第16話「聖女とお休み」
マリスの城下への外出頻度はすっかり増えていた。
日中は宮殿にいないことの方が多いほどだ。
朝食を摂って、ヌルからの報告事項――主に会議の日程などだ――を聞くと、魔都の城下町へ繰り出すのがほとんど日課となっていた。
護衛のヌルと並んで街を歩く。
メイドを連れた黒衣の人間の少女。魔王四天王の一席に就いた人間の聖女の存在は、城下ではすっかり有名になっていた。
「聖女様こんにちは」
「あっ、はい。こんにちはっ」
通りすがりに声をかけられることも増えた。
「もう聖女ではないんですけれど」
「肩書ではないのです、マリス様」
ぽそりと呟いたマリスの言葉をヌルが否定した。
いつもの無表情のまま、彼女の専属メイドは言う。
「マリス様の日々の行いを見た者たちがそう呼ぶのですよ。肩書などではなくて」
「私、特別なことはしてないですよ?」
「……」
ヌルが無表情のまま固まったようにマリスには見えた。
「あの? ヌルさん?」
「……恐れながら申し上げます」
珍しく躊躇いがちにヌルは口を開いた。
「は、はい。なんでしょうか」
「マリス様はご自身の振る舞いがどういった意味を持つかお考えになられた方が宜しいかと」
「はい?」
マリスは首を傾げた。
ヌルの言う「自身の振る舞い」とはここのところ城下町で時折治癒の奇跡を行っていることだろうとは理解できる。それが? 人の傷病を癒すのはマリスにとってはいつものことだ。
困惑顔のマリスに、ヌルは一礼。
「どうかご無理はなさいませんように」
「あっはい。ありがとうございます。気を付けますね」
そう答えながら、マリスはふと思った。
「魔界でも、体調が悪くても無理する方が多いですね」
王都でもそうだった。人は無理をする。そうしなければならない理由があるのだと思うけれど、身体を大切にして欲しいという気持ちもある。
「魔族は丈夫にできておりますので」
「一度体を壊すとなかなか治らないのできちんと休んでいただきたいです」
「……」
ヌルの無表情がギシ、と固まった。
「おかしなことを言いましたでしょうか?」
「……マリス様こそ、きちんとお休みになってくださいませ」
「?」
マリスはヌルの発言の意図が分からず小首をかしげるのだった。
マリスにとって魔族領での「お休み」とは市場での買い食いに他ならなかった。見たことのない食べ物や料理が並ぶ屋台はいつでも魅力的だ。買い食いを咎める者もいない。むしろヌルはマリスにしっかり休むよう勧めてくるほどだ。
屋台のベンチに座った。今日のおやつは肉だった。食欲をそそる香りを放つ肉の塊を小麦粉を練って作った生地で挟んで焼いたもの。おやつというよりは主食のような逸品である。ヌルが「しっかり栄養を摂ってください」と選んでくれたのだった。ちなみに今日はマリスが自分の財布から支払った。
焼き色のついた生地を両手で持って、マリスはヌルに尋ねた。
「これはどうやって食べるのですか?」
「そのままかぶりついてください」
マリスはやや躊躇いがちに口を開いた。生地と一緒に肉を噛み切る。想像していたよりもずっと簡単に肉は柔らかかった。甘辛い味付けのソースと肉汁が生地に染み込んでおり、気が付けば手の中のおやつはすっかりなくなってしまっていた。
「……あ」
「お気に召されたようでなによりです」
ヌルにしっかり観察されていたらしい。恥ずかしくなってマリスは俯いた。
「おかわりをお持ちしますか?」
「そ、そんなに食いしん坊じゃないですっ」
「左様ですか」
「お茶くらいでしたら入りますけど」
「……」
「いま、笑いましたっ!?」
顔を赤らめながらマリスはヌルを睨んだが、彼女のメイドは全く意に介さない。
「いいえ。めっそうもございません。お茶を買ってまいりますね」
「むぅ。あの、これ、財布です。これでお支払いお願いしま――」
財布を手渡そうとした時だった。
ふたりの手の間を小さな影がすり抜けて行った。