ヒートウェイブ オン ダイアモンド;17-6
オーサカ・セントラル・サイトの裏社会に悪名高い独立傭兵は、あまりにも想定外な依頼内容に言葉を失って固まりついていた。
「ええと、そのう……」
相手の機嫌を窺っていた“インスタント・オイシイ”社の社長が、とうとう沈黙に耐えかねて口を開く。
「いえ、その……」
サイバネ傭兵の両目から放たれる赤い光に射抜かれて、言いかけた言葉を引っ込めた。イクシスはようやく、固く引き絞っていた口腔ハッチを開く。
「私が、女子チームの選手だと……?」
「すいません、すいません! 性別が“男性”じゃなければ選手登録できるんです。性別の登録が“その他”になっている凄腕の傭兵がいると、独立傭兵組合から紹介してもらいまして! すみません、その……」
性別か……そんなもの、サイバネ全身義体になった時に、失っている。それだけではない。過去の記憶にも、自意識にすら虚ろで仄暗い“もや”がかかり、ノイズと砂嵐にまみれた彼方に、永遠に消し去られた。
壊され、歪み、全てを喪って尚、生きねばならぬ己にとって、そんなものに何の意味があるだろう?
傭兵は記憶の底から這いあがってくる、澱んだ思考を意識の外に叩き返した。しどろもどろになりながら説明を続ける社長の顔を見て「フン……」と人工声帯を鳴らす。
「まあ、いい。事情はわかった。……だが、私でいいのか?」
「ええっ! 受けていただけるのですか?」
「断る理由がない」
とび上がって喜ぶ社長に短く返した後、サイバネ傭兵は鋭い視線を向けた。
「だが繰り返して言うが、私の本分は殺しと破壊工作だ。マトモな選手が欲しいのなら、他を当たることを勧めるがね」
「いえいえ、そんな! よろしくお願いします!」
社長はイクシスにペコペコと頭を下げる。
「サイバネやパワードスーツの選手が認められるようになって、どのチームもそういった選手を確保しようと血眼になっておりましてね。それに、あなたの噂は組合の方から聞いておりますよ。依頼成功率100%、絶対に仕事を失敗しない傭兵だと!」
「確かに、私は失敗しない。そのためにあらゆる手段を使うからな」
この場合の“あらゆる”とは勿論、卑劣で非道な、スポーツマンシップとは相容れない行為も数多く含まれていたのだが。イクシスは詳しくは言わず、さっさと契約書を受け取ることにした。
書類の束に、素早く目を通していく。……“ブラフマー”に連なるような悪徳企業のそれと比べると、なんとも無邪気というか、素直な文面だった。極端に不利な条件はなさそうだし、何かあった時につつけそうな“穴”も見当をつけた。
すっかり上機嫌になった“インスタント・オイシイ”社の社長は、書類の束を傭兵に手渡した後も一人で機嫌よく話し続けている。
「ありがたいことです! “セントラル・ダービー”本選の会場は、オーサカの企業にとっては重要な商談の場所でもありますからな! 地元チームの活躍を見せることができれば、企業連合にも顔が立つというものです! いやあ、本当に助かった! 今日が、大会に向けて日程調整をするデッドラインでしてね……」
「フン、“二羽のトンビ・ドレイクを同時に狙うと、二羽ともとり逃す”というコトワザがあるぞ……」
やれやれ、強欲で調子のいい奴だ。どこまで付き合って報酬を吊り上げてやるか、あるいは適当なところで切り上げてやるか……。
そんなことを考え、ぶつぶつと呟きながら契約書にサインを書き入れた時、大腿部に収納していた携帯端末が呼び出し音を鳴らした。この音は……傭兵にとって、何よりも優先すべき相手からの着信だった。
「失礼」
短く断りを入れると席を立ち、部屋の外に出ながら携帯端末を取り出す。営業時間が終わったオフィスビルは、社長室以外の照明がすべて落ちていた。静まり返った暗い廊下に出ると、端末の通話回線を開く。
「……モシモシ」
「『モシモシ、ごきげんようイクシス様』」
春の木漏れ陽のような、穏やかな少女の声が、通話回線の向こうから呼びかけてくる。
「珍しいですな、こんな時間にデンワとは」
「『ごめんなさいね、急に決まった用事がありまして。……イクシス様、“セントラル・ダービー”ってご存知ですか?』」
「最近知ったばかりです。……といっても、ヤキューの大会だということくらいしか知りませんが」
電話の向こうで、少女がクスクスと笑っている。
「『うふふ、わたくしと似たようなものね』」
「それで、“セントラル・ダービー”が何か……」
「『そう、そう、それでした!』」
少女は「コホン」と小さく咳払いをして話し始めた。
「『わたくし、今度の“セントラル・ダービー”の大会を見に行くことになりましたの』」
「興味がなかったはずでは?」
「『ふふ、ええ。でも、大会の会場で打ち合わせをすることになりまして』」
華やかに笑う少女。
「打ち合わせ」
「『はい。今年の年末に放送するセントラル放送局の歌謡祭に、私たちの会が主導してゲストを呼ぶ話ですわ。いよいよ、局の皆さまやスポンサーの皆さまと交渉して、具体的に計画を進める段階になりましたの』」
ゲスト……間違いなく、あのミュータントの女だろう。そして交渉、打ち合わせ……“インスタント・オイシイ”社の社長が、先ほどまで話していた言葉を思い出す。“商談”は何も、企業同士に限った話ではないのだ。
「チドリ、と言いましたか……春の歌謡祭では、ゲストを呼ぶことに随分骨を折っておられたようだが」
「『そうでしたね。あの時も大変で……副会長さんのことも含めて、色々ありましたものね。多分、今回も色々と大変なことがあると思いますの。そこで……』」
「申し訳ないが、先ほど仕事が入った」
イクシスはきっぱりと、少女の発言を遮って言った。
「護衛の依頼ということであれば、受けることはできない」
「『あら、困ってしまいましたわね』」
「それに本来、私の仕事は人を手にかける事です。守ることではない」
「『あら、あら、わたくしはあなたの事を、頼りにしておりますのに』」
「頼りにする相手は選んだ方がいい。そういう仕事は、どこぞの“ヒーロー”とやらに任せるべきでしょう」
棘のある傭兵の断り文句を聞きながら、少女はクスクスと笑っていた。
「『うふふ、わかりました。それならば今回は、イクシス様に依頼することは諦めることにしましょう。では、ごきげんよう。頑張ってくださいましね……』」
「おやすみなさいませ」
通話回線を閉じる。端末機を仕舞うと、暗闇の中で“X”と“Y”のアイ・ライトが赤く浮かび上がった。
「フン……」
イクシスは人工声帯から息を漏らすと、応接室に戻る扉に手をかけた。
「おや、おかえりなさい」
扉が開く物音を聞き、ソファに身体を沈めた姿勢でタブレット端末に視線を落としていた社長が顔を上げた。その時タブレットから派手な電子音が響く。画面には大きく“Game Over”の文字。
「あっ! あらら……」
どうやらイクシスを待っている間、ゲームアプリで遊んでいたらしい。慌ててタブレット端末を操作する社長を見ながら、イクシスは入って来た扉の前に突っ立っていた。
「タイミングが悪かったようだな」
「大丈夫ですよ、お気になさらず……そちらのお話は終わりましたかな?」
“インスタント・オイシイ”社の社長は端末を閉じると、ニコニコしながら立ち上がる。
「今回の契約について、私からお伝えしたい内容はおおよそお話できたかと思いますが、何かご不明な点がおありでしたら、何なりと……」
「いや、契約内容については問題ない。ただ、一つ、言っておかなければならないことができた」
「な、何です?」
窓の外を見ながら言うイクシス。傭兵の声に断固とした響きを聞き取った社長は、おっかなびっくり声をかけた。
「先ほどまで、個人的にはチームの勝ち負けなど、どうでもいいと思っていたのだがな……」
イクシスは社長に向き直る。“X”と“Y”の目が、鋭く赤い光を放っていた。
「気が変わった。何としてでも優勝を目指す。……そのために、多少のフェア・プレーに欠ける振る舞いも大目に見てもらいたい。なに、チームが失格になるようなヘマはしないさ。……それでは、失礼する」
そう言い放つとイクシスは社長に背を向け、扉に手をかけた。
「あっ、ちょっと……!」
「大会の前にみっちり、ヤキューのルールを把握しなくては。ルールを破るにも、守るべき“ライン”を知らなければならないからな。ハハハ、ハハハハハ……!」
冷たく乾いた笑い声を残して、闇の中に消えていくサイバネ傭兵。
やはり、とんでもない相手に声をかけてしまったなぁ……。社長は背筋に冷たいものを感じながら、照明が消えた廊下を見つめていた。
(続)