ティアーズ オブ フェイスレス キラー;11
耳に突き刺さるような、大音量のコマーシャル・ソング。蛍光色のネオンライトに照らされ、浮かび上がる人々の白い顔。
「ごめんなさい! すいません、急いでいるので……!」
大通りをゆっくりと流れる人の波をかき分けるようにしながら、滝アマネは地下積層都市の深層に突き進んでいた。
「『次の角……サコウB05A04を北……左に進んでください。そのまま、スロープで下の階に向かいます』」
頭上を飛ぶ“ナイチンゲール”から、インカム越しにナビの指示が降ってくる。目の前から、人の流れが一瞬止まった。“サコウB05A04”とアドレスが書かれた柱が視界に飛び込んでくる。
「了解、あそこね!」
「『アマネさん、お気をつけて!』」
「えっ?」
“ナイチンゲール”の声と同時に、角から飛び出してきた白い影。全身ずぶ濡れの女性が突っ込んできたのだった。
「きゃっ!」
勢いを殺さずアマネの肩にぶつかって弾き飛ばす。背格好は同じくらいだというのに、驚くほどの威力とためらいの無さ!
「ちょっと!」
驚いたアマネが思わず声をあげるが、白い服の女性は振り返ることもなく走っていく。 道行く人々も思わず立ち止まり、走り去るずぶ濡れの女性に道を開ける。白い影は人ごみの中に消え、あっという間に見えなくなった。
「もう!」
「『アマネさん、早く』」
「……そうね。すぐ行く」
思わず苛立って叫んだが、そんなことを気にかけている場合ではなかった。アマネは肩に降りかかってきた水滴を払うと、再び地下積層都市の下層に向けて走り出した。
人通りの激しい商業区を通り抜ける。スロープを降りて向かった先の下層には、同じ都市かと見違えるほど寂れた景色が広がっていた。 崩れかけたネオンサインが細かく明滅しながら、人通りのない街を照らしている。聴く者もなく流され続けるコマーシャル・ソングは、ところどころに僅かなノイズが混ざっていた。
「ナビありがとう、ナイチンゲールちゃん」
アマネが頭上に声をかけると、旋回していた白磁色の小鳥が巡回判事の肩に降り立った。
「さて……」
深呼吸を一つ。箱が乱雑に積まれた“さいばあうゑあ施術院”の前に立つ。相変わらず窓は黒々と闇に染まり、店の中に人の気配はなかった。 アマネはたてつけの悪い引き戸に手をかけると、思い切り引っ張る。金属質の牙を持つバケモノが歯ぎしりをするような、嫌な音を立てて軋みながら戸が開かれた。 無数の機材から散る、インジケータの光が明滅しながら室内を照らす。巡回判事は店の中に首を突っ込むと、暗闇に向かって声を張り上げた。
「おじいさーん! 大丈夫ですかー?」
返事はない。どうしよう……とアマネがためらった一瞬、肩にとまっていた小鳥のセンサーアイが強烈な光を放つ。アマネが驚いて声を上げた。
「うわっ!」
「申し訳ありません。室内に仕掛けられていた各種センサー類が機能停止しておりましたので、こちらの判断でサーチライトを点灯しました」
「大丈夫、驚いただけだから……」
白い光に照らされて、室内の惨状が露わになった。積み上げられた機器類は打ち壊され、外装が破壊されたコンピュータが床に転がっている。コード類も引き抜かれ、一部は刃物のようなもので切断されて天井や壁から垂れ下がっていた。店主が厳重に守っていた、店の奥に繋がる扉も開け放たれたままだ。
「行こう。このまま、安全確認をお願い」
「了解しました」
アマネは短く伝え、白磁色の小鳥も短く返すと、店の奥へと足を踏み入れた。
磨き上げられた銀色の工房も、棚からぶちまけられた部品や資料がそこかしこに散らばっていた。そして、室内に漂う生臭い血の臭い。
「おじいさん!」
壁に広がる血糊。その下に崩れ落ちるように、店主が倒れていた。“ナイチンゲール”がアマネの肩から飛び立つと、血を流す老人の前に降り立った。 白磁色の小鳥はぴりり、とさえずるような作動音を上げながら小首をかしげ、老人にセンサーアイを向ける。
「呼吸停止……脈拍もありません」
「そんな……」
アマネががくり、と膝をつく。
「間に合わなかった!」
叫び声を聞くと、亡骸がぴくり、と動いた。
「……うるせえな」
弱弱しい声音だったが、店主が憎まれ口を叩いて薄目を開ける。アマネは「ぎゃっ!」と叫んで飛びのいた後、慌てて老人に駆け寄った。
「えっ、生きてる!」
「仕込んどいたウェアのお陰で、何とかな……ゲホッ!」
店主はアマネに助け起こされると掠れた声で言い、激しく咳込んだ。ナイチンゲールが老人のスキャンを続けながら、ぴりり、ぴりりと声を上げている。
「脈拍、血圧ともに危険な状態が続いています。一刻も早く緊急車両の手配を」
「そうね、早く病院に運ばなきゃ……!」
アマネは携帯端末を手早く操作し、緊急通報アプリを立ち上げた。けたたましいサイレンの音が室内に鳴り響き、すぐに“緊急車両:配車完了”の文字が画面に表示された。
「よし、これで……」
端末機をポケットに戻すと、老人に視線を戻す。
「すぐに救急車が来ますからね。だから、気を確かに……」
「まだだ」
「えっ?」
“さいばあうゑあ施術院”の店主は低くざらついた声で唸るように言うと、自らの首筋に震える右手を当てた。血まみれになった指が触れているのは、サイバーウェアの生体コネクタだった。
「……ふんっ!」
渾身の力で指を押し込む。生体コネクタがつぶれて血しぶきが飛んだ。アマネが青くなって悲鳴をあげる。
「ひいいっ!」
「ただの外科手術だ。麻酔はねェがな……そら」
店主は血みどろの指先を首筋から引き抜くと、アマネに向かって差し出した。恐る恐る手のひらを広げた巡回判事に、老人は血の塊を手渡した。
「これは……?」
「俺のウェアの、メモリチップ……ゲホッ、ゲホッ!」
老人は説明をしかけて、激しく咳込む。小指の先にも満たない大きさの金属片が血糊に埋もれているのが見えた。
「俺をやったのは、“マスカレード”……あんたの言う通りだった……“ウィスパー・マスク”の適合者が、“ブラフマー”に……ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ!」
「おじいちゃん、あんまり喋ったら、体が……!」
「構わんさ、どうせ、生きててもまた“ブラフマー”に……だから、せめてあの子を……ゲホッ!」
激しく咳込み、弱弱しい声で呟きながらも、老人の目には強い光があった。アマネは老人の顔をまじまじと見つめ、通話端末機を再び取り出した。
「もしもし、メカヘッド巡査曹長。大至急来ていただきたい案件があるんです。……えっ? 要件?」
通話回線の向こうから、困惑している様子のメカヘッドの声が返ってくる。アマネは断定的に言い放った。
「救急車の付き添いです。被害者を殺させるわけにはいかないの! 時間がないので、早く!」
ネオンの光と人の波にのまれながら、レンジは地下回廊をあてどなくさまよっていた。 楽しそうに笑い合う若者たちの声。子連れの親子。並んだ屋台と、店を物色する仕事帰りの務め人たち。にぎやかな地下積層都市の、夕方の景色。 相変わらず、“マスカレード”の手がかりはない。通話端末も使えない。何故か連日顔を合わせていた“ナナ”とも、今日は出くわさなかった。 ガードレールに腰かけて、しばらく街行く人々を眺めていると、強烈なサイレンの音が近づいてきた。
「『緊急車両が参ります。道をお譲りください! 救急車両が参ります……』」
慌てて飛びのく人々。人の波を切り裂いて、赤と青の閃光を散らしながら緊急車両が通り過ぎて行った。続けざまに突っ走っていく、真っ赤なスポーツカー。若者たちはポカンとしながらサイレンを見送ると、いそいそと携帯端末を操作しはじめる。
「下の層で事件だって。人が刺されたらしい」
「マジかよ、こえーな」
「下ってスラムじゃねーか、やべー ……いってえな!」
口々に言い合っている若者の群れに、白い人影が突っ込んだ。ガタイのいい青年を吹っ飛ばし、路地に向かって一目散に走り去っていく。
「てめえ、待てや!」
若者が叫ぶが、ぶつかっていった女性は立ち止まらなかった。青年もそれ以上、事を荒立てるつもりはないようだった。「ったくよー、ムカつくぜ」などと愚痴りながら、仲間と一緒にネオンサインの眩しい盛り場へと消えていく。他の若者たちも「やべー奴!」「関わらねー方がいいぜ、あんなのには」などと口々に言い合っていた。 ……レンジは若者たちを後目に、薄暗い路地の中を走り始めた。白くぼんやりと揺れる影を追いかける。
一瞬、目に飛び込んできた少女の顔。そして、その瞳に流れる光の筋……
「待って、待ってくれ!」
白い影は走り続け、人通りの少ない区画に入っていく。細い道に入り込んでいく娘の背中に向かって、レンジは叫んだ。
「ナナ!」
「……レンジ君?」
娘がぴたり、と立ち止まる。後ろ姿からは気づかなかったが、ワンピースの全面には血がべっとりとついていた。少女は振り返ると、おぞましい装束にはあまりに不似合いな、朗らかな笑顔を浮かべた。
「やっぱり! レンジ君だ!」
「ナナ、君は一体……何者なんだ?」
「私?」
問いかけながらゆっくり歩み寄っていくレンジ。“ナナ”はきょとんとして首を傾げた。
「私は、“ナナ” 私は……」
「そんな恰好で、何を……?」
「そんな? 恰好? ……あああ!」
“ナナ”は血まみれの両手とワンピースに目を落とし、目を見開いて叫んだ。
「私は……? いえ、私が……! ああ、あああああああ!」
「一体何があったんだ、ナナ?」
「やめて、来ないで!」
血濡れた娘は足がもつれ、よろめきながらレンジから逃げる。
「お願い……私を、見ないで!」
赤黒く染まった両手で顔を、ドレスを必死に隠す“ナナ”。 レンジは思わず一瞬、足を止めそうになった。背後から迫る冷たく、鋭い気配を感じなければ。
「危ない!」
叫ぶ前に走り出していた。戸惑う“ナナ”に飛び掛かり、抱きかかえて路地を転がった。
「きゃっ!」
直後に飛んできた数発の弾丸が二人の上空を飛んでいき、塀に突き刺さる。 素早く起き上がったレンジは“ナナ”を物陰に放り出すと、元来た方向に振り返った。
「まさか、気づかれるとはな……」
ハンドガンを構えながらゆっくりと近づいてくるのは、全身をサイバネ義体で覆った人影。“X”と“Y”を象った左右のアイ・バイザーが、赤い光を薄暗い路地に放った。
「背中にも目がついているのか? “ストライカー雷電”」
「てめえ……!」
因縁深いサイバネ傭兵の姿にレンジも身構え、レバーのついた大きなバックルを取り出した。へその下……“丹田”に当てると、銀色のベルトが左右から飛び出してレンジの腰に巻き付いた。 握りこぶしをつくると、ベルトの前についたレバーを叩きつけるようにして引き下げた。
「変身!」
レンジが叫ぶ。ベルトから迸るようなエレキ・ギターと轟くようなエレキ・ベースが唸りをあげた。 変身機能の実行を命じる音声コマンドを受け、ベルトから人口音声が応える。
「『OK, Let`s get charging!』」
(続)