第23話「少女を見る目」
ボロい、と形容してもまだ足りないほどの、さながら廃墟じみた小さな建物の前には長大な列ができあがっていた。
列の先頭の者が建物に入り、しばらくすると出てくる。そうやって列が消化されるペースは非常にゆったりとしたもので、列の最後尾はどんどん後方へズレていき、その建物――聖女の施療院――のある竜災遺棄地区をはみ出すまでになっていた。
「次の方、どうぞ」
崩れかけた壁の内側から、ようやく列の先頭に立った魔族の男に声がかかる。
落ち着いた、優しい声音は若い少女のものだった。
「そちらにおかけになってください」
中に入ると小さな丸椅子を勧められ、腰を下ろす。
椅子の正面にいるおとなしそうな少女は、
「右足ですね」
見た目とは裏腹な堂に入った態度で判断を下した。
「元々は左が悪かったのでしょう。左足を庇っているうちに右足を痛めたのではないですか?」
「……その通りだ。よく分かるものだな」
「おそれいります。では、両足を前に出していただけますか?」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ先生。いや、聖女様」
処女は控えめに微笑んで両手を翳した。両手が淡く発光する。治癒の奇跡の輝きだ。それを見た魔族の男は慌てた調子で制止の声をあげた。
「もう聖女ではないのですけれど、どうかなさいましたか?」
「……俺は聖女様の施療院の噂を聞いて、もしこの足が治るならと思ってやってきたんだ」
「ありがとうございます。ここまでお越しになるのは大変でしたよね」
微笑み労ってくれる少女に対して魔族は居心地悪そうに身じろぎをする。
「列に並んで聖女様の前まで来ておいてこんなことを言うのもなんだが……、俺には謝礼を払う余裕がないのだ」
「できる範囲で結構です。たとえば、この院の補強なり補修なりを手伝っていただくなどはいかがでしょうか。お恥ずかしながら見ての通りのあばら屋でして」
「力仕事か……。今の俺の足じゃあ大した役には立てない。かえって邪魔になるだけだろう」
「大丈夫ですよ」
と少女はあっさりと男の言葉を否定した。
「私が治癒しますので」
少女の両手の光が強まった。狭い室内に光が満ちる。刺すような光ではない。陽光よりも暖かな、柔らかい光だ。
男の右足に手が触れた。
じんわりとした温もりが足に染み込んでくる。枯れ木が養分を吸い上げ生気を取り戻すように、冷たい棒切れめいた足がかつての――思い出すのも困難なくらい昔の――感覚を取り戻していく。
長いようで短い、心地よい時間が過ぎた。
少女の手が離れた時、
「あ……」
男は名残惜しさを感じてしまっていた。
「どうされましたか?」
「いや、なんでも」
「そうですか。では反対の足も」
今度は左足に少女の手が触れた。
「えっ」
「先程申し上げました通り、元々は左足を悪くされていたのですから、こちらも治癒しますね」
言うが早いか少女の手が淡く光る。白い、柔らかな光に包まれた男の脳裏に記憶が甦っていた。母に、もはや顔もおぼろげにしか覚えていない母に抱かれていた頃の甘やかな感覚。思い出すことを忘れてしまうほど遠い過去の思い出だ。
「……っ!?」
気が付けば男は涙を流していた。
いつの間に。
それも人前で泣いてしまうなど。
動揺する彼は、少女に抱きしめられ更に動揺してしまった。
涙を拭おうにも少女の意外に強い腕力に腕ごと抱え込まれて身動きが取れなかった。無理矢理引き剥がすことは可能だろうが、そんなことはできない。できようはずがないではないか。
ほんの数呼吸ほどの、短い抱擁から解放された男は自分を癒してくれた少女の顔を見た。少女は僅かに頬を赤くして俯き加減の上目遣いでこちらを見ていた。目が合う。はにかんだ少女の雰囲気はさっきまでの聖女然としたそれとは程遠いものだった。最初に見た時に感じたおとなしそうな少女に見合った雰囲気だった。
「治った……。噂通り、いや、それ以上だ」
男は何度か足踏みをして治癒された両足の具合を確かめ、驚嘆した。足を悪くする以前よりも調子が良いように思えるほどだった。
「これなら聖女様の言った通り、手伝いをすることができそうだ」
「ありがとうございます。この建物の裏手で子供たちが色々やっていますので、良かったら声を掛けてみてください」
少女の声の嬉しそうな響きに男もつられて嬉しくなってしまう。頑張ろう、という気にさせられていた。
「治療は完了しましたけれど、無理はなさらないでくださいね。少しでも違和感があったらまたいらしてください」
「感謝します、聖女様」
「……私はもう聖女ではないんですよ?」
少女がその言葉を何度繰り返そうとも、もはや男の目には彼女は神の加護と慈愛に満ちた聖女としか映らなかった。




