【2】
人は自分に無い魅力を持った存在に惹かれるのだという。
だからだろうか。ブランシュも、小説や劇などを見て好きになるのはいつも強烈な個性を持った悪役だった。
特に彼女が気に入っているのは、人間の王女に恋をした闇の王の物語だ。
漆黒の髪と深淵の瞳の闇の王は強引に、そして蠱惑的に王女を誘惑し死へと誘おうとする。
しかし王女が手を取るのは清く正しい隣国の王子で。
闇の王は王子の光の剣に切り裂かれ消滅してしまう。
自分が王女だったら闇の王の求愛を受け入れるのに。
(例えそれが現世での死を意味しているとしても、あんなに熱烈に誰かに求められるってとてもロマンチックだわ)
闇の王に夢中になって小説の頁をめくったブランシュにとって、クロヴィスは無味無臭で面白味のない男性に思えた。
(きっと殿下は闇の王みたいに女性に強引に迫ることなどなさらないわよね。王女が選んだ隣国の王子みたいに、清廉潔白な方だもの)
それにしても退屈だ。
瞳の色に合わせて控えめな淡緑のドレスを着たブランシュはすっかり壁と同化していて、彼女に声をかける者など誰もいない。
(お姉様は誰か素敵な男性を捕まえなさいなんて言うけれど……)
ブランシュと違って明るい蜂蜜色の髪をした華やかな姉は、次々とダンスを申し込まれて忙しそうだ。
(そう言えば、王宮には素晴らしい薔薇園があるのよね。今夜は招待客は庭園に自由に出入りできるみたいだし、せっかくだから綺麗な花を見て帰ろう)
パーティーには兄も出席しているし、姉に不埒なことをする不届き者は現れないだろう。
そう考えたブランシュは賑わうホールをそっと抜け出した。
*
「……はぁ、薔薇のいい香り。それに星もなんて綺麗なの」
甘い芳香と色とりどりの薔薇に囲まれたガゼボ。
熱気と様々な思惑が渦巻くホールから離れた薔薇園の、更に奥にあるこの場所はとても静かだった。
「とても素敵な場所なのに誰もいないなんて。本当に今夜の招待客はみんなクロヴィス殿下がお目当てなのね」
人目がないのを良いことに、ベンチに腰かけたブランシュはぐっと背伸びをして緊張をほぐす。
「今日のパーティーは殿下のお誕生日のお祝いだから、きっとまだまだ終わらないわよね……」
エバンズ家の迎えの馬車が来るまで、きっとまだ数刻はあるはず。残りの時間をどうやって潰そうか。
ホールにいてもすることのないブランシュは憂鬱そうにため息をつく。どうせ自分は抜け出したことさえ気づかれていないだろう。
「この薔薇園は入り口に衛兵さんが立っていて安全そうだし、もういっそ終了の時間までここにいるのも良いかも」
今日は暖かい夜で、そよそよと頬に当たる風が気持ちいい。
王子の妃選びには興味のないブランシュも、やはり熱狂した空気に当てられいつもと違う気分になっていたのか。大胆にヒールを脱いでベンチの上にころりと横になった。
「もしお姉様とお兄様に見つかったら、はしたないって怒られちゃうわね。それとも『ブランシュがそんなことをするなんて!』って目を丸くするかしら……」
あぁ、本当にこの場所はなんて心地がいいのだろう……。
そうウトウトしていたブランシュを、パチリと覚醒させる声が耳に飛び込んできたのはそんな時だった。
「――クソッ! 私益を肥やすことしか頭にない、薄汚い強欲な金の亡者どもめっ。誰がお前たちの娘のような脳内花畑の思慮の浅い女などと結婚するものか……!」
怒気を孕んだ、空気を切り裂くような冷たい声。
その押し殺した低い叫びが、ブランシュのすぐ上から聞こえてくる。
そろそろと頭だけを動かし声の主を見れば、輝く金髪の男性がベンチのすぐ横の柱に拳を打ち付けていた。
どうやら彼は、ベンチに寝そべっていたブランシュの存在に気がついていないらしい。
白い衣装を身につけた広い背中からは、彼の怒りがゆらゆらと揺れているようだった。
どうしたら良いのだろう。
自分は今、どうするべきだろうか。
ブランシュが自分の次の行動に迷っている間に、更に彼は拳を柱へと叩きつける。
「あぁ! 全てが煩わしいっ!」
ガンッ! という音ともにビリビリとした震動がブランシュの寝ているベンチにまで伝わる。
あんなに激しく柱を叩いて彼の手は大丈夫だろうか。
身分ある人の正装らしく、白い手袋を身に付けてはいるが、痛くないはずがない。
「……あの、あまり叩きすぎると怪我をしますよ。何か嫌なことがおありになったのですか? 私で良ければお聞きしますわ。って、あの、突然こんなことを言われても困りますわよね。私、よくきょうだい達の仲裁役や悩み相談をしているんです。だから――」
だから話を聞くのは得意なんです。
そう言いかけた言葉は、最後まで言えなかった。
何故なら、ブランシュの存在に気づいて勢いよく振り返ったその相手が、この国の王太子クロヴィス=アゼルサスだったからだ。