ティアーズ オブ フェイスレス キラー;7
時は遡り、前日の昼下がり。オオス地下寺院、悪の結社“明けの明星”本部。 模造タタミ・シートが敷き詰められた大広間で、保安局の巡回判事と悪の女首領が向かい合っていた。
「“マスカレード”……」
キモノ・ドレスをまとう女首領“みかぼし”が、名前を確かめるようにつぶやく。そして沈黙。 オオス寺院に残された太古のボサツ・スタチューのように、穏やかながらも感情が読み取れない顔に、巡回判事・滝アマネはしびれを切らして声を上げた。
「何か、何かありませんか?」
「……巡回判事殿」
上座の“みかぼし”と下座のアマネの、ちょうど中間に座って様子を見ていたアオオニが客人の無礼を咎めると、女首領は目を見開いた。
「アオオニ」
「申し訳ありません、出過ぎた真似を」
アオオニが畏まって俯く。“みかぼし”はアマネに向き直った。
「アマネさま、失礼いたしました。それで、“マスカレード”。顔の無い暗殺者、ですか……」
アマネが固唾を飲んで、“みかぼし”の言葉を待っている。女首領は目を細め、上品な微笑みを浮かべた。
「申し訳ありません、詳しくは存じ上げませんね」
「ええっ、そんなぁ!」
散々に勿体つけられた末に返ってきた答えに、アマネは情けない声で叫んだ。“みかぼし”は楽しそうに、クスクスと笑っている。何たる邪悪!
「ここに来れば、何か手がかりが手に入ると思ったのに……」
「考えてみてください。“マスカレード”は元々、企業同士の小競り合いに使われていたのでしょう? どんな企業からも見放された、オオスの街や“明けの明星”に関わりがあると思いますか?」
「そっかぁ、見当はずれのところに来ちゃったのか……」
がっくりと肩を落とすアマネを見て、女首領はコホン、と咳払いした。
「とは言え、“覚悟”を見せていただいた以上、無碍にはできませんね」
「えっ?」
「“マスカレード”……いくつもの姿を持ち、しかし誰でもない暗殺者。考えてみましょう。そんなことが“どうやったら可能になるのか”?」
アマネはポン、と手を打った。
「……“マスカレード”は、何人もいる!」
”みかぼし”は涼しい顔で、アマネのひねり出した思い付きを聞いている。
「残念ながら、恐らく違うでしょう。彼らの“相場”を調べたことがありますが、“マスカレード”は額こそ桁外れなものの、単独犯の部類です」
あっさりと否定されて、巡回判事は頭を抱えた。
「じゃあ、やっぱり……変装?」
「そうですね。“別人になる”には、姿を変えればいい」
“みかぼし”はアマネの推理にあっさりと同意した。しかしすぐさま首を横に振る。
「……けれども外面を変えるだけの変装で殺しを続けて、“顔の無い暗殺者”などと恐れられることはないでしょう」
「ええーっ! じゃあ分からないですよ、降参です、降参!」
「うふふ、ごめんなさいね。それではもう少し、私の考えを。“マスカレード”は、完全に他人になりきって仕事をする。それは外見だけでなく、内面も完全に別人格になりきらなければならない……」
「内面を変える?」
「ええ、この数年スラム街で流れている、怪しい噂がありましてね……」
“みかぼし”の両目が、妖星のようにゆらゆらと光を放った。
さて、どんなおぞましいものが飛び出してくるだろうか。アマネは”みかぼし”の言葉を思い出しながら、えいやっと引き戸を開いた。 “さいばあうゑあ屋”の戸が軋んだ音を立てて動き出す。鼻を刺激する埃っぽさと、僅かなカビの臭い、そして過熱した機器が発する、ケミカルな焦げ臭さ。巡回判事は息を飲み、その後思い出したように深呼吸してから、薄暗い店内に足を踏み入れた。 機材のインジケータが青や緑、黄色、赤色の光を放ち、毒々しく室内を照らしていた。あちこちに積み上げられた機械部品の箱がぼんやりと輪郭線を浮かび上がらせる。人の気配はない。アマネの肩にとまっていた白磁の小鳥が、センサーアイをチカチカと光らせた。
「『監視カメラ、集音マイク、設置式テーザーガンによる簡易防衛システムの存在を確認しました。通信ジャマーの類が展開している可能性もあります。アマネさん、警戒を怠らないようにしてください』」
インカムを使って、総合戦術サポートAI・“ナイチンゲール”がささやく。アマネはうなずくと、店の奥に向かっておっかなびっくり呼びかけた。
「すいませーん……?」
反応がなかったのでもう一度。今度はもう少し、声を張り上げる。
「どなたかいませんかー?」
店内は相変わらず静まり返っていた。待ちぼうけたのは数十秒か、数分か。これはいよいよ留守かな……とアマネが帰ることを考え始めた時、天井の照明がついて部屋を白い光が満たした。
「はいはい、どちらさまですかねえ……?」
店の奥から、眠そうな声が返ってくる。戸を開けて顔を出したのは、瞼の重そうな猫背の老人だった。老人は首を小刻みに震えさせながら、アマネの顔を見上げた。
「すいませんねえ、うちはもう、新しいお客さんを取らないようにしておりまして」
「おじいさん、私、“みかぼし”さんの紹介で来ました」
アマネの言葉を聞くと、途端に老人の目つきが変わった。体を丸め、眠そうに目を細めていた老爺は、今や背筋をしゃんと伸ばし、オニ・ダイモーンのように鋭い眼光を放っている。
「ついてきな」
ぶっきらぼうに言い捨て、アマネを一瞥すると、老人はさっさと店の奥に引っ込んでいく。
「あっ、ちょっと……!」
アマネも慌てて、老人の背中を追いかけた。
真っ暗な廊下を少し歩いた先には、銀色に輝く世界が広がっていた。 手入れの行き届いた作業台に、精密作業用のメカニカル・アーム。磨き上げられた壁には棚が備え付けられ、どうやら精密部品が品番ごとに整理されて納められているようだった。更に奥に繋がる扉には“処置室”の文字。 部屋の中央には、黒い模造レザーが張られたスツールが二つ置かれている。店主の老人は奥側のスツールにどかりと腰掛けると、手前のスツールを手でさして、アマネにも座るように促した。
「わかってると思うが、録音や盗撮は禁止だ。報酬は現金、一括払い。それで、ウチにわざわざ来るってのは何の要件だ? 違法ウェアのつけ外しか? それとも電子ドラックのデトックスか……」
「“ウィスパー・マスク”」
「なに?」
セールス・トークをはじめようとしていた店主は、アマネの一言に固まりつく。
「ハーヴェスト・インダストリ系列の企業が開発した試作型サイバーウェア、こちらの工房で極秘に治験を行っていたと聞きましたが……」
「そうだよ。“明けの明星”で話を聞いてるなら、知ってて当然か」
店主は忌々しそうに言った。
「だが、それがどうしたって? あんたも今さら治験を受けに来た……ってツラには見えないが」
「“ウィスパー・マスク”のことを、教えてもらいに来たんです」
「今さら、何も言うことはねえよ。あれはただの失敗作だ」
アマネの言葉に、店主は腕を組んで「むう……」とうなる。
「俺だって、わざわざ人死に上等の人体実験に参加したいわけじゃないからな」
そして苦しそうに顔をゆがめ、吐き捨てるように言った。
「そんなにひどかったんですか、そのウェア?」
「まあ、まあ、な……」
老人は色々と思い出しているようで顔をしかめていたが、ハッとして顔を上げるとアマネを睨む。
「……あんた、客じゃねえな?」
「はい。私はナゴヤ・セントラル保安局所属の巡回判事、滝アマネと申します」
そう言いながら、スーツの内ポケットから保安局のIDカードを出して見せる。
「何だと!」
カードにきらめく、五弁の花の紋章。思わず身構えた店主に、アマネはすかさず“明けの明星”の封蝋が施された封筒を手渡した。
「そして、これを。……“みかぼし”さんからの紹介で来たのも、嘘じゃありません」
「おいおい、どうなってんだ? 保安局と“明けの明星”が……?」
店主は目を白黒させながら封筒を開き、入っていた書状に目を走らせる。
「ほう、ふむ……うーむ、信じられん。つまり……あんたはよっぽどの大物か、よっぽどのタワケってことか……」
「あはは……」
呆れたような店主の言葉に、アマネは愛想笑いを返す他なかった。
「とにかく、“ウィスパー・マスク”が、今追いかけている事件の唯一の手掛かりなんです。どんなウェアだったのか、何が起きたのか……教えてもらえませんか?」
店主は腕組みしながらアマネの言葉を聞いている。
「わかった。あんまり気分のいい話じゃねえがな。もう3、4年前か……」
使用者の肉体に直接インストールして用いられるサイバーウェアには、大きく分けて3種類が存在する。一つはハッカーが攻性プログラムを“仕込み武器”的に持ち運ぶためのもの。二つ目は電子ドラック類。そして三つ目は、脳や神経組織のリミッターを解除することで、使用者の身体能力や情報処理能力を一時的に強化・拡張するもの。 ハーヴェスト・インダストリ系列のソフトウェア開発企業が開発した試作ウェア、“ウィスパー・マスク”はこの三つ目のカテゴリーに属するものだった。 使用者と向き合った者の呼吸・体温変化・眼球運動など、ありとあらゆる情報をウェアが収集・分析し、より円滑なコミュニケーションを行えるように、使用者の精神に働きかける……
「元々はクローン培養した兵士を短い時間で“出荷”できるようにって要請から作られたらしいがな。表向きには“コミュニケーション能力を高めるウェア”ってことになってる。……それにしたって、使う人間の精神にどれだけの影響があるか分からない代物だ。だから治験もこっそりと行われた……自慢じゃねえが、こんなデリケートな制御回路が組まれたウェアをいじれるのは、ナゴヤ深しといえどもそうそうあるもんじゃねえんだぜ!」
「なるほど。……それにしてもずいぶん、言いにくそうなことも教えてくださるんですね」
相槌を打っていたアマネが思わず声をあげると、老人は「はん!」と鼻で笑った。
「かまやしねえよ。俺も気分が悪いまま黙ってるよりも、よっぽどな大物かタワケになら言っちまった方が気が楽ってもんだ」
「ははは、はあ……」
バカにされているのだか感心されているのだか。アマネため息まじりの愛想笑いを返す。店主は気にせず、「それで……」と話を続けた。
結局、“ウィスパー・マスク”は失敗作の、致命的な欠陥を持ったプログラムだった。使用者の脳に多大な負担がかかり、押し寄せる他者の情報は精神をむしばむ。治験の参加者10人は全員が廃人同然になり、非合法取引シンジケート“ブラフマー”によって内密に“処理”された……
「こうして、“ウィスパー・マスク”をインストールした人間はいなくなった、ってわけだが……これが、なんだい? 今起きてる事件に関係があるって?」
アマネはメモを取っていた手帳を閉じると、老人の問いにうなずいた。
「はい。……聞いたことはありませんか? 殺す相手によってまったくの別人になる殺し屋、“マスカレード”の話を。それに、“ウィスパー・マスク”が関わっているんじゃないか、と思いまして……」
「“マスカレード”は聞いたことがある……だが、“ウィスパー・マスク”の一件はもう終わった話だ。関係者は俺以外、もう残っちゃいねえよ。ウェアを入れた奴は9人とも……9人?」
店主は自分の発した言葉に首をひねり、「ううむ……?」と唸る。
「どうしました?」
「いや、ちょっと待ってくれ、ええと……」
老人は両手の指を折りながら、何かを数えはじめた。
「ええと、アイツと、アイツと、アイツと……それから、あの子に、あの男……やっぱり妙だ!」
そう叫ぶと、作業台の横に立てていた帳簿を取り出してめくり始める。
「やっぱりおかしい、一人思い出せん」
「どういうことです?」
アマネが尋ねると、店主は帳簿から顔を上げてオニ・ダイモーンのような両目を大きく見開いた。
「治験を受けたのは10人、そう記録に残っている。だが、最後の一人……そう、最後の一人を処置をした時の記憶がないんだ。そこだけがさっぱり思い出せんのだ。気持ち悪いくらいにな」
(続)