サンダーボルト ブレイク ストーム ;16
尖った波が押し寄せ、二隻の船を大きく揺らす。一層激しく揺れるマストの上、鈍い銀色の装甲スーツを纏った男が手摺に腰掛けていた。
吹きつける風はひどく湿気を帯び、重い空気の塊の中に押し込まれたようだ。
ぴりり、ぴりり。機械仕掛けの小鳥がさえずりながら大きく円を描いて飛び、雷電の手の上に舞い降りた。
「2隻とも、自動航行プログラムのハッキングに成功しました。周囲の自動防衛システムも解除完了。この船は、約1時間で港に接岸します」
「了解。お疲れ様、ナイチンゲール」
「私は疲労を感じることはありません」
ナイチンゲールはきっぱりと言った後、首をくるりとかしげ……何かに気づいたように「ぴよ!」と一声鳴いた。
「……失礼しました。心遣いありがとうございます」
「いや、いいんだ……俺の方こそまさか、気遣われるとは思わなかった」
驚きながら、しかし面白そうに言う雷電。白磁色の小鳥は、手の上でちょんちょんと跳ねる。ピンク色のセンサーライトが、楽しそうに揺れていた。
「日々、学習と最適化を繰り返していますから。マスターこそ、お疲れ様でした。バイタルサインに異常はありませんが、一度拠点に戻られますか?」
「俺は……」
雷電は灰色の空を見上げた。降り続ける雨は少しずつ勢いを弱め、垂れ込める雲は少しずつほぐれ、千切れはじめている。
港へと視線を向ける。大急ぎで避難していった住民たちが消し忘れた灯りが、夜空に散りばめた星のように煌めいていた。
「いや、俺はもうしばらく、ここに残ることにするよ。船の中の連中が無理矢理脱出しようとするかもしれないし、それに……」
町の向こうには山々がそびえ立っていた。山並みは裾野の星々を飲み込むように深く、黒々と染まっている。
「あの町の事は、あの町のヒーローに任せるさ」
「了解しました。」
山の向こうの、西の空を見やる。雲が吹き飛ばされると、山々は背後から銀色の光に照らされて、山際の輪郭線をぼんやりと浮かび上がらせていた。……夜明けが近づいているのだ。
食堂に並べられた折り畳み式テーブルを、照明灯が白々と照らしている。部屋の隅に置かれたパイプ椅子に腰かけて、巡回判事・滝アマネが通話端末に向かって話しかけていた。
「……はい。ナゴヤ・セントラル保安局に、増援を要請します。一個小隊ほど」
通話口の向こうから戸惑う声。アマネは端末を強く握りしめる。
「通報内容は大型武装船舶による居住地の攻撃……“ブラフマー案件”です」
尚も明確な返答をためらう相手の声に、アマネはぎり、と歯ぎしりした。
「事態は一刻を争います! 責任は私が取りますから、早く! ……ええ、ええ。場所ですか? 私のID信号を辿っていただければ、はい!」
ようやく説得に成功して、巡回判事の声が弾む。
「ありがとうございます! くれぐれも、よろしくお願いします!」
通話を終えて端末機をテーブルの上に置くと、滝アマネはパイプ椅子の背もたれに身体を預けた。「はああ……」と間の抜けた声を漏らしながら、天井を仰ぐ。
「巡回判事殿、ちょっとはしたないのでは?」
足元から飛んでくる、可愛らしい人工音声の小言。首を伸ばすと、オレンジ色のぬいぐるみ型ドローンが転がりながらやって来るのが見えた。
「マダラ……じゃない。あなた、メカヘッド巡査曹長でしょう」
「あらあら、あっさりバレてしまうとはね」
アマネが見破ると、遠隔操作のぬいぐるみは皮肉っぽく口元を釣り上げて「フッ」と笑う。いやはや、操作する者が違うと、ここまで印象が変わるとは……
「だって、隠す気ないんですもん。それで、マダラはどうしたんですか?」
「マダラ君なら、仮眠をとると言って横になってますよ」
「勝手に使ってるんだ! 知りませんよ、後で怒られても」
「なあに、私はその間、ちょこっとドローンをお借りしてるだけでね……」
ぬいぐるみドローンはヘラヘラと笑いながらうそぶいている。アマネは呆れて首を振ると、首をだらりと背もたれに預けた。
「まあ、メカヘッド巡査曹長が怒られるのはどうでもいいです。私も疲れたんで、ちょっと休ませてくださいよ……」
「あっ、ちょっと! 話はまだ終わってませんよ! 何が起こってるんですか、そっちで? さっきから保安部の人たちが右往左往してるんですけど、これは明らかにレンジ君と、巡回判事殿のところの案件ですよね?」
「よかった、動いてくれてるんだ……」
ほうっと息をつき、穏やかな表情で目を閉じるアマネ。ぬいぐるみドローンがぴょん。ぴょんと跳ねる。
「待って! 寝ないで! 何が起きているのか説明して!」
説明を受けると、ぬいぐるみドローンは「ふうむ……」と唸って考えこんでいる。
「巡回判事殿、それは少し……」
「何ですか、何か問題でも?」
アマネがムスッとして言い返す。ぬいぐるみはころり、と転がると、若い上官に背を向けて語り始めた。
「保安部を動かしたのは、お見事でした。ですが恐らく、人数が足りない……」
「人数ですか? 一個小隊でも足りないと?」
「話を聞いている限り、ストライカー雷電が“ブラフマー”を何とかした後、厄介な連中を逮捕し、更に一つの町を解体して、行く宛てのない住民たちを保護することになりそうですが……その仕事も、保安部の捜査員たちがおこなう……となると、どれだけの人手が必要になるでしょうね?」
メカヘッドの言葉に、アマネがぎくりとする。
「そ、それは……」
「そして、もう一つ。これは、より根本的な問題なのですが」
ぬいぐるみドローンは再びころり、と転がって、すっかりパイプ椅子の上で背筋を伸ばしているアマネに向き直った。
「ミュータントたちとセントラル政庁が抗争を続けてきたナゴヤ・セントラル・サイトは元々、ミュータントへの風当たりがきつい土地です。そんな町に大勢のミュータントを送りこんで、果たして受け入れてもらうことができるでしょうか?」
「う、あ、ええと……それならナゴヤを越えて、カガミハラとか、ナカツガワとか……」
しどろもどろになって返すアマネ。ぬいぐるみドローンは静かに話を聞いた後でころ、ころと左右に転がる。それは、首を左右に振る動作に似ていた。
「“不可能ではない”でしょう……つまり、“現実的ではない”ってことです。カガミハラ政庁との協議、大人数を運ぶための交通手段……ナカツガワまで連れて行くとすれば、更に大変なことになる。すべて用意するために、どれだけの時間と予算がかかるか、想像がつきません。そして、それまで住民たちを、町に取り残しているわけにはいかない……」
「それは、そうですけど、でも何か方法が……」
すっかり圧倒されていたアマネはうんうん唸って考えていたが、突然ハッとして目を見開いた。
「あった! ありましたよ、何とかする方法が!」
そう言って、テーブルの上に放り出していた携帯端末を再び手に取った。
「本当ですか? これだけの数の避難民を、受け入れてくれる宛てが……?」
「ええ、でもそのためには、交渉が必要かも」
アマネは携帯端末を右手に、左手でぬいぐるみドローンをむんずと掴む。ぬいぐるみドローンを操作する男は、突然視界が大きく揺れたことに驚いて声をあげた。
「わっ、ちょっと待って!」
アマネはぬいぐるみをテーブルの上に置くと、深々と頭を下げる。
「メカヘッド巡査曹長、知恵を貸してください!」
吹き抜ける風に乗って、突き刺さってくる横殴りの雨。オレンジ色の街灯に照らされ、嵐の中に浮かび上がる灰色の町並みには、人の気配はなかった。アカメ青年は無言のまま町を突っ切って歩き、とうとう工場長の事務所へとたどり着いた。
呼び鈴を鳴らす。ドアは開かなかった。しばらくすると、老人の声が飛んでくる。
「アカメか?」
「そうだよ。デンワがあったから、見に来たんだ。」
「……入りなさい」
扉を開ける。工場長は、事務所の椅子に埋もれるように座り込んでいた。目を閉じ、背中を丸めてうつむいている姿は、心なしか普段の父親よりも小さく見えた。
(続)