シンギング バーズ バック トゥ オールド ネスト:2
歌姫は古巣で羽を休め、目的地へと再び羽ばたく。
一方で環状防壁都市オーサカには、謎の集団が出没していた……
「何のつもりだい、あんた」
ドレス姿のミュータントが、蛇のように長い首をゆらりともたげる。酒に焼かれ、地を這うような低音の声にはありありと苛立ちの色が見て取れた。
「そちらのミュータントさんから、お話を聞かせていただこうと思っただけで」
スーツと真っ白なブラウスをまとった中年女性は、にこやかな表情を崩さずに答える。長い手を持ち、外骨格に覆われた娘が体を縮こませて、首の長いミュータントの後ろに隠れていた。
「“ちょっとおしゃべりする”って姿勢じゃないだろ、ウチの従業員が怯えきってるじゃないか!」
スーツ姿の女性の後ろには、やはりスーツ姿の男たちが二人、両手を後ろで組んで仁王立ちになっていた。揃いのバッヂを胸につけ、緑色の腕章を巻いているためか、暗灰色のスーツ自体がユニフォームのように見える。
首の長い女主人は鰐のように厳つい顔で、立ち去る素振りも見せない三人組を見下ろした。
「誤解を招いてしまったのならば、申し訳ありません。あなた方に危害を加えるつもりは、全くなかったのですが。私一人ではセントラル・コアの外に出るのは不安がありましたので、付き添いをお願いしたんです」
「雁首揃えて、わざわざ”コロニー・ベルト”くんだりまで来て、何のつもりだい。本当に、ミュータントとおしゃべりするだけだって?」
そこそこの人通りがあるセッツトンダ・マーケットのメインストリートだが、二人連れのミュータントとスーツ集団の周囲だけは人が寄り付かなかった。周囲を通りかかる客はミュータントの姿を一瞥すると、遠巻きに去っていく。……ミュータントと”セントラル・サイト”からの“お客様”のトラブルになど、誰も介入したがらないのだ。
スーツ姿の女性は女主人から質問されると、目を輝かせた。
「ええ、ええ! 私どもは貧困状態や、社会的弱者の地位にあるミュータントの皆さまの支援を目的として活動しています。是非とも、現地でミュータントの方と交流したいと思い」
「貧困!」
目を丸くしてスーツ姿の女性の言葉を遮ると、女主人は針のように細い瞳孔でスーツ集団を睨んだ。
「何のつもりだい、この子にはちゃんと給料は出してるんだがね!」
「性的に搾取されているミュータント女性を、自立した職業に就くことができるように支援することも私たちの活動の一つでして」
「馬鹿にしてるのかい! よくもまあぬけぬけと、そんなことが言えるもんだね!」
首の長い女主人は火を吹かんばかりの勢いで、平然と説明を続ける活動家を一喝した。そのまま踵を返して、スーツ集団に背を向ける。
「すみません、お話を」
「これ以上、何も話すことはないよ! ……クモちゃんも、それでいいかい?」
外骨格の娘が勢いよく首を縦に振るのを見ると、女主人は大股で歩き去った。
開店前とは思えないほどのんびりとした空気が流れる、ミュータント・バー”宿り木”のホール。模造麦茶のグラスを空にすると、チドリは両手を合わせた。
「……それじゃあ、そろそろおいとまさせてもらおうと思うけれど。いいかしら、みんな?」
「俺は構わないけど……」
レンジが見回すと、グラスに残った氷をマドラーでつつくマダラや、アマネに絡まれて歌うようにしつこくせがまれているアオと目が合った。
「オレも、いつでも行けるよ」
「私も大丈夫です、行きましょう」
「ちょっと、二人とも! ねえ、アオちゃんも歌おうよぉ」
不満そうに口をとがらせるアマネを見て、レンジは「はあ」とため息をつく。
「カラオケじゃないんだぞ。でもまあ……チドリ義姉さんは、もういいのか? ママを待たなくても」
「ええ、まだ先は長いわ。明日の昼までには着かなきゃいけないんでしょう? 今回はタイミングが合わなかった、っていうことで」
チドリは穏やかに、しかしきっぱりとした口調で答えた。
「そうか。それなら……あれ、ナイチンゲールは?」
頭上からぴりり、とさえずるような動作音が応える。機械仕掛けの白い小鳥が翼を広げ、円を描いて滑空しながらテーブルの上に降り立った。
「申し訳ありませんマスター。シャンデリアの上で待機しておりました」
「いや、問題ないよ。……何か、気になることでもあった?」
テーブルの上のナイチンゲールは、ちょんちょんと跳ねながらレンジの前にやって来た。
「いえ、発煙センサーや温度センサーには、特に異常は検知されませんでしたが」
「そういうわけじゃないんだけど……どんな気持ちなのかな、って思ってさ」
困ったように微笑んだレンジの顔を見上げると、ナイチンゲールはぴりり、と動作音をさえずりながら首をかしげた。
「気持ち……特に大きな変化は観測できません。ただ……この店の内装についての情報が私のメモリに残っていましたので。細部に違いがないかと、確認しておりました」
「そうか。いやまあ、それでもいいんだけど……」
それ以上突っ込んで尋ねるのを諦めたレンジの前で、ナイチンゲールはぴょんぴょんと跳ねた。
「私のコンディションについては、問題ないと判断します。……それよりもマスターには、他のタスクがあったのでは、と推測しますが」
「ああ、まあ、ね。そろそろ出発しようかって話をしてたんだけど……君は、構わないか?」
「わかりました」
ナイチンゲールは即答し、レンジの左手に飛び乗った。
「最新の地図データはダウンロード済みですから、いつでも出発できます」
小型バイオマス・エンジンを搭載したスクーターが、ところどころの舗装が崩れた道を突っ走る。
「“平穏なるこもれびの会”……ねえ」
ハンドルを握る女主人は前を睨みつけたまま、後ろに乗る外骨格の娘に相づちを打った。
「けったいな名前だねえ。連中の方から話しかけてきたのかい?」
「うん。“宿り木”の名前で領収書を出してもらってるときに、『そのお店で働いているの?』って訊いてきて、その後もつきまとってきて……」
どうやら、“宿り木”の名前も既に、連中に知られているらしい。
「ウチの店も目をつけられてるのか。“平穏なるこもれびの会”……そういえば、最近そんな名前の連中が、ビラを配ってるって話を聞いた気がするね。……何はともあれ、クモちゃんからデンワもらって、間に合ってよかったよ」
スクーターの速度を落とさず走り続けながら、女主人は唸る。第一層の外壁に守られてミュータント獣に襲われる心配のないコロニー・ベルトだが、不審者への不安がないわけではない。道端に打ち棄てられた旧文明期の遺跡が、視界に現れるとすぐに後方へ消え去っていった。
「……あの人たち、何だかわからないけど怖かった」
外骨格の女給は、長い両腕でしっかりと女主人に抱きついている。
「そりゃそうだろうよ。他人の生き方に難癖つけて、好きにできると思ってる奴らなんてね」
「ママ、真人間でも、私よりもっとビンボーな人だって、あのマーケットにいたわ。物乞いしてる人だって」
「うん」
「でも何で、私たちばっかりが“かわいそう”って言われるの……? ミュータントだから……? “ミュータント・バー”で働いてるから……?」
回された腕に力が入る。女給の声には、悔しそうな響きがあった。
“ミュータント・バー”とは、“ミュータントの女給が男性客の接待をする店”を指す。“その手の店”の中でも最も“格”の低い店だ。世間体の良い仕事だとはとても言えない。
ミュータントの働き口、選択肢は真人間よりも遥かに少ない。真人間たちが白い目を向ける、この地域ならばことさらだ。
――この子だって、“仕方なく”ウチの店で働いている。この子だけじゃない、ウチの店で働く女の子たちは、大体そうだ。もっと他に、生きる途があれば……だからと言って、他人が馬鹿にしていいなんて謂われはない! けど……
「それは……」
女主人が言葉に詰まり、どう返したものかと考えているうちに、スクーターはタカツキ・コロニーの正面ゲート前にたどり着いた。ゲート脇に突っ立っていた耳の長い娘がスクーターに気が付くと、両手を大きく振って合図をする。
「ママ! クモちゃんも!」
バイオマス・スクーターがゲート前に停まる。乗っていた二人は急ブレーキに身体を跳ねさせた後、ヘルメットを脱いだ。
「うーちゃん、心配かけたね! ……けど、どうしたんだい、店番は?」
「ごめんなさい! でも、ママに早く伝えたくて。レンジさんたちが来たの! それと、チドリ先輩? も!」
「何だって! 二人が、ウチの店にかい? 急いで戻らないと……」
スクーターのエンジンを再起動させようとするママを、耳の長い女給は慌てて止めた。
「ちょっと待って! 皆、もう出発しちゃったから……でも、レンジさんがメモを置いていったの。ママに、って」
「見せてみな」
耳の長い女給が差し出した二つ折りの紙片を受け取ると、女主人は開いたメモに鋭い目を走らせた。すぐにメモを畳んでしまい込むと、後ろに座っていた女給の肩に手を置いた。
「済まないね、ちょっと用事ができた。悪いが、今日は臨時休業だよ」
「用事、って……?」
「弟子と馬鹿息子に会ってくる。あんたたち悪いけど、他の子たちに、私の代わりに謝ってほしいんだ。急いで追いかけないといけないんでね」
「……わかった」
「行ってらっしゃい、気をつけて!」
従業員たちに見送られるとミュータント・バー“宿り木”のママは激しくエンジンをふかし、タカツキ・コロニーのゲート前から飛び出す。
大柄なママを乗せた小型スクーターは遠景に霞む銀色のビル群目指して、猛然と走り出した。
(続)