ファザー、ファインディング アウト イン ロスト メモリーズ;20(エピローグ)
カガミハラ軍病院の一室。真っ白い壁に囲まれ、観葉植物型のエアクリーナー・オートマトンが置かれたカウンセリング・ルーム。
白衣をまとった白髪の男はイスに腰かけると、落ち着かない様子でもぞもぞと身じろぎしている。周囲を歩き回りながら診察室の準備を整えていた小柄なナースが、医師に微笑みかけながら資料を手渡した。
「落ち着きませんか、ホソノ先生」
「なにせ、専門外の事ですしからねえ。それに、本当ならば、カウンセリングを受けるべきは私なんじゃないかと……」
ドクター・ホソノはそう言いながらも、軽く頭を下げながら資料を受け取る。
「しっかりしてくださいな! あまり気弱なことを言っていては、患者さんが不安がります」
一喝され、思わず背筋を伸ばすホソノ医師。ナースは肝の座った母親のような顔で、からからと豪快に笑った。
「ご自身の経験を買われて、副署長閣下から指名を受けたんでしょう? 自信を持ちなさいな! まあでも、根拠もないのに自信過剰で傲慢……よりも、ずっと“まし”ですけどね!」
「ははは……」
叱られているのだか、フォローされているのだか。ホソノは曖昧な笑いを返しながら資料に目を走らせていく。
「……それで、先生、もうじき診察の時間ですけれど」
「ああ、ありがとう」
医師は資料の綴りをデスクに置くと「ふう」と息をつく。深呼吸して顔を上げると、気弱そうな影はすっかり吹き飛んでいた。
「ちょうど、読み終えたところです」
両手を腰に置き、仁王立ちで笑っていたナースはざっくばらんな笑顔を引っ込めると、まじまじと医師の顔を見つめていた。満足そうにうなずくと両脚をぴたりと揃え、ぐぐっと胸を張る。
「それは、何よりです」
コツコツと扉をノックする音。ナースがスリッパをパタパタと鳴らしながら、扉に近づいていく。
「はーい、どうぞ……」
扉を開ける。部屋の外で待っていた男を見て、ドクター・ホソノは穏やかに声をかけた。
「カゲヤマ・ノブヒコさんですね。資料は拝見させていただきました。どうぞ、こちらにおかけください」
乾いたドアベルの音が響く。ランチタイム営業がはじまったばかりの、まだ客入りもまばらなミュータント・バー“止まり木”。ホールの隅の、昼間でも薄暗いボックス席に埋もれるように座る男が一人。
洒落たデザインのスーツは所々よれていて、全体的にどこか、草臥れた雰囲気をまとっている。男はぶつぶつと呟きながら、旧式のキーボードをガチャガチャと叩いていた。
「……こうして、破れかぶれの電磁抜刀が襲撃者にクリーンヒット! 探偵の活躍によって調査対象の無事は確保されたのだった。無事発見され、軍警察によって身柄を保護された調査対象は現在、レイジュ電工の関与が疑われる複数の事件について聴取を受けながら、カガミハラ軍病院にて薬物依存症からの回復プログラムに取り組んでいる。調査対象が回復し、いつしか社会復帰を果たすことを願いながら、この報告書を締めくくりたいと思う、と……よし!」
一際勢いをつけてエンターキーを叩きつけると、端末機に備えつけられたプリンターがガタガタと音を立てながら印刷された報告書を次々と吐き出した。探偵は数枚に渡る報告書を取り上げると、満足そうに目を細める。
「よーし、できた……!」
「自分の事、いいように書き過ぎじゃない?」
背後から飛んでくる声。キリシマがハッとして振り返ろうとする前に、手にしていた紙束が取り上げられていた。振り返ると、奪い取った報告書の束を珍しそうに見やる不良娘の姿があった。
「だいたい、なんでわざわざ紙でつくるのさ。別にメモリチップで渡したって……」
「わかってないなあ、助手君よ」
たしなめるように「ちっ、ちっ、ちっ……」と舌を打ちながら、探偵は助手から報告書を奪い返す。ユウキはキリシマのすまし顔に腹を立て、襟足を引っつかんで吊り上げた。
「なんだとコラこのへぼ探偵がよ!」
「痛い痛い痛い!」
キリシマ探偵は顔をしかめてもがき……そして、チラリとユウキを見やった。
「バイト代……」
「フン!」
アルバイトの探偵助手は不愉快そうに鼻を鳴らしながら、探偵を吊り上げた手を離す。キリシマは尻餅をつくようにボックス席に座り直した。
「うへえ、ひどい目にあった……」
「それで」
「うん?」
息を整えているキリシマを、ユウキが鋭い目で睨みつける。
「何が分かってないんだって? 言ってみろよ。下らねえことだったら……」
「そんな、くだらないことなんかじゃないさ!」
探偵は居住まいを正して、胸を張って澄ましてみせた。
「紙の報告書を仕上げる……それこそ探偵の浪漫……いでで!」
無言で捻り上げられる探偵の耳。
「訊いて損した……」
呆れ顔のユウキは耳から目を離すとため息交じりでつぶやき……テーブルの上に置かれた、もう一部の紙束に気が付いた。
「あれ、もう一部ある?」
手に取ってパラパラとめくる。先ほど探偵から取り上げた報告書と、全く同じ内容。……いや、一点だけ異なる部分があった。依頼人の名前である。
「依頼人は……マダラ……? どういうことだよ、これ!」
助手はどかりとボックス席に腰掛けると、真正面から探偵を睨みつける。一方の探偵は、悪びれる様子もなく肩をすくめてみせた。
「どうもこうも、ほぼほぼ同じ依頼を受けてたんだよ。依頼人の、お兄さんからな」
「はあ? 何で言わなかったんだよそれ!」
「いや、だってわざわざ、言うこともないし、それに……」
依頼人の兄……マダラからもう一つの依頼を受けたのは、妹が依頼をしにやって来る、ずっと前だった。
サイバネ義腕のメンテナンスを依頼していた相手から、逆に調査の依頼を受けた探偵は目を丸くして相手を見ていた。
「実の父親を、探して欲しい?」
「ああ」
凄腕メカニックでカエル頭のミュータント……マダラは頷いて答えた。テーブルに置かれていた模造麦茶のコップを手に取り、ぐいと傾ける。「ふう」と息を吐き出すと、マダラはテーブルの天板の木目を数えるように視線を落としながら、話を続けた。
「でも、すぐってわけじゃない。……近いうち、あんたのところに、妹が同じような内容の依頼をしにやって来る。だから、その時に……」
「おい、おい、おい!」
キリシマは大きな身振りでマダラの発言を制止する。
「どういう事だ? それなら、2人で来りゃあいいのに!」
「話を最後まで聴きなよ。ちょっと前に妹から、俺たちの、実の父親のことを質問されて……それで、あんたのところを紹介したんだ。だから、近いうちに依頼に来るのは間違いない」
「それにしたって、なんで……?」
「話は最後まで聞きなよ」
再び探偵を制止すると、マダラは「ふう……」と深い息を吐き出した。視線をテーブルの上に泳がせたまま、依頼人は話しはじめた。
「妹が、知りたいと思うのは当然だ。父親のことは何も知らないからね。でも、オレは……はっきりとじゃないけど、少しは覚えている。両親の事や、元の家の事。恐い叫び声とか、泣いてる母親の顔とか……。父親がまっとうな人間だなんて、ハナっから思っちゃいない。だから……」
マダラは言葉を区切って顔を上げる。
「だから、もしも、父親が本当にろくでもない奴で、この依頼を利用してオレ達を逆に利用しようとするような奴だったら……妹には会わないように、あんたから釘を刺してくれないか」
「おいおい、そりゃあ身元調査の範囲を超えてるぜ……」
キリシマは軽くあしらうように「フッ」と鼻で笑い、依頼人の顔を見る。
マダラは動じず、ただ黙っていた。思いつめたような眼差しの中に、しかし強い光が宿っている。
「……わかったよ、引き受けよう。覚えてたらな!」
しばらくにらみ合った後、折れたのは探偵だった。
結局、調査対象には「そんなことを息子さんは言ってましたけど、それって裏を返せば“マトモな人間になれば、会ってもいい”って思ってるんじゃないスかね」なんて付け加えて伝えてしまったけれども……。
まあいいだろう。父親の人柄を見極めることも、釘の刺し方も俺に一任してきたのはあいつなんだからな!
依頼人の兄の眼差しを思い出しながら、キリシマは助手の視線から顔を反らす。
「ま、男と男の約束、ってやつだ」
「はあ? まあ、いいけど……」
ユウキはすっかりどうでもよくなった様子で返すと、ひらひらと手を上げる。
「おーい、セッちゃん!」
声を上げると、灰色の外骨格に覆われた副腕を腰から生やした女給がパタパタと寄ってきた。ユウキはニカっと笑う。
「日替わりランチ一つと、食後に特製ジョッキパフェの“松”2つ、キリシマ探偵のおごりで!」
「えっ、ちょっと、待ちなさいよ助手君! “松”を、二つ?」
探偵は真っ青になって、目を丸くしている。“松”は“止まり木”の最上級グレード。ナカツガワ農業プラント自慢のオーガニック作物をアクセントに使った贅沢品だ。ユウキは負けん気たっぷりにぷうっと頬を張り、挑戦的な視線を探偵に向ける。
「依頼2件分の仕事だなんて、こっちは聞いてないんですけど! 報酬もダブルで受けてんだろ! それで1回分の給料なんて、納得いってないんだけど?」
「そ、それは……わかったよ、仕方ないな」
助手に言い籠められて、探偵は深くため息をついた。
「それで、ジョッキパフェの片方は俺の分って、こと、なのか……?」
「ンな訳ないだろ! ……おーい、セッちゃーん!」
キリシマの言葉をザックリ切り捨てると、ユウキは注文を受けて厨房に向かう女給の背中に声をかける。
「ジョッキパフェ、片方はセッちゃんの分な! ヘボ探偵とあたしのオゴリだからさ! 後で、一緒に食べようぜー!」
女給は振り返り、恥ずかしそうに微笑みながら手を振ると、そそくさと厨房へと消えていった。がっくりと肩を落とすキリシマ。
「そんなぁ」
「何だよ、文句ある?」
「いえ、ないですぅ……」
事件解決に女給と、その祖父の存在は欠かせないピースであったために、探偵もそれ以上強く出られないのだった。
「あーあ、左手の修理代も安くないってのになあ……」
ぶつぶつ言いながら小皿に入ったフライド・ビーンズをつまむと、すっかり冷めたコーヒーをチビチビとすする。
「ふふふ、パッフェ~、パッフェ~!」
不良娘は向かいの席でしおれている探偵のことなど気にする様子もなく、即興の歌を口ずさみながら、楽しそうに体を揺らしているのだった。
(エピソード15;ファザー、ファインディング アウト イン ロスト メモリーズ 了)