パン屋さんに行こう!
どうしてこんなことに。頭の中でそんな後悔の言葉を浮かべながら、結解は校舎内を走っていた。後ろからは自分を追いかけてくる足音が聞こえる。本気で走れば簡単に振り切れるだろうが、常人離れしたところを見られたくはないし、それにもしスピードが乗った状態で誰かとぶつかったら大きなトラブルに発展しかねない。そのため結解はおおよそ常識の範囲内と思われる速度を維持しながら、廊下を歩く他の学生たちの隙間を縫うように走っていた。でも、ずっと走っているわけにもいかない。今は昼休みなので先生方もほとんどが職員室にいるはずだが、廊下ですれ違う可能性もゼロではない。こんな傍目には全速力に見える速度で走っているところを見られでもしたら、生活指導室送りで済まされないかもしれない。結解はどこか隠れられるところがないか探していると、前方にある教室から十人くらいの学生がズラズラと出てきたのが見えた。確かあそこは化学準備室だったはずだ。恐らくあの学生たちは昼休み前の授業で使用した実験器具などを片付けていたのだろう。化学準備室から出てきた学生たちがこちらを向いて歩いている。すぐ手前に階段があるのでその階段を降りて自分たちの教室に戻ろうとしているようだ。理科準備室を挟んで階段の反対、奥側は突き当りで実験室しかない。しめた。結解は後ろをチラッと振り返り、自分を追いかけてくる集団が十分に離れていることを確認すると、階段へ向かう学生たちの間に割って入った。訝しむような目線を浴びながらも結解は間をすり抜けて、追跡者たちの視界に隠れて化学準備室へ滑りこむ。部屋のドアを閉めて聞き耳を立てていると、こちらへ向かって走っていく音が近づくにつれて大きくなったかと思えば、そのままドカドカと階段を降りる音に代わって消えていった。とりあえずは、階段を降りたように偽装することには成功したようだ。あとはあの学生たちが自分がこの化学準備室に逃げたと言わないことを祈るだけだ。結解は一息つくと部屋を見回す。隣の実験室で様々な実験を行うだけあって、実験に必要な器具がこの部屋に所狭しと置かれている。ビーカーやフラスコ、試験管など割れやすいガラス器具は壁に沿って置かれた棚にキチンと整列しており、その下の棚には茶瓶やポリ瓶がずらりと並んでいる。少し離れた場所にも瓶が置かれている棚があるが、そのラベルにはいかにも危険そうなマークが表示されており勝手に誰かに触れられないよう鍵もかかっている。その他には今どきどんな授業で使用するのかわからない古びた骨格模型や正体不明の標本、用途のわからない電子機器などが置いてあった。あまり長居をしたくはないな。結解は呼吸を落ち着かせると化学準備室の扉を開けようとした。すると、結解がドアの取っ手に手をかける前に外側から引き戸が開いた。自分がここに逃げたことがバレてしまったかと思い一瞬焦った結解だったが、ドアの前に立っていたのはボサボサした髪に丸いメガネをかけた一年生だった。一年生は結解を見て驚くわけでもなく、何も言わずに部屋に入ってきて危険物ラベルの貼ってある薬品が置かれた棚を勝手にいじり始めた。結解は別の意味で焦りだして一年生を止めようとする。
「君、何してるの?そこに置いてある薬品は危険だから勝手に触っちゃだめだよ!」
結解の声に一年生は振り返ると、まるで初めて結解に気がついたかのように驚いた。
「うわっ!びっくりした!いるなら声かけてくださいよ」
「いや、ドアを開けた時に俺のこと見てたよね?髪が邪魔で目元は見えなかったけど、確かに視線は感じたぞ?」
「あぁ、あれって貴方だったんですか?いや、人体模型にしてはリアルだなとは思ってたんですよね。制服まで着させてるから、ワンチャンマネキンかとも考えたんですけど。すいませんね。僕、この通り近視で少し離れた物はぼやけて見えちゃうんです」
一年生はそう言って、自分のメガネを弄った。メガネをかけていても人間とマネキンを間違えるようじゃ、ちゃんと日常生活をおくれるのか不安になる。
「それよりも、そこにある薬品を元の場所に戻しなよ。確か、薬品類は取り扱いに資格が必要だから生徒が勝手に取り出しちゃいけないはずだろ?」
「それなら、僕も危険物の取扱資格を取得しているので大丈夫です。ちゃんと先生の許可も取ってますし」
手に持った鍵をこちらに見せてくる。確かに薬品棚の鍵は化学の先生が管理していたはずだ。それを持っているっていうことは、本当に許可を取っているのだろう。
「貴方こそ、ここで何してるんですか?制服着てるってことは学生だと思うんですけど……」
「え?あ、いや、俺はたまたまこの部屋に入っちゃっただけだよ?特に用事もないからちょうど出ようとしていたところだし」
結解は自分が追われていることには触れずに事情を説明した。相手は興味なさそうな声を上げると、ポケットに手を突っ込んで何かを探している。
「そうですか。それじゃあ、この部屋からもう出ますか?僕ももうすぐ出るので、まだいるんだったら戸締まりをお願いしたいんですけど?」
「もう出るよ。なんなら、君にはもっとゆっくりしてもらっても構わないよ?」
もし追跡者たちが戻ってきた時にこの一年生がいれば時間を稼げるかもしれない。目の前の一年生は実験する時間がなくなるので、と言って首を横に振ると、ポケットから実験に使用するゴーグルを取り出して装着した。ゴーグル姿に見覚えがあり、結解はじっと相手を見つめる。視力は悪くても視線には気付いたのか、一年生は結解の方を向いて問いかける。
「どうしました?僕の顔に何かついてますか?」
「いや、そういうわけじゃ……。君、どこかで会ったことない?」
「なんですか、そのナンパみたいな質問は?僕、別に恋人とか作るつもりはないですけど?」
質問の仕方は確かに悪かったかもしれないが、発想が飛躍しすぎじゃないだろうか。そんなことを思いながらもう一度相手を良く見る。話をした感じでは知り合いではない。となるとどこかですれ違ったのか。この顔を見た気がするのにそれがいつ、どこだったのかが思い出せない。そもそも、髪の毛が邪魔で表情もちゃんと見えないのに顔に見覚えがあるというのもおかしいのだが。結解は軽く頭を左右に振ると、廊下の様子を伺いながら化学準備室を出た。幸い、廊下には誰もいない。結解の後ろで一年生が部屋から出てきた。薬瓶が入ったプラスチックの籠を持ちながら、器用にドアの鍵を締めている。
「そう言えば、実験室とか化学準備室って、いつも鍵がかかってたな。あれ、じゃああの学生たちはなんで戸締まりしていかなかったんだろう?」
「鍵を使って良いのは基本的に化学の先生だけなんですけど、昼の時間は僕がよく使用するから先生も鍵を開けっ放しにしてるみたいです。実験器具を片付ける学生たちを待つのも時間がかかるみたいですし」
「そんな管理で本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないですか?基本的にガラス器具を片付けるだけなので。もしなにかあった時は大騒ぎになっちゃいますけどね」
今の言い方で結解の記憶が呼び起こされ、この一年生といつ会ったのか思い出した。二週間前に昼ご飯を食べる場所を探して空き教室を見回っていた時だ。カップルや女子グループの他に、煙が充満していた空き教室から出てきた学生がいたが、その学生がこの一年生だ。その後のトラブルのせいで記憶が薄れてしまっていたが、この一年生が空き教室から出てきた時にさっきと似たようなやり取りをしていたので思い出すことが出来た。無事思い出すことが出来てスッキリした反面、結解は少し不安になった。あの時は薬品を混ぜるのに失敗して煙と悪臭を発生させていたはずだ。今も複数の薬品を使って何か実験をしようとしているが大丈夫なのだろうか?
「そう言えば、さっきはたまたま化学実験室に入ったって言っていたのに、今の言い方だと実験終わりに片付けをしていた学生のことを知っていたんですよね?ってことは、間違って入っちゃったんじゃなくて何か理由があったってことじゃ……」
「あ、あぁ〜!ちょっと用事を思い出したから、俺もう行くわ!また実験失敗しないように気をつけなよ!!」
結解は一年生から質問をされる前に片手を上げてその場から足早に立ち去った。
幸太郎は空き教室の椅子に腰を掛けながら、通学途中のパン屋で買ってきた惣菜パンを頬張った。スマホのメッセージを見る限り、そろそろあの人もここに来るだろう。昼休みが始まってすぐに追いかけられていたようだから、恐らく弁当は教室に置きっぱなしにしているはずだ。これから話し合いをする時間も考慮すると、昼休み中に昼飯を食う時間があの人にはほとんど残されていないことになる。幸太郎はレジ袋の中身を見る。まだ惣菜パンは残っているし、一つ位あげてもいいかもしれない。一瞬そんな考えが浮かんだが、わざわざ施しを与えるメリットがないので気にせず包み紙を取って、残りのパンを口に運んだ。幸太郎が自分が買ってきたパンを食べ終わったタイミングで、空き教室のドアが開いた。幸太郎がドアに顔を向けると、結解が息を切らせて立っていた。
「遅いですよ、先輩。あまりに遅いから、俺は昼飯食べ終わっちゃいましたよ」
「うるさい。こっちはチャイムが鳴った瞬間から逃げる羽目になって、弁当に口も付けられてないんだ。少し待つくらい大目に見ろ」
結解は息を整えながら教室に入ってくると、近くの椅子に腰を下ろした。幸太郎は食べ終わったパンの包装紙を丸めてレジ袋に突っ込みながら結解へ話しかけた。
「ご飯食べれてないんですか?いやぁ、可哀想に。もう少し早くここに来れば、余ったパンをあげたんですけどね?」
「絶対嘘だろ?お前がそんな優しさ持ち合わせてるとは思えないよ。もし何かくれたとしたら、十中八九対価を要求するに決まってる」
ご名答、と幸太郎は心のなかで答えた。結解とは二週間前のある出来事で知り合ったばかりだが、短い期間で幸太郎の人となりをほとんど理解したようだ。
「その言い方は傷つくな。俺ほど優しい人間なんていないでしょ?先輩の悪い噂だって、俺のおかげで払拭されつつあるし」
「変な噂で上書きしただけじゃねぇか!なんだよ!?最強を夢見て達人と戦うために武者修行の旅に出た孤高の武闘家って!?その噂にも尾ひれがついて、地下の闘技場で並み居る格闘家を倒してチャンピオンになったとか、野生の熊に出くわした時にパンチ一発で爆発四散させたとかおかしな設定が付け加えられてるんだけど!?」
「格闘マンガの主人公みたいで格好良いじゃないですか?それに、実際それくらいのことは出来てもおかしくないでしょ?」
「出来るかどうかの話をしてるんじゃないの!やってもいない噂が勝手に事実みたいになっているのがいやなんだよ!そのせいで、柔道部とか空手部の先輩たちからは追いかけ回される目にあってるし。お前があんな嘘をつくのが悪いんだろ!!」
「そうは言っても、その嘘をあの不良たちの前で肯定したのは先輩ですよね?それでテンションが上がった不良たちが勝手に武勇伝を作り上げて、武道系の部活関係者に言いふらしたからここ数日追いかけ回される羽目になったわけだし」
幸太郎の言葉に結解は答えに詰まってしまったようだ。二週間前に発生したあのトラブルについて、解決するためとは言え不良たちに嘘をついたわけだから結解にだってその責任はある。もっとも、その嘘を言い出したのは幸太郎なわけだから、今の事態を作り出したのは幸太郎だという結解の意見は至極真っ当ではあるのだが。
「そんなことよりメッセージは読んでくれました?まぁ、これだけ待たせておいてまだ読んでなかったら流石に怒りますけど」
「ちゃんと読んだよ。読んだけど、なんなんだ?この内容は?」
そう言って結解がスマホを取り出して、その画面をこちらに見せてくる。『校舎最上階、空き教室、昼休み、遅れた場合』自分が送った内容なのでわざわざ見せなくても知っている。
「文章じゃなくて単語なのはこの際いいよ。伝えたい内容はわかるし。ただ最後の単語は何?遅れた場合って、絶対その後に何か悪い単語が繋がってるよね?もし遅れて来てたら俺は何をされる予定だったの?」
「え?先輩、今の言い方だともしかして自分はここに遅れて来ていないとでも思ってます?すでに昼休みが半分は終わってるんですよ?」
「俺の置かれてる状況も加味しろよ!あんな大勢に追われてるのになんとか追跡網をかいくぐってここに来たんだぞ!なんなら、この部屋にあの部長さんたちを連れてこようか?」
「俺は先輩と話がしたかっただけですから、この部屋に他に誰が来ようと気にしませんよ?」
「コイツッ……」
結解が恨めしそうにこちらを睨みつける。これから行うお願いを聞いてもらう為にも、軽口はコレくらいにしておいた方が良いだろう。幸太郎は椅子から立ち上がって結解に近づいた。
「実は今日は先輩にお願いがあってここに呼びました。先輩に助けてほしいことがあるんです」
突然の相談に事態が飲み込めていない結解の目の前に立つと、幸太郎は頭を下げた。
幸太郎からの相談内容はこうだ。幸太郎の同級生で富沢という学生がおり、両親はこの町でパン屋を営んでいるらしい。そのパン屋、トミーズベーカリーは結解も何度か利用したことがあり、こじんまりした個人店にも関わらず美味しいパンが多い。客の出入りも多く、かなり繁盛しているようだ。そんなトミーズベーカリーでトラブルが起きたのが十日ほど前からだ。昼過ぎの混雑が落ち着いた時間に店のスタッフが陳列しているパンの確認をしていたところ、一つだけぺしゃんこに潰れたパンが見つかったらしい。スタッフから報告を受けた富沢夫妻は子供の悪ふざけかなにかかと思い特に気にしないで潰れたパンを破棄したが、翌日の昼過ぎにも同じように陳列した物のなかから潰れたパンが一つ見つかったそうだ。二日連続となるといたずらにしては悪趣味だ。夫婦はスタッフに小さな子供や怪しい人物が店に置いてあるパンにいたずらしていないか注意して見張るように指示を出したが、その翌日には今度は前日やその前の日とは別の種類のパンが潰されていた。しかも、注意して見張っていたスタッフの誰にも気付かれずにだ。スタッフだけでなく夫婦もスキを見て店内に注意をするようにしたが、それでも毎日同じ犯行が発生していた。今までの犯行からわかっていることがいくつかある。一つ目は犯行が起きている時間だ。当初は昼前後に潰れたパンを発見していたが、店内の見回りを強化した結果、開店して一時間位で犯行が発生していることがわかった。時刻にすると朝七時から八時の間だ。この時間帯は通勤通学の前に立ち寄る客が多く、夫婦やスタッフも開店してすぐは準備が残っているため注意が散漫になってしまうため、犯行を行うにはうってつけの時間なのだろう。二つ目は犯人の目星だ。事件が発生している朝の時間帯は確かに客の数も多いが、最初に犯行が見つかった十日前から毎日来ている客となるとある程度数が絞れてくる。店側で把握している限りでは三人の常連が該当するそうだ。三つ目が犯行が行われるパンの種類だ。当初はテキトウに選ばれているのかと思われたが、被害にあったパンを改めて確認するとある共通点があった。それはパンの包装だ。トミーズベーカリーのパンは品目に応じてバスケットに陳列されているが、パンの種類に応じて包装が異なっている。例えば、メロンパンなどはバスケットにクッキングペーパーを敷いて直接置いているが、手が汚れやすいカレーパンなどは手で持ちやすいように包み紙に入った状態で陳列されている。今回被害にあったパンは全て、ラップに包まれているタイプのパンだった。このタイプはパンに何か惣菜を挟んだサンド系が多く、多少潰れても中身が溢れないようにラップが施されている。他のタイプのパンを潰した場合、手やバスケットが汚れて目立ってしまうだろうことから、犯人はラップに包まれた惣菜パンで犯行に及んでいるのだろう。そして四つ目、これは奇妙なことなのだが、犯人は何故か毎日一個しか犯行に及ばない。嫌がらせが目的なのだと思うが、なぜ一日に一個だけなのだろうか?潰れたパンの近くにも同じ種類のパンはあるのにそちらには全く手が加えられた様子がない。他人の目を盗んで犯行に及んでいるため、一個が限界なのだろうか?ただ、それなら毎日犯行を行うのもかなりリスクがあるはずなのだが。以上が、幸太郎から聞かされた奇妙な相談の内容だ。
結解は一通り幸太郎から話を聞き終えると腕組みをして考えを巡らせた。確かに不思議な事件だ。嫌がらせにしてもやってることが子供のいたずらレベルだし、もしスタッフよりも前に客が気付いたとしても潰れたパンなんて好き好んで手には取らないと思う。それなのに毎日繰り返し犯行に及ぶということは、何か意味があるのだろうか。結解はそんなことを考えながら、一つ重要なことに気がついた。
「話はわかったけどさ、なんで俺に相談してくるわけ?そのパン屋には何回か行ったことはあるけど、常連の人と顔なじみとかそういうレベルではないぞ?わざわざ俺なんかを頼る必要あるようには思えないけど」
「いやだなぁ。そんな自分を卑下しなくても良いですよ?先輩には素晴らしい力があるじゃないですか?」
「素晴らしい力ってスキルのことか?残念だけど、俺のスキルは人間にしか効かないから無生物に使っても意味はないぞ」
「誰も犯行に使われたパンに使えだなんて言ってないですよ。俺が言ってるのは今目星がついている常連三人に使用してほしいってことです」
幸太郎はそう言いながら、すぐ近くの机に手をついて寄りかかった。目星がついている常連三人。確か学生とサラリーマンと主婦だったはずだ。その三人を視界に入れることが出来れば、確かにスキルを使用することは出来る。だが、果たして上手くいくだろうか?
「流石に常連三人の家や勤務先まで言ってくれなんて言いませんよ。明日の朝、俺と一緒にトミーズベーカリーに行って、店に来た三人にスキルを使ってもらうだけで良いです。ね?簡単でしょ?」
「簡単でしょって楽観視してるけど、俺のスキルは別にテレパスみたいに相手の心の声を聞くわけじゃないぞ?項目毎に別れた対象の情報を一つずつ見ていって知りたい情報を探すわけだから、探し終わる前に相手が視界から離れたらスキルを無駄に消費するだけだし」
「そこは頑張って情報を素早く確認してくださいよ。俺が異世界に居たことだってすぐに分かってたでしょ?」
二週間前にこの空き教室で幸太郎に対してスキルを使用した時の話をしている。結解はそれに頭を横に振って答えた。
「あれは最初に表示される基本情報の中にスキルの表示があって、関連項目に異世界の記載があったから気づけただけだよ。今回の事件で言えば、基本情報の中に嫌がらせに関する表示があれば簡単に調べられるけど、そうじゃなかった場合はパン屋に関する情報を探した上で嫌がらせについての項目を見つける必要があるわけ。しかも一日三回までしか使用出来ないから一度ミスしたらその日のうちに調査が終わらない可能性もあるし」
結解の説明に幸太郎はあからさまにがっかりしている。勝手に呼び出して勝手に期待しておいてその反応はないだろう。
「なんか思ったよりも面倒なスキルですね。あてが外れたなぁ。まぁ、ないよりはマシですし、これも何かの縁だと思って手伝ってくださいよ。トミーズベーカリーは七時開店なので十分前位に店の前に来てもらえれば良いですから」
「いや、何勝手に話を進めてんの?誰も手伝うなんて言ってないけど」
「え〜、お人好しの先輩の癖にさっきの話を聞いても助けてくれないんですか?意外と冷たい人なんですね?」
「仲間の裏切りを防ぐために呪いのアイテムを使うお前にだけは言われたくないわ。俺が言いたいのは、わざわざ俺なんかの力を使わなくても警察に相談すれば良いんじゃないかってこと」
「それは駄目です」
結解の提案を幸太郎は即答で却下した。警察に相談する位でそこまで嫌がらなくても良いだろうに。店の売り物を駄目にしている以上、何らかの罪に問えるはずだから警察だってアクションを取ってくれるとおもうのだが、何か頼りたくない理由でもあるのだろうか。
「さっきも言ったでしょ?今の所常連の客を怪しんでいるって。地域に愛される町のパン屋が常連のことを疑っているなんて知られたら店に大打撃ですよ」
そんなものなのだろうか?
「分かりました。先輩はどうしても手伝いたくないということですから、これ以上無理強いはしません」
「別にどうしてもってわけじゃないから。ただ勝手に話を進めてるから注意しただけだろ?」
「いえいえ。そんな気遣いは結構ですよ。店の人達と俺でなんとかしてみせます」
なんだか悪者にされている気がするが、結解は言い返すのはやめておいた。気にはなる事件だが、自分たちの力でどうにかするのであればそうしてもらおう。余計な労力を使いたくはないし、回数制限のあるスキルを無駄遣いする可能性だってあるし、なにより朝七時前に店に集合はキツイ。
「それじゃあ、事件解決出来るように俺も陰ながら応援してるよ。話はこれで終わりだろ?もう行っていいか?」
結解が席を立ち上がって尋ねると、幸太郎はスマホを取り出しながら頷いた。結解は壁にかかった時計を見た。昼休みももう残り少ない。腹減りもそろそろ限界なので早く教室に戻って弁当を食べたい。空き教室から出ようとドアまで歩いて取手に手をかけるが、後ろから声がかかった。
「ところで、先輩を追いかけてた部長たちなんですけど、今は先輩の教室前にいるらしいですよ」
結解は振り返って幸太郎を見る。幸太郎は結解へ顔を向けず、スマホを見たままだ。
「なんで?」
「多分、先輩を見失ったから教室に戻ってくるのを待ってるんじゃないですか?」
「いや、俺が聞きたかったのは教室で出待ちしている理由じゃなくて、どうしてお前がそれを知っているかなんだけど?」
幸太郎は顔を上げて、ニヤリと笑いながら結解を見た。嫌な予感がする。
「どうしてって、そりゃ俺があの人達と連絡先を交換したからですよ。ついでに言えば、最初にあの人達に噂を流したのは不良たちですけど、追加の情報を伝えたのは俺です」
「やっぱりお前かよ!なんとなくそんな気がしたんだよな!なんでそんなことしたんだよ!?」
「だって不良たちだけの話じゃ、あの人達半信半疑だったんですよ。だから俺が噂を肯定した上でそれを補強する話をしてあげたんです。なんですか、その顔?先輩の悪い噂を払拭する為に一肌脱いであげたんですから感謝してほしいですね」
「お前のことだから、絶対面白がってやっただけだろ……。ちょっと待て。もしかして昼に部長さんたちが追いかけてきたのもお前のせいじゃないだろうな?」
結解の問いかけに幸太郎は頭を振った。
「嫌だなぁ。なんでもかんでも人のせいにしないでくださいよ。俺はただ、先輩は昼の時間は弁当を持ってどこかに行ってしまうから、会いたかったら早めに教室へ行った方が良いですよって伝えただけです」
「お前が原因じゃねぇか!」
「いやいや、先輩が逃げたのが悪いでしょ?ちゃんと話をすれば良かったじゃないですか?」
「お前と不良たちが変な噂を広めたせいで話が通じないから逃げてんだよ!まじかよ……。これじゃあ教室戻れないじゃん……」
結解はドアの近くをぐるぐる周り始めた。何か良い案がないか必死に頭を回転させるが何も思い浮かばない。すると、幸太郎が立ち上がって結解に近づいてきた。
「先輩、教室に戻りたいですか?」
「戻りたいねぇ。誰かさんのせいで昼ごはんをまだ食べれていないからねぇ」
「誰のせいかは一旦置いておきましょうよ。もし良ければ、俺があの人達に連絡して教室から離れるように仕向けますけどどうします?」
「どうしますって、聞く必要ある?やれるならやってくれよ。腹減って午後一の授業耐えられる気がしねぇよ」
「そうですか……。でも、俺に何もメリットがないんですよねぇ。先輩が俺のために何かしてくれるっていうなら別なんですけど。例えば、今俺が困っている相談事に手を貸してくれるとか」
そういうことか。さっきはやけにすんなりと引き下がったが、交換条件のネタがあったからだったわけだ。実際どうしようか。さっきのパン屋の件、話を聞いて気にはなっているのは確かだ。自分が役に立つかはわからないが、それでも良いのであれば手助けしても良いだろう。それに、今この状況で背に腹は変えられない。結解はため息を一つつくと、口を開いた。
「分かったよ。お前から受けた相談に乗ってやるよ」
「相談に乗ってやる……?」
「……幸太郎様、貴方が困っているパン屋の件について、ぜひ手伝わせてくださいませ」
結解がへりくだって頭を下げると、幸太郎は満足した表情を見せた。
「そこまで言われたらしょうがないですねぇ。それじゃあ、後で改めて明日の集合時間の連絡をしますよ。店の人にも相談しないといけませんからね。何かわからないことがあればメッセージください」
「分かったよ。それより、教室前で待機してる人達をなんとかしてくれよ?」
「了解です。先輩が食堂に向かったってメッセージ入れておくので、もう少ししたら皆そっちに向かうと思います」
結解はその言葉を聞くと、空き教室のドアを開けて廊下に出た。先程と同じように幸太郎から声をかけられる。
「先輩?分かってるとは思いますけど、もし明日の予定をすっぽかしたら……」
「今日みたいなことが続くって言いたいんだろ?本当にお前はいい性格してるよ」
そう言い残して、結解はドアを閉めた。