ロケットブラザーズ ラン;10
レースは序盤戦が終わろうとしていた。
火花を散らすマシンたち。そして傍らでは、もう一つの戦いがピット・ブースで始まっていた……!
暗闇の中で暗視スコープの赤い光がフラフラと動く。轟音がひっきりなしに通りすぎ、隔壁を激しく揺らした。わずかに静まり返った時間が生まれると、荒く息をつく音、そして安全靴の音が響いた。
「暑いな……エアコンなんてないから、当たり前か。……巡回判事殿、レースはどんな感じです?」
作業着姿のメカヘッドが側頭部に固定した通信端末に話しかけると、ヒソヒソ声のアマネが返してきた。
「『まだ始まったばかりですが、今のところは雷電がトップ、次がオーサカのチームですね。3位から後を大きく引き離しています。……実況中継の音声だけでも、聞こえるようにしましょうか?』」
「いや、遠慮しておきましょう」
アマネの提案を、メカヘッドはあっさり断る。
「こんな暗くて暑くて騒々しいところで、余計なことまで延々と聞かされ続けては、その方が参ってしまいますからね」
通信端末の向こう側で、アマネはクスクスと笑った。
「『なるほど、わかりました。……メカヘッド巡査曹長の状況はいかがです?』」
暗視スコープとガスマスクが組み込まれた“スニークヘッド”に頭部パーツを取り換えたメカヘッドは、激しく揺れるサーキットの隔壁に右手を当てながら、真っ暗な細いトンネルを進んでいた。
「ポイント・サカエの裏を出発して、使われなくなった作業員通路を歩いています。酸素濃度は基準値通り、有毒ガスは発生していないようですね。そろそろ次の、ポイント・ヤバチョに……おお!」
「『どうしました?』」
ポイント・ヤバチョの封鎖されたホーム跡に大量の廃コンテナが積まれ、線路……つまり、現在のレーシング・コースに繋がるシャッターを覆い隠しているのだった。
「大量の廃棄物が積まれています。丁寧に枠に納められて、シャッターの前だけに集められているので、意図的なものでしょう。何らかの操作でシャッターが開くと、コースに障害物が撒き散らされる……というようです」
「『なるほど……』」
メカヘッドは説明しながら、コンテナの山をどかしはじめた。
「よし、まだ俺一人で何とかできそうだ……恐らく、似たように障害物が準備されたポイントが、他にもあるんでしょう。無力化して回るので、VIPルームの様子を見ていてください。賭けのためにレースを妨害しようとする輩はどこかでレースを見ていて、妨害がうまくいかないことに焦るはずです」
「『妨害を仕掛けてくるのはVIPルームにいる従業員か客の可能性が高い、ということですね?』」
轟音が隔壁を揺らす中、障害物を安全な場所に移し終えたメカヘッドは両手をポンポンと払った。
「その通り! ……まあ、大会の運営本部に潜入することができなかったので、そちらは諦めた……ということもあるんですがね。しかし、レースを潰そうという輩は、真面目な職員が捨て置かないでしょう。それに、仕掛人本人でなくとも、事情を知る常連客も少なくないはずです。どうか、くれぐれもご注意を」
「『了解しました』」
アマネの返事を聞いて、メカヘッドは「ふう……」と息を吐き出した。
ーー妨害の不発を知った仕掛人がどう動くか……しかしまずは、雷電がオーサカ・チームの脅威であり続けることが重要だ。頑張ってくれよ、雷電……!
各ピット・ブースの前に置かれたカウンターが、自らのバイクが横切るたびに数字を一つ進める。これが各チームのスタート地点であり、カウンターの映像が集約されて、中継画面の端に表示される仕組みとなっていた。
「『さあ、レースはそろそろ2時間が経過しようとしています。現在トップを走るのは……相変わらずカガミハラ・ナカツガワ代表! 凄いぞ、序盤から全くペースが落ちません! これがシスレイⅢの真の性能か? それともあのアーマーに秘密があるのか? いずれにせよ、操るライダーも凄腕だ! どこに隠れていたんだ、謎の覆面ヒーロー、ストライカー雷電!』」
アナウンサーがハイテンションでまくし立てる。VIPルームの大型スクリーンには鈍い銀色に輝く装甲バイクが映し出され、並み居るバイクの間をすり抜けながら、金と青の尾を引いて走り抜けていった。中継ドローンはそのまま、後を追う白いバイクをカメラに収めた。
「『2番手は変わらず、数周遅れで荒鷲の尾に食いつくムラクモ! オーサカ代表のツバサ・ラボラトリ! ……しかし、しかしそれでも充分、過去のラップ・タイムを大幅に塗り替えているのです! 下馬評では文句なしの優勝候補とされていたツバサ! 実際に3位以降とは大きな差が開いています! ストライカー雷電の参戦がなければ、レースは全く違うものになっていたでしょう! ……ツバサの皆さんには悪いですが、これだけ面白い展開にはならなかったと思うのです。国芝コウジとストライカー雷電、二人のデッドヒートから、目が離せません!』」
「……デッドヒートなんて、よく言うよ」
VIPルームの大型スクリーンを見ながら忌々しそうにこぼすのは、レースが始まる前までストライカー雷電をこき下ろしていた男だった。連れの女性は困ったように笑って距離を取り、今ではすっかり支配人が話し相手になっている。
「おやおや……其れは又、どう云う事です?」
「どうもこうもありませんよ、見てください1位と2位の差! ちっとも埋まっていかないじゃないですか!」
二人は並んでスクリーンを見る。紳士は手にしたカクテルグラスをぐい、と傾けた。
「まあまあ、レースは未だ未だ、先は長いのです。其れに耐久レースの勝負を決めるのは、速さのみに非ず! ですよ」
にこやかに目を細めた支配人が画面を指でさす。
「そうだ! ピット・ワーク……!」
1位争いをする2台は、同じタイミングでピット・ブースに入っていった。
「頑張ってくださいね!」
アオが大きな手を振って、コースに復帰する雷電を見送った。マダラはオペレーション用の端末画面にかじりつきながらインカムに話しかける。
「雷電、調子はどうだ?」
「『順調だ! マダラの言う通り、バイクには結構負担がかかってたみたいだな。ピットを出たら見違えたから、驚いたよ!』」
車載カメラはぐんぐん加速し、周回遅れのバイクたちを追い抜いていく。
「そうだろうな! いくら舗装した道でも、これだけのペースで飛ばし続けたらマシンもバテるってもんだ。こっちでもコンディションを見て声をかけるようにするけど、雷電も気になることがあったら教えてくれよ?」
「『了解。ひとまずは、これまで通りに飛ばすぞ!』」
「こちらも了解だ、気をつけて!」
通信を終えると、マダラは「ふう」と息を吐く。机にストローのついたコップが置かれた。
「兄さん、お疲れ様」
「ありがとうアオ、いただきます」
休憩に入ったピット・クルーたちに飲み物を配っていたアオは、最後にマダラが受け取ったのを見てから、自分もスツールに腰かける。
「凄いですね、雷電! ずっと1位をキープしてますよ!」
スポーツ・ドリンクを飲み終えたマダラは、口をきゅっと結んでいた。
「ああ、けど、勝負はこれからだ……」
ピット・クルーたちも一様に、トップ・チームとは思えない、硬い表情をしていた。アオは困ったようにピット・ブースを見回す。
「ええっと……どうしたんですか? みんな?」
「そうだな、みんな同じことを考えてるみたいだし……」
マダラは「よし」と小さく言って、手をポンと叩いた。
「ブリーフィングをしよう! みんな、集まって!」
テーブルを囲んでクルーたちが集まった。マダラはタブレット端末を中央に置いて、動画を再生させる。
「これが、ピット・ブースに仕掛けられてる中継用のカメラから持ってきた、さっきのピット・ワークの様子だよ」
画面の中ではマダラの指示を聞きながら、装甲バイクを囲むクルーたちが目まぐるしく動き回っていた。画面の端でアオから水と栄養剤を受けとるレンジがやたらとゆっくり動いているように見える。
「みんな、馴れないマシン相手に、よく頑張ってくれてると思う。……けど、次の映像も見て欲しい」
画面を切り替えると、映し出されたのはオーサカ代表、ツバサ・ラボラトリのブースだった。白地に赤いラインが入ったユニフォームのクルーたちが、整然とした動きでバイクをメンテナンスしていく。
「早いな……」
「それに、無駄がない……」
カガミハラのメカニックたちが、ため息混じりで悔しそうにこぼす。圧倒的な早さでピット・ワークを終え、バイクが動き出したところでマダラは動画を停めた。
「みんなも感じてたと思うけど、やっぱりピット・ワークのレベルが違う。ツバサのクルーたちはプロだし、ずっと同じマシンを使ってきたんだから、年季が違うのも仕方ない……」
最年長のメカマンが身を乗り出した。
「けどリーダー、このままじゃあ、ピット・ワークのせいで勝負に負ける……そう言いたいんだろう?」
「……ええ、そうです」
マダラが言いにくそうに眉間にシワを寄せて答えると、年上のメカマンは小さく笑った。
「俺たちだってそう思ってたんだ、あんたが申し訳なさそうにする必要はないさ。むしろ実力差をはっきり見せてくれて、よかったよ」
他のクルーたちも明るくなった……訳ではないが、表情の険が少し和らいだようだった。
「そうそう」
「リーダーはよくやってるさ!」
「元々、サンダーイーグルが無かったら勝負にもならなかったんだから!」
口々に声が上がり、マダラとアオはほっと息をついた。年上のメカマンは皆を見回す。
「さて! それじゃ、この状況でどうすれば勝てるか、考えてみようじゃないか」
クルーたちの視線を受けてマダラは頷いた。
「うん……まず、単純にピット作業の回数を減らす」
「できるのか? 想定されるリスクは?」
「リスクはない、と言ってしまっていい」
マダラははっきりと返した。
「今回のピット・インだって、もう少し遅らせてもよかったんだ。余裕があるうちに、一度“実戦”をしておきたかった、というだけで。……そりゃ、小まめに手を入れた方がマシンもよく動くけど。でも、まだまだ無茶をさせる、ってレベルでもないからね」
ピット・クルーたちはマダラの説明に考え込んでいるようだった。マダラはインカム越しに、車上の雷電に話しかける。
「……走りに集中してるところ悪いけど、雷電はどう? ピット作業の間隔を長めにしていいかな?」
「『俺は今のところ、大丈夫だ』」
ブース内のスピーカーから、すぐにレンジの声が返ってきた。
「そう言ってくれると思ったよ。伊達にオールド・チュウオー・ラインを走りこんでないな!」
「『任せておけよ、暴走ミュータントとやり合ったのに比べたら、どうってことはないさ!』」
レンジは軽口で返し、再び運転に集中し始めたようだった。年長のメカマンが腕を組む。
「……ライダーがそう言うなら、よしとするか」
「彼のバイタルや脳波は、雷電スーツを通してこちらでもモニターしています。大丈夫、大一番以外は、無茶はさせませんよ」
「分かった。リーダーの指示に従おう。……みんな、各自の作業内容をしっかりイメトレしておくようにな!」
クルーたちは声を揃えて「はい!」と返し、それぞれの持ち場に戻っていく。
「ありがとうございます」
「メカマンたちは、俺がまとめる。……そこから先はよろしく頼むぞ、リーダー」
年長のメカニックはそう言うと、マダラの肩をポンと叩く。
「……はい!」
マダラは去っていく作業着の背中に明るく返すと、再び端末機の画面に向き合った。
(続)