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【9】

 時刻は少し遡る。


 執事のモーリスが慌ててこちらに走ってくるのが見えたのは、どうにかしてクロヴィスとの熱愛の噂を否定しなければと、悩みながら馬車に揺られたブランシュがエバンズ家の屋敷に着いた時だった。


 普段の彼はとても落ち着いた、使用人たちの鑑なのに。一体何があったのだろう。


「どうしたのモーリス。貴方がそんなに動揺しているの初めて見るわ。顔色が真っ白よ」


「大変なのですブランシュお嬢様! 旦那様が! 旦那様と奥様が……!」


「お父様とお母様がっ?」


 もしかして、倒れて――?


「突然訪問されたクロヴィス王太子殿下のおもてなしをされております――!」


「えぇ?!」



 クロヴィスが通されたという応接室へ急ぎながら聞いたモーリスの説明はこうだ。



 ブランシュが観劇から帰館する少し前。


 王家の紋章のついた立派な馬車がエバンズ家の門の前に停まり、そこからこの国の王太子であるクロヴィスが現れた。

 当然、出迎えたモーリスや門番は腰を抜かすほど驚いたという。


(その気持ち、痛いほどわかるわモーリス……!)


 驚きのあまりにモーリスの心臓が止まらなくて本当に良かった。


 ブランシュが生まれる前からエバンズ家に仕えてくれている彼でも、屋敷に王太子が訪ねてくるなど初めての経験だっただろう。

 何故ならエバンズ家は貴族と言っても所詮は伯爵家。それも歴史の浅い家だ。


(だからお父様とお母様も、王族の方に免疫がないはず……!)


 エバンズ家にある応接室の中でも一番広く、一番豪華な家具と調度品が揃えられた部屋。その飴色の重厚なドアを開くと、そこには正にブランシュの想像した通りの光景が広がっていた。


 部屋の奥の大きなソファに腰かけ、鷹揚に長い足を組むクロヴィス。

 今日の彼は舞踏会の時とはイメージの違う、金糸で刺繍を施された黒いジャケット姿だが、そのオーラは相変わらずキラキラと神々しい。


 そして、茶器の置かれたテーブルを挟んだ反対の位置に、ブランシュの両親が座っていた。

 ニコニコと機嫌の良さそうなクロヴィスとは対照的に、父と母が今にも卒倒しそうなほど緊張しているのが伝わってくる。


「やぁブランシュ嬢。急に訪ねて悪かったね。どうしても君に会いたくなってしまって。俺が贈った友情の証の菓子や花は喜んで貰えただろうか?」


「殿下、ようこそ我が邸にいらっしゃいました。お菓子は昨日届いた時点できょうだいたちと美味しく頂き、お花は部屋に飾らせていただいておりますわ。お気持ち、ありがたく存じます」


 そうお礼を述べながらスカートをつまみ片足を斜め後ろに下げる。

 王太子と平然と会話をする娘の姿に、両親は呆気にとられていた。


「エバンズ伯爵、エバンズ夫人。すまないが少しブランシュ嬢と二人で話をさせて貰えるだろうか。もちろん、彼女には不埒な真似をしないと我が名に誓おう」


 そう申し出たクロヴィスの言葉に、助かったとばかりに両親は応接室を出て行く。

 ブランシュとしても、両親の寿命が縮んだら困るからそれはありがたい申し出だ。今の両親はライオンの前に放り出された子猫のように震えていた。


 それでもすれ違いざまに「何かあったら大声でお父様とモーリスを呼ぶように」と二人から伝えられ、思わず笑ってしまう。


(まったくお父様もお母様も心配性なんだから。殿下が私に何かするなんて、あるはずないでしょう)


 舞踏会の夜も。彼は礼儀正しくブランシュを馬車まで見送ってくれた。

 その紳士な態度は一緒にいた兄と姉からも伝わっているはずだ。


「お待たせしてしまって、申し訳ありませんわ殿下」


「いや、先ほども言ったとおり突然訪問したのは俺の方なのだから気にしないでくれ。エバンズ伯爵にも心労をかけてしまったな。急にぽっかり空き時間が出来たから、どうしてもブランシュ嬢に会いたくなってしまったんだ。俺は、君の側だと自由に息ができる」


「ふふ、私で良ければいつでもお話を聞きますわ。お茶のおかわりはいかがですか?」


「あぁ、お願いしよう……っ?」


「殿下?」


 突然立ち上がったクロヴィスが、お茶を淹れようとしたブランシュの手首を掴む。そのままぐいっと彼の方へと引っ張られて、気がついた時にはクロヴィスの腕の中に捕らわれていた。


 左手がガッチリと腰に回され、右手がブランシュの顎を持ち上げる。

 ブランシュを見下ろすサファイアの瞳は怒りの炎に燃えている。クロヴィスの表情は怖いほどに真剣だ。


「どどどどどうなさったのですか殿下?!」


「瞳と、瞼が赤い」


「へ?!」


「もしかして、これは泣き腫らした跡じゃないのか?」


「あ」


 確かに、屋敷に帰ってくる前。ブランシュはレースのハンカチがビチョビチョになるほど号泣した。劇場でずっと泣いていた。


 舞台が始まるのと同時に感極まって泣き、闇の王が台詞を紡げば泣き、音楽が素晴らしいと言っては泣いた。

 結局、「愛と死と生と」の幕が上がってから下りるまで。ブランシュは泣きっぱなしだった。


「……やはり、泣いていたんだな?」


「えっと、これは」


「言うんだブランシュ。君の瞳がそんなに赤く腫れるまで泣かせた相手は、誰だ?」



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