ボーナス トラック:バーンド ビター メモリーズ オブ クリスマス
今宵はクリスマス記念の特別短編、名付けて“アウトサイド ヒーローズ ボーナストラック”を。
物語りますは2人の男の過去、聖誕祭の日の苦い記憶……
救済教徒にとって重要な祝祭、聖誕祭。年末が近づくと救済を信じない人々も救世主の誕生を祝い、子どもたちは親にプレゼントをねだる。それは人類の生存圏の果て、ミュータントたちの町ナカツガワ・コロニーにあっても変わらなかった。
12月に入ると、通りの家々に金属のモール飾りや電飾が掛けられ始めた。毎日の定時放送が聖誕祭の音楽を流し始める。町を歩く人々はうきうきしながら祭りの空気を浴び、子どもたちはプレゼントの中身を話し合いながら駆けていく。
陽が傾きかけた空の下、酒場の従業員寮に暮らすアキとリンは並んで塀に腰掛けて、道行く家族連れの姿を見ていた。
「……行こう、リンちゃん」
「うん」
二人並んで、大通りを歩く。時々すれ違う子どもに声をかけられてあいさつを交わす他は、二人とも無言だった。
雪かきされた道を行くと、ほどなくナカツガワ唯一の酒場、“白峰酒造”にたどり着いた。店の中からは明るいおしゃべりの声が聞こえてくる。
「ただいま!」
アキがガラス戸をからりと開けると、店の明かりと暖かい空気が出迎える。子どもたち二人の体は芯まで外の寒さに慣れきっていたことに気づき、小さく震えた。
「ただいま!」
リンも声をあげ、二人で店内に入る。営業を始めたばかりの酒場には、馴染みの客が数人、既にテーブルについていた。客たちが口々に「おかえり!」と返す。
「おかえり二人とも。ご飯できてるよ」
給仕服姿のアオが出迎えると、リンとアキはエプロンに抱きついた。
「ちょっと、二人とも!」
子どもたちは顔を赤くして「えへへ」と笑う。アオは大きな手のひらを二人の頭にかぶせ、包むように撫でた。
「二人とも、聖誕祭には何が欲しい?」
「えっ?」
顔を上げたアキとリンに、アオは柔らかく微笑んだ。
「兄さんと相談してね、今度の聖誕祭のプレゼントは、私たち二人で出そう、って」
「ほんとう!」
「ありがとう、アオ姉!」
何をリクエストしようかと興奮気味に話す二人の頭に、アオは再び両手を被せた。
「まずはご飯を食べてきてね」
「はーい」
子どもたちは先を争うようにバックヤードに入っていく。優しく見送るアオに、客たちが「アオちゃんも大きくなったな」「アオちゃんと、ついでにマダラに乾杯だ。俺は“いつもの”よりもいい酒を頼むぞ」「こっちはもう一品追加だ」などと機嫌よく言い合っている。
「あはは……皆さん、ありがとうございます」
頭を下げたアオが再び忙しくホールを動き回っているのを見て、カウンターでグラスを磨くタチバナは目を細めた。
翌朝、陽が昇り始める前にタチバナは1人でナカツガワを出た。雪に包まれた道をスノーモービルで駆ける。黒々とした空の下、ヘッドライトに照らされて白い道が浮かび上がった。
山々からは獣が現れる気配もなかった。粉雪を巻き上げ、凍りつくような空気を突き抜けながら、タチバナは速度を落とさずに突っ走った。
カガミハラ・フォートサイトに到着した時には、東の空が燃えるようなオレンジ色に染まっていた。
ゲートを抜け、オレンジ色の街に出る。行く手にコートを着こんだ男が立っていた。
「タチバナ先輩、おはようございます」
カガミハラ軍警察、一般捜査課所属、機械頭の高岩巡査曹長だった。自らを“メカヘッド先輩”と周囲の者に呼ばせる彼も、タチバナの前では後輩として振る舞っているのだった。
「おう、おはよう。済まんな、こんな朝早くに」
「全くですよ。よくゲートが開いてましたね! ……ああいや、タチバナ先輩からの連絡とあっては、嫌なんかじゃありませんよ。どうしたんです?」
二人は並んで、聖誕祭の飾りに彩られた大通りを歩き始めた。朝陽が射して顔を照らす。よく晴れて風も吹かないために、12月の早朝にしては暖かかった。タチバナは歩きながら、ぼそりと言った。
「……アキとリンは、誰かわかるか?」
「タチバナ先輩の酒場で引き取った子たちですよね」
「ああ、二人とも、家族は猟友会と警備部にいたんだが、大きなヤマで皆、亡くなってしまってな」
「それで、先輩のところに……」
「そうだ。それで、二人に渡す聖誕祭のプレゼントを、マダラとアオが用意すると言ってな」
「へえ!」
交差点に差し掛かり、赤信号で二人は立ち止まった。メカヘッドは感心した声をあげ、正面を向いたままのタチバナの横顔を見た。
「あの兄妹がねぇ! ……そうか、もう19年ですもんね、大きくなるわけだ!」
「そうだな。それで、実は5、6年前から、アオもマダラも聖誕祭のプレゼントはいらない、と言っていたんだが……」
「まあ、マダラ君も大人だし、アオさんは下手な大人よりしっかりしてますからねぇ。無事に親離れしてるんじゃないですか」
「おう」
信号が変わり、二人は再び歩き始めた。 「二人は確かにもう大人だ。だが、大人になる、なった二人に、親として手向けのプレゼントを渡したいと思ってな。それで、お前さんにアドバイスをもらいたいと思って……」
「先輩が! そんな節目のプレゼントを! その相談を俺に?」
ボソボソと言うタチバナに、メカヘッドは大げさな身ぶりで返した。照れ臭いのをごまかす振る舞いだとよくわかっているタチバナは不満そうにむっつりしていたが、怒らなかった。
「相談する相手を間違えたかな」
「すいません、思わずテンションが上がってしまって……ただまあ、他の人に相談する、というのは“アリ”なんかじゃないですか? 例えばチドリさんなら、いいアドバイスをくれると思いますが……」
メカヘッドは「ふーむ」と鼻を鳴らした。
「そうだな、プレゼント選びに苦労はしないだろう。だが」
タチバナは立ち止まり、メカヘッドの顔を見た。深い穴を覗きこむような目に、メカヘッドも立ち止まって視線を返す。
「あの日のことにどこで触れることになるか、わからんだろう。お前さんも、勝手に話されるのは気分が悪いだろう、と思ってな」
メカヘッドは瞬きするようにセンサーライトを点滅させながらタチバナを見ていた。
「それでですか。そんなに気を使わなくても……隠しきれることでもないですし、タチバナ先輩が話すなら、然るべき理由で信用のある人に話すでしょうから」
タチバナは緊張がほぐれたように笑った。
「ずいぶんな信頼じゃないか」
「あの日からずっと、先輩には頭が上がらないですからね」
二人は再び歩き始めた。第2地区の商業エリアを通り過ぎる。シャッターが降りた店並みの前を冷たい風が吹き抜け、掃き残された枯れ葉を青空に巻き上げた。
「それで、今からどこに行くんです? まだ開いてる店はないですよね?」
「そうだな。……せっかくだから、あの子たちと会った場所を久しぶりに見に行こうかと思ってな。まあ、すっかり年を食ったオヤジのノスタルジー、ってとこだ」
タチバナが自嘲気味に鼻で笑うと、メカヘッドは緑色のセンサーライトを光らせた。
「ノスタルジー、結構じゃないですか。俺もお供しますよ」
「そう言ってくれると思ってたよ」
「なにせ、かれこれ19年の付き合いですからね」
白く光る太陽が射す。除雪されてむき出しになったアスファルトに、二つの長い影を描いていた。
一般捜査課に配属されたばかりの高岩巡査は使命に燃えていた。
幼少から軍属が住む、“管理区域”で育ってきた彼は、猥雑な賑わいを見せる“市街地”への憧れと、軍人・軍属と市民たちの間に立つ壁への、言い様のない不満を胸に抱き続けてきたのだった
ーー市民に愛される“お巡りさん”になりたい。そうして、壁に分かたれた二つの町を橋渡しする力になれたら……
先輩たちが動き出すより早く署を飛びだし、先輩たちが目を向けぬ町の隅々まで目を光らせる。それがこの新人警官の日課となっていて、12月の寒空の下でも変わらなかった。
聖誕祭の飾りがぶら下がっている並木道。ゴミ出しをする主婦、ジョギングに精を出すおじさん、早出や夜勤明けの勤め人たち……すれ違う人々に一人ずつ挨拶しながら、巡査は背筋を伸ばして自転車を走らせた。
スパイクタイヤは凍りついた路面に食いついた。官庁街を出発すると商業地区に住宅街、工業プラントを駆け抜けて、町の外れに向かう。寒さが日ごとに増す中、気になっている人たちがいた。
かつては市街の中心地だった第7地区。市街地の住民が増え続けた一方でビル群は老朽化の為に次々と放棄されていった。再開発の目処も立たず、今や幽霊街となりかけていた。
まだ廃墟と呼ぶには真新しい廃ビルの前に、巡査は自転車を停めた。二階の窓の1つから、白い湯気が立ち上っている。
かつては複数の事務所が入っていたビルは壁も厚く、路上よりは“まし”な棲み家となっていた。床板まで外され、天井の配管も露になった室内に入ると、巡査は迷わず暗い階段を上がっていった。
複数の事務室に区切られた二階に着く。廊下の突き当たりの“201号室”前にたどり着き、ノックをしようとした時、室内からの声が漏れ聞こえた。
「……ないです! 帰って……帰ってください!」
ガラスか陶器が砕ける音、そして子どもの泣き声。巡査は腰のホルスターに納めたゴム弾銃に手を掛けた。
反対側の手をドアノブにかけ、開こうとした時に勢いよく扉が開く。巡査は弾かれた左手をさすった。
「いてて……!」
戸口から朱塗りのように赤い顔の男が顔を出した。男は額から二本の角が突き出した……ミュータントだった。
赤い顔面は装甲のように分厚く、遺跡から掘り出されたオニ・ガーゴイルめいて厳めしい。三白眼の両目は剣呑な光を放っていた。決して背の高い男ではない。しかし恐るべき面構えはくたびれたジャケットの中から突きだしてくるかのような分厚い筋肉質の肉体と相まって、異様な迫力を備えていた。
巡査は思わず、ゴム弾銃をホルスターから抜いた。赤い男は立ち止まり、射抜くような目を巡査に向ける。
凍りつくような静止は一瞬だった。巡査が銃から手を離すと、二本角の男は大股で歩き去り、階段に消えていった。
「ちょっと……!」
呼び止めかけたが、男は振り向かなかった。巡査は子どもの泣き声がやまない室内を優先し、ノックの返答を待たずにとびこんだ。
「おはようございます! 何かありましたか?」
小さなオフィスの中は机も椅子も引き払われてがらんとしていた。合成燃料ペレットを使うストーブが一つ、その上にヤカンが置かれて、湯気をあげている。部屋の隅には廉価な小型ミールジェネレータと、布団代わりの衣服の山、そしてちゃぶ台代わりのトランクにのせられた、わずかばかりの食器たち。
戸口横に散らばる花瓶の破片以外は、室内に荒らされた痕跡はなかった。ストーブの近くに若い女性が座り込み、2歳になるかならぬかという子どもが膝にすがり付いて泣いている。まだ首の座らない赤子を胸に抱いて、女性は顔を上げた。
「……お巡りさん、おはようございます。大丈夫です、何も危ないことはありません」
巡査よりいくらか歳上の女性はやつれて顔色が悪かったが尚も目には光が宿り、顔立ちは美しかった。
「おはようございます、ヨシノさん。それに坊っちゃんに赤ちゃんも」
子どもが顔を上げる。つるりとしたオレンジ色の肌には青いぶち模様が入っていた。顔はカエルそのもので、ガラス玉のような大きな両目にはたっぷりと涙を溜めていた。母親の胸に抱かれた赤ん坊は兄と対になるようなオレンジ色のぶち模様が入った青い肌だった。彼女は泣きもせず、真ん丸の目を天井に向けている。ヨシノという女性は、ミュータントの兄妹を抱えて廃ビルに住み着いたのだった。
「さっきの男は何者ですか? 見ない顔ですが……」
ヨシノは男の子の背中をさすりながら話を聞いていた。
「最近、カガミハラにやって来たそうです。何度か来られたのですが、住む家を探していているそうで……」
カガミハラへの移民には軍警察が住居のサポートや身分証明をおこなっている。廃ビルを物色するような必要はないはずだった。
「ビジターかな……それで彼は何を?」
若い母親は泣き止んだ息子を膝の上に乗せた。
「私たちを見て、生活費を援助したいというのです。断ってもしつこく来るので、『施しなど要りません』と思わず声を上げてしまって、花瓶を……お恥ずかしい限りですわ」
「それで……ですがヨシノさん、その男から、ではないですが援助を受けた方がいいですよ。あなたは一方的に追い出された、いわば被害者なんだ。本署の生活支援はもちろんですし、旦那さんを訴えることだって……」
「訴えて何になりますか」
説得しようと躍起する巡査に対して、ヨシノは冷やかに返した。
「えっ……」
「口に出すのも躊躇われるような言葉をこの子たちに言い捨てたあの人とまた顔を合わせるなど、考えたくもありませんわ」
「しかし……」
「裁判には勝てると、私も思います。しかし慰謝料を勝ち取るまでに、どれだけかかるとお思いで? 夫の家族は私を“化け物産み”と罵り、この子たちに手をさしのべる人はおりませんでした。街を歩いても、ミュータントの子らと私に向けられる視線は冷たく、よそよそしいものばかり……そんな人々の前に出て、裁判を戦い続けるなど、私はごめんです」
静かに燃え立つようなヨシノの言葉を、巡査は黙って聞く外なかった。
「支援してもらってアパートを斡旋してもらっても、周りからの目は変わらないでしょう? それならいっそ、ジェネレータで食べ物も燃料も用意できる、今の暮らしで充分ですわ。……これから朝ごはんの時間なんです。出ていっていただけますか」
ヨシノはにべもなく言いきると、トランクにのせた碗からパン粥をすくい、オレンジ色の男の子に食べさせ始めた。巡査は「また明日、様子を見に来ます」と言い、部屋の扉を閉めた。
廃ビルを出た後、巡査はカガミハラの路地に自転車を走らせたが、赤塗りのオニ・ガーゴイル男には会うこともなかった。一般捜査課のオフィスに到着した時には昼過ぎで、他の捜査官たちは昼食休憩のために出払っていた。
「ただいま、戻りました……」
道すがら“会津商会”のデリカテッセンでサンドイッチを買ってきた巡査が戸口から顔を覗かせて無人の室内に声をかけると、ポン、と背中を叩かれた。
「おう、おかえり」
振り向くと一般捜査課の課長が、食堂からテイクアウトしてきた紙袋を持って立っていた。
「シシド課長! ……あっすいません、ただいま戻りました」
道を譲ると、シシド課長は「おう、すまんな」と言って室内に入っていった。巡査も後に続く。
「タカは見回りの帰りか! ごくろうさんだな」
「いえ、日課みたいなものですから。……シシド課長もこれからお昼ですか?」
細身だが筋肉質の課長は自分の椅子に腰かけると、机に紙袋を置いた。
「おう。ちょっと捜査が長引いてな」
「それってあの、“フリークスサイダー”ですか?」
「ああ」
課長は頷いて、紙袋の中からホットドッグとコーヒーを取り出した。
“変異殺し”ことフリークスサイダーは、カガミハラの町に以前から出没していた連続殺人鬼だった。ミュータントばかりを狙い、むごたらしく虐殺する凶悪犯で、今年に入ってから事件数が増え続けていた。
「俺がナゴヤ・セントラルに戻るタイミングで元気になるんだから、嫌になっちまうよ」
「やっぱり、挑発してるんでしょうか?」
「かもなあ、奴とは長い付き合いだから。ここでホシをあげられたらいいんだが……そうだ、タカ、これを見てくれ」
シシド課長は胸ポケットから1枚の写真を取り出し、机に置いた。
「これは……!」
真っ赤な、装甲板のような皮膚に被われた男の顔写真だった。額からは左右に角が突きだし、身分証明のために撮影された写真であろうが、鋭い三白眼の視線をレンズに向けている。恐るべき伝説のオニ・ダイモンじみたあの男だった。
目を見開いた巡査の顔を、課長はじっと見ていた。
「この男に見覚えが?」
「はい、今朝ちょっと……ですが、この男が何か?」
シシド課長は写真をポケットに戻す。
「こいつはナゴヤ・セントラルにあるヤクザ・カンパニーの元構成員なんだが、ナゴヤ保安局によると、敵に回すと手がつけられない、恐ろしい人物らしい。それが、最近カガミハラにやって来た。するとフリークスサイドの件数が跳ね上がったんだ」
「これまではナゴヤから通ってきたフリークスサイダーが、本格的に川岸を変えた……ということですか? しかし、彼もミュータントじゃ……?」
席に戻った巡査が尋ねると、課長はコーヒーを一口飲んでから答えた。
「ミュータントと言って一括りにはできないんだぞ、タカ。他のミュータントに仲間意識を持つ奴もいれば、そうでもない奴もいる。皆が大人しいわけじゃない。生活苦から犯罪に走る奴も、根っからの犯罪者もいるんだ。その事を忘れるなよ」
「……はい」
巡査は答えて、サンドイッチを口に入れた。
「こいつがフリークスサイダーかどうかはまだわからん。だが、気をつけておいてくれよ」
「わかりました」
翌朝も巡査は自転車で街に出た。荷物かごには、オムツ類に布、保育器具を詰め込んだ。子どものいる女性警官に尋ねて回り、よくわからないままかき集めた品物たち。聖誕祭にかこつけて、必要な品々ならヨシノも受け取ってくれるだろう、と思ったのだった。
電飾と赤や緑の布で彩られた街並みを走ると、かごに入れた包みが揺れる。顔に吹き付ける風の冷たさも気にせずに走り続けると、やがて華やかな飾りが消え、うら寂しい第7地区の通りに入っていた。
目指す廃ビル手前の角を曲がった時、二本角の男がぬっと現れた。
「お前は……! ああ、いや」
巡査は急ブレーキで自転車を停める。
「カガミハラ軍警察の者です。お話を……」
赤いオニ・ダイモンは藪にらみで巡査を一瞥すると、早足で歩き去ろうとした。
「待ってください! フリークスサイド事件のことで、お尋ねしたいことが」
「足止めする気か! 貴様もグルなんだろう」
振り払おうとする赤い男に対して、巡査はゴム弾銃を向けた。
「待て!」
銃口をにらみ返し、ポケットに片手を突っ込んだままオニ・ダイモンが後ずさる。
射殺さんばかりの視線に、巡査は思わず引き金を引く。急所を外したとはいえ、近距離からボディを狙い撃った弾丸は、するりと男の横をすり抜けた。
「なっ……!」
銃口の向きを見て、射線から体を逸らしていたのだった。凄まじい武練と胆力!
巡査が固まった一瞬のうちに、二本角の男はポケットに入れていた手を抜き出し、巡査に向けた。
右手に衝撃が走り、巡査はゴム弾銃を取り落とした。オニ男が隠し持っていた銀玉を撃ち出したのだ。旧文明における異国の言葉で指弾と呼ばれたわざを、男は独力で身につけていたのだった。
「ぐっ……! 待て!」
男を追いかけて角を曲がると、赤塗りの両腕が巡査を捕らえ、もがく体を締め上げた。
「がっ、ああ……!」
「カラテが足りんな、若造が」
オニ・ダイモンは苦しむ巡査を放り捨てると、ヨシノの廃ビルの方角に走っていく。
「くそっ……! 待て……ああ!」
赤塗り男の行く先を見上げると、廃ビルから黒い煙が昇りはじめていた。
二本角の男が目指すビルの前にたどり着いた時には、入口を塞ぐように火の手があがっていた。
「なんだ、これは……?」
追いついてきた巡査が驚いて固まった。荷物かごから下ろした品物が手から滑り、地面に落ちた。
「フリークスサイダーだ。お前……」
赤い男は振り返ると、巡査と荷物かごの中身を見て固まった。建物の陰から人影が走り去るのに、先に気づいたのは巡査だった。
「あれは!」
「あいつか……俺はビルの中に行く。お前が追え」
「えっ!」
「そっちの方が“向いてる”。……いいから、早く行け!」
オニ・ダイモンが吼えると、巡査は慌てて人影を追い始めた。
「さて……」
自転車を飛ばす巡査を見送ると、男はビルの入口を塞ぐ炎を睨み付けた。
今は放棄されたビルの2階、表通りに面した角部屋。家具と呼べる家具もない部屋の中央に、ヨシノが倒れていた。腹や胸を刺され、床には血溜まりができている。きつく縛られた手足をばたつかせる力は、次第に弱くなっていた。
オレンジ色の男の子は血まみれの母親にしがみついている。青肌の赤子は白い布に包まれて穏やかに眠っている。母親の血糊が“おくるみ”の端を赤く染めていた。
扉が吹き飛ばされんばかりの勢いで開かれる。赤いオニ・ダイモンが口元を布で覆い、全身を真っ黒い煤にまみれながら飛び込んできた。
「無事か!」
ヨシノがよろよろと頭を上げる。オニ男は親子に近づき、血溜まりの中に跪いた。
「1階は大火事だ。すぐに窓から逃げるぞ」
赤い男を見上げるヨシノの目は霞みはじめていた。
「子どもたちを、お願いします」
「あんたは? 立てるか?」
瀕死の母親は弱々しく首を横に振った。
「私は、もう……」
「タワケが!」
男は赤子と男の子を体に括りつけると、ヨシノを抱えあげた。
「だからって、こんなところで死んでいいはずはない!」
巡査は自転車を走らせ、逃げる男を追いかけた。幸いにも幽霊街のうら寂しい路地は見通しが効いた。すぐにコートを着て、帽子を被った背中を捉えた。
「待て、この……!」
自転車ごと体当たりすると、コートの男はうつ伏せて倒れる。足元には軍警察から支給されるゴム弾銃が転がった。
起きあがりかけた背中に、巡査は自らのゴム弾銃を突きつける。
「あなただったんですか、課長」
コートの男は両手を上げて振り向いた。帽子の下には、落ち着き払ったシシド課長の顔があった。
「お前にパクられることになるとはな、タカ」
巡査は努めて冷静に返す。
「否定しないんですか、フリークスサイダーじゃない、って」
課長は両手を上げたまま立ち上がった。
「ビルの前にいた、例の“アカオニ”、お前の仲間だろう。中の女に顔は割れてるんだ、今さら隠すこともないさ」
「これまでの事件も、全て課長が……?」
銃を持つ手が細かく震える。シシド課長は感情を出さずに答えた。
「そうだ。何件かは模倣犯や無関係のヤマがあるだろうがな」
「何で、こんなことを……?」
震える声で巡査が尋ねる。
「ミュータントにも色々ある、って言ったな」
「え、ええ」
シシド課長は話しながら、ひきつったように笑いはじめた。
「だがなタカ、連中はみんな社会のお荷物だ。おまけに役に立たんゴミどころか、どこで爆発するかわからん不発弾も混ざってる。だから俺がそんな害虫を駆除してやろうっていうんだ!」
「そんな……!」
シシド課長は言葉を失う巡査の腕を弾き飛ばした。銃を取り落として固まった相手に、ポケットから出した小瓶の中身を浴びせかけた。
「がっ! アアアアア!」
強酸性の液体が巡査の顔と両手を焼く。課長はひきつり笑いを浮かべながら、落ちていたゴム弾銃を拾い上げた。
「俺は楽しく市民の為に働いてたんだがなあ。因縁をつけてこっちまで追いかけてきやがった“アカオニ”もパクって、気分よくナゴヤで引退できると思ったらこれだ! 全くついてないぜ!」
もがく巡査を足蹴にしてひっくり返すと、シシドは歯を剥き出して笑いながら銃を突きつけた。
「うまいこと帳尻会わせとくから、こいつでくたばってくれや。楽に死ねずにすまんな」
「ひいっ……!」
怯える巡査を悠然と見下ろし、シシドが引き金に指をかけた。
ゴム弾は発射されず、シシドの手から銃が落ちる。続いて声すらあげずにフリークスサイダーが崩れ落ちた。首筋の急所を銀玉が射ぬいたのだった。
「こ、これは……!」
赤いオニ・ダイモンが駆けてくる。持っていた布でシシドの手首と足首を手早く縛り上げ、猿ぐつわをはめると、赤い鉄塊のごとき男は巡査の腕を自らの肩に回して立ち上がった。
「お前の手当てもしなきゃならんが時間がない。このまま行くぞ」
そう言うなり、フリークスサイダーの足をつかんで引きずって、廃ビルに向かって歩き始めた。
巡査はうつむき、肩を支えられて歩く。顔も手も、焼けつくように痛かった。
「……こんな顔、ヨシノさんには見せられませんよ」
「何ヘラヘラしてんだタワケ、今会わんでどうする。行くぞ!」
“アカオニ”は怒鳴ると、巡査を引きずるように更に歩幅を広げた。
廃ビルは既に、炎と黒煙に包まれていた。近隣にひっそり暮らしていたミュータントたちが集まっている。“アカオニ”は引きずってきたシシドをうっちゃると、真っ先に様子を見にきた灰色の肌の老人に声をかけた。
「すまんな、急に留守を頼んで」
温和そうな老人は、赤子と男の子をしっかりと抱えていた。
「いいんですよ、大変なことはすぐにわかりましたから」
「救急車は、まだ来ないか」
「この辺りは辺鄙なところですからね。とにかくすぐに、とお願いしたんですが……」
そう言って、老人は足元に目を向ける。数枚重ねたブランケットの上に、青白い肌のヨシノが横たわっていた。
アカオニは担いでいた巡査を、母親の隣に横たえた。
「ヨシノさん……」
巡査は続く言葉が出なかった。ヨシノはぼんやりとした視線を空に向けたまま答えた。
「お巡りさん……ごめんなさい、私が意地を張らなければ……」
焼けつく傷みに耐えながら、巡査はヨシノを見た。
「いいんです、これからじゃないですか……!」
「ごめんなさい、あの子たちを……」
土気色の顔をしたヨシノは目を閉じ、そのまましゃべらなくなった。
「ヨシノさん……? ヨシノさん! ……ああああ!」
巡査は横になったまま、傷みも忘れて泣きじゃくった。
燃えるような朝日は空に昇るにつれて陽射しも和らぎ、温かな光を石畳に投げていた。
タチバナとメカヘッドは並んで白い息を吐き出しながら、第7地区の表通りにたどり着いた。
「……すいませんタチバナ先輩、結局俺が話してばっかりで」
「いや、いいんだ。色々思い出せたしな。……しかしお前、よくあんなになってから復活できたな」
「顔も手も治してませんよ、ガワを貼り付けてるだけで。目もダメになりましたし……」
タチバナは渋い顔でメカヘッドの話を聞いていた。
「タワケ、体だけの話じゃない」
メカヘッドはそらとぼけたような仕草をやめて、うつむき気味でボソボソと話した。
「……あそこで折れたら、俺がフリークスサイドに負けたことになる気がして……意地ですよ、ただの」
「ああ」
二人は足を止めた。かつてカガミハラを脅かしたフリークスサイダー、最後の事件現場は火事で全焼した後に取り壊されていた。今や元の建物も想像できぬ更地を、二人はしばらく無言で見ていた。
「今度は、この町ごと助けることができたな。……もっとも、手柄をあげたのは雷電とマギフラワーだったが」
「市民の平和が守られただけで充分ですよ。あの子達が成長して頑張っているのも見ることができましたしね」
「そうか。……そうだな」
タチバナとメカヘッドは動き始めた街に出た。商業地区は聖誕祭に向けた商戦の真っ只中で華やいだ、浮かれた空気に満たされていた。
2、3時間うろついたものの、武骨な男二人には若者への祝いの品を見つけだすことはできなかった。
チドリの店で昼食に誘うメカヘッドに、タチバナは「店の準備があるから」と断った。“会津商会”に立ち寄り、馴染みの女番頭からしこたま“おまけ”をつけてもらったサンドイッチをテイクアウトすると、スノーモービルを走らせた。
瓦礫の道、オールド・チュウオー・ラインは深い雪に埋められてスノーモービル専用のハイウェイとなっている。陽を照り返してまばゆく光る中を滑りぬき、タチバナがナカツガワ・コロニーに戻ったのは酒場の開店時間直前だった。
店のガラス戸をがらりと開けると、机と椅子を並べ直しているアオが出迎えた。
「マスター、お帰りなさい」
「おう、ただいま。すまんな、準備を全部任せてしまって」
アオはにっこりと微笑む。
「大丈夫ですよ、マスターが朝の内に動いてくれてたから、そんなに手間はかかりませんでしたし」
“STAFF ONLY”の札がかかった扉から、マダラが顔を出す。
「あっ、おやっさん、お帰りなさい」
「おうマダラ、ただいま。留守にしてすまんな。店の準備ありがとう」
「あはは……いやあ……はは……」
礼を言われたマダラはばつが悪そうに笑い、そわそわと頭をかいた。不満そうなアオが白い目を向ける。
「兄さんは“いつも通り”ですよ。寝坊してレンジさんに起こされて……準備はほとんど、レンジさんと私で済ませました」
「いや、そんなことは……いえ、そうです」
妹の言葉に反論しようとしたが何も言い返せず、しょんぼりしているマダラを見てタチバナは大笑いした。
「はっはっは! ……タワケか! 会津商会の番頭さんから土産をもらってきたが、お前にはやらん!」
「そんなあ……ごめんなさい……」
「じゃあ、お前は1個、アマネ殿も入れて、他の皆は2個ずつな。冷蔵庫に入れておくから、それぞれのタイミングで取っていってくれ」
「はい」
「はーい!」
タチバナはカウンターに立ち、ホールを見回した。アオもマダラも、開店の合図を待っている。
「よし、店を開けよう。マダラはバックヤードに行ってレンジに声をかけてくれ。アオは暖簾を頼む」
兄妹は元気よく「はい!」と返事をして、持ち場に向かっていく。
ーー聖誕祭まで、まだ時間はあるんだ。次の休みには、もう一度カガミハラに行ってみようか。レンジやチドリに昔話をしがてら、相談してみるのも悪くないかもしれないな。
タチバナがぼんやりと考えていると、店の扉が開いた。暖簾を掛け終えたアオと一緒に、常連の家族連れが入ってきたのだ。
「タチバナさん、邪魔するよ」
「おういらっしゃい、ちょうど今開いたとこだ! 外は寒いだろう、みんな早く入んな!」
かつて“アカオニ”と呼ばれた男は、満面の笑みで客を出迎えるのだった。
(了)