【8】
「聞きまして? 先日のクロヴィス殿下の誕生祭で、何曲も殿下と踊られた女性のお話」
「もちろんですわ。最近はどのお茶会でもこの話題で持ちきりですもの。あぁ、パーティーに参加された方が羨ましい。わたくしたちもデビューしていればその女性と殿下のダンスを拝見できましたのに」
「ふふ。わたくしなんて姉がその場に居ましたのよ。なんでも、その女性は妖精の如く可憐な方で、とても優雅なステップを披露されたんですって」
「あら、私は仔ウサギのように愛らしい方だったと聞きましたわ」
「どちらにせよ、クロヴィス殿下が自分の妃にと望む方なのだから、素晴らしい女性なのでしょうね」
「その女性を見つめる殿下の瞳は甘く蕩けていて、見ているだけで殿下の愛が伝わってくるようだったんですって!」
「なんて素敵なのかしら。あぁ、殿下に愛されるその女性も、お二人の様子を会場で見てらした方たちも本当に羨ましいですわ……!」
――噂がひとり歩きしてとんでもないことになっている。
クロヴィスと踊った舞踏会の夜から三日。
自分の目の前で繰り広げられるご令嬢たちの噂話を聞きながら、ブランシュは劇場のロビーのソファの上で身を竦めていた。
冷や汗がダラダラと背中を伝っていく。今日着ているドレスは水色だけれど、それが色を変えてしまいそうな気がする。
あの夜。クロヴィスが何曲もダンスを踊った相手はブランシュしかいないため、ここで噂されている女性はほぼ確実に自分のことだろう。
(まさか劇を見に来て、自分が噂されてる場面に遭遇するなんて。あぁぁっ勝手に話を聞いてごめんなさいお嬢さんたち……! でも距離が近すぎて、自然と耳に入ってきちゃうんですううぅぅ)
おそらく、お喋りに夢中になっている彼女たちは、自分たちのすぐ横のソファに同化しているブランシュの存在に気がついていない。
気がついたとしても、おとなしいデザインのドレスを身につけたぱっとしない少女が、その『妖精や小動物のような魅力を持ち王太子の愛を受ける素晴らしい女性』だとは夢にも思わないだろう。
(そもそも殿下と私は友情のダンスを踊っただけなのに……! 怖い! 噂って怖い! どんどん事実とかけ離れて行く……!)
実はブランシュが自分の噂話をされているところへ鉢合わせるのは、今が初めてではない。
舞踏会の翌日から街のいたるところで、彗星の如く現れた女性と王太子とのラブロマンスが人々の話題の中心になっていた。
(本当なら、噂が落ち着くまで家に引きこもっていたかった……っ)
しかし、先ほどまで観劇していた舞台がそれを不可能なものにした。ブランシュにとって、どんなことがあっても今日の演目を見に来ないという選択肢は彼女の中に存在しなかった。
もし例え、今日の天気が嵐でも季節外れの大雪でも。ブランシュは劇場へ来ていただろう。
何故なら、今日初演を迎えたその演目『愛と死と生と』は闇の王の物語を原作にした舞台だからだ。
(闇の王の物語が舞台化されるのは今回が初めてではないけれど、以前の配役から一新されたからには、見届けないわけには行かないでしょうっ)
素晴らしかった。
先代から役を引き継ぐというプレッシャーをはね除け、堂々と披露された新しい闇の王の物語は本当に素晴らしかった。
拍手をし過ぎた手と、泣き過ぎて腫れた瞼が痛い。
そんな理由で、外出したブランシュはまたしても自分が噂の的になっている現場に遭遇してしまったのである。
どの噂話でも自分はクロヴィスと恋に落ちていることになっていて、ブランシュは悶えながら頭を抱えた。
自分の容姿に対する評価もクロヴィスとの関係も。事実とは違うのに、まるでそれが真実かのように人々の口から語られている。
(こんなの、殿下に申し訳なさすぎる……!)
自分に関しての噂話だけならまだいい。
噂が美化され過ぎて、実際のブランシュを見た人に「地味な女」とガッカリされても、今さらブランシュは傷つかない。
しかし、自分とクロヴィスが恋仲だという噂はどうにか否定したかった。
このままではクロヴィスにも、いつか現れるクロヴィスが本当に想う女性にも申し訳が立たない。
どうにか。どうにかしないと。
けれど、どうすれば広がる噂を止めることができるのだろう。
お喋りに興じる少女たちに何も言えないまま、ブランシュは迎えの馬車に乗り込んだ。
ビロードの椅子に身を沈め、ただ遠ざかって行く劇場を見つめる。
そうして屋敷に帰館したブランシュを待ち受けていたのは、予想もしない展開――王太子クロヴィスの詰問だった。
「言うんだブランシュ。君の瞳がそんなに赤く腫れるまで泣かせた相手は、誰だ?」