フィスト オブ クルーエル ビースト;8(エピローグ)
山の下に“白”の屋号紋をつけた“白峰酒造”のバンが通信機の信号を頼りに休憩所跡の駐車場に乗り付けたのは、その後すぐの事だった。
アスファルトの割れ目を押し拡げて出ていた立ち枯れの草木が燃え、パチパチと音を立てている。炎は生きている低木の葉にも飛び、一部を焼き焦がしていた。車を降りたタチバナは顔をしかめた。
「どえらい火力だな……。雷電はどこだ?」
クロキ課長とホソノ博士もバンから降りる。炎の中を指さして、クロキが叫んだ。
「タチバナさん、あそこに……!」
駐車場の中央に、メタリックレッドの装甲を纏った雷電がうずくまっていた。目の前にうごめくものを、必死に抑え込んでいる。
「おやじさん!」
塀を伝ってやって来たドットが可愛らしい声音で呼びかけ、タチバナの隣に飛び降りてきた。
「マダラ! いや、ドットか……調子が狂うなあ。一体どうなってる、暴れてたミュータントは?」
ドットは跳びはねて、雷電の方向を見た。
「雷電の必殺技を受けて、ボロボロになってるけど、まだ暴れてるんだ……」
紅の両腕が押し留めている青灰色の塊は“26号”だった。獣は両腕を破壊され、両足の筋肉が崩れはじめても尚、這いずりながら雷電に組みつこうとしていた。口と目の端が大きく裂けた顔を上げる。
「ああああああ……!」
総身を震わせて吼え、頭を雷電に打ち付け、装甲に噛みついた。
「もうやめろ! やめるんだ!」
レンジが叫ぶが、“26号”は止まらない。力の限りもがいて、体を大きく跳ね上げた。ホソノ博士は表情を変えずに腕時計を見た。
「“26号”は自壊を始めている。じきに活動限界に達するだろう。ここまで骨折りしてもらって済まないが、その体は放棄してくれて構わない」
タチバナに向かって話す博士の言葉を聞いて、雷電が顔を上げた。
「何言ってんだ! コピーだろうがクローンだろうが、こいつの意思も、体もこいつのものじゃないか! 何で勝手に限界だって、棄てるなんて決めるんだ!」
「だが……“26号”の体は、あと一時間と持たない! 仮に暴走を止められたとしても、クローニング治療もできないんだ。剰りにも手を入れすぎたからな。ペルソナダビングのバックアップは取ってあるんだ、その体にこだわる必要が、どこにある?」
「それでも……生き続けるか諦めるか、決めるのはこいつのはずだ!」
暴れるミュータントを抱きとめるようにしてレンジが叫ぶ。
「あ、があああ、ああ……!」
青灰色の獣は残る力を振り絞って、悲痛な声をあげた。
「しかし……」
言い淀む博士と無言のクロキ、タチバナの横を、淡いピンク色の風が吹き抜けた。
「あれは……?」
休憩所跡の廃屋の上に、ピンク色の影が立った。花のドレスが風になびき、薄くピンクがかった長い髪がふわりと揺れる。金と銀のオッド・アイが傾きかけた陽に照らされて、燃えるように輝いた。
「あれは!」
「何だ……?」
クロキが明るい声をあげた。ホソノ博士もつられて見上げる。屋上の人影は持っていた杖を構えてポーズを取った。
「黒雲散らす花の嵐! “マジカルハート・マギフラワー”!」
マギフラワーの背後にピンク色の爆炎が吹き上がり、花びらのような紙吹雪が舞い散った。
「こんな時でも爆発するのか……?」
「仕方ないでしょ、仕様なんだから!」
ため息をついたタチバナがあきれた声で言うと、ドットが不満そうに体を震わせて返した。
博士はぽかんとして、名乗りを上げた魔法少女を見上げる。
「マギ……何だって?」
「遅いぞ! ……おっと!」
雷電が見上げた隙をついて、“26号”が腕を抜け出した。
「があああああ! ああああああ!」
手先足先が崩れた四肢をがむしゃらに動かし、炎の上がるアスファルトをのたうちながらホソノ博士めがけて駆ける。マギフラワーに向かって雷電が叫んだ。
「すまん、頼む!」
「任せて! “アイビーウィップ”!」
マギフラワーの杖が光のムチとなって、這いずる“26号”に向かって飛んだ。ムチが首に絡みつき、獣の足を止める。もう一方の手に布をつかんで、魔法少女はするりと炎の原に降り立った。ムチを引き上げて“26号”の顔を持ち上げると、手にした布を顔に押し当てた。
「お願い、これで止まって……!」
青灰色のミュータントは腕を伸ばすようにもがいた後、全身の力が抜けて動かなくなった。
縛り上げていたムチをほどき、マギフラワーがミュータントを仰向けに横たえる。
「……ありがとう」
青灰色の肌の青年は、穏やかな表情で目を閉じた。
ランチタイムが終わったばかりのミュータント・バー、“止まり木”。従業員たちが片付けを始める中、カウンターには穏やかな空気が残っていた。スツールの1つに、体格のよい黒髪の男が腰かけている。
男の指が小さく動き、カウンターテーブルの上を軽くつついた。向かい合っていたチドリがアイスコーヒーのグラスを男の前に置くと、カランと氷が音をたてた。
「どうぞ。もう少し、待っていらしてね」
「ママさん、ありがとう。……恥ずかしながら、バーにはあまり馴染みがなくてね」
チドリは柔らかく微笑む。
「いいんですよ、楽になさって」
クロキ課長はアイスコーヒーのグラスを受けとると、ストローをさし入れて氷をかき回した。
「しかし、もう昼の営業は終わったんでしょう?」
四本腕や首長、有角、多眼に無眼、様々な変異をもった女給たちが床にモップをかけたりテーブルや椅子を拭いたりと、忙しなく動いていた。
「なんとなく、雷電が頑張った後は、ウチでお疲れ様会をするようになったんですよ。私も皆さんの話を聞かせてもらいたいし、構いませんわ」
「そうですか……」
入り口の扉が開き、ベルが乾いた音を立てる。二人は視線を向け、チドリがにっこりして呼びかけた。
「レンジ君、アマネちゃん、お帰りなさい!」
二人は「ただいま」と返してカウンターの前にやって来た。レンジは普段着の、袖が磨り減ったライダージャケット姿だったが、アマネは糊の効いたスーツを身につけていた。
クロキ課長が立ち上がって、敬礼でアマネを出迎える。
「滝巡回判事、お務め御苦労様です」
アマネも敬礼を返した。「クロキ課長、ありがとうございます! ですが公の場ではないですし、私にとってはクロキ課長の方が先輩ですから、年齢相応に、新人の若輩者として扱って頂ければ、と……」
「……善処します」
かしこまって言う若い巡回判事に、叩き上げの中年軍警官はタチバナの苦い顔を思い出しながら答えた。
「まあまあ、二人も席にどうぞ! お昼ご飯、まだなんでしょう?」
チドリが二人の席を作って、模造麦茶のコップとチーズハンバーグのプレートを並べた。アマネはニコニコしながら席につく。
「ありがとうございます! 手続きが長引いておなかペコペコで……」
「ミールジェネレータで作った、今日のランチの残りだけど……」
「取っておいてくれたんだろ? ありがとう、チドリ姉さん」
レンジが礼を言って席につくと、チドリは頬を染めて頷いた。
「今回もお疲れ様、レンジ君」
「いやいや、何とかなったのはアマネのおかげだよ」
「そうね、アマネちゃんもお疲れ様」
切り分けたハンバーグをアマネが口に入れたところでチドリが声をかけた。
「私は、チドリさんに教わった香水を用意しただけですよ!」
ハンバーグを飲み込んで、アマネが慌てて言う。
「しかし、アマネ殿が香水を見つけて、それをマギフラワーに託してくれたことは大きいですよ! ……本当なら、マギフラワーにも直接会って感謝の気持ちを伝えたかったのですが」
「あはは……」
残念そうに話すクロキに、アマネは曖昧な笑いで返した。誤魔化すように、チドリに話しかける。
「ところで、チドリさんはどうしてあの香水を選んだんです? “女の勘”だって言ってましたけど……?」
「ああ、あれは……」
チドリはカウンターの上に、薄紫色の小瓶を置いた。
「花言葉みたいに、香水には“香り言葉”っていうのがあるのよ。この香水のはね、“真実の愛”っていうの。子どもを想う親には、ぴったりだと思わない?」
渋い顔をしたレンジが、模造麦茶をぐびりと飲んでコップを置いた。
「“真実の愛”があの遺伝子改造だとしたら堪んないな」
クロキもコーヒーのストローから口を離した。
「私も直接話をしたが、あの学者には息子を苦しめよう、といった意図は感じられなかったよ。……倫理研修と刑務所暮らしの後もそれが変わらないかは、わからないが」
レンジだけでなく、アマネも顔をしかめてハンバーグをつついている。クロキは苦笑いした。
「事実と真実は違う、と言うよ。事実は1つでも、真実はひとそれぞれ無数にある。何を見るか、信じるかはひとそれぞれ、ということだね」
「親の愛を子どもが無条件に受け入れる必要もないですけどね!」
ハンバーグを飲み込んだアマネが、フォークの先をちょいちょいと動かしながら言う。 クロキは両目を閉じた。
「子どもを持つ身としては、耳の痛い話だ……。ところで私もあの後、香水のことを調べてみたんですが、“不変”という意味があるそうですね」
「不変、ですか」
レンジが目を開き、眉を持ち上げて話を聞いている。
「ホソノ博士は、ペルソナダビングで息子の人格データを守ることにこだわっていた……何十人ものクローンを経ても変わらない息子の心、それが彼にとっての“真実の愛”だったのかもしれません。……アマネ殿の言う通り、そんなもの親のエゴなんでしょうけれども」
「本当にね! そんなもの押し付けられたら、堪ったものじゃありませんよ!」
アマネはぷりぷりしながら、ハンバーグを食べ続けていた。
「いや全く、返す言葉もない……」
麦茶のグラスを空にしたレンジが、アマネを軽くつつく。
「アマネ、ほら、クロキ課長にも報告……」
「あっ」
アマネはハッとしてポケットをごそごそと漁る。
「ごめんなさい! 今日お呼びしたのは……あった!」
テーブルの上に置いた写真を手に取り、クロキは顔をほころばせた。
「彼の保護手続きが、うまくいったのですね」
「ええ、手続き自体は現状の追認、という形ですけど。彼……ジローは全身の調整も済んで、二日前から農業プラントで働いています。よく働いてくれてますよ」
写真の中では農業プラントの作業員たちに囲まれて、青灰色の青年が立っていた。“ジロー”と名付けられた青年は鼻と口の周りに香り成分を循環させる管を通し、四肢を機械義肢に置き換えられていたが、ぎこちなくも晴れやかな笑顔を浮かべていた。
(エピソード3:フィスト オブ クルーエル ビースト 了)