スピンオフ2:オーサカ;シークレット ガーデン:3
奥へ奥へと続く迷宮密林遺跡、プラム・ガーデン。
侵入者を苛むものは自らの亡霊(過去)か、あるいは……
葉を茂らせ、張り巡らされた枝の間から降り注ぐ金色の陽射し。足元は腐葉土が堆積した上に下草が薄く生え出し、踏みしめるたびに体重を柔らかく受け止める。
鬱蒼とした森はカーブを描きながら、下へ、下へと向かっていった。静まり返った空気の中、木の葉の絨毯を踏みしめる音だけが響いていた。なんとのどかなハイキングだろう……つかず離れず、追いかけてくる何者かの視線以外は。傭兵は視線を感じながらも、何食わぬ風で樹々の間に伸びる道を歩き続けた。
そうだ。舗装などされていない、案内板などあるはずもないが、確かに“道”が続いている。木々の中を縫うように、森の中に帯が伸びているのだ。それはおそらく何匹もの獣……あるいは何人もの人々が、長い年月をかけて踏みしめて形作っていったものだろう。
「ふん……?」
林間の道は分岐し、交差しながら静かな森の中に広がっている。交差に行き当たるたび、イクシスは足を止めた。一方の道を注視した時にだけ感じる、あからさまな緊張の高まり。枝がわずかにざわめくような気配。
「ふ……」
傭兵は奇襲に備えながらも、内心ほくそえんでいた。素直でいい。
どうやらこいつが嫌がる道を選んでいけば、少なくとも“何か”にはたどり着けるだろう。手がかりが何もない以上、今はこのまま歩き続ける他ないのだから。こいつが見せたがらないものが、こちらの望むものでなければ……その時にはさっさと“始末”して、次の手がかりを探すまでだ。
いくつもの分岐を通り抜け、すり鉢状の森の奥へ、奥へ。追いかけてくる気配がじりじりと緊張の糸を張り詰めていくのを感じる。
射しこむ陽射しはいよいよ弱まり、圧を増した緊張感はいよいよ閾値を超えるかと思い始めた頃、無機質な構造物が緑の中から突き出しているのが見えた。
「これは……」
ひび割れたタイル壁の上を這い回るツタの網。巨木の根がのしかかる、コンクリート造りのビルディング。鬱蒼とした森に埋もれる旧時代の遺跡。
イクシスは立ち止まり、ヘルメットに手を当てた。継ぎはぎの思考が、ノイズを帯びながら重なり合う。
わずかにずれながら重なる幻視。シャッターが破られ、目の前に口を開ける遺跡の入り口。
「ほら、入り口は爆破してやったんだから、早く中に入らんか!」
後ろから急かす、しわがれた老人の怒鳴り声。
「こっちは貴様らを買うのに安くない金を払っておるんだ、いつも食わせてやってるメシだってタダじゃない! ……分かっておるのか、役立たずめ!」
私/僕がためらっていると、老人はイライラした様子で喚き続ける。
「遺跡に潜る時にはいつもこれだ、役立たずめが! カネを使わせた分はキリキリ働け、ほら!」
老人の杖に背中を次々と打たれて、私/僕はおずおずと足を踏み出した。手にしたライトが二筋の光を穴の中に投げる。底知れない暗闇と向かい合って背筋が震えるけれど、首輪をつけられた私/僕には逃げ出すこともできない……
シンクロして動き出す足音。歩き出すと、黒く大きな口が目の前に迫ってくる。私/僕は、この暗闇の中で
「ガアアアアアアア!」
ヘルメットを掴んで、イクシスは声をあげた。人口声帯を揺らす絶叫が森の中に拡散し、木々に吸い込まれて消えていった。
過去に向かい、失いかけていた意識を強制的に振り戻す。傭兵は大きく息を吸い込んだ。
大丈夫。あの遺跡は木っ端みじんに爆破して、もうないのだ。恐れることはない、怯えることもない。そうだ、全て叩き潰してしまえばいいのだ。私/僕を脅かすものは、全て。もう誰にも虐げられないように……
「……ふう」
鋼鉄のボディ、堅牢な脳殻に収められた継ぎはぎの脳髄を震わせ、煮えたぎるような怒りに吞まれかけて、イクシスは首を振る。全く、これだから遺跡に潜る仕事なんて請けたくなかったというのに。
監視対象の異様な振る舞いにおびえているのか白けているのか、プレッシャーを放っていた監視者の圧もすっかり弱まっていた。
「フン……!」
傭兵は吐き捨てるように息を漏らし、森の中の遺跡群に足を踏み入れた。
樹海の底にある、草生した遺跡。刻まれた文字は崩れ、案内板は風化していたが、それは旧文明の都市に違いなかった。相変わらず背後に監視者の視線を感じながら、イクシスは静まり返った街の中を歩く。
建物や地面の所々が崩れ、穴が開いたまま樹々が生えだしているのは、旧文明が滅び街が放棄された時の名残なのだろうか。
道を塞ぐように転がるカプセルのような、コンテナのようなもの。見上げると廃墟の頂上に置かれた車輪に、コンテナが鈴なりにぶら下がっているのが見えた。遺跡の機構が動いている気配はない。未だに人の姿は見えない。
こうなったら、後ろをつけてくる奴をとっ捕まえて案内させようか……などと、イクシスがいよいよ考え始めた時、
「……ふむ?」
崩れかけたアーケードの下、遺跡の陰に隠れるように座り込んだ人影が目に入ってきた。ヘルメットとゴーグル、マスクで覆った顔をうつむけて、軍装の男はぴくりとも動かない。イクシスは腰のホルスターから拳銃を引き抜き、セーフティを外して男に歩み寄った。
泥と埃に汚れてくすんでいるが、青みを帯びたグレーの軍服にオレンジ色の識別帯……オーサカ・セントラル防衛軍の所属で間違いはないだろう。兵士は両手両足をだらりと投げ出し、全身義体の傭兵が目の前に立っても身じろぎ一つしなかった。
イクシスは拳銃を握った手を、軽く振り上げる。
「フン!」
銃床を打ちつけるように、横からヘルメットを殴りつける。うなだれた兵士の頭は打撃を受け……あっさりと胴体から切り離されて、ボールのように飛んでいった。
「やはり、か」
兵士の頭は遺跡の壁にぶつかると、軽い音を立てて転がっていく。穴が開き、瓦礫が散らばる地面を転がるうちにヘルメットやゴーグルが脱げ、白骨化した髑髏が露わになった。
「これは……」
イクシスは首のない兵士の軍服に腕を突っ込んだ。タクティカル・ベストと厚手の生地に守られた内側はぽっかりと空洞になっていた。指先には骨がかすめる感触。
つつけば崩れる繊細なあばらの骨格を壊しながら白骨死体をまさぐり、傭兵はついに二片のドッグタグを抜き出した。この死体が正規軍人なら防衛軍の軍規通り、一枚は個別のID、もう一枚は所属部隊の識別コードが打ち込まれているはずだ。
小さな字で刻印された通し番号に目を通す。目の前の白骨死体は当然と言うべきか、調査対象になっている相手ではなかった。所属部隊は勿論、遺存物調査隊。階級は上等兵……
脊椎が崩れ、支えを失った骨格が崩れ落ちる。死体の横に置かれていた背嚢が巻き添えに倒れて、中身がぶちまけられた。水に着替え、破れた布切れに衛生用品……。イクシスは足元に転がって来た飲用水のボトルを拾い上げた。
どうということはない。オーサカ・セントラルのデリカで売られているような……もちろん軍基地の売店でも手に入る、一般的な水のボトルだ。わずかに飲んでいたのか中身は腐敗しているようで、底には白い物が溜まっている。消費期限から逆算すると、製造されたのは二年以上前だろう。今年派遣された調査隊員ではなさそうだった。
「ふん……」
傭兵にはもちろん、死者を弔う気持ちは一切ない。散らばった遺物に目を走らせ、役に立つ物が見当たらないことに気づくと、骨も拾わずにイクシスは立ち上がった。ドッグタグは自らの背嚢に突っ込んでおく。かさばらないし、何かの役に立つこともあるだろう。だが……めぼしいものが何もない、というのはどういうことだ?
銃は? 弾薬は? ナイフは? 腐った水以外の食糧も、応急処置用の薬品類も、金目の物までもがない。目の前に散らばるのはただの骨と、ガラクタだけだ。
「ふむ……ん?」
背嚢を背負い直して視線を上げた先の壁に、殴り書きされていた汚い文字が視覚センサに飛び込んできた。恐らく白骨化していた隊員が、今わの際に書き残したのだろう。
血か何かで書きなぐったガタガタの文字は、「バ」「ケ」「モ」と右上から左下へ、少しずつ小さく、かすれていきながら続いていた。
「“バ”、“ケ”、“モ”……ノ?」
文字を辿りながらイクシスが呟いた時、地を這うような低い唸り声が響いた。張り詰める気配。監視者のそれではない、明確な敵意と殺意。空気を震わせる怒気!
「来るか!」
イクシスは背嚢を放り出し、対獣ライフルの包みを解き放つ。身構えた途端、目の前の壁が粉々に砕けて勢いよく弾け飛んだ。
(続)