第5話「聖女とメイド」
魔王の治癒を終えて、シャルムが「どうかお風呂にでも入ってお寛ぎください」と申し出てくれた。汗だくで肌に張り付く衣服の感触はあまり気持ちのいいものではないし、見た目もよろしくない。もしかしたら自分が気付いていないだけで汗臭いかもしれない。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
「こちらのメイドがご案内いたします」
そうしてマリスは風呂へと案内されることとなった。
案内役のメイドはマリスと歳の近そうな、おそらく魔族の少女だった。口数も表情も乏しい彼女は淡々と道案内をしてくれた。長い廊下を何度か折れたところで浴場へ到着。
「どうぞ」
と、通された脱衣所は恐ろしく広かった。
呆然と立ち尽くしていると、メイドの少女が問うてきた。
「マリス様、どうなさいましたか?」
「……驚いてしまって。あまりにも広いので」
「聖女様でしたら珍しくもないのかと思っておりました」
「入浴の習慣はないのですよ」
「左様でしたか。失礼いたしました」
メイドの少女に深々と頭を下げられてかえって申し訳ない気分になった。聖女は清貧を旨とすべし、という言葉があった。そもそも平民の、それも修道院の出であるマリスには入浴の習慣は無い。聖女となってからもたらいにお湯をもらって体を拭いていたものだった。「聖女」という言葉からくるイメージとその実態はかくもかけ離れているのであった。
折角のお風呂だし、と気を取り直したマリスは服を脱ぐ手を途中で止めた。
「あの……」
「なんでしょうか?」
「そうして見られていると、恥ずかしいのですけれど」
「お気になさらず」
メイドの少女は顔色一つ変えない。
「私のことはガーゴイルとでもお思いください」
「ええぇ……」
「必要でしたら脱衣のお手伝いをいたしますが」
「け、結構ですぅ!」
マリスは大急ぎで服を脱ぐことになった。
脱衣所の奥には両開きの扉があり、既に開かれていた。
扉の先からは大量の湯煙が流れ出してきている。
恐る恐る浴場に足を踏み入れると、つるりとした感触があった。
大理石だ。足元だけではない。浴場全体が大理石で造られている。どこからかお湯が湧き出してきており、湯量も豊富だった。立ち上る湯煙は遥か上の天井をぼやけさせるほどだった。
「こんなに立派なお風呂、王都にも無いかも……」
「マリス様」
「は、はいっ!?」
立ち尽くしていたマリスの真後ろにメイドの少女がいつの間にか立っていた。袖まくりをして靴下を脱いだだけの恰好は風呂にはそぐわないが、彼女は気にした風もない。
「そのままでは風邪をひいてしまいます」
「そ、そうですよね」
「こちらへどうぞ。お背中を流させていただきます」
「えっ」
「どうぞどうぞ」
腕を掴まれて洗い場へ連行される。意外な腕力にマリスはなす術もない。
「では失礼して」
メイドはマリスを座らせて背中を丁寧に洗いはじめた。くすぐったくも気持ちよく、半ば夢見心地であったが、背中を洗う手が別の場所に伸びてきてそれどころではなくなった。腕、脇、太腿、そして腹。
「じ、自分でやりますからぁ!」
「御自分の手では届かないところもありますので」
「そこは! 届きます!! から!!!」
叫びも抵抗も意外と力強いメイドの少女の腕力の前には無力だった。
風呂は最高の湯加減で、全身の疲労感を全て洗い流してくれるようだった。あまりの心地よさにうとうとしてしまいあやうく溺れかかったほどだ。メイドの少女が助けてくれなければどうなっていたか。
快楽と羞恥と危険に満ちた入浴を終えて、バスローブ姿のマリスは脱衣所の大鏡の前に坐らされていた。鏡越しに背後に立つメイドの少女に恐る恐る声をかける。
「あの……」
「なんでしょうか、マリス様」
「これは?」
マリスの座る藤製のスツールの横には大小の小瓶が並べられたテーブルがあった。
「オイルです。髪のお手入れをさせて頂きます。どうかそのまま。楽になさっていてください」
楽に、と言われても、と思った時にはメイドの細い指が髪に絡みついていた。 丁寧にオイルを馴染ませている。髪の手入れということだったが、そちら方面について無知なマリスには一体どういう効果があるものなのかさっぱりわからなかった。ただ、気持ちいいな、と思った。髪の毛を誰かに触られるのはいつ以来だろうか。きっと修道院時代、シスターが髪を結ってくれたのが最後だろう。
小一時間かけて髪の手入れをされた後、
「お召し物は洗濯させていただいております。代わりをいくつかご用意させて頂きました」
と、メイドの少女は言った。
目の前にずらりと並ぶ服の数々にマリスはくらくらする思いだった。
「代わりといいますか」
「どうかなさいましたか?」
「良い服過ぎて困ります」
斧を泉に落とした青年の寓話を思い出してしまったほどだ。
「どちらをお召しになられますか?」
「どれも私には勿体ないですよ」
「どちらをお召しになられますか?」
メイドの少女は顔色ひとつ変えずに全く同じ台詞を繰り返した。
どうやら選ばないわけにはいかないようだった。
手に取って、幾つか確かめてみる。
純白のドレスは大きく施された刺繍が派手過ぎだと思った。巫女の装束もあるにはあったがどういうわけか生地が恐ろしく薄く透けており、これも駄目だった。
黒のワンピースが比較的地味で良かった。艶やかで肌触り抜群の生地は丁寧に縫製されており、値段は地味ではなさそうだったが。
着てみたところマリスにあつらえたようにぴったりだった。
鏡の前でくるり、と回ってみる。
裾が僅かに翻ったのが、ちょっと嬉しい。
「よくお似合いです、マリス様」
無表情なメイドの少女がにこりと笑ってくれたような気がしたので、これに決めた。