ファザー、ファインディング アウト イン ロスト メモリーズ;17
荒れ果てた街にパトロール・カーが次々と到着し、現場検証をはじめていく。慌ただしそうに動き回る捜査員たち。そして次々と担架に乗せられ、運び出されていく若者たち。
中間報告にやって来た捜査官が姿勢を正し、指先をぴんと尖らせて敬礼する。気の良さそうな胡麻塩頭の男は、困ったような笑顔をつくりながら敬礼を返した。
「閣下、それでは残務処理は、我々にお任せください」
「いや、その、閣下というわけでは……いや、なくはないのか、うん……わかったよ。ご苦労さま」
張り切った様子の捜査官が、靴音を響かせながら現場に戻っていく。
一通り指示を出し終え、現場を部下たちに任せたイチジョーは、額に浮かぶ汗を拭きながら探偵と老人に向き直った。
「いや、はや、お疲れ様でしたといいますか、なんといいますか……最近、問題になってたんですよ。浮浪者やミュータントの方をターゲットにした傷害事件が増えておりましてね」
「なるほど、助かりました」
救護班員に左肩の応急処置をしてもらい、ちゃっかり右腕の義腕にも充電してもらいながら、キリシマ探偵はイチジョーに応じた。
痛み止めが効いてくるのを感じて「ふう……」と息を吐き出す。ひと心地つくと、探偵は周囲を見回した。負傷者兼容疑者を乗せてひっきりなしに往復する軍用車両。乗り捨てられた改造バイクを一台ずつ検める捜査官たち……整然と動き回る人員は、一個小隊ほどはいるだろうか。
目の前の、申し訳なさそうに汗を拭く壮年の男を見やる。ナゴヤ・セントラル防衛軍カガミハラ分隊はもちろんのこと、その軍警察部門も決してなまくらな組織ではない。だとしたらやはりこの男は、相当な地位にいるのではないだろうか? 本人の気弱そうな表情からは、とてもじゃないけれども想像できないことではあるが……
「ええと、その、失礼ですが……」
おずおずとキリシマが言葉を吐き出す。次の言葉を出そうとした時、イチジョーは既にそっぽを向いていた。
「あっ、ちょっと……!」
「ユウキ! 無事だったんだね!」
ごま塩頭の男は、もじもじと所在なさそうにしながらもそっぽを向いているユウキに駆け寄っていた。
「間に合って、よかった」
弱気そうな男は、すっかり父親の顔になって不良娘と向き合っている。ユウキもムスッとした顔だったが、イチジョーの言葉を黙って聴いていた。
「君が狙われていると聞いた時には、心配したよ。もしも何かあったら、と思ったら……」
ニコニコしながら話す父親に、ユウキは目を丸くする。
「……ちょっと待って! 誰から聞いたの、そんな話!」
金髪の不良娘は、給電ケーブルに繋がったままのキリシマを鋭く睨みつけた。
「もしかして」
「ないないない! そんなことはないぞ助手君よ!」
「そう、通報したのは別の人だとも。それに……」
イチジョーは相槌を打つと、キリシマに向き直った。
「あなたも狙われていた、と聞いております。救護が間に合って、何よりでした。……そして、娘がお世話になりまして、ありがとうございました」
深々と頭を下げる。キリシマは慌てて右腕の給電ケーブルを外し、居住まいを正した。
「いや、いやそんな! お気になさらずと言いますか、ずいぶん危険な目にも遭わせてしまい、申し訳ないと言いますか……!」
「ははは、そこは本人も選んだ上でのことでしょうから。それでは、その……」
イチジョーは鷹揚に笑った後、再び気弱そうな表情に戻った。
「軍警察本庁でお話を聞かせていただくことになっておりまして。もちろん、皆さんが被害者側だということは重々承知しておりますが、その……」
「ええ、分かっています。こちらもいらぬ疑いがかけられるのは困りますから。ただ、その……」
「少し待っていただきたいんです、イチジョー副署長」
探偵がおずおずと続きを言う前に、助手が断固とした口調で言い放つ。
フクショチョー? 変わった名前だな……
耳を掠めた言葉に脳が危険信号を出しているが、気のせいだろうきっと。こんな腰の低い人がまさか、そんなはずはない……そんな地位のある人の、それも年頃の娘さんを顎で使っていたなんて、そんなことあるはずはない……
キリシマが必死に現実逃避しているのを後目に、ユウキは交渉を続けていた。
「私たちの出頭は、あくまで任意同行、なんですよね?」
「うっ、ま、まあ、そりゃそうなんだけれども、うん……確かに、どんな理由だろうと任意同行は拒否できるし……でも……」
イチジョーは娘の言葉にしどろもどろになっていたが、それでもなお譲るつもりはないようだった。 「はあ」と深い息を漏らしてから目を見開く。先ほどまでとは打って変わって、断固とした眼差しが娘を見据えていた。
「おおよその話は聞いているよ。請け負った仕事の途中だということも分かっている、つもりだ。……でも、まだ、危険がなくなったわけじゃないんだ。それでも、君がそれを選ぶというのなら……」
「もちろん」
娘はより一層強い眼差しで、父親を見つめ返す。
「この仕事を、最後までやり遂げたいって思ってる」
堂々と言い放つ娘。探偵も拳を握りしめて、助手の隣に立った。
「私からもお願いします。お嬢さんは、何があってもお守りしますから……!」
「さっきは、ボスみたいな奴にやられてたけどな」
鼻で笑う助手。探偵は悔しそうに歯ぎしりする。
「ぐっ……助手君、それは……! でも、次は負けないからな……!」
「だといいけどぉ?」
「ぐぬぬ……!」
煽る助手と、ムキになる探偵。二人のやり取りを見ていたイチジョーは真剣な表情を崩し、「ははは……」と気が抜けたように笑った。
「やれやれ。それならば、後程お話を聞かせてもらう他ありませんね」
そして周囲を見回す。捜査官たちが総出でおこなった現場検証と後片付けは瞬く間に終了し、役目を終えた軍警官たちは既に、路上駐車のパトロール・カーに引っ込んでいた。
イチジョー副署長は部下たちの手際に「ほう」と満足そうに息をつき、探偵に向き直った。
「我々が介入することで、事態が悪化することもあり得ますし、ここは一旦退くことにしましょう」
イチジョーはそう言うと、キリシマの手を取る。
「それでは探偵さん、娘の事をよろしくお願いします」
「は、はい!」
先ほどまでの気弱そうな表情からは想像もつかないほどの力強い握手。たじろぎながら応じた探偵の手には、小さな箱のようなものが握らされていた。
「これは……?」
「困ったことがあれば役立ててください。では、我々はこれで失礼します……」
再び深々と頭を下げると、イチジョーもさっさとパトロール・カーの助手席に乗り込む。ウインドウを開け、再び深く頭を下げると、パトロール・カーの群れは一列縦隊を組んで行儀よく走り去っていった。
ひらひらと手を振っていたキリシマは、軍警察の車列が見えなくなるのを確認すると手を下ろし、「はあ……」とため息をつく。
「すごい人だったんだなぁ、助手君のパパ上ってのは……ぐへっ!」
太腿に突き刺さる鋭い蹴撃。ローキックを見事に決めたユウキは、痛みに悶えるキリシマにそっぽを向いた。
「“パパ上”言うんじゃねえよ、へぼ探偵がよ」
「ぐ、ぐ……わかった、わかった」
「それで、行くんだろ、今から」
「ああ、もちろんだとも……」
探偵はみずからの太腿をさすりながら周囲を見回す。
「おおい、おっさん! 出て来いよ、もうお巡りさん行っちゃったからさ!」
呼ばわる声を聞きつけると、物陰に身をひそめていた元浮浪者の中年男が、恥ずかしそうに顔を出した。
「へへへ、よくわかりましたね、俺がまだここにいるって……」
「あんただって気にしてるんだろう、ノブヒコって人のこと。俺だって、それを信じてないわけじゃないからな」
中年男は探偵の言葉に、「えへへへ……」と照れたように笑う。
「それじゃ、案内を頼むよ。……イワハダさんは、どうします?」
「えっ、わし?」
探偵が振り返ったとき、イワハダ老は一段落ついたとばかりに家の前を片付けているところだった。皆の視線が向けられていることに気づくと、大儀そうに腰を伸ばしてみせる。
「遠慮しておくよ。年寄の冷や水は身体に障るからな。家のことも心配だし。それに……」
イワハダは再び、武人の如き眼光をキリシマに向ける。
「大丈夫じゃろ。あんた、よく見とったしなあ……」
「な、何の事だか……」
視線を泳がせるキリシマ。老人は「ふん」と僅かに不満の混ざる鼻息を漏らした。
「やれやれ、大して鍛えてるわけでもあるまいに。“さいばあうぇあ”というのか? まったく、恐ろしいもんだの……おう、これ、これ」
ぶつくさと言いながら玄関口の傘立てを漁り……一本の蝙蝠傘を取り出した。
「持ってけ。なあに、わしのお古じゃ」
「えっ、今日は雨の予報じゃあ……」
「いいから」
探偵に押し付けるように傘を渡す。
「ま、一回くらいは使えるじゃろ」
傘とは思えぬ、ずしりとした重量感。探偵は驚いて顔を上げた。
「イワハダさん……」
「ま、最初はモノマネでもいいけどのう。腰を据えてやってみたかったら、また来るがいいさ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる探偵。イワハダ老はゆるゆると手を振ると、さっさとあばら家の中に入っていった。やり取りを見ていたユウキが首を傾げて肩をすくめる。
「なんでイワハダじいちゃん、よりによって傘をくれたんだ?」
「いや、こいつはありがたいぞ……」
探偵はそう言うと傘をステッキ代わりにアスファルトに突き当てる。鋭い音が一つ、二つと、第7地区の廃ビル街に響き渡った。
「よし! それじゃあ今回のお仕事の、幕を引きに行くとしようか」
(続)