第10話「聖女と自由」
魔王の配下、それも四天王の職を奉じることになって、数日が経った。
宮殿に与えられた自室で朝食を摂りながらマリスは少々焦っていた。
四天王に任じられたものの、まだそれらしい仕事を何もしていないのである。
聖女の務めを果たしていた頃は、治癒の奇跡を施して欲しいという依頼がひっきりなしにやってくるのが常だった。手を、体を、動かしているのが当たり前の日々。怠惰を貪るなかれ、と神の教えにもある。働いていなくても朝食は美味しいけれど、後ろめたく落ち着かない気分になってしまう。
仕事に関して魔王から明確な指示は出ていない。それどころか「しばらくのんびり過ごせばよい」とまで言われているのだが、甘えてばかりもいられないとマリスは思っていた。
傍らに控えるメイドのヌルをちらりと盗み見ると、感情の読み取れない双眸と視線がかち合った。
「どうかなさいましたか、マリス様」
「あ、あの、ちょっと教えていただきたいのですけれど」
「はい」
「四天王のお仕事って、どういったものなのでしょう?」
「特には決まっておりません」
「……え?」
戸惑うマリスから視線を外さず待機の姿勢のままヌルは淡々と言った。
「マリス様のなさりたいようになさったらよろしいかと。会議のある時以外は、四天王の皆様はそれぞれご自由になさっておられます」
「……ご自由に、ですか」
知らなかった。
魔界では、仕事は勝手にやってくるものではないらしかった。
そして同時に困ってしまった。
自由にしろ、と言われてもどうすればいいのかわからない。
自由。
これまでのマリスの人生には存在しなかった概念だった。
聖女に課せられた義務と責任。神の恩寵を以て人々に尽くすことが求められた。自由時間が割り込む隙など一切無く、聖女の務めを果たすためのスケジュールは毎日事細かに決められていたし、スケジュール通りに日々過ごすことを苦痛に思ったこともない。予定が無いことに、かえって戸惑いを覚えてしまう。
「一体どうすれば……」
「マリス様のなさりたいようになさったらよろしいかと」
ヌルが先程と一言一句違わぬ返答を繰り返した。
やりたいようにやればよい、と言われてもマリスは途方に暮れるほかない。白紙の地図を渡されて旅をしろと言われているような気分だった。押し黙ってテーブルの上に置かれたティーカップの底を見つめていると、見るに見かねたのかヌルがお茶のおかわりと共に助け舟を出してくれた。
「――他の四天王の方々の仕事ぶりをご覧になられてみてはいかがでしょうか」
「そっ、それは素敵な考えですね!」
シャルムやカメリアら、先輩の働いているところを見せてもらうのはきっと参考になるはずだ。優秀な側仕えメイドの素晴らしい提案に感謝を捧げる一方で、重大なことに気が付いた。
「皆さん、どこでお仕事なさっているんでしょうか……」
マリスはシャルムたちの働いている場所を知らない。魔王の宮殿内であることは間違いないにせよ、宮殿は広大で、そしてマリスはいまだその全容を把握できていないのだった。
「私が探して見つかるものでしょうか?」
「……」
「宮殿内を下手にうろつくと迷子になりますよね、きっと」
「……」
「どうしましょう」
「……マリス様」
「はい?」
「側仕えに命令してはいかがかと存じます」
「えっ」
「案内せよ、と仰ってください」
「い、いいんですか?」
「……」
ヌルは無言を返すのみだった。
マリスはおずおずと命令――というかお願いをした。
「じゃ、じゃああの、ヌルさん。お願いします。シャルムさんたちのところへ連れて行っていただけますか?」
「はい。よろこんで」
こうしてマリスは四天王のもとを訪ねることになった。