだよ?」

「そんな言い方は良くないよ?あのチェーン店のオーナーさんだってこの店を心配してフランチャイズの提案をしてくれただけなんだろうし。結果としてチェーン店が開店しても上手く共存出来ているようで良かったじゃないか」

「ウチの店を小さくてボロいとか馬鹿にしてたあの人たちが心配なんかするわけないじゃない。提案を断ったらすぐに大通りの広い敷地にTVも使って大々的にオープンしてくるとか、ウチを潰す気満々だったし。まぁ、結果的に話題性だけでウチのパンとは勝負にならなかったみたいだけど」

話し合いはまだまだ続きそうだ。結解は幸太郎へ目配せして二人はその場から離れた。


店内をぐるりと見て回るが、本当に食欲をそそる良い匂いがそこかしこからしている。

「おなかが減ったからって勝手に店の物を食べないでくださいよ」

誰にも聞こえていないことを確認して、幸太郎が本来の口調で結解へ注意してきた。

「俺が盗み食いするようにやつに見えるか?売り物に手を出すなんて今回の犯人と同じじゃねぇか」

「そんな物欲しそうに並んでいるパンを見てたら注意もしたくなりますよ。もし本当に食べたら先輩を一連の事件の犯人として皆の前に晒しますからね」

「ありえない仮定の上に冤罪まで被せるな。俺を犯人扱いしても犯行は止まらないぞ」

結解と幸太郎は二人で話しながら、問題が起きている惣菜パンのコーナーまで歩いてきた。サンドイッチやハンバーガーと並んで、コロッケやソーセージ、ポテトサラダなどをパンで挟んだ様々な惣菜パンがそこにずらりと陳列されていた。富沢夫婦が真面目に犯人を探そうとしていないから犯人を特定出来ていないのかと思っていたが、実際に現場を見てみて全く別の理由があることが分かった。惣菜パンのコーナーはレジから見ると近くにある棚がちょうど目隠しのようになってしまっている。しかも店の奥の壁際に面しているので店舗の外からも視界が遮られている。これでは接客や作業をしながら犯行の瞬間を捉えるのは難しいだろう。かと言って、何もしないスタッフがここでずっと見張っているのも怪しさ十分だ。スタッフではない俺たちが客を装って監視するというのは確かにいい案かもしれない。おまけに目星を付けている常連三人にはスキルを使用する予定でもある。もっとも昨日話した通り、スキルは無駄撃ちになる可能性もあるが。それにしても、どうして幸太郎はこの事件にここまで熱心に取り組んでいるのだろうか。そう言えば昨日の話の中でもその理由までは聞かされていない。幸太郎のことだから何かしら得がなければこんなことに首を突っ込むとは思えない。

「ちょっと聞きたいんだけどさ、君なんでこの件に……」

結解が幸太郎へ質問しようとした時、背後から幸太郎を呼ぶ声が聞こえた。両親との言い合いが終わったのか星乃がこちらへ近寄ってきた。

「ごめんね、若林くん。こっちから相談したのにお父さんもお母さんもあんな感じで。二人とも人を信じすぎるというか、他人に優しくすれば悪意を向けられないと思っている節があって。そちらの先輩も来ていただいてありがとうございます。若林くんから頼りになる先輩が助っ人に来てくれるって聞いてました。今日は宜しくお願いいたします」

そう言って目の前に立つと星乃が頭を下げてきたので、結解は両手を前に出してやめさせた。優しそうな両親とは違い少しあたりの強い性格なのかと思ったが、どうやらハッキリとした言い方なだけでこの子も丁寧で優しい性格のようだ。

「別に気にしなくて良いよ。俺も常連とまでは言わないけどここのパンは好きだし、奇妙な話にちょっと気を惹かれたからね」

「お客さんだったんですか?それはありがとうございます。ウチのパン屋って大通りからは離れてますけど駅方面から学校までの近道にあるので、結構学校内でも利用してくれる人が多いんですよ」

「確かに朝早くから営業してるから学校に行く前に立ち寄れるし、値段もリーズナブルだから学生でも手を出しやすいよね。焼き立てはもちろん、冷めても美味しいし」

「そうなんですよ。街の人皆に食べてもらいたいっていうのがウチのモットーなんです。だから平日は通勤通学の時間から開店してますし、値段も押さえられるようにコストも極力カットしてるんです。でも、パン自体には妥協はしてませんよ。お父さんは若い時、都会の有名なパン屋で修行していたんですよ。だから素材や味にはこだわりがあるんです」

そう言って星乃は誇らしげにこの店の自慢を話した。ここに来た理由が幸太郎に半ば脅されたからだということは言わないでおく。

「お母さんとは修行したお店で出会ったらしくて、一人前と認められて地元のこの街に戻ってくる時に一緒にこちらに来たそうです。お店の開店準備とか原料の確保とかで忙しくてすぐには結婚出来なかったみたいですけど……って、すいません。こんな話興味ないですよね?」

「いや、そんなことはないよ。もしかしたら今回の件に関連するかもしれないしね。君から見て怪しい人物に心当たりとかはあるかい?」

「全くない、と言えば嘘になります。半年前に大通りに出来たチェーン店は知ってますか?実はそれよりもさらに半年前、そのチェーン店のオーナーがウチを吸収しようとしてきたんです。口では形だけのフランチャイズ契約で店舗の自主性は尊重するとか言ってましたけど、実際は自分のチェーン店の品質アップのためにお父さんの職人としての腕がほしかっただけなんです。交渉に同席していたスタッフさんやそれを聞いた私が止めたから向こうの申し出は断りましたけど」

「さっきご両親と話していた時に言っていたのはそのことだったのか。断られたオーナーが今度はこの店を潰すために大通りの新店舗をオープンさせたと」

「両親はそんなことはないって言ってますけどね。それに、もしかしたら新店舗の話が先にあって、ウチの逃げ道を潰すために交渉を持ちかけてきていた可能性もなくはないです。ま、どっちにしても地元の人から信頼を勝ち取っていたウチには敵わなかったようですが。でも、あのしつこかったオーナーがやられっぱなしですごすご逃げ出すとは思えないんですよ」

星乃にとってはそのチェーン店のオーナーはかなり心象がわるかったらしい。そんな時にイタズラとも嫌がらせとも取れるこの不可思議な事件だ。星乃がそのオーナーを疑うのも致し方ない。

「私も学校に行く前にお店を見回ってみましたけど、制服であまり長時間いるわけにはいかなかったので結局怪しい人を見つけることは出来ませんでした。それに私が知る限りではあのオーナーをこの近くで目撃した人もいないようですし。でも、ココ最近で何かトラブルになりそうなことと言えば、あの買収騒動位しか思い当たらないんです」

星乃の主観も入っているだろうからどこまで信頼できる情報かはわからないが、頭には入れておいた方が良いだろう。結解は幸太郎の意見を聞こうと隣へ目を向けた。だが、幸太郎は結解も星乃の方も向かず、明後日の方角を見ていた。そう言えば、結解と星乃が喋っている間も何も言葉を発しなかったがどうかしたのだろうか。結解が幸太郎へ話しかけようとしたが、星乃が店内の時計を見て声を発した。

「あ、もうそろそろ開店時間になっちゃいますね。役立つ情報を提供出来なくてすいませんでした。打ち合わせ通りお客さんを装って店内の観察をお願いします。学生が三人もいたら目立っちゃうので、十分交代で一人づつにしましょう。店を出て脇のドアから二階に行けるので、休憩中は私の家の居間を使ってください。それで良いよね若林くん?」

「え?あ、うん。大丈夫、っす」

しどろもどろになりつつも頷く幸太郎を見て、星乃は微笑みながら最後にもう一度頭を下げると向こうへ行ってしまった。星乃の後ろ姿をいつまでも眺めている幸太郎を見て、結解は全てを理解した。

「なるほどね〜」

「な、なんですか?俺を見てニヤニヤして」

「いや〜?なんで一見関係なさそうなこの事件に首を突っ込んでいるのか疑問だったけど、今のでだいたい分かったよ」

「何か変な勘違いをしてませんか?別に彼女が理由でこの件に手を貸してるわけじゃありませんよ?」

「へ〜?その割にはあの娘と話してた時、尋常じゃないくらい慌ててたように見えたけどなぁ?それに、今の言葉もやけに早口だったし」

「それは先輩が穿った見方をしているからじゃないんですか?とにかく、富沢さんは関係ありませんからっ!」

ニヤニヤ笑いながらからかう結解に幸太郎は不機嫌そうな顔で言い返したが、いつものようなキレもないし最後は大きい声で誤魔化そうとしていた。結解は普段見たことがない幸太郎の年相応な部分を見て、なんだか嬉しい気持ちになっていた。


店内の観察を始めてちょうど一時間が経過した。二周目の監視が終わり、店から出て富沢家へ向かいながら、結解は元々あまりなかった犯人を捕まえる自信がさらになくなってきた。星乃、幸太郎、結解の順番で十分ずつ交代で店内の監視を行っていたが、二周した現段階で異常は全く見られず、富沢夫妻の雰囲気もあって店内は平和そのものだった。念の為、惣菜コーナー以外も注意したりしていたが何も変化はなく、只々客を装って店内をぶらぶらしたり、休憩中に食べるパンを選ぶ位しかすることがなかった。富沢家の玄関まで来てチャイムを押して待っていると、中からドアが開いて星乃が出てきた。

「お疲れ様です、青葉先輩。その様子だと、この時間も特に異変はなかったみたいですね」

結解が頷くと、星乃はそれではまた家でゆっくりしていてくださいと言って、店へと向かって行った。結解は富沢家に入ると靴を脱いで居間へと向かう。許可されているとは言え、家主がいないのに勝手に人の家の中を進んでいくのは気が引ける。こころなしかこの家からもパンのいい匂いがする気がした。廊下を通り、ドアを開けるとリビングでは幸太郎が座布団に座ってテレビを見ていた。物音に気付いてドアの方を見た幸太郎だったが、入ってきたのが結解だと知って姿勢を崩した。

「どうでした?何か異常はありましたか?」

「いや、全然。店内も富沢さんやスタッフの人たちが接客しながらお客さんと仲良く話をしていて、本当に連日奇妙な事件が起きてる店とは思えないほどほんわかしてるよ」

「ちょっと、雰囲気のせいにして気を抜かないでくださいよ?もし犯人を捕まえられなかったら、明日も手伝ってもらいますから」

幸太郎の言葉に結解は顔をしかめつつ、テーブルに置かれた星乃が準備してくれた飲み物を手に取った。一周目の休憩中にも幸太郎や星乃と話をしたが、二人もおかしな人物や行動は見かけなかったそうだ。自分の店のことである星乃やその星乃のことが気になっているであろう幸太郎は傍目にもわかるほど常に気を張っているが、変化もないまま二周目が終わったことで結解の集中は途切れ始めていた。監視していた際に浮かんだ疑問を幸太郎へと投げかける。

「異変が起きる時間は本当に開店直後の一時間であってるのか?」

「今更そんなこと聞きますか?俺も富沢さんからの話を聞いただけなので断言は出来ませんけど、いつも昼前には潰れたパンが見つかるらしいですし、早いと八時前には発見されるそうなので多分あってると思いますよ」

「それってその日はたまたま八時前に犯行が起きただけで、実際には時間の規則性はないんじゃないか?今日はすでに一時間経過してるけど、まだ何も異常なことは起きていないぞ?」

「一時間経ったばかりで規則性を否定することは出来ないんじゃないですか?多少のズレはあってもおかしくないでしょう。それに目星を付けている三人もまだ来ていないようですし」

「そもそもその三人だって毎日来てるから怪しいってだけなんだろ?もしかしたら指示している人間が裏にいて、実行している人は毎日違う可能性だって疑うべきだと思うけど」

結解の反論に幸太郎はうんざりしたような表情を見せた。

「そんなこと言い出したらお客さんじゃなくスタッフの可能性とかも疑わなければならないでしょう?実はたまたま偶然が重なっただけで全く接点のない人たちがそれぞれ別の日にパンを潰していただけかもしれませんし。それかバカな学生の間でパンを潰す遊びが流行っているだけってオチも考えられますよ」

「売り物のパンを潰すってどんな遊びだよ……。いや?窃盗を遊び感覚でやる人間もいるらしいからありえなくはないのか?」

「真面目に納得しないでくださいよ。ありえない例の一つとして言ってるだけなんですから。先輩があらゆる可能性を疑うべきみたいなことを言い出したから挙げただけです。全く。しっかりしてくださ……」

スマホの着信音で幸太郎は喋るのをやめた。テーブルに置かれた自身のスマホを素早く掴んでその画面を確認すると、幸太郎の顔に緊張が走った。幸太郎が急に立ち上がるので、結解は体をビクッと震わせた。

「びっくりさせるなよ。突然なに?もしかして店で何かあったのか?」

「このタイミングで他に何がありますか?さっさと立ってください。俺たちも店に行きますよ」

「俺たちも?なんで?流石に学生が三人もいたら怪しくない?」

「しょうがないでしょ。富沢さん一人じゃ監視の目が足りないんだから」

「足りない?見張る対象は一人じゃないのか?」

結解の問いかけに幸太郎は頷いた。

「目星を付けてた常連が来ました。しかも一度に三人全員がね」


幸太郎が通学途中の学生を装いながらトミーズベーカリーへ入店すると、星乃の母親である菜々がのんびりとした口調でいらっしゃいませ〜と言ってきた。店内を見回すと棚の間から星乃がこっそりと顔を出して手を振ってきた。自分に手を振ってくれる星乃に少しドキッとしながら幸太郎はパンを物色しているフリをしてそちらへ近づいていった。星乃が周囲に気付かれない指さした方を見ると、話に聞いていた常連たちが陳列されているパンを眺めていた。一人は幸太郎たちと同じ学校に通う学生で、校章から判断すると三年生だ。体格がガッチリしており、大きめのカバンを肩にかけているところも見て、どうやら運動部所属のようだ。そこから少し離れた場所で眠そうな目つきでサンドイッチを見比べているサラリーマンも常連の一人だ。色白の肌とコケた頬が神経質そうな印象を与える。最後の一人はトートバックを肘にかけ、トレーとトングを持って辺りを見回している女性だ。スーツや制服を来ている周囲の人たちとは違い私服を着ているが、確か事前の情報ではこの近くに住む主婦だったはずだ。幸太郎はターゲットにバレないよう無音カメラを起動させたスマホで三人の顔を隠し撮りすると、店の外で待機している結解へ送信した。三人のターゲットが一斉に来ることは幸太郎も結解も想定していなかった。星乃も入れて一対一で監視すれば良いのだろうが、結解にはスキルを使って三人の情報を調査する役割がある。スキルの使用中は表示される項目に気を取られてしまうらしいので監視まで結解に任せてしまうと、怪しい行動をしても見落としてしまう可能性がある。何より一般人の星乃にスキルのことを説明しても理解してもらえないだろうから、犯行を見かけた時にその犯人を逃さないように結解には店の外で待機してもらっていると星乃へは先程メッセージで伝えて了承してもらった。実際に結解は外にいるが本当に犯人を待ち伏せしているのではなく、外からターゲットを順番に見てもらうことになっている。屋外からでも道路沿いの壁は全面ガラス張りなので歩き回るターゲットを視界に捉えることは出来るだろう。ただ問題はあり、屋外からは店の奥までは見えないため、ターゲットがすぐに問題の惣菜パンコーナーに行ってしまうと視界から消えてしまって情報を十分に取得出来ない危険性がある。そうなった場合は幸太郎と星乃の監視だけが頼りとなるので、幸太郎が学生とサラリーマンの二人を見張ることにした。星乃から心配するメッセージが届いたが、良いところを見せたかった幸太郎は安請け合いしてみせた。幸太郎はターゲットの二人が怪しい動きをしないか注意しながら、店の外へ顔を向けた。ガラスの向こうで結解がスマホをイジるフリをしながら片目で店内を見ている。誰にスキルを使用しているかは分からないが、先程送った写真でターゲットの顔は把握しているはずなので三人のうちの誰かであることは確かだろう。というか、そうでなくては困る。星乃のいる手前あまり素を出さないよう気をつけていたが、最初の見回りを終えて明らかに結解のやる気が無くなっていた。あの人にとってはあまり関係のない街のパン屋がただ困っているだけかもしれないが、幸太郎からしてみれば犯人を捕まえることで星乃の好感度を上げることが出来るか、それとも失敗して失望されるか重要な事件なのだ。自身の周りにいる人間で信頼出来てしかもお人好しだからわざわざ呼んだわけなので、しっかりと働いてもらいたいものだ。文句を言ってもしょうがない。結解がちゃんとスキルを活かしてくれると信じて、とにかく自分はターゲットの二人が怪しい行動を取らないか監視していなければ。そう思って学生とサラリーマンの方に視線を戻すとサラリーマンはまだサンドイッチを物色しているが、学生がいつの間にかいなくなっていた。しまったと思い店の奥へ向かうと、問題の惣菜パンコーナーにあの学生がいた。ちょうどホットドッグを手に持っていたが、それをバスケットに戻すと隣のピザパンを掴んだ。そしてそのコーナーから離れ、足早にレジの方へ向かっていく。このまま学生を追うべきか、それともまだ惣菜パンを見ていないサラリーマンを監視するべきだろうか。幸太郎は悩んだ末に学生の後をつけた。なんとなく学生が挙動不審な気がしたからだ。会計待ちしている学生をレジの近くのコーナーを見るフリをしながら観察するが、やはり様子が少しおかしい気がする。辺りをキョロキョロと見回しながら、前に並んでいる客の会計が終わるのを待てないかのように空いている手で自分の足を小刻みに叩いている。何か予定があって急いでいるのかもしれないが、この店から学校まで歩いて十分くらいなので登校時間にはまだ余裕があるはずだし、朝練にしては今の時間は遅すぎる。それに幸太郎が店に入って最初にあの学生を見た時はそこまで焦っているようには見えなかった。会計していた客が去り学生の番になったが、会計中も落ち着きがなくスタッフから渡されたお釣りを財布ではなくポケットにねじ込むと、富沢夫妻やスタッフのお礼を聞かずにさっさと店から出ていってしまった。怪しいが店のパンを潰してはいなかったので店の外まで追う必要はないだろう。店の外に出てしまった以上、あとは結解に任せるしかないだろう。幸太郎はレジの近くからもう一人のターゲットであるサラリーマンを見た。棚の奥からこちらに向かって来ている。手にはホットドッグを持っているので、惣菜パンコーナーにはすでに行ってしまったようだ。しかも、その後ろからは最後のターゲットである主婦がいた。星乃もちょうど棚の隙間から顔をのぞかせ、幸太郎と視線が合った。顔を横に振っている。これはまずいことになったかもしれない。サラリーマンと主婦が順番に会計を済ませて店から出ていった。星乃が近づいてきて幸太郎に声をかける。

「若林くん、どうだった?怪しい人はいた?」

「学生の挙動が怪しかったけど、犯行の現場は見なかった、っす。富沢さんの方は?」

二人のターゲットを担当すると自信満々に言っておきながらサラリーマンの方をあまり監視できなかったことは黙って、星乃の問いかけに幸太郎は答えた。

「私もあの女性を見ていたけど、特に怪しい様子はなかったかな。トングでいろんなパンを触っていたのが気になったけどね。それと、スマホに友達から連絡が来ちゃって一瞬目を離しちゃったんだ」

つまりターゲット三人全員が監視の目が届かなかったタイミングがあったことになる。そのタイミングで何かをした可能性はある。しっかりと見張っている最中に急な連絡が来てしまった星乃は別として、考え事をしていて学生を見失ったり、その学生の監視を優先してサラリーマンから目を離した幸太郎は自業自得だが。嫌な予感がして、幸太郎は星乃と一緒に惣菜パンコーナーに戻った。その予感は的中し、バスケットに並んだパンを確認していくと、ツナマヨパンの一つが平たく潰れているのを発見した。

「私たちがちゃんと監視してたはずなのにいつの間に!?もしかしてあの三人じゃなかったってこと?」

星乃の疑問に幸太郎は答えなかった。学生もサラリーマンもちゃんと監視していなかったとは言い出せなかった。幸太郎と星乃が犯行の現場を押さえられなかったとなると、あとはもう結解のスキルが十分に発揮されていることを祈るしかない。


結解と幸太郎は店の奥にあるスタッフルームで潰れたパンを取り囲みながら椅子に座っていた。その場に姿がない星乃はキッチンに行っており、今日も事件が起きてしまったことを両親に伝えてもらっている。星乃が席を外している間に幸太郎は結解からスキルを使った調査の結果報告を受けていた。

「……なるほど。それじゃあ、せっかく俺がスキルを使いやすいように監視役から外したのに、先輩は三人のうち二人しかスキルをまともに使用出来なかったって言うんですね?」

「しょうがないだろ。あのサラリーマン、俺の視界からだと主婦と被ってたんだから。

しかもその直前にスキルを使った学生が早足でどっかに行っちゃうから目で追うのに必死だったし。チラ見して名前だけでも分かったんだから良しとしてくれよ」

結解のスキルによって分かったのはまず名前だ。あの神経質そうなサラリーマンは河原新汰、挙動不審だった学生は長町明日斗、パンをよく弄っていた主婦は愛宕橋優羽という名前だそうだ。次に近況について確認したそうだが、確認する暇もなかった河原についてはもちろん、他の二人の情報も正直期待外れだった。主婦の愛宕橋はこの近くのマンションに夫と二人で住んでいるが、すこし前に夫が長期出張に出てしまったため一人分の朝食を作るのが面倒になり、トミーズベーカリーへ朝食を買いに来るのが最近の日課になっている。美味しいから本当は何個もパンを買っていきたいが、不摂生な生活により体重が気になり始めたので、買うのは一日一個までと決めている。幸太郎たちと同じ学校に通う長町は二年生までは運動部に所属していたが、足の怪我のために部活を引退して今は帰宅部扱いになっている。部活を引退してからは暇を持て余していたので、最近バイトを始めたようだ。

「想定以上に無駄の情報しかありませんね。これでどうやって犯人を絞り込めと?朝食として富沢さんからパンをご馳走になっておきながら、やる気なさすぎじゃないですか?」

「事前に役に立たないかもって言っといただろ?俺だって貴重な今日一日分のスキルを全部使ったんだ。出来る限りの手伝いはしたつもりだけどな」

「結果が出ていない以上、何を言われてもしょうがないと思いますけど?これだったらスキルを使ってもらわずに、三人のうちの誰かを監視してもらった方が良かったです。先輩が役に立たなかったせいで、今日もこうして事件が起きてしまったと言っても過言ではないですね」

「他人に責任を押し付けるな。さっきの話を聞く限り、お前がちゃんと二人を監視していなかったことの方が割と問題だろうが」

結解の話を聞く前に星乃と幸太郎の監視状況については説明していた。自分の失態を星乃に聞かせたくなかった幸太郎は自分の番になったタイミングで、両親に報告してきた方が良いのではと星乃が席を外すように差し向けたのだが。結解に図星を突かれたためなんとか矛先を逸らそうと内心焦りながらも、幸太郎は平静を装って屁理屈をこねた。

「確かに俺の監視が甘かった部分があるのは認めます。そのせいで犯人にパンを潰されたのも事実でしょう。でも、先輩がしっかりと仕事をしてくれていれば、犯行現場は押さえられなくても犯人を捕まえることは出来たはずですよ。それに、先輩がスキルを使いやすいようにした結果、俺の負担が増えてしまって監視が甘くなってしまったわけですから、先輩の責任も少なからずあると思います。まぁ、先輩も仕事はしていなかったというわけではないようなのであまり責めるつもりはありませんよ。先輩と俺、どっちも悪かったってところですかね」

「勝手に結論を出すな。それにどっちもどっちって言葉は第三者が物事を公平に判断して使うセリフのはずだろ。当事者のお前が言うと、自分の失態の責任を少しでも相手に押し付けようとしてるようにしか聞こえないぞ」

なんとか言いくるめて自身と結解の失態を五分五分位の割合に持ち込みたかったが、駄目だったようだ。こうなれば他の話題に持っていくしかない。

「そう言えば、俺が監視した学生、長町さんでしたっけ?あの人、レジに並んでいる間、ずっと挙動不審だったんですけど、それについて何か役立ちそうな情報は得られなかったんですか?」

「長町さん?あ〜挙動不審だったんだ。なんでだろうね?何か予定でもあったんじゃない?」

幸太郎の質問に結解は疑問で返したが、その言葉に幸太郎は違和感を覚えた。結解のことだから、分からなければわからないとハッキリ言うはずだ。予想を口にするにしても割と具体的な案を出すことの多い結解が、何か予定があったなんて曖昧なことを言うなんて少しおかしい気がする。幸太郎は結解から聞いた長町の情報を思い出しながらさらに質問を続ける。

「先輩のスキルで長町さんは足を怪我したことが分かってるわけじゃないですか。それなのに店を出ていった時は結構早足でしたよね?」

「そうだったっけ?焦ってたからよく覚えていないなぁ」

「いや、早足だったから目で追うのが大変だったって自分で言ってたじゃないですか。でも、そうなると少し気になりますよね?部活を引退しなければならない位の怪我らしいから、きっと歩くのもまだ痛みが残っているでしょうに、わざわざ店を早足で出ていくなんてよほど急いでいたのですかね?まるで一刻も早く店から去りたがってるようにも見えますけど」

今度の質問には結解は何も言わなかった。その反応をみて幸太郎は確信した。結解は長町に関して何かを隠している。この状況で隠すことと言えば、十中八九この事件に関わることだろう。だが、そうなると新しい疑問が生まれる。なぜ結解は長町のことをかばうのか?星乃がいつこの部屋に戻ってきてもおかしくない。聞き出す時間が限られているため、幸太郎は直球をぶつけることにした。

「先輩。正直に話してもらえますか?長町さんに関して何を知ってるんですか?黙っているなら、富沢さんにはあの学生が犯人だったって言いますよ?」

「それはやめとけ。あー、分かったよ。実はスキルを使って、あの人が何をしたかまでは把握してるんだ。でも、その行動と一連の事件について微妙に一致していない部分があるわけ。犯人として捕まえる前にその未確定な部分を解明する必要があるから、黙ってたんだよ」

「なんだか奥歯に物が挟まったような言い方をしますね。問い質したい箇所はいくつかありますけど、そもそも、なんで最初から俺に教えてくれなかったんですか?」

「いや、お前に話したら事件の全容を調べ終わる前に勝手に犯人として捕まえに行くだろ?長町さんがなんであんな行動をしているのか理由もわからないし、全部分かってから説明した方が良いかなって思ったんだよ」

「あんな行動ってどういうことですか?行動なんてパンを潰す以外にしていないじゃないですか?」

幸太郎の発言に結解は首を横に振った。

「違うよ。確かにおかしな行動はしているけど、長町さんはパンを潰してはいない。俺のスキルで確認出来たおかしな行動っていうのは、自分のカバンから持ってきたパンを取り出して、バスケットの中に入れることなんだ」

結解の答えに幸太郎は頭が混乱した。一体何を言っているのだろうか?

「お前が彼を見失って惣菜パンのコーナーで見つけた時、ホットドッグを持っていただろ?あのホットドッグはこの店で売っていたものじゃなくて、長町さんが持ってきた物なんだ」

「いや、ちょっと意味がわからないんですけど?店の外からパンを持ち込んで、売り物に混ぜたってことですか?一体なぜ?」

「二週間ほど前から誰かに頼まれてやっていることまでは確認出来たけど、その相手までは見ることが出来なかった。でも、自分の行動に疑問を持っていて、この店にも罪悪感を覚えているから、パンを置いたらすぐにでも店から立ち去りたいと思っているみたいだね」

「だから痛む足も気にせず、逃げるように店から出ていったわけですか?でも、おかしいですよ?今目の前にある潰れたパンがあの人が持ち込んだホットドッグなら話が見えてきます。でも、実際にはツナマヨパンなわけですよ。なんで持ち込んだパンと潰れたパンが違うんですか?」

「そこが謎なんだよ。お前の言う通り、二つのパンが同じなら話は早い。理由も売り物にならないパンを置くことでこの店の評判を落とそうとしているとか推測出来るしな。それに事件が始まった時期も少しずれている。長町さんがパンを持ち込み始めたのが二週間前に対して、この店で潰れたパンが見つかったのは十日前だろ。お客さんに買われた可能性も否定出来ないけど、レジで気付かないなんてありえるか?そういう微妙に一致しない箇所がいくつかあるから、あの人を犯人呼ばわりしたくないし、捕まえたくもないの」

そう言って結解は口を閉ざした。きっと得られた情報をまとめているのだろう。今、結解に疑問をぶつけても答えは帰ってこないだろうから、幸太郎もこの奇妙な事件を頭の中で整理することにした。まず、十日前から始まった売り物のパンが潰れているのが見つかった。それが連日開店直後に起きるので、その時間帯に来る常連三人が怪しいと判断し、監視することになった。監視が不十分だったせいもあるが、今日も同じような事件が起きてしまい、挙動不審で怪しいと思っていた学生はパンを潰していたのではなく、店の外からパンを持ち込んでいることが分かった。しかも、持ち込まれたパンと潰れたパンが同じならまだ理解出来るが全く別ときた。今回の事件とパンを持ち込んでいる学生は無関係ということなのだろうか。そうなると、この店ではおかしな事件が二つ同時に起きていることになるわけだが。


幸太郎と結解が二人して沈黙していると、部屋のドアが開いて星乃と父親の源がスタッフルームに入ってきた。

「ふたりとも星乃のお願いに付き合わせてしまって済まないね。起きてしまったことはしょうがないし、あまり気にしないで。むしろ、君たちのおかげでお客さんに不良品を提供しなくて済んだから感謝してるよ。ありがとう」

「私からもお礼を言わせてください。朝早くから手伝ってくれてありがとうございました。お父さんたちと話をしたけど、これだけ見張っても犯人を見つけられなかった以上、常連さんを疑うのは良くないと思うの。明日からはお客さんの監視はしないで、イタズラされてもすぐに気付けるようにこまめに店内を巡回することにしました。若林くん、青葉先輩、迷惑かけてしまってごめんさない」

結果を出せなかった幸太郎たちを責めるわけでもなく、富沢親子はお礼の言葉とともに頭を下げた。その姿を見て、責任逃れしようとしていた幸太郎も流石に胸が痛くなる。このまま終わるわけにはいかない。星乃の手前もあるが、何より自分の失敗をそのままにするのは性分に合わない。どうにかして挽回しなければ。そう心に決めた幸太郎はちょうど目に入った潰れたパンを手に取って、源に見せた。

「少し確認したいことがあるんですけど良いですか?このパンを見て気になる点とかおかしな点はありませんか?もちろん、潰れている以外でです」

幸太郎から手渡されたツナマヨパンを源は観察し始める。素人である幸太郎や結解ではパンのことはわからないが、職人である源であれば何か異なる点に気づくのではないかと思ったのだ。源が手にしたパンを押しつぶしてみたり袋越しに匂いを嗅いでいる。どんなことでも良い。何か違いが分かれば、それがきっかけで真相にたどり着けるかもしれない。口調が素に戻っていることも気にせず、幸太郎は突破口が見つかることを願った。そんな幸太郎の祈りが通じたのか、調べ終わったパンをテーブルに戻すと源は口を開いた。

「うーん。このパンだけど僕が作った物じゃないみたいだね。過発酵してる」

「過発酵?」

「そう。パン生地に含まれる酵母が糖を分解してアルコールやガスを発生させることを発酵って言うのだけれど、発酵させる時間が長過ぎたりすると発酵しすぎた状態になるんだ。それが過発酵と呼ばれている現象だよ。過発酵したパン生地は中に気泡が出来てるから弾力がなくなって潰れやすくなるし、アルコール臭が残りやすいんだ。それに糖が分解されすぎているから、多分甘みもなくなってるんじゃないかな」

源の説明を聞きながら、幸太郎は結解はアイコンタクトを送った。結解のスキルで確認した情報ではあの学生に持ち込まれたこのパンではなくホットドッグだったはずだ。それなのに源はこのパンが外部から持ち込まれたと話している。結解の勘違いだったのだろうか?幸太郎からの視線の意図に気付いた結解は首を小さく横に振る。それはそうか。スキルに見落としはあったとしても流石にパンの種類を間違えたり勘違いするとは思えない。何よりホットドッグをバスケットに入れる瞬間を幸太郎も目撃している。幸太郎は質問を続けた。

「このパンはこの店で作られたパンじゃないということですけど、今まで被害のあったパンはどうでしたか?ご自分が作られたパンでしたか?それとも同じように他者が作ったパンでしたか?」

「いや〜、それはちょっとわからないな。こうやって問題のパンをしっかり見たのは今回が初めてで、潰れているのを見つけたスタッフさんたちがそのまま廃棄することがほとんどだったからね。もしかしたら、これまでもウチのパンじゃなかったかもしれないけど、実物がないから今となっては判断することが出来ないかな」

実物がないから判断出来ないという言葉に対して、幸太郎はまだ実物が一つこの店に残っていることを思い出した。

「そう言えば、店内を見回っていた時、ホットドッグが一つだけ他の違って見えたんですよね。あのホットドッグももしかしたらこの店の物じゃないのかも……」

「え?本当かい?ちょっと、今すぐ見てくるよ」

幸太郎の言葉に源は足早に部屋から出ていった。星乃が幸太郎に話しかけてくる。

「あまり理解出来てないんだけど、どういうこと?なんで他所のパンがウチにあるの?」

「まだ決まったわけではないけれど、もしかしたら嫌がらせのためにパンが持ち込まれているかもしれなくて、しかも気付かなかっただけで複数に被害が出ていたかもしれないってこと」

例えば、一目で異常が分かる物と専門家が観察しないと分からない物を同時に持ち込まれてしまっていたら、前者は簡単に取り除くことが出来るが、後者は気付かれずに店頭に並び続けることになる。しかも前者が囮の役割を果たすので、後者はより気付かれにくくなる。二つ目について結解のスキルで分からなかったのも、時間がなくて見落としてしまったと一応の説明が出来る。スタッフルームのドアが再び開く。ついさっき出ていった源が首をひねりながら戻ってきた。後ろには妻の菜々もいる。

「店のホットドッグを確認してきたけど、全部僕が作った物で間違いなかったよ。若林くんが見たのは気の所為なんじゃないかな?」

「そうでしたか……。ちなみに販売履歴って見せてもらえますか?もうお客さんに買われてしまった可能性もあるはずなので」

「レジのデータで販売履歴は追えるけど、僕が作った数とバスケットに残っていた数が一緒だったから、今日はまだ購入されていないはずだよ?」

源の言葉に幸太郎は思わず舌打ちをしそうになった。作った数と残っている数が同じで、残っている物は全て正規品ということは、常連のサラリーマンが購入していったパンが外部から持ち込まれたパンということになる。よりにもよってピンポイントで購入されてしまったとは運がない。

「俺が見張っていた時、常連のサラリーマンがホットドッグを一つ買っていったのを見ました。あの人が購入した物が俺が見たおかしなパンかもしれません」

「常連のサラリーマンって、もしかして河原さんのことかしらぁ。今朝も来ていらっしゃってたのを見ましたよぉ」

源の代わりに隣にいた菜々が答えた。途中から参加したためか、相変わらずのんびりしていて緊迫感がない。

「それならまずいな。お客さんに変な物を売ってしまったかもしれないのか……。連絡先とか住んでいる場所は知ってるかい?」

「お店で接客してる時や街ですれ違った時に挨拶するくらいだから、個人情報までは知らないわぁ。近くのスーパーで何度か顔を合わせたことはあるから近くに住んでらっしゃるとは思うのだけれどぉ。毎日来てくれているから、明日来店された時に謝罪するしかないかもねぇ」

源と菜々が顔を合わせて話し始めた。常連への対応について相談している。幸太郎は結解に小声で話しかける。

「どう思います?やっぱりあの学生が一連の犯人で間違いないと俺は思います」

「今手元にある情報だけだとそうとしか思えないな。でも、気になるのは俺がスキルで見た時はホットドッグだけしか持ち込んでいないようだったんだよなぁ。俺の見間違いと言われればそれまでだけど……」

結解がそこで言葉を止めた時、ちょうど菜々の言葉が二人の耳に入った。

「それにしても、河原さんは最近挨拶をしても口数が少なくて心配してたのよねぇ。何かあったのかしらぁ。昨日も珍しくツナマヨパンを手にしていたから話しかけたけど、味の好みが変わったなんて言ってたのよぉ。少し前まではサンドイッチしか買っていかなかったのにぃ」

幸太郎と結解は振り返って富沢夫妻を見た。今の話は本当だろうか?幸太郎は菜々へ確認する。

「すいません。今の話、もう少し詳しく聞いて良いですか?あのサラリーマンの方、前まではサンドイッチしか買わなかったのに、昨日はツナマヨパンを買っていったんですか?」

「はい。昨日買っていったのはツナマヨパンでしたよぉ。その前日はコロッケパンだったかしらぁ。二週間くらい前から急に惣菜パンを買うようになったのよねぇ」

菜々の返答を聞いて、幸太郎と結解は顔を見合わせた。結解の表情を見る限り、どうやら同じ考えが頭に浮かんだようだ。幸太郎は頷くと富沢親子の方へと体の向きを変えた。

「皆さんにちょっとお願いしたいことがあります。今日と同じように、明日も俺たちに見張りをさせてもらえますか?俺たちの考えが正しければ、明日にはこの事件を解決出来るかもしれません」

お読みいただきありがとうございました

思っていたよりも説明文が多くなってしまい、結果として今回のエピソードは一話分多くすることにしました

文章をなるべく絞るように気をつけていますが、ここの説明は別にいらないんじゃないかなどのご意見いただけると幸いです

また、もし宜しければ感想もお願いいたします

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