ファザー、ファインディング アウト イン ロスト メモリーズ;14
約20年前、零細電子部品メーカーだった“レイジュ電工”は生き残りと成長の道を模索し、町の外へと目を向けた。手を差し伸べてきたのは複数の都市をつなぎ、あらゆる分野の技術を、製品や素材を融通し合う企業間組織“ブラフマー”。技術提供を受け、資金援助を受けることで、“レイジュ電工”はカガミハラでも有数の大企業へと成長した。
“ブラフマー”との協力体制を取り付けたのが、当時の事業協力プロジェクトの主任、カゲヤマ・ノブヒコだった。しかし、彼は数年後、プロジェクトの成果が実を結びつつある中、心身の不調により療養……企業内の医療プログラムを受けることになる。しかし医療プログラムの実体は、医療とは名ばかりの薬漬け。それは企業による飼い殺し、問題の封じ込めに近い扱いだった。
過去の記録は削除され、“カゲヤマ・ノブヒコ”の名前は忘れ去られた。しかし、レイジュ電工は“忘れ去られた男”を始末しようと秘密裡に動いており……そこに探偵とその助手が首を突っ込み、ヒットマンのターゲット・リストに加わることとなった。
カガミハラ市街地、官庁街の第一地区。その一等地に位置する、軍警察の本庁舎。
傷だらけで駆け込んできた青年は職員たちに保護され、医務室に運び込まれていた。
「……そういう事が、あったんです、刑事さん」
全身に包帯を巻かれ、ベッドに寝かされた青年が説明を終える。のっぴきならぬ事態に、“一般捜査課”課長のクロキ警部三佐が腕を組んで唸った。浅黒い強面の眉間に、深い皺が寄る。
「ふうむ。思った以上に厄介な……」
「あの……」
ベッドに埋もれるように横たわる青年の、不安そうな顔が刑事たちを見上げていた。クロキは努めて穏やかな表情をつくって、青年を見下ろした。
「何だね?」
「“ブラフマー”ってなんなんです? 何で、俺たちはこんな目に……」
「奴らが持ってきたものは、ただ便利で役に立つものばかりじゃなかったということだ」
クロキは自身も巻き込まれてきた、数々の事件を思い出して苦い顔をしながらも、言葉を選びながら説明を続けた。
「非合法な品物、非人道的な技術……それに町の平和を脅かすような陰謀。おそらく君の会社は、“ブラフマー”との関わりを完全に断ち切ろうとして、今回の事件を……」
ふと視線を向けると、青年は目を閉じて寝息を立てていた。付き添っていた軍医が容体を検める。
「……眠っているだけのようです。ただ、心身ともに衰弱しているので、しばらく安静にした方がよろしいかと」
「わかった。我々も、そろそろ失礼しよう」
医務室を出た刑事たちは、真っ白い廊下をずんずんと歩いていった。
「成り行きのまま一緒に説明を聞いていただきましたが……このまま、御指示をいただけますか?」
「わかったよ。“一般捜査課”の枠には収まりきらなさそうだし、私が全体の指揮をとらなきゃいけないね」
歩きながら呼びかけるクロキに答えたのは、医務室では一言も話さなかった、気弱そうなごま塩頭の男だった。
「ひとまず“レイジュ電工”には、“組織犯罪捜査課”に行ってもらうしかなさそうだね。門前払いを食らうかもしれないけれど……」
ごま塩頭の男は歩き続けながら、額の汗を拭き拭き言う。クロキと比べてずっと頼りない風貌ではあるが、彼こそがカガミハラ軍警察庁のナンバーツー、イチジョー副署長なのだった。
上司の気弱な発言に、クロキはニヤリと笑う。
「なあに、組織犯罪課にいた時、連中には“色々”叩きこみましたから。ネタが上がってる以上、どうとでも尻尾をつかんで来るでしょうよ」
警ら隊からたたき上げた武闘派の言葉に、“ホトケのイチジョー”と称されるほど穏やかな上司は困ったように笑う。
「大丈夫だとは思うけど……お手柔らかに頼むよ」
「心得てますとも。そうなると、残りの課題は例の探偵と助手か。全く! こういう時にだけ使い勝手のいい部下は、こんな時に限って留守にしているとは……」
「まあ、まあ! 彼にも色々事情があるから……」
不満そうに鼻を鳴らすクロキを、イチジョーがなだめる。もっとも、イチジョー自身も例の部下の“色々な事情”に振り回されて大変な目に遭ってきた被害者ではあるのだが。
「それにしたって、探偵さんのことだよ。全然関係ない依頼を受けて、事件に巻き込まれたんだろう?」
「そうですねぇ。彼らの保護こそ、我々“一般捜査課”の仕事でしょう」
「わかったよ。なるべく早く、動いてね」
「任せてください」
短く答えて“一般捜査課”に戻ろうとするクロキ課長の背中に、思い出したようにイチジョー副署長が声を投げた。
「あっ、ちょっと待って」
クロキ課長が振り返る。
「どうしました?」
「いやあ、その探偵と助手の名前はきいてなかった、と思ってね」
「ああ、そういう事ですか」
クロキは胸ポケットから、畳まれていた紙片を取り出した。
「最初に話を聞いていた連中から、引き継いでいたんですよ。ええと、その二人連れの名前は、キリシマと……ユウキ? えっ? はあ?」
「えっ! 何だって?」
見知った名に思わず目を疑い、素っ頓狂な声をあげるクロキ課長。イチジョー副署長もまさか、自らの娘の名前が挙がるとは思っていなかった。目を丸くして、クロキの肩越しに捜査資料の紙片をのぞき込む。
「本当だ……」
「急いで、捜査官を回しましょう!」
慌てて携帯端末を取り出すクロキ。一方でイチジョー副署長は踵を返し、まっすぐ玄関に向かって歩き始めていた。
「まずは私が出るよ。応援の手配は、よろしく頼む」
「イチジョーさん、待ってくれ、せめて護衛を……!」
イチジョーは立ち止まって振り返った。その両目には“ホトケ”ではなく、荒ぶるオニ・ゴッドのごとく燃える炎が宿っていた。
「大丈夫だよ。自分の娘くらい、自分の手で守らなければね」
青年から“レイジュ電工”による陰謀を聞きだしたキリシマ探偵は、左右のバランスが悪い身体を引きずって、転がるように第七地区の路地を走っていた。
「ひゅう、ひゅう……!」
息が切れる。義腕が重く、肩の肉に食い込むような痛みを覚えながらも、探偵は両腕を振って、全速力で駆けていた。
連中は追って来ない! 今のうちになんとか、身を隠すしか……!
路地を抜ける。目の前にあったボロボロのドアをノックもせずに開き、倒れ込むように押し入った。扉を閉めるとよろめき、崩れ落ちるようにひざをつく。
「ふひゅーっ! ふひゅーっ!」
息を切らせてうずくまる探偵の前に、模造麦茶が入ったコップが差し出される。スカジャン姿の不良娘……ユウキが、心配そうに見下ろしていた。彼女とて、探偵が”おとり”のために第7地区を走り回っていたことを、知らないわけでもないのだ。
「お疲れ様、へぼ探偵」
「助かるよ」
キリシマはコップを受け取ると、一息にあおって模造麦茶を流し込んだ。
「……えほっ! えほっ、ごほっ!」
「何やってんだか……」
案の定むせて悶える探偵に、助手は冷ややかな目を向けている。キリシマは呼吸を整えると、気にせずに笑った。
「とにかく、一息ついたよ。それに……」
ユウキの後ろ、廊下の奥に立っていたイワハダ老に、深く頭を下げる。
「ありがとうございます、隠れ家として、使わせてもらって」
「なに、構わんよ。孫の友達の頼みだしなあ。それに……おい、お前さんも顔を出さんか」
重変異を起こしたアナコンダマムシのように長く、奥行きのある家の奥に呼びかける。するとひとっ風呂浴びた後のようにこざっぱりした中年男が、恥ずかしそうに顔を出した。
「へへへ、どうも……」
「……誰?」
ぽかんとしているキリシマに、ユウキがため息交じりで返す。
「そいつ、あたしが連れてきた浮浪者」
「ええっ! あの時の? っていうか、喋れんのかよあんた!」
中年男は目を泳がせながら、ボリボリと顔をかく。
「えへへ、おじいちゃんにド叱られて、水ぶっかけられてゴシゴシ洗われてる間に、すっかりシラフに戻っちまったっていうか……」
「ウチの敷居を跨がせる以上、あんな酷い“なり”でいさせる訳にはいかんからのう」
イワハダ老はぴしゃりと言い放った後、少し表情をゆるませた。顎に手を当てて「ふむ……」と息をつく。
「まあ、同じ町に住む者同士だからのう。それに、例の浮浪者狩りの連中は、目に余る……」
「それなんですよ、イワハダさん」
「えっ?」
キリシマ探偵の話を聞いたイワハダ老の両目は、鋭い光を放っていた。
「なるほどのう、浮浪者がり自体が、仕組まれた物だった、と」
「そうなんです。思っていたより大きな話になってしまいましたが……」
「いや、信じるとも。まあ、わしらも企業の連中には色々あったからなあ。それよりも、お前さん方の探してるという男についてだ。連中に先を越される訳にはいかんのだろう?」
老人の言葉に、キリシマは腕を組んで唸る。
「そりゃ、そうですけど。でも連中もずっと探してたんだろうし、こうも見つからないとなると……」
「そんなら、ここに調度いいのがおる。ほら」
イワハダ老があごで指すと、ドラッグ漬けだった浮浪者の男はきょとんとしていた。皆からの視線が集中していることに気づくと、中年男は目を見開く。
「……えっ、俺ですか?」
(続)