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ティアーズ オブ フェイスレス キラー;1

 錆びついた金具が動き、立てつけの悪い扉が軋みながら開く。ローティーン向けのひらひらしたワンピースを着た少女が、転がり込むようにワンルームのアパルトマンに入ってきた。

 大きな音を立てて扉を閉め、底の平たいローファーを脱ぎ捨てる。

 娘は激しく脈打つ心臓に手を当てて、乱れた息をついた。


「はあーっ! はあーっ! はあ……」


 背中を丸めてわずかにうつむき、よろめきながら暗い部屋の中に入ると、女性はまとっていたワンピースを勢いよく脱ぎ捨てた。


「ふう……」


 上下揃いの紅いランジェリー姿になっていた女性は、脱いだワンピースを無造作に丸めてゴミ箱に放り込む。




 スイッチが切り替わったように呼吸の乱れは収まり、背筋はモデルのようにピンと伸びていた。先程までは10代の少女かと思われたが、今は20代後半くらいに見える。

 女はテーブルの上に置いていたメモリチップを手に取ると、こめかみに設けられていたサイバーウェア・コネクタにさしこんだ。


「はあ……はあ……ああっ……」


 恍惚とした声が、緩くなった口元から漏れる。焦点の定まらない視線が揺れて、暗い室内に極彩色のビジョンが広がった。浮遊感、高揚感、脳の中央に広がり、やがて心まで満たしていく強烈な全能感。


「ほおぉおお……!」


 ひとしきり電子ドラッグに浸った後、女は「はぁーっ」と深い息を吐き出した。

 こめかみのメモリチップもそのままに、洗面所の蛇口をひねる。明かりもつけないままだったが、窓の外からさしこむネオンサインや立体広告の刺々しい光が洗面台の輪郭線を浮かび上がらせた。

 キラキラと光る水流に手を突っ込み、べったりとこびりついた血糊を洗い流す。光の粒となって手元で飛び散る水滴を見ながら、女は鈍い頭痛に襲われていた。


「ぐ、ううう……」


 安い電子ドラッグの“効果”はあっけなく切れ、強い反動が起こり始めたのだった。


「あああ……さい、あく……!」


 舞い上がるような高揚感は消え去り、意識は急激に落ち込みはじめる。女は呻きながらも手を洗い続けた。

 両頬を伝って、雫がこぼれ落ちる。両手をこすり合わせて、こびりついた血の塊を落としていた時、テーブルに置いていた携帯端末が小さく着信音を鳴らした。

 通知画面には“仕事の進捗について”とだけ表示されていた。




 地下積層都市、ナゴヤ・セントラル・サイト。かつての大戦で爆撃を受けて地表が焼かれた後、大地に穿たれた大穴の中に復興された、地下へ地下へと続く大都市である。

 大穴の上から射す光に、岸壁に張り付くようにつくられた街並みが照らされる。家々の狭間から這いだした僅かな樹々が、精一杯に青葉を広げて陽光を浴びている。雨期が始まる前のこの季節は、昼前に陽の光が地下まで届くのだった。


「ふわああああ……」


 真っ白い室内に、晩春の穏やかな風が吹き抜けていく。四角く区切られた窓から射す光を浴びながら、オレンジ色の肌をしたカエル頭の男が大きなあくびをした。隣のイスに腰かけていたスーツ姿の女性が、肘で軽く突いて声をかける。


「マダラ!」


「ああ、うん……」


「もう、しっかりしなよ!」


 寝ぼけ眼だったカエル頭の男……マダラは大きな目を見開いて、スーツ姿の女性を睨んだ。


「なんだよ、よく言うよ! アマネが車の中でグースカ寝てる間に、オレとメカヘッド先輩とで、徹夜で車を運転してきたんだぞ!」


「それは、そうだけど……」


 図星をつかれてたじろぐアマネと頬を膨らませるマダラの間に割って入るように、機械頭の男が後ろからにゅっと手を差し出した。目の前のテーブルに置かれたのは、茶色の液体が入った紙コップ。


「まあ、まあマダラ君。確かに巡回判事殿の言えた義理ではないかもしれませんが……」


「ちょっと、メカヘッド巡査曹長まで!」


「私の事は“メカヘッド先輩”と呼んでいただきたいんですけどねえ。まあ、それはさておき」


 アマネが抗議の声を上げるが、機械頭の男はどこ吹く風でヘラヘラと話を続ける。


「もうじき相手方も来られますから、コーヒーでも飲んで気分を切り替えたらどうです?」


「そうですね。いただきます……ふう」


 マダラは素直に従って、コップの中身をちびり、と飲んだ。


「ほら、巡回判事殿も。そこに置いてあったドリンクサーバーで作ったものですけど」


「あ、ありがとうございます……」


 続けて置かれた紙コップを手に取り、口をつけるとアマネは顔をしかめた。


「あちっ! ちょっと、メカヘッドさん、なんですかこれ!」


「申し訳ありません、淹れたてだったので」


「私が猫舌だってわかってやってるでしょ、もう!」


 メカヘッドがヘラヘラと笑い、アマネは真っ赤になって怒っている。マダラはすっかり喧嘩の火が隣に燃え移ったので、笑いながら二人を見ている。そんな3人を見ていたライダース・ジャケット姿の男は、ポケットから携帯端末を取り出して時刻を確かめた。


「3人とも、そろそろ……」


 扉を軽く打つノックの音。答える間もなく、勢いよく扉が開いた。


「すみません、わざわざご足労いただきまして……」


 壮年の男が入ってくるなり深く頭を下げる。


「この度、メカヘッド巡査曹長どのの伝手を頼りに、皆さんに捜査協力をお願いしました、保安局中央管制室のコスギです。よろしくお願いしま……」


 顔を上げようとしたコスギが、取っ組み合いになる直前で固まっていたアマネとメカヘッドの姿を見て固まっていた。




 気を取り直したコスギ室長はホワイトボードに顔写真を並べて貼っていく。その下にはそれぞれの人物の名前と“刺殺”、“撲殺”、“溺死”、“行方不明”など、剣呑な言葉が書き込まれていった。

 合計七名の人物が挙げられると、コスギは振り返って「コホン!」と咳払いをした。


「……ええと、協力していただきたいのは、連続殺害事件の捜査なのです」


「連続、殺害事件……?」


「ナゴヤ・セントラル・サイト政府関係者が、この一年で何人も、連続して殺されている……んですよね?」


 マダラが首をかしげると、メカヘッドが半ば説明するようにコスギに尋ねる。コスギもメカヘッドの言葉を受けて、説明を続けた。


「はい。それが、このボードに貼っている7名……ああ、いえ。先日もう一人亡くなりましたので、合計8名の被害者です。うち一人はまだ死体が見つかっていませんが、恐らくは既に殺害されているのではないかと」


「うーん、一年間で8人ってのは、確かに多いと思うが……」


「それでどうして、辺境のナカツガワ・コロニーで活動しているストライカー雷電に依頼を?」


 レンジが腕を組んで言うと、すっかり仕事モードに切り替わった巡回判事・滝アマネが、凛とした声を投げた。


「ナゴヤ・セントラル・サイト保安局の管内では、これらの殺人事件を処理する能力がない、と?」


「いえ、あの、その……」


 コスギ室長は巡回判事の鋭い視線を浴び、額の汗を拭きながらぼそぼそと言う。メカヘッドが肩をすくめた。


「はっきり言って、手に余る問題なんですよ。……よろしいですか、コスギ室長?」


「はい、お願いします……」


 メンツがまったく潰れてしまい、コスギは萎びた胡瓜のようになってうつむいている。

 メカヘッドは胸を張って席を立つと、コスギ室長の代わりにナカツガワ・コロニーからやって来た3人の前にしゃしゃり出た。そして「えへん」と咳払いをすると、芝居っ気たっぷりの大仰な身振りで、いつものように話し始める。


「コスギ室長が用意してくださった、これらの犠牲者のデータを見てください。どの人物も、殺害方法が異なっている。そして、これらの事件で犯人……いや、まだ重要参考人と呼ぶ段階ですが、そのように目星がつけられている人物像は、それぞれバラバラです。若かったり、年取っていたり。OLだったり、喫茶店のウェイトレスだったりね」


 コーヒーをぐいと飲み干すと、マダラが首をすくめた。


「それじゃあ、どれもバラバラの、別の事件ってことにならない? 不幸が続くのはイヤな偶然っていうか、エンギ悪いかもしれないけどさ」


「そこが引っかかりどころなんですよ、マダラ君」


「はあ?」


 メカヘッドは我が意を得たり、という様子でマダラに人差し指を向けた。


「犯人らしき人物像はどれもバラバラだった! けれども、誰もかれも共通している事があった。……どの事件でも、見つからないんですよ。その“重要参考人”が!」


(続)

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