ティアーズ オブ フェイスレス キラー;2
「見つからない、って……」
アマネが納得いかない、とばかりに声をあげる。
「どういうことです? 重要参考人がいるんですよね?」
「おっと、言葉が足りなかったようです。申し訳ない」
芝居がかった身振りで肩をすくめるメカヘッド。アマネはイラっとしたが、この程度はいつもの事だ。ひとまずメカヘッドの説明を待つことにした。
「それぞれの事件を捜査する中で、疑わしい人物を目撃した、という具体的な証言が挙げられています。防犯カメラに、はっきりと映像が残っている事件もあった。……けれども、その人物を特定することが、いまだにできていないのですよ。どの事件も」
「例えば、だが……」
話を聞いていたレンジが指を立てながら、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「ナゴヤの外から来て、被害者を殺して、それでさっさとナゴヤを出たら?」
「そう、オレが言ったみたいに、そんな事件が連続して起こってたんだよ!」
レンジの発言に後ろ盾を得たような気持ちで、俄然嬉しそうにマダラが続く。メカヘッドは自らの頭を覆う機械部品に手を当てて。「はあ……」とため息をついた。
「ひとつひとつの事件を考えれば、確かにそれが現実的なセンなのかもしれません。……でもねぇ、被害者の中にはセントラル・サイト自治政府の役人が、何人も入ってるんですよ。それもトップとは言わないが、事務方のかなり高い地位の方々です。中には、保安部の警護がついた後に殺害された方もいる。そしてついに先日、保安部の関係者も殺された……」
威勢良く開いていたマダラの大きな口も、説明を聞いているうちに“ヘ”の字に曲げて閉じられていた。腕を組んでうつむき、「ううん……」とうなり声をあげている。
「それはちょっと……」
「そこまで続いたら、なぁ。確かに、逆に現実的じゃないか……」
「おわかりいただけましたか」
考え込むマダラとレンジを見て、メカヘッドが得意そうにうなずいた。
「いかがです、巡回判事殿も?」
「大変な状況だってのは、よくわかりましたが……私の最初の質問の答えは、まだ聞かせてもらってないんですけど」
「えっ?」
メカヘッドが間の抜けた声で返す。すっかり忘れていた様子だった。
「ほら、何でこの事件の捜査に、“ストライカー雷電”が呼ばれたのか、って話ですよ。メカヘッド巡査曹長の話を聞いてたら、ヒーローよりも名探偵が必要な事件に思えるんですけど……」
「ああ、それは……おおっと!」
先程まで部屋の隅で小さくなっていたコスギ室長が、説明を始めようとしたメカヘッドを押しのけてしゃしゃり出た。
「私が説明しましょう!」
コスギはメンツを回復しようと鼻息荒く、一同を見回してから捲し立てる。
「メカヘッド巡査曹長から説明いただいた通り、犯人は身元を特定できないまま姿を消しました。けれども、そういう犯人には目星がついているんです!」
そう言いながら、ホワイトボードに貼られた暗灰色の紙。中央にはでかでかと“No Image”の文字。コスギは再び、レンジたちに向き直る。
「ナゴヤ・セントラル・サイト保安部はこの数年間、取り逃がしつづけてきた名うての暗殺者がいるのです。気づかぬうちにターゲットに接近し、殺しと共に忽然と姿を消す。いくつもの顔を持ち、しかしその素顔は誰も知らない……顔のない暗殺者、通称“マスカレード”!」
「“マスカレード”……」
「なんだか、都市伝説みたいだなぁ」
レンジとマダラはぽかんとして話を聞いている。アマネは得意になって話し続けているコスギ室長の顔をじっと見ながら指を立て、発言を求めた。
「それで、保安局は要注意人物を長年放置して、被害者を増やしてきた、と?」
「げっ! はは……これは参りました……」
コスギ室長はぎくりと、ひるんで固まった後、すぐにヘラヘラと笑いながら、自らの頭を叩く。しかし今度はしどろもどろになりながらも、ナカツガワから来た客たちの前に踏みとどまっていた。
「ええとまあ、その……これまでもっぱら、“マスカレード”は企業間抗争の駒として使われてきていまして。我々保安局としては、一般人への被害がなければ、まあある程度は仕方ないかなぁ、といいますかなんといいますか……」
「呆れた! それで一般人どころか、自治政府や保安局の関係者が殺されたからメンツ丸つぶれになって、“ストライカー雷電”に助けを求めたんですね!」
「は、ははは……」
アマネの両目が鋭く光る。コスギは額に青筋を立て、細かく震えながらも愛想笑いは崩さなかった。
「まあ、まあ! お陰で管轄外の我々も“マスカレード”のことを知ることができたんですから!」
メカヘッドが再び間に割って入ってくる。
「それは、そうですけど」
「それに、“ストライカー雷電”に支援要請を出したのには理由があります! 皆さんはこれまで、ナゴヤ・セントラル・サイトを含む色々な地域で、非合法取引シンジケート……“ブラフマー”が関係する事件をいくつも解決してこられた! だから今回も、きっとやっていただけると、ワラにも縋る思いでして、はい……!」
メカヘッドに負けじと、コスギもアマネに顔を突き出して説得にかかった。何故かメカヘッドも対抗意識を燃やし、再びコスギを押しのけて前に出る。
「様々な人物に姿を変える能力。痕跡も残さずに、忽然と姿を消す能力……どんな技術によるものかは、全くわかりませんが、雷電は未知の相手と闘ってきた経験も豊富ですから。その点でも信頼できると、セントラル保安部に売り込んでおきましたとも!」
「ああ、はあ……」
機械頭のおじさんと汗で顔をてからせているおじさんの二人から迫られて、困ったアマネはレンジを見やった。当の“ストライカー雷電”本人はコスギとメカヘッドの勢いを気にする様子もなく、ホワイトボードに貼られた“No Image”の文字を見つめていた。
「それで、闘う相手がいることはよくわかったんですけど……。その、“マスカレード”をどうやって見つけるんです?」
地下都市、ナゴヤ・セントラル・サイトの街中。陽が天辺から傾いて既に暗くなりはじめた吹き抜けの回廊を、袖がすりきれたライダース・ジャケットを着た男があてどなく歩いている。
「さて、どうしたもんかな」
頭の上でぴりり、と小鳥が囀る声。白磁のような装甲を纏った機械仕掛けの小鳥が、男の肩にとまった。
「ナゴヤまでの移動の疲れをいやしながら気分転換をする、ということしかできないのでは? 今、マスターの仕事がないのは事実ですから」
「まあ、それもそうなんだよなぁ」
保安局での話し合いの結果、メカヘッドとマダラが局内に残り、“マスカレード”探しを始めることになった。アマネは「別のルートから調べてみる」と言って、真っ先に飛び出していったきりだ。そしてやることがなくなった“ストライカー雷電”……レンジは、こうして街中をぶらついているのだった。
「しかしなあ、気分転換っていっても」
旧文明の地下遺構を基に作られたナゴヤは、上層に近いほど荒れ果てたままの遺跡が残されている。未だ発掘途中の最下層を除いて、基本的には下に降りるほど栄えているのだが。
「こうも眩しくてうるさいと、どうにもな」
吹き抜けとはいえ、昼なお暗い地下回廊。至る所にネオンサインが蛍光色のどぎつい光は放ち、無数の立体映像広告が光を放ちながら宙に浮いている。
“早い! 濃い! 大ボリュウム! 特製ブラック・ミソ・ヌードル!”、“テリヤキ・イールをお手軽価格で!”、“シュリンプ・フライ、オーガニックの贅沢な味わい!”……
そしてカジノ・ホールから響き渡るけたたましいマーチの音。客たちの怒鳴り声。
それら光と音の洪水をものともせず、足早に歩く人の流れ。
「オーサカとは違う意味で都会、ってことなんだろうか。どっちも好きじゃないんだけど……おっと!」
“ストライカー雷電”の闘いをサポートする、機械仕掛けの鳥……ナイチンゲールに話しかけながら、人を避けて歩いていたレンジは、急に目の前に飛び出した光の板に驚いて立ち止まった。
“入院の必要はありません! 即日手術で、最新のサイバー・ウェアを手に入れましょう! サイバネ義肢とセットのインストールなら、更にあなたの生活が快適に!”
チカチカ光る板に書かれた文字を斜め読みして、レンジは「ほっ……」と大きく息を吐き出す。
「立体映像か、びっくりした……おっ」
今度は背中に、軽い衝撃。振り返ってみると、赤いドレスの女性がうずくまっていた。
「いたた……」
「大丈夫ですか?」
足をさすっている女性に、思わず手を差し伸べる。
「ありがとうございます。でも、私がよそ見していたので……」
「いや、俺がぼんやり立ち止まっていたから……」
互いに言い訳で言い合っていることに気づいて、女性が小さく笑った。
「ふふふ、変なの!」
年の頃はレンジと同年代か、少し下か。赤いドレスの女性は顔を上げ、レンジの目をじっと見つめながら、差し出された手を取った。
「ありがとうございます。実は、ヒールが折れちゃったみたいで……助かりました」
引っ張り上げられると、女性はニッコリとほほ笑んだ。笑い顔は、初めの印象よりも少し幼く見える。
足元に目をやると、サンダルのヒールがぽっきりと折れていた。
「すいません、弁償します」
レンジが頭をかきながら言う。
「ありがとうございます。助かります! ……あの、ところであなたのお名前は?」
女性は両手を合わせて礼を言うと、ぐい、とレンジに顔を近づけた。
「あ、ええと、レンジ、です」
吐息を感じるほどの距離に、あたふたしながらレンジが答える。肩から白磁色の鳥が飛び立ち、青年の頭上をぐるぐると回っている。
「レンジさん……ふふっ」
女性はレンジの名前を胸にしまい込むようにリピートすると、楽しそうに笑う。
「え、どうしたんだ?」
「あっ、ごめんなさい。私は、えっと……名前、名前……」
赤いドレスの女性は口元に手を当てて考え込んでいるようだった。
「ええと、君……?」
「そう、ナナ!」
女性はぽん、と手を叩いて声を上げると、驚いて固まっているレンジに向き直った。
「ナナって、いいます。よろしくね、レンジさん」
そう言って、穏やかに微笑む。大きな瞳の中で、数筋の光が流れ星のように煌めいて走っていった。
(続)