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ティアーズ オブ フェイスレス キラー;17

 普段、人が立ち入ることもなく、換気も足りていない資料庫の中。埃をまとった古い紙の香りが、人ひとり分の体温と吐息の熱に蒸されて鼻腔に広がる。ノート型端末機の画面が放つ薄青い光が、空中に浮かぶ埃を白く浮かび上がらせた。

 棚と棚の谷間、人一人収まるほどの隙間。重い金属製の金庫に背中を預けて座り込み、レンジはノート型端末機の画面を見つめていた。


「『その……良いのか、本当に?』」


 くぐもったエフェクトがかかったような、老人の声。動画の主である、サイバネ職人のものだろう。声が向けられているのは、視線の先……画面に写されている、若い娘だった。

 決して華があるとは言えないが、悪い顔立ちではない。データに残された日付のログからも、彼女が“ナナ”……“マスカレード”であることは間違いないが、随分と印象が違って見える。

 サイバネ職人は娘に視線を合わせながら説明……ほとんど説得に近いものを続けていた。


「『この手術は、えらく成功率が低い……いや、正直に言うと、これまで9人に処置をしてきたが、一度も成功してねえんだ。……そいつらはまあ、返しきれねえ借金に首が回らなくなったり、表社会に出られなくなった前科者だったり……こんなバクチにでも乗らなきゃ、どうしようもない連中ばかりだった。でもあんたは、まだ若いんだし……』」


「『大丈夫です』」


 娘はきっぱりと返した。表面に波風は見えないが、奥底に果てなく暗い諦めが渦巻いているような、そんな声色で。


「『どうしようもなさ、って事では、私もそういった人たちと変わりませんから。それに……』」


 言いかけて、顔を上げる。強い意志が宿る大きな瞳が、まっすぐこちらを見据えていた。


「『この治験を受ければ、タダでサイバーウェアのプラットフォームを付けられてお金ももらえるし……うまくいけば、人と上手に話せるようになるんでしょう? 受けさせてください! 私には、もう……』」


「『わかった、わかった!』」


 根負けしたサイバネ職人が渋々頷いて、画面がぐらぐらと揺れる。


「『それじゃあ、問診票を書いてくれ。その後、簡単な検査を受けてもらってから、手術をするから……』」


「『はい、よろしくお願いします!』」


 娘が深々と頭を下げる。

 この後は延々と、サイバーウェアとプラットフォームのインストール手術が続く。レンジは端末機を操作し、何度も見返した、代わり映えのしない画面をスクロールしていった。次に変化が起こるのは、数時間後……

 職人の手が止まったことを確認し、再生速度を元に戻す。


「『よし、これで……どうだ?』」


 老職人は一人ごち、手術台に取り付けられた計器類に視線を移した。観察する側からすれば、計器に表示された数値から意味を読み取ることはできなかったが。


「『よし! うまくいった。ひとまずは……』」


 サイバネ職人の言葉から、手術自体が成功したことは間違いなかった。画面は小刻みに揺れながら、手術台の上に横たわる娘の顔に近づく。


「『おい、終わったぞ!』」


 老人が呼びかけるが、娘は目を閉じたままだった。


「『おい、目を開けろ! 起きてくれ、おい……!』」


 娘の肩に、節くれだった手が伸びる。サイバネ職人は動かない娘の肩をつかんで、激しく揺らした。


「『おい、起きろ! おい……おいってば!』」


 職人が名前を叫び、娘が薄目を開けたところで、レンジは動画を停めた。端末機を閉じて脇に抱えると、資料室を飛び出した。

 激しく扉を開く音に、端末機の画面を見つめていたマダラが驚いて跳びあがる。


「うっわあ! ……えっ、何? どうしたの?」


「マダラ、ちょっと、行ってくる!」


 レンジは持っていた端末機を折り畳み机の上に置きながら言うと、既に動き始めていた。

 部屋の隅に置かれていたハンガー・ラックから擦り切れたライダースーツ・ジャケットを取り上げると、ばさりとはためかせながら袖を通す。


「行ってくる、って……?」


 マダラが面食らっていると、窓から外の曇り空を見上げていたメカヘッドが振り返った。


「見つけたのか、“マスカレード”をとめる方法を?」


「確信があるわけじゃないですけどね」


 ハンガー・ラックにとまっていた機械仕掛けの小鳥が飛び立つと、ぴりり、ぴりりとさえずりながらレンジの肩にとまった。


「でも、これぐらいしか、思いつかなくて……なら、それに賭けるしか、ないじゃないですか」


「わかった。それなら、一緒に行こう」


 メカヘッドはそう言うと、棚に置いていた回転灯を取り上げる。


「一雨来そうだ。雨が降ると通行止めになる区画ができるから、今はあちこちで渋滞してるはずだよ。緊急車両扱いにしてやれば、ちょっとは早く着くだろう」


「メカヘッド先輩……ありがとうございます」


「なあに、俺もちょっとくらいは“オモテ”に出しゃばりたいと思っていたところだったのさ」


 メカヘッドは芝居っけたっぷりに首をすくめてレンジに返すと、卓上の端末機に視線を戻したマダラに呼びかける。


「じゃあ、マダラ君、引き続きオペレーションを頼むよ」


「任せてください。二人とも、気をつけて!」


 ひらひらと手を振るマダラに見送られ、レンジとメカヘッドは会議室の外に飛び出していった。


 “イセワン重工”の重役室では、いまだに攻防戦が続いていた。資料ファイルと業務用端末が整然と並んでいた棚は見る影もなく破壊され、中身が床にぶちまけられている。割れた植木鉢から飛び出して、真っ二つに折れた観葉植物。そしてハチの巣になった白い壁……。

 発砲音が響く。部屋の中を飛び回る“マスカレード”は髪を振り乱し、銃弾を潜り抜けながら、ターゲットが身をひそめる机めがけて突っ込んでいった。


「やらせないよ!」


「AAaaaaaaAh!」


 長柄のハンマーを振り回して、突撃を受け止めマジカルハート・マギランタン。“マスカレード”は白い歯をむき出し、獣のように吼えかかると、マギランタンから距離をとって飛びのいた。


「くそ、ちょこまかと、もう……!」


「さっさととどめを刺さないからだ」


 悔しそうに漏らす魔法少女に、銃を構えたサイバネ傭兵がずばりと言う。マギランタンは常務が隠れる机をちらりと見やると、“マスカレード”を追って走りだした。


「それは、できない!」


「……フン」


 サイバネ傭兵“イクシス”は不満そうに人工声帯を鳴らし、ハンドガンのマガジンを取り替えた。


「好きにしろ。……私は、貴様ごと撃つ」


「やってみな、撃てるもんならね! ……うおりゃああああ!」


 マギランタンは叫びながら、ハンマーを思い切り振り抜いた。“マスカレード”がするりと身をかわすと、ハンマーは崩れかけた棚に直撃し、粉々に打ち砕く。部屋が軽く揺れると、机の中に隠れた常務が「ひいいい……!」と情けない叫び声をあげた。


「fShhhhhrrrrrrh……!」


「こうなったら、何が何でも逮捕してやるんだから……!」


 低くうなる“マスカレード”。マジカルハート・マギランタンは暴れ続ける相手を睨みつけると、ハンマーを壁から引っこ抜いて再び駆け出した。


 曇り空の下、吹き抜けの地下回廊は昼なお暗く、黄色の街灯がぼんやりと影を落としていた。

 道を埋める車列はサイレンの音を聴いて左右に分かれ、回転灯を載せた赤いスポーツカーと、その後ろに続く黒い大型バイクに進路を譲る。


「『ハハッ! ナゴヤ・セントラルのドライバーどもは運転が荒いと聞いていたが、さすがにパトカーには負けるらしい!』」


 ヘルメットに内蔵されたインカムに、楽しそうなメカヘッドの声が響く。


「『この調子でいけば、予定より早く着きそうだ! すぐに動けるように、心づもりしといてくれよ』」


「了解」


 通信回線が途切れる。バイクのハンドルに止まっていた“ナイチンゲール”がぴりり、とさえずって首をかしげた。


「マスター」


「うん」


「この数日間、無断で別行動をしてしまい、申し訳ありません」


「なんだ、そんな事……」


 レンジは前を走るスポーツカーに視線を向けながら“ナイチンゲール”の言葉に耳を傾け、小さく笑った。


「気にしてないよ。結局大丈夫だったし。それに、“ナイチンゲール”にも色々あるだろうから」


「私に……?」


 ぴりり、ぴりり。 機械仕掛けの小鳥はさえずりながら、首をぐるぐると回した。


「私は、人格パターンをコピーした1.5世代型AIです。それ以外に、何かがあるわけでは……」


「そうか」


 レンジはちらりとナイチンゲールを見やると、前方に視線を戻しながら呟いた。


「それなら、それでいいさ。……まあ、よく分からないもんだよな、自分のことなんて」


「マスター……?」


 ぼそりとつぶやくレンジに“ナイチンゲール”が声をかけようとした時、目の前のハザード・ランプがカチカチと点灯した。


 ヘルメットのインカムに、再び通話回線が開く。


「『そろそろだ。……見えてきたぞ!』」


「あれが、イセワン重工……」


 赤いスポーツカーの向こうにそびえるのは断崖に張り付いた、真っ白い壁のような建物だった。

 吹き抜けの大穴から、重く黒い雲が覗く。“イセワン重工”の社屋は下からの照明を浴び、薄暗がりの中に浮かび上がっていた。


(続)

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