フィスト オブ クルーエル ビースト;6
ネオンサインと飲食店が並ぶカガミハラ第4地区、路地裏にある市内唯一のミュータント・バー、“止まり木”では、ランチタイムの営業を終えて店員たちが片付けのために動き回っていた。
ホールに作られたステージでは、若き女主人にして店の歌姫でもあるチドリがアップライト・ピアノの前に立っている。走り回る従業員の横で鍵盤を叩きながら夜のステージのために発声練習をするのが、彼女の習慣だった。
「ラ、ラ、ラ、ラ、ラ……」
一音ずつ確かめるように鳴らしながら音程を取る。高音から低音まで、満遍なく鳴らすと、次は流れるように音階を上がり下がりした。キーを変えながら、ホール中を共鳴させるように音を響かせていく。
一息ついてコップの水を飲む。次は今夜の曲目を練習しようかと思っていると、カウンターの掃除をしていた四本角の女給が怪訝そうな顔をしながら受話器を持ってやって来た。
「ママ! 電話です。『店長に代わってほしい』って……」
「あら? 相手はどんな人?」
「若い女の人で、“滝アマネ”という名前だそうです」
チドリの顔が明るくなった。羽並みのよい翼が生えた腕を女給に差しのべる。
「アマネちゃんね! 代わってちょうだい」
受話器を受けとると、ピアノのスツールに腰かける。
「もしもし、アマネちゃん? おひさしぶり」
「『チドリさん、お久しぶりです』」
「ごめんなさいね、ウチの子の反応、あまりよくなかったんじゃない? 私は“店長”というより“ママ”だから、次からはそう呼んでくれた方が通りがいいと思うわ」
「『ありがとうございます! 私、慣れてなくて……』」
気遣いに感謝するアマネを「まあまあ……」と言ってなだめ、チドリは話の続きを促した。
「それで、何かあったのかしら? ウチは6時に開けるけど、アマネちゃんなら今から来てもらっても構わないわ」
「『ありがとうございます。でも、今日はそういう用事ではなくて……チドリさん、香水のことを教えてもらえませんか?』」
チドリは「あらあら!」と楽しそうな声をあげる。
「どうしたの? デート? 相手はマダラ君、ってことはないわよね……もしかしなくても、レンジ君?」
「『違います! デートとか、そんな!』」
うきうきして言うチドリを、アマネは慌てて訂正した。
「『私がつけるわけじゃないんです! 実は……』」
「なるほど、人造ミュータントをねぇ……」
説明を聞いたチドリは天井を見て、考えながら言った。
「“濃い甘い香り”って言っても色々あるし、“薄紫色”というのも決め手には欠けるかもしれないわ。でも、多分……これだと思う」
そう言いながら、アマネの通信端末に画像を送信する。
「『これにした決め手は何なんです?』」
「うーん、そうね……」
チドリは受話器を耳に当てながら、ニヤリと笑った。
「“女の勘”ってところかしら?」
「出来た! 出来たぞ!」
アマネが飛び出してから間もなくして、マダラが叫んだ。運転席と助手席に散らばった工具をかき集め、ずた袋に放り込みながら運転席に移る。ハンドルを握ってタブレット端末を操作し、広域通信の回線を開いた。
「こちらマダラ、“ジェネレートギア”、完成した!」
先に反応したのはタチバナだった。
「『お疲れさん! 雷電はどうだ?』」
「『こっちは相変わらず、ミュータントと走ってます! 今は森を抜けて、山道が見えてきたところです』」
マダラはアクセルを踏み、荒れ野の中に並ぶ杭を辿って走り出した。
「カガミハラの方から追いかけるよ。近くの休憩所跡にでも引き込んで、追いつくまで粘ってほしい」
「『了解。やれるだけやってみるさ! マダラも早く来いよ!』」
「任せときなよ!」
ナカツガワ役場のトラックは速度を上げながら、カガミハラに向かう抜け道を走り抜けた。
通話を終えた雷電はバイクの速度を上げ、並走していたミュータントを追い越した。青灰色の獣はペースを変えず、雷電を気にする素振りも見せずに、真っ直ぐ走り続けている。少しずつ距離をあけながら、レンジは周囲を見回した。
「……よし!」
等間隔に看板の跡が並んでいるのが目に入った。かつて行き交う人々に休憩所が近づいていることを知らせた看板が、休憩所跡の遺跡と共に残されていたのだった。
装甲バイク“サンダーイーグル”は看板の行列を駆け抜け、休憩所の入り口を通り過ぎると、瓦礫を撥ね飛ばしながら切り返した。
フルスロットルで加速し、走ってきたミュータントに真正面からぶつかった。押し返そうともがく獣を抑え込み、もつれ合いながら休憩所跡の窪地に突っ込む。急ブレーキをかけて装甲バイクを停めると、“26号”は駐車場跡の、ひび割れたアスファルトに転がった。雷電もバイクから飛び降りる。
「……ここで、お前を止める!」
休憩所の出口に繋がるゲート前に立ち塞がった雷電を、立ち上がったミュータントも真っ直ぐ見返す。
「うおああああああああ!」
叫び声と共に青灰色の獣が雷電に飛び掛かった。
雷電は押されながらも荒れ狂う拳を受ける。痺れるような衝撃が両腕に走った。拳を両手で掴むと、ミュータントは捕まれたまま腕を振り回した。
「うおっ!」
はね飛ばされた雷電が距離を取りながら身構える。ミュータントは口と目の端の裂け目が拡がり、血の混じった涙と涎を流して口を開けていた。
「あおおおおおおお……!」
苦痛の色が交じる呻き声を洩らしながら、“26号”は再び雷電に向き直った。
マダラの運転するトラックは抜け道を通ってカガミハラ城塞の手前に出ると、装甲バイク“サンダーイーグル”から発せられる信号を追いかけてオールド・チュウオー・ラインを東に駆けた。
瓦礫の道に車体が大きく跳ねる。森の中を抜け、草木もまばらな山道にさしかかる頃には、雷電のバイクを示す光点がタブレットの中央に表示されていた。
休憩所のゲート前にトラックを止めると、マダラはあちらこちらが崩れ、字もかすれて読めなくなった案内看板を見上げた。
「……よし、ここだな」
タブレットが括りつけられたコンテナを抱えてトラックから降り、荷台の扉を開けて乗り込む。すぐさま中からオレンジ色のぬいぐるみが飛び出した。
片腕で抱え上げられるばかりの大きさの丸いものは、小さな二本の足と木の葉のような鰭がついた長い尻尾を使い、大きく跳びはねながら休憩所跡に向かう坂道を降りていった。
「ああああああああ!」
青灰色のミュータントは虚ろな両目を見開いて叫ぶ。皮膚の裂け目から突きだした筋肉が赤く脈打つ。突き動かされるように獣が駆けた。
「うおおおお!」
レンジも応えるように叫ぶ。打ち付けられる青灰色の拳を左右の腕で辛うじていなすが、ミュータントはそのまま突っ込んだ。
「ぐはっ……!」
皮膚が裂けて赤い筋肉がむきだした肩が、雷電のボディアーマーに突き刺さる。レンジは息の塊を吐き出し、“26号”の肩にも血が滲んだ。
雷電はよろめきながら距離を取る。ミュータントはすぐさま拳を振り上げて追撃に移った。
「“サンダーストライク”!」
体勢を立て直した雷電は迎え撃ち、叫びながら拳を放つ。全身に走るラインが青白く輝き、突きだされた右腕に電光が走った。
「『Thunder Strike』」
「あああおおおおう!」
必殺の高電流を纏った拳が血にまみれた青灰色の拳とぶつかり合う。ミュータントは吹っ飛ぶが、膝をついて持ちこたえた。
「『……Discharged!』」
必殺技を撃つだけの充電が切れたことを、ベルトの音声が告げる。
「クソッ!」
スーツのパワーアシスト機能はまだ生きている。だが、“26号”の激しい攻撃を受け続けていれば、過負荷によってエネルギーを使い果たすのも時間の問題だった。
「おおおお!」
ミュータントが吼える。傷だらけの両腕が鞭のようにしなり、鈍い銀色のスーツを打ち付けた。
「こ、のっ……!」
伸ばした雷電の両手が、ミュータントに掴まれて締め上げられる。
「あおおおおおお!」
「があああああっ!」
叫ぶ雷電の両腕を引き裂こうと“26号”が力を籠める。レンジは歯を食いしばって蹴りつけたが、ミュータントは動じなかった。
「ちく、しょう……ッ!」
ミュータントに掴まれながら雷電はもがく。雷電スーツがぎりぎりと悲鳴をあげ始めた時、水動力式とバイオマス式のツインエンジンが、息の合ったドラムロールを奏でた。
ミュータントが顔を上げる。鈍い銀色に輝く大鷲が円を描いて、駐車場跡の周囲を駆けていた。
「……オラァ!」
隙をついて雷電が腕を振り払う。互いに飛び退くと、無人の“サンダーイーグル”が両者の間合いを貫いた。急ブレーキをかけて装甲バイクが停まると、ハンドルの上に乗っていた丸いものが飛び降りた。
「やった! 間に合った!」
オレンジ色のドローンぬいぐるみ“ドット”が、可愛らしい合成音声で喋りながら雷電の前で大きく跳びはねる。
「マダラ!」
「この格好の時は、“ドット”って呼んでよ! ……いや、そんなことより、これ!」
ドットは「ぶぺっ!」とメタリックレッドの金属部品を吐き出した。レンジは「うへぇ……」と声を漏らす。
「何だよう、これが雷電の新しい強化パーツ、“イグニッショングローブ”だぞう!」
「いくらぬいぐるみとはいえ、その出し方はないわ……」
「仕方ないだろ、口の中に収納ポケットがあるんだから。……それより、右手につけて!」
「ああああああああ!」
それまで呆気にとられていた“26号”が叫び声をあげる。雷電は急いで“イグニッショングローブ”を手に取った。“グローブ”というが、姿はナックルかメリケンサックに近い。雷電は持ち手を握りこんで駆け出した。
「次はどうしたらいい?」
ミュータントの注意を引き、大きく間合いを取って走りながら雷電が尋ねる。ドットは駐車場の隅に移動すると、跳びはねながら言った。
「そのままベルトのレバーを上げて下げて、“重装変身”って言うんだ!」
雷電はミュータントを引き離して振り返った。
「上げて……下げる!」
レバーをガチャリ、ガチャリと上下させる。
「“重装変身”!」
「『OK! Generate-Gear, setting up!』」
レンジが叫ぶと、ベルトの音声が応えた。フラメンコを思わせる情熱的なギターのメロディが流れ出すと共に全身の装甲から炎が上がり、迫るミュータントを躊躇わせる。
「『Equipment!』」
炎が消えると、装甲をメタリックレッドに染め上げた雷電が立っていた。右の腕甲は“イグニッショングローブ”と一体化して一回り大きくなり、肩や胸の装甲板も厚みを増していた。ヘルメットのバイザーは、燃え上がる炎を象って変形している。全身に金色から銀色へとグラデーションのかかったラインが走り、ぎらりと輝いた。音楽が終わるとともに、ベルトの音声がたからかに宣言した。
「『“FIRE-POWER form”, starting up!』」
(続)