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第1話「贋物扱いの聖女」

 

 マリスが聖女として与えられていた居室に戻ると、部屋は綺麗に片付けられており、生活の痕跡は殆ど残されていなかった。辛うじてマリスの私物である杖とお守りと僅かな衣類が木箱に詰められ部屋の片隅に置かれていた。


「……すごいなぁ」


 あまりの手際の良さに感心して思わず声が漏れた。

 一刻も早く出ていけ、という無言の圧力を感じ、マリスは身体を震わせた。細い腕を自分の手で抱きしめ、思い出す。はじめてこの部屋に来た時には家具も調度品も全て整えられていて、そのあまりの豪華さに驚いたものだった。くるぶしまで沈みそうな毛足の絨毯を恐る恐る踏んで部屋の中を歩いたんだったか。部屋仕えの年上の女性に、足りないものはございませんか、と尋ねられ、何が足りないかもわからなかった。礼儀作法の勉強が辛くて枕を濡らした日もあった。上級貴族のパーティで、目が眩むほどきらびやかな世界にあてられて発熱して具合を悪くして、この部屋の大きなベッドに寝かされていたこともあった。結局未だに貴族がたのあれこれには慣れていない。


 だが、それら全て、もう過去の話だ。


「もう、ここには居られないものね」


 マリスは荷物をまとめて小さな肩掛けバッグに詰め込み、部屋を出た。ドアを閉め、五年間を過ごした部屋に深く一礼。口の中で聖句を唱え、感謝を捧げる。


 廊下を進んでいると、王宮内で働く者や貴族とすれ違うことが幾度もあった。けれど皆一様に目を逸らした。聖女であった頃は、誰もが足を止め笑顔を向けてくれていたというのに。聖女と言う肩書を最悪の形で失ったマリスには誰も関わろうとはしなかった。涙が零れそうになったが、泣いたら駄目だ、と思った。何が駄目なのかはわからないけれど、泣くのだけはどうにかこらえた。


 毅然とした態度で王宮を出て、マリスは歩いた。

 歩き続けた。

 行き先などなかった。


 一瞬、十歳まで面倒をみてくれた修道院のことが頭を過ぎった。だが、すぐにそれはできないと思い直した。偽物の烙印を押されたのだ。修道院に戻ればどんな迷惑をかけることになるか想像もつかない。それに一抹の不安もあった。修道院の皆から拒絶されるかもしれない、という不安。とても恐ろしい考えだった。そんなことはないと信じたい。信じたいけれど、もし拒絶されたらと思うと、修道院の方へ足を向けることはできなかった。


 だから歩いた。

 王都を出て、街道をただ歩いた。

 目的地は無い。

 生きる目的は完全に見失ってしまったから。


 街道の舗装が悪くなり、周りに田畑や家がなくなった頃、マリスは道沿いに生い茂った草むらの中に倒れ伏した。どれだけ歩いたのか、空には夜の帳が降りて、幾つもの星がきらきらと瞬いていた。


「疲れたなあ……」


 呟く。


「いやだなあ……」


 たった一日でマリスの人生は急転直下の勢いで奈落の底へ堕ちた。聖女として生きてきた五年間を全て否定された。偽物扱いされて。私の治癒の力は神様がお与えになったもの。今もこの手の中にある。神の恩寵さえ偽物とされた。この力で多くの人を救ってきた。自分の使命だと信じていたから積み上げてきた。確かな実績までも彼らにとっては偽物なのだろう。

 どれもこれも、国王のたった一言で覆されるような、積み木細工に過ぎなかったというわけだ。マリスの五年間は贋物という評価と共に幕を閉じた。


「死んだら楽になるのかなあ……」


 なんとなく口にした言葉だったが、ひどく魅力的で、甘美な響きがあった。何もかも投げ出してしまいたい。そう思った。


 この時、何事もなければ、マリスは死へと舵を切っていただろう。

 だが、


「死ぬのは少々お待ちいただけますでしょうか?」


 マリスを止める者がいた――


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