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ボーナス トラック;3:プレイ フォウ イエスタデイ、チアー フォウ トゥモロウ

今日という日に祈りを、

来る日に乾杯を……

――遠くで、乾いた破裂音が聞こえる。そして、叫ぶ声。


 それは、かすかな音だった。何も知らなければ、タイヤがバーストした音や、酔っ払いの声に聴き間違えるくらいの、ささいな物音。けれども事情を知っている私の意識を大きく揺さぶるには十分だった。 ベッドの中で目を覚ます。暖房をきかせているとはいえ、底冷えのする年末の夜。這い上がってくるような寒気を、毛布から出した顔に感じる。私はベッドに横たわったまま天井を、次に黒々とした窓を見た。そしていつも通りの、壁に本棚……大丈夫、この部屋は、大丈夫。 そして視線を、テーブルの目覚まし時計に向ける。日の出はまだ遠い。私は頭を包むように毛布を被り、卵の中のひな鳥のように、ベッドの上でからだを丸めた。 目を閉じて、両手で自分自身を抱きしめる。遠く、窓の外から聞こえてくる恐ろしい音が耳から離れなかった。


――早く、早く夜が明けてほしい。


耳にこびりつくように響き続ける銃声は、ただの幻聴だろうか、それとも、まだ戦闘が続いて……


――皆、無事で帰ってきて。


「お願い、レンジ君……ことり……みんなを守って……」 小さくつぶやいた後、私の意識は再び夜闇の中に溶けた。




――意識の向こう、空の向こうから鳴り響くような鐘の音。


 はじめは小さく、間隔をあけて鳴っていた音は少しずつ大きく、鋭く、連続してなり続けた。暴力的な音に耐えられなくなって、私はベッドから手を伸ばした。 指先で目覚まし時計を捕まえると、間隔を頼りにスイッチを切る。ベルの音が鳴りやむと、私は毛布から首を出した。


「んん……う」


 起きかけの喉の調子を確かめるように声を出しながら、時計の文字盤を顔に近づけてみた。……“いつも通りの自分”であるために、そろそろ起きなければならない時間だ。


「うん!」


 毛布を跳ね上げて起き上がる。朝の冷気が襲ってくるけど、もう大丈夫。 部屋は朝の柔らかい光で満ちていた。窓の外はすっかり明るくなっている。


――恐ろしい物音も、必死の声も、もう聞こえない。……全て、終わったんだ、夜のうちに。


 私はベッドから抜け出すと、寝間着のまま窓を開けた。一際冷たく、刺さるような空気を顔に浴びる。朝陽に目を細めると、静かな朝の歓楽街が広がっていた。 店先を掃除するおばあさんがいる。ランニングするおじさんが走り去っていく。幾つかの店にはシャッターが下ろされ、金属モールを組み合わせて作られたオーナメントと“年末年始休業のお知らせ”が貼られていた。いつも通りの、年末の朝だ。


「……よし」


 私は窓を閉めると、勢いよく寝間着を脱ぎ去った。




 黒いドレスに着替えてバーのホールに出ると、早番の子たちが掃除を始めていた。


「おはよう、朝からお疲れ様」


 入り口前の壁を拭いていた、灰色の肌の“セッちゃん”に声をかけると、ホール中の女給たちが振り返った。


「おはようございます、ママ」


「おはようございますっ」


 皆、口々にあいさつしながら私のそばにやってくる。


「みんなもおはよう。……あら?」


 私は皆の顔を見回しながら首を傾げた。


「早番のシフトにのっている人数よりも、多いような気がするけれど……?」


 四つ目の“よっち”が、ばつが悪そうな照れ笑いをしながら手を挙げた。


「えへへ……ごめんなさい、勝手に掃除に入っちゃいました」


「ごめんなさい、私も」


「私も……」


 数人が流れに乗って手を挙げる。真っ先に声をあげた“よっち”はモジモジと目を伏せる。「ごめんなさい、お金はいらないんで……」


「私も」


「私もです……」


 手を挙げていた他の子たちも、口々に同意した。私は皆の顔やホールを見回す。 元々シフトで入っていた子たちは困った顔をしているけれども、”よっち”たちを邪険にしているようには見えなかった。ホールも、いつもよりも掃除が行き届いているように見える。人数が増えた分、掃除もはかどっているようだった。


「そんな、さぼってたわけでもないみたいだし、お給料は出すわよ。元々入ってた子より、ちょっと安くなっちゃうけど……」


 私はそう言いかけて、“よっち”の目の周りが少しだけ、赤く腫れていることに気が付いた。 他の子たちもニコニコしているけれど、顔色や肌ツヤに気疲れの色が見て取れる。目元にクマがある子もいる。頭が花の蕾のような“ツボミちゃん”は、花弁の先がへにょりとしおれていた。


――不安で、怖くて……眠れなかった子たちが、集まってきたんだ。


「さあ、それなら全員で、頑張って準備しましょう!」


 私は両手をぱちん、と叩いて皆に呼びかけた。


「早くしたくを済ませて、少し仮眠時間を取るわよ。皆、そんな疲れ切った顔をお客さんに向けられないからね」


 女給たちは少し緊張がほぐれたようで、クスクスと笑っている。


「はい! 頑張ります!」


 “よっち”が明るく返した時、入り口の扉が勢いよく開いた。ドアにつけていたベルが激しく振り回されて音を立てる。黒尽くめの装束を着た一団が、ドタドタと靴音をたてながらホールに入ってきた。


「“イレギュラーズ”、任務完了し、ただいま帰還しました!」


 先頭の男性が大声をあげる。黒尽くめたちは一様に真っ赤な顔で、目を爛々と輝かせていた。PMC“イレギュラーズ”の社員……兵士たちは戦いの熱気そのまま、店にやってきたようだった。


「カジロ班長!」


 駆け寄って声をかけると、カジロさんは白い歯をみせて笑う。


「はい、社長。全員作戦行動を終え、真っ先に報告しようと言い合って、やってきたところです。汚い装備のままで申し訳ないですが……」


 私はカジロさんの手を取った。絶縁グローブに包まれた分厚く筋張った両手は、一晩外気に晒されて石のような感触だった。


「いえ、いいえ! 皆が帰ってきてくれたことが、何よりも嬉しいのです。でも……これで全員というわけではないわよね? 今、ここに居ない子たちは……?」


「それは……残念ですが……」


 カジロさんが悲痛そうな顔をつくってうつむくと、後ろに立っていた大柄なミワさんの顔が私を見下ろしていた。


「代わりに報告を。負傷者が全部で12名おり、管理区域の病院に入院しております。再生治療込みで2週間以内に、全員復帰できるとのことです」


 ミワさんの報告に、カジロさんが慌てて顔を上げた。


「あっ、ミワ、てめえ!」


「カジロさん、こんな時にやる冗談じゃありませんよ」


「そりゃそうだけどよ……言うようになったよな、お前も」


「……ウス」


 二人のやり取りに、私は思わずクスリと笑いを漏らしていた。後ろに並んでいた兵士たちも笑いだすと、女給たちも緊張が解けたようだった。 社員たちと一緒に笑い合う子もいれば、深く安堵の息を吐きだす子もいる。床にへたり込んだ子も。4つの目を泣き腫らしていた“よっち”は……わんわんと泣きながら、社員の一人に抱きついていた。あら、あら!


「とにかく、お疲れ様。今回は本当に大変なお仕事だったけど。……よかったわ。皆、戻ってくることができて」


「はい。でも、うまくいったのはレンジさん……ストライカー雷電と、マジカルハートのお陰ですよ。特に雷電はすごかった! 白い稲妻のように街を駆けまわって……最終決戦の戦いぶりは特にすさまじかったと聞きます。猛烈な攻撃をひらりとかわしては、ちぎっては投げちぎっては投げ……! 一緒に闘った連中がうらやましい限りで……」


「うふふ」


 両手を動かしながら少年のように話すカジロさんが不思議と可愛らしくて、話を聞きながら私も笑ってしまう。


「その話はとっても気になるけど……このままだと、夕方までかかってしまいそうね。今日はランチタイムの営業だけだから……皆さん、まずはご飯を食べてくださいな。お客さんが来る前に、ね」


「はい! それでは……総員、解散!」


「了解!」


 カジロさんが敬礼しながら声をあげると、イレギュラーズの社員たちも敬礼で応えた。




 朱色の夕焼け空が、少しずつ濃紺に染まっていく。 カガミハラ市街地第8地区、歓楽街の片隅に店を構えるミュータント・バー“止まり木”。 毎夜、歌姫のショーに沸き立つ店だが……今夜は窓から漏れる灯りも消え、扉には“臨時休業”の札が下げられていた。




 真っ赤なスポーツ・カーが、滑るように地下駐車場に入ってきた。エレベーター・ホールの前で車が停まると、ハンドルを握っていた機械頭の男性がサイド・ブレーキをかける。


「すいません、なるべく急いだんですが、どうしても年の瀬は道が混んでまして」


「いいんですよ、メカヘッドさん。ぎりぎりまでお店で調整をしていた、私のせいでもありますから。……本番には、まだ間に合うんですよね?」


 助手席に座っていた私は、メイクを直していた手をとめて尋ねた。メカヘッドさんは、車の計器盤につけられた時計を確かめている。


「……ええ、今から行けば、予定時刻の10分前には会場入りできるはずです」


 メカヘッドさんは答えると車を降りて、まるで高級タクシーの運転手のように、助手席の扉を開けた。


「ありがとうございます。それじゃあ、急がないといけませんね」


「行ってらっしゃいませ」


 大仰な身振りで、執事のように深々とお辞儀をするメカヘッドさんを見て、私もすっかり楽しい気分になる。


「うふふ……はい。頑張って参りますね」


 大歌手のように胸を張って車を降り、背筋を伸ばして歩き出す。目指すはカガミハラ競技場に作られた野外ステージ。春に、ことりちゃんと一緒に歌って以来の舞台だ……


――今回のステージ自体は、ストライカー雷電や、マジカルハート、それに“イレギュラーズ”の皆が闘うためのカモフラージュとして作られたものだった。 だけど、大きな舞台にあがるチャンスをもらえたことは無駄にしたくない。それに……


 途中で通り過ぎるスタッフさんたちに謝りながら、舞台裏に滑り込む。時間を確かめると、予定時刻の5分前だった。やっぱり男の人の歩幅と、ヒールを履いた私の歩幅とでは勝手が違う。でも、間に合ってよかった。


「『……ありがとうございました! 長年連れ添った退役軍人コンビによるギター・デュオ、“ザ・暴力装置”でした!』」


 ひとつ前のバンドが演奏を終え、司会を務めるニュース・チャンネルのアナウンサーがMCを始めた。客席から拍手が送られ、ギターを抱えた二人組が舞台裏に引っ込んでくる。


「『では、“カガミハラ年末歌謡祭”、最後のおひとりとなりました。第8区画にご自身のお店を構える、カガミハラの歌姫! 今年の春にもこの舞台で、素晴らしい歌声を聴かせてくれたことは、皆さんの記憶にも新しいことでしょう!』」


 客席から、再び拍手がおこる。私の名前を呼ぶ声も、舞台裏まで聞こえてきた。


「『……そうですね! 皆さん、大変楽しみになさっていると思います!』」


――ミュータントである私の歌を、聴きたいと思ってくれる人たちがいる。私が歌うことを、応援してくれる人がいる。だから、私もできる限り……!


 アナウンサーの声を聞きながら、私は深く、大きく息を吸い込んだ。夜の冷気が、鼻からするりと入ってくる。


「『それでは、お呼びしましょう! 美しい翼と声を持つ、カガミハラの歌姫……チドリさんです。どうぞ!』」 温度に喉を慣らすように息を吸い続け、肺に満たした空気を吐き出すと、私は光に満ちた入り口に足を踏み出した。 舞台に立つと競技場の照明塔からの光が、煌々と私を照らす。光のカーテンの先に設けられた客席には、沢山の人が座っているのが見えた。


「皆さま、今夜は私の歌のために、最後までお付き合いいただいてありがとうございます」


 私はマイク越しに呼びかける。一人ひとりに、声を伝えたいと思いながら。


「先ほど紹介いただきましたが、今年の春にもこの舞台で歌わせていただきました。……実は、こんなに大きな舞台で歌をうたうのは前回が初めてなんです、私。なので、一年の終わりに再びこの舞台に立つことができてとても嬉しくて、なんだか誇らしい気持ちです」


 客席から拍手が飛んできた。あの時のお客さんかしら。


「ありがとうございます! それでは、早速歌わせていただきますね。楽しかったこと、悲しかったこと……色々あった今年一年を思い出しながら、そして来る年への希望を抱きながら、歌いたいと思います。皆さまの次の一年も、素晴らしいものであることを祈りながら……では、聴いてください」


 ピアノとオーケストラの前奏が始まる。私は息を吸い込むと、パーカッションが刻むリズムにのって歌いはじめた……


(プレイ フォウ イエスタディ、チアー フォウ トゥモロウ / 了)

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