【10】
「君の愛らしい瞳がそんな風になるまで泣かせた相手は誰だ。もしかして、俺との仲を疎んだヤツに嫌がらせでもされたのか。それとも、君に強引に迫る卑劣な男でも現れたのか。教えてくれブランシュ。俺は、君を泣かせる存在を許せはしない。そいつは女か? 男か?」
「えっと」
瞼が晴れ上がるほど今日ブランシュを泣かせた相手。
それは女性と言えば女性だし、男性と言えば男性だ。
ヒロインの王女を演じた女優も、闇の王や光の王子を演じた男優も、みな素晴らしい演技を見せてくれた。
「えーと、強いて言うなら男性でしょうか……」
やはり、闇の王のファンの自分としては、彼の演技が一番印象に残っている。特に王女へ愛してくれと懇願するシーンは切なくて。会場全体からすすり泣く声が聞こえていた。
「その下衆を今すぐ叩き斬ってやるっ!」
そう激昂し叫んだクロヴィスは、今にも決闘を申し込みそうな勢いで応接室の出口へと向かおうとする。
そのクロヴィスをブランシュは冷静に引き留めた。
「やめてください困ります」
「ブランシュっ? そいつを庇うのか?!」
エバンズ家できょうだいゲンカを宥めるのは自分の役目。みなの和を保つため、ブランシュは相手の感情が昂っている時ほど冷静になる質だった。
「落ち着いてくださいませ殿下。今日私が泣いたのは観劇が原因です。素晴らしい舞台を見て感極まって、ずっと泣いておりました」
「………………舞台」
「はい」
「――はは、そうか。舞台か……。俺はてっきり、君を傷つけた人間がいるのかと……」
ストンっと憑き物が落ちたように脱力してソファに座り直し、クロヴィスは片手で自分の顔を覆った。隙間から見える彼の頬も耳も。まるで茹でられてしまったのかと思うほど真っ赤だ。
可愛い。クロヴィスはブランシュより3歳年上だけれど、可愛い。なんだか母性がくすぐられる。
「また、殿下の新しい一面が見られましたわ」
「さすがに今回の姿は忘れてくれ」
「殿下が私のために怒ってくださって、嬉しいです」
「君がそう言ってくれるのがせめてもの救いだな。……その舞台は、そんなにも素晴らしい演目なのか?」
舞台のことを聞いたのは、クロヴィスとしては自分から話題を逸らすためだったのだろう。
しかし闇の王の物語を心底愛しているブランシュが、闇の王の魅力を語れるチャンスを逃すはずがない。
ブランシュは語った。語りまくった。
如何に闇の王の物語が読者と観客を虜にする物語なのか。どれほど自分が夢中になっているのか。
クロヴィスが2杯のお茶を飲み終わるまで語った。
「――君がそれほどまでに熱くなる物語なら、是非とも俺も見ておかなければならないな」
「是非! 私、闇の王が全ての物語の中で一番好きな登場人物なんです! とっても、とっても、彼は魅力的なんですよ!」
「……本当に。何がなんでも闇の王がどんな人物か見極めなければ……。ちょうど明後日が公務の正式な休みの日なんだ。行ってみるよ」
「王族の方は、劇場の王族の方専用のバルコニー席で観劇なさるんですよね。はぁ、一番の特等席からご覧になれるなんて羨ましいです。ご覧になったら、私に感想を教えてくださいね」
「良かったらブランシュ嬢も一緒に行くかい? って、同じ劇を何度も見るなんて――――」
ありえないか。という言葉をクロヴィスが言い終わる前にブランシュは勢いよく立ち上がり叫ぶ。
「よろしいんですかっ?!」
相手の話を大声で遮るなど淑女としてあるまじき行動だ。けれど演劇を愛する者の憧れの特等席で観劇できるかもしれないのだ。そんなことに構っていられない。
(しかも見られるのが闇の王の物語だなんて!)
行きたい。絶対に行きたい。
「俺と一緒ならブランシュ嬢があの席で観劇することになんの問題もないよ。けれど君は今日同じ舞台を見てきたんだろう? せっかくだったら、別の演目の方が……」
「何をおっしゃるんですか殿下?! 舞台と言うものは、一つとして同じ日はないのですよ?! その日の演者の調子や客席の雰囲気、回ごとに変わる掛け合いの台詞。それらの奇跡を見逃さないために、全公演見たって良いくらいなんですよ?!」
こうして、ブランシュはクロヴィスと共に観劇に行く約束を交わした。明後日はクロヴィスが王家の馬車でエバンズ家まで迎えに来てくれると言う。
当日が楽しみで楽しみで。
クロヴィスとの熱愛の噂を否定しなければという悩みは、すっかりどこかへ消えてしまっていた。




