ボトム オブ ピット、ライク デヴィルズ ネスト:4
今回は息抜き回です。
最近、殺伐とした展開が続いてたので……
春の風が吹き抜ける、山間の城塞都市“カガミハラ・フォート・サイト”。昼前の柔らかい陽射しに照らされ、目抜き通りに植えられた街路樹は輝くような緑色の若葉を鈴なりに茂らせていた。
「タチバナ保安官」
スーツ姿の若い女性が小さな紙片をひらひらさせながら、トラックのコンテナの中に声をかける。
「リストに書かれていたお店、一通り回って来ましたよ」
「おお、ありがとうございます」
コンテナの奥から声が返ってきた後、二本の角を額から生やし、赤色の肌をした壮年の男が顔を出した。
「早速、届き始めていた荷物をしまっていたところでしてな。……コロニーの買い出しを巡回判事殿に手伝ってもらって、申し訳ない」
「大丈夫ですよ、このくらい」
ナカツガワ・コロニーに駐在している巡回判事・滝アマネは、申し訳なさそうに頭を掻くタチバナ保安官に笑顔をみせた。
「私だって、コロニーの一員ですからね! レンジ君もマダラもどこかに行っちゃってますし、アオちゃんもお店の準備で忙しそうでしたから。……それに、久しぶりにカガミハラの街をブラブラするのも楽しかったですし!」
「ははは、それは何より」
タチバナは笑いながら、アマネに渡していた買い物リストを受け取った。手元に戻ってきた紙片に目を落とす。癖の強い字で店の名前と買う品物が書き連ねられたリストには、項目ごとにチェックマークや“?”が付けられていた。
「……買えなかったものなどはありましたかな?」
「あっ、そうでした!」
アマネはハッとして、両手をポンと打った。
「メモに書いてある字が、どうしても読めないところがあって。ええと、その……字の癖が……」
言いにくそうに話す巡回判事の言葉を聞いて、タチバナは自分の悪筆に気づく。
「ああ……すみません、つい、いつもの癖で殴り書きにしてしまって」
「行けていない店や買えてないものがあるんですけど、大丈夫ですか?」
「リストを見た感じだと、来週に回しても問題なさそうですから。その時にマダラかレンジに頼むとしましょう」
そう言って、タチバナは目を通したメモを畳むと胸ポケットに収めた。アマネは紙片の行方をぼんやりと目で追いながら、ぽつりと言う。
「どうしたんでしょうねえ、レンジ君とマダラ」
「そうですなあ……」
「メカヘッド……高岩巡査曹長に呼び出されたとか聞いてますけど」
「わざわざ言い直さなくても……」
「タチバナ保安官は、何かご存じですか?」
「さあて、私にはなんとも……」
「ふーん……」
アマネの質問にのらりくらりと答えながら、タチバナ保安官は延々と庫内の整理を続けていた。巡回判事は目を合わせようとしない保安官の背中を、疑わしい目つきで睨んでいる。
「……さっき、“会津商会”からコーヒーとサンドイッチのデリバリーが届いたんですよ。ちょっと休憩しませんか」
「いただきましょう」
タチバナはコンテナ入口近くの物陰からランチセットの紙袋を二つ、取り出してみせる。アマネは表情を変えることなく、袋の片方を受け取った。
「それで」
紙袋から取り出したぬるいブラックコーヒーにフレッシュと砂糖を二袋ずつ入れてストローをさすと、音を立てて吸い込んでからアマネは追及を再開した。
「本当に知らないんですか、レンジ君たちがどこに行ったのか」
「本当に、何も聞いてないんですよ」
「ふーん……」
そらとぼけた様子で追及から逃れ、厚焼き玉子が挟まれたサンドイッチに喰らいつくタチバナを、アマネは白い目で見ている。
「例えば」
「え?」
「レンジ君たちとメカヘッドさんが何かやっていることを知っていて、それでも自分に知らせないってことは何かあるんだろうなー、って思っていて……それでもこっちから知ろうとするのはよくないかもなー、とも思って、そのままにしている、とか……」
「それなら知らないままにした方がいいんじゃないですか、どうでしょう」
タチバナは口の中のサンドイッチを飲み込んだ後、人を食ったような口ぶりで返した。アマネは「ぐっ」と苦々しいうめき声をもらし、歯をギリっと噛みしめる。
「その言い方、何かやましい事があるように聞こえるんですけど」
「いやいや、そんな」
タチバナはそのまま話を切り上げるつもりだったが、呆れ半分だったアマネの目が次第に吊り上がってきているのを見てため息をついた。
「……なんでも技術開発部が、ナイチンゲールの稼働データを取りたいと言っているとか、そういう話は聞いてますがねえ」
「なるほど。……でも、それだけですか?」
「えっ」
「だって、データ取りをするだけで、昨日から泊まり込みで全然連絡もつかないなんて。今日帰ってくるかもわからないんでしょう? 本当は、他にも用事があるんじゃないですか……?」
「それは……」
不信感をあらわに、更に追及を続けるアマネから僅かに視線を逸らした時、タチバナの携帯端末が呼び出し音を鳴らした。
「あっ、デンワですね、ちょっと失礼しますよ……」
「えっ、ちょっと……!」
いそいそと端末機を取り出すと、画面には“メカヘッド”の文字。タチバナはこれ幸いと通話回線を開いた。
「おう、メカヘッド。何だ、何かあったのか? 今ちょうど、お前とレンジたちの話をしていたところで……は? 何、スリープ状態から突然暴走して、逃げた? ……ナイチンゲールが? おい、ど」
聞き返そうとするタチバナの声を遮るように、電子機器の警告音のような、鳥の叫び声のような鋭い声がカガミハラの駐車場に響く。
道行く人々が驚いて辺りを見回す中、白磁のように白い装甲を身にまとった機械仕掛けの小鳥が、トラックの前に舞い降りた。
タチバナの耳元では、通話回線を開いたままだった小型端末機からメカヘッドの声が呼びかけ続けている。保安官はハッとして端末機に答えた。
「……ああ、ナイチンゲールが逃げた、って話だな。こっちに来てるよ。様子、様子なあ……調子はすこぶる元気そうだが」
鳥の体を持つ高性能AI、ナイチンゲールはトラックの荷台に降り立つと、艶やかに輝く白い翼を大きく開くと、陽炎のように揺れる赤い光が機体全体を包んでいる。一際強く光る両目のカメラアイが、タチバナをまっすぐに見つめていた。
「タチバナ保安官」
ナイチンゲールは冷静な声でタチバナに呼びかけた。滑らかな発話による人工音声は普段通りのはずだが、今日は底知れない凄味が抑えようもなく煮えたぎっているようだった。
タチバナは思わず、居住まいを正して機械仕掛けの小鳥に正対していた。
「はい」
「説明を要求したいのですが。データ取りをするだけだということでしたが、なぜこれほど長時間スリープ状態のまま放置されているのか……」
「それは、俺も知らないよ! おい、メカヘッド、どうなって……おい! こら、勝手にデンワ切るな!」
通話回線を切られた端末機にタチバナが怒鳴る。赤い光を宿した白磁の小鳥はぴょんぴょんと跳ねながら、タチバナの肩に跳び乗った。
「こちらも通信は遮断されました。メカヘッドさんには、後で“詳しく”話を聞かせてもらうとしましょう。それではタチバナ保安官、次の質問を……マスターはどこに行きましたか?」
「知らん、俺も……こっちが知りたいくらいで……」
「では、捜査権執行の許可をいただけたということでかまいませんね」
しどろもどろで答える保安官を見て、ナイチンゲールの両目が鋭く光った。
「えっ」
「マスターの通話に使われる電子タグを読み込み、位置情報を特定……」
ナイチンゲールはタチバナの肩から飛び降りると、てきぱきと追走の準備を始める。
「おい、ちょっと……」
「準備できました。追跡をはじめます」
困惑するタチバナを後目に、アマネはさっさとトラックのドアを開けていた。
「よーし、行きましょう!」
「巡回判事殿も行くつもりですか!」
「だって、面白そう……正式な捜査なんでしょう? ナカツガワ・コロニーのヒーローが行方不明とあっては、ね」
「それは……」
すっかり機嫌を直してわくわくした様子の一人と一機に丸め込まれ、ベテラン保安官のタチバナは頭を抱える。
「仕方ない、行きましょう。……ですが、巡回判事殿はくれぐれも運転せんでくださいよ。私がやりますからね!」
「えー」
アマネは口を尖らせながらも素直に従い、トラックの助手席に腰かけた。自分の運転はちょっと危なっかしいかな……という自覚くらいはあるのだ。
「まあ、大事なトラックなトラックに何かあったら大変ですからね。それじゃ、行きましょう! ナイチンゲールさん、ナビをお願いしまーす!」
「お任せください」
楽しそうに話すアマネとナイチンゲールの声を聞きながら、コンテナの前に取り残されていたタチバナは肩をすくめた。
「やれやれ、お嬢さん方には困ったもんだ。急ぎの荷物がなかったからよかったものの……」
「タチバナ保安官!」
「はいはい、すぐに準備しますよ」
急かすようにアマネの声が飛んでくる。タチバナは苦笑いしながら、コンテナの扉を閉めた。
「いやあ、助かりました。あの銃撃戦に巻き込まれた時には、どうなるものかと……へへへ……」
冷ややかな地下の空気の中に血の臭いが漂う、“アケチ製薬”の地下プラント。死体の山から掘り出された作業着姿の男は両手を縛る縄を解かれると、軽薄そうな笑いを作りながら雷電にペコペコと頭を下げた。
「ホントすいません、助かりました! それじゃあ、おれはこの辺で失礼しますね……」
「あんた……何者だ?」
雷電スーツのバイザーを上げたレンジは、そそくさと立ち去ろうとする作業着の男の左手をじっと見つめていた。
「見た感じ、ここの作業員みたいだが、何故縛られていた? それに、その手……」
「へへへ、ええっ、と……これ、は、その……」
作業着姿の男はヘラヘラと笑いながら、左手につけていた手袋を外す。
「いわゆるサイバネってやつです。昔、ちょっと事故っちゃいましてね、へへ……」
くすんだ金属製の手指をワシワシと動かして見せると、男はそそくさと立ち去ろうとする。床に転がっていたドットが、男の背中を見てぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「雷電、わかった! その人だよ、ターゲット!」
「何!」
「ひゃあ、今度はなんなんだよ!」
義手の男は慌てて逃げ出そうとするが、電光を迸らせながら走る雷電はあっという間に追いついて首根っこを鷲掴みにした。
「ぐえっ! 放せ、放してくれよ!」
「ちょっと待て、俺は味方……ってわけでもないんだが、その……」
「『レンジ君、ちょっといいか? スピーカー通話に変えさせてもらうよ……』」
“ブラフマーの内通者”である男の正体を聞き、素直に“味方”とも言えずに雷電が言葉を濁していると、インカム越しにメカヘッドが声をかけた。
「『コホン、ええと……“ヘイズ”、私だ』」
スピーカーによってメカヘッドが呼びかけると、男は目を見開く。
「メカヘッド先輩! ってことは、この人が、その……?」
「『そうだ。君を助けるために呼んだヒーロー、“ストライカー雷電”だ』」
「そうなんですね!」
メカヘッドの言葉を聞いた内通者“ヘイズ”はレンジを見やる。おびえた表情の中で、白目がちの両目はこちらの様子を窺おうと抜け目なく光っていた。
「ああ、まあ、な」
「はあああ、助かった……!」
ぼそりとレンジが言うと“ヘイズ”はホッとした様子で、ひざから床に崩れ落ちた。
(続)