第14話「聖女と散歩と果物と」
衛兵の丁寧な挨拶に恐縮しつつ、マリスは正門をくぐった。宮殿の外に出るのは、シャルムに連れられて魔界を訪れた日以来、しばらくぶりのことだった。「気晴らし」には丁度いいかもしれない。
マリスはひとりで城下を散歩するつもりでいたのだが、それは許されなかった。許してくれなかったのは側仕えのヌルである。
「護衛として同行させていただきます」
そう宣言するヌルはいつものメイド服姿ではなく、どこにでもいそうな町娘風の恰好に着替えを完了していた。これはこれで似合っている、とマリスは思う。
「私に護衛って、必要ですか?」
護衛がつくこと自体には慣れていたので嫌ではない。聖女として戦地や慰問先へ赴く際には騎士や兵士がマリスの周辺をがっちり固めたものだった。単独行動は認められず、いつも誰かの目があった。
けれど今も護衛が必要なのか、という疑問はあった。
ヌルはいつもの無表情でマリスの問いに簡潔に答えた。
「必要です。マリス様は目を引く容姿ですので」
「……そんなに目立ちますか?」
自分の容姿は全然目立つ方ではない、とマリスは自覚している。聖女という肩書がなければ十人並みのどこにでもいる女の子なのだ。ぽつんとひとりで立っていれば聖女と気付かれないのではないか、と大勢の護衛に囲まれている時には考えたものだった。
「魔都で人間は目立ちます」
「あっ」
ヌルに言われてようやくマリスは王都と魔界では事情が違うということを察した。いくら平均的な容姿だといっても、魔界で“人間”という種族はひどく目立つ。恐らくマリスの他に人間はいるまい。
「魔都に危険な地区は多くありませんが、念のためお側につかせてください」
「わかりました。宜しくお願いします」
昔に比べれば、今のこの、同行者が側仕えひとりというのは気楽であるし身軽でもあった。マリスは側仕えのメイドの細やかな配慮に感謝して町へ繰り出すのだった。
魔都には魔界中からあらゆる物が集まってくる。
モノが集まってくるからにはそれを運ぶ者も同じように集まってくる。魔族、獣人、異形。様々な種族が闊歩している間を歩きながら、「人間は目立つ」と言ったヌルの言葉の意味を改めて思い知っていった。
少なくともマリスの知る限りでは、王都には人間しかいなかった。そしてそれが普通だった。誰も気にしていなかった。普通だから気にすることもなかった。今、魔都でこうして多種多様な種族が行き交う様を見ているから、記憶にある王都の景色との差異が気になるのだ。
差異といえば建物の造りも随分と違っていた。魔都の建物は平屋建てのものが殆どだった。高さがあり、入り口の扉も大きい。どうしてだろうか、と思っていたら中から大型の亜人――単眼巨人が出てきて合点がいった。彼らのような巨躯の者や翼持ちの獣人が出入りしやすいようにという配慮からなのだった。
「今日は市場が賑わっているようですので、ご覧になりますか?」
そう言ってヌルは迷い無い足取りで住宅街らしき区画を抜けていく。
すぐに露店と屋台がひしめき合う市場に辿り着いた。
到着するなりヌルが告げてきたのは、
「魔王様から『好きなものがあったら遠慮せずに買うがよい』とのご伝言です」
「は、はあ」
一体いつの間に魔王とそんなやりとりを、と思うマリスにヌルは更なる一言。
「お財布を預かっておりますので」
「……え? それ魔王様の?」
「はい。魔王様は『儂も行く』と仰っていたのですが、そういうわけにも参りませんので財布だけ接収、もとい、お預かりしてきました」
「わ、わぁ……」
魔王様はなんでついて来ようとしたんだろう。マリスには偉い人の考えることはよくわからない。昔からそうだった。あと今、ヌルが接収と言ったような。
「予算は無限にあります。マリス様は心行くまでお買い物をご堪能くださいませ」
「無限……」
いいのだろうか。そこまで甘えてしまって。
ヌルはこくり、と頷いた。
いいらしい。
「じゃ、じゃあちょっと見て回りますね」
マリスは目をきらきらさせながら露店を端から順番に回っていく。肉、野菜といった食材。衣類に雑貨。本や巻物といった書物の類。武器や防具。使途不明なナニか。宝飾品を扱う店もあった。
マリスは懐かしい気分になっていた。
聖女になる前、まだ孤児院で暮らしていた頃だろうか。あの頃は自由になるお金などなかった。とはいえ当時のマリスは浮浪児と見間違うくらいの汚い身なりだったため、露店を覗こうとすると万引き泥棒扱いされたものだった。それでも、孤児院の仲間たちと市を見て回るのは楽しかった。
今の気分は当時のそれに近かった。
「いかがですか?」
「こんな風に市を見て回るのってすごく久しぶりで、えへへ。見てるだけで楽しいです」
問いに笑顔で答えると、ヌルは一瞬驚いたような顔をして、すぐにいつもの無表情に戻った。そんな顔もするんだな、と思ってしまうマリスだった。
「御興味を引かれたものはございましたか?」
「えっと、あの果物屋さんにはじめて見るものがあって……」
他の露店の品々も大概は見たことのないものばかりだったのだが、マリスが気になったのは果物だった。ゴツゴツした茶色の皮に覆われていて果物かどうかも定かではないし、どうやってたべるのか見当もつかなかった。
マリスがあの茶色の、と言っただけでヌルは得心したようだった。
「食べやすいですし、甘いですよ。召し上がりますか?」
「いいんですか?」
「予算は潤沢です」
ヌルは魔王の財布から躊躇なく支払いをおこなう。
果物屋の店主は恰幅の良い角の生えた魔族の女性だった。ヌルがこの場で食べたい旨を伝えると、大振りの包丁を鮮やかな手捌きで操り固そうな皮を剥いてみせた。剥くというよりは斬り飛ばすという表現が適切な勢いではあったが。
皮の内側は瑞々しい朱色をしており、店主が食べやすいようにカットしてくれ、木の皿に載せて供してくれた。
食べてみると微かな酸味とすっきりとした甘みが口内いっぱいに広がり、自然と口元が緩んだ。マリスひとりで食べきるには多かったので、ヌルにも協力してもらって完食した。
その時だった。
果物屋の露店で、何かが崩れる音がした。
かなりの重量物が倒れ、商品の果物の棚もドミノ倒しになっているようだった。
「どうしたんでしょうか……」
「店主が滑って転んだようですね」
ヌルの言葉通り、果物屋の女主人は売り物に塗れて地面に倒れ伏している。滑って転んだだけにしてはいつまでも立ち上がる気配がない。
嫌な予感がする。マリスは反射的に露店に駆け寄った。倒れている女主人に躊躇なく近付いた。手で、そっと額に触れる。神の奇跡に頼らずとも、彼女の身体がひどい熱を持っていることはすぐに解った。
「ちょっとアンタ、何を」
「静かに……!」
「っ!?」
マリスは有無を言わせず、癒しの奇跡を行使する。果物が散乱し半ば崩壊した露店の真ん中に神の奇跡が顕現した。ほんの数瞬マリスの手が淡く輝き、真っ白な光が最高潮に達すると、女主人は全快した。熱は引き、転んだ時の擦り傷と打ち身も消えている。
「えっ? 身体が?」
身体を包んでいた倦怠感も、転んだ痛みもどこかにいっていた。快癒したことに驚愕の表情を浮かべる魔族の女主人に、マリスは眉尻を下げて懇願した。
「あの、仕事をお休みできないのはよくわかるのですけれど、どうか無理はしないでくださいね」
「はい。あの、あなたは一体」
誰何に応えない代わりにマリスは笑みを返した。
「果物とても美味しかったです、ご馳走様でした。――ヌルさん、帰りましょう」
そそくさと市場を後にする。
つい勢いで癒しの奇跡を行使してしまったけれど、果たして良かったのだろうか。
そんなことを考えていると、いつの間にかヌルがぴたりと真横に並んでいた。
「あの、ヌルさん。その、ごめんなさい、つい……」
「謝る必要はございません」
「え……」
「問題ございません。我らの眷属に癒しの奇跡を与えていただき、ありがとうございます」
マリスからは礼を述べるヌルの顔はよく見えなかった。