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第9話「王子殿下と新たな聖女」


 贋物の聖女が去り、新たな聖女の誕生が王国中に広く知らしめられ、十数日が過ぎた。


 王都の中央に位置する王宮。

 その中庭の四阿(あずまや)で、一組の男女が優雅なひとときを過ごしていた。

 アフォカトロ王子と聖女セシリアである。


 美男美女が朗らかに談笑している姿は中庭の美しさと相まって一枚の絵画のようですらあった。惜しむらくはふたりの顔が近寄り過ぎている点だろう。頬が触れ合うほどだ。婚約しているとはいえ、王族・貴族という彼らの立場にあるまじき距離感であった。だが、それを咎める者は近くにいなかったし、咎められるような者自体、王宮には殆どいない。


「聖女の立場にはもう慣れたかな?」

「慣れるなど冗談ではありませんわ」


 アフォカトロ王子の何気ない問いに、聖女セシリアは端正な顔に笑みを貼り付けたまま、暗く濁った感情を吐き出した。


「あのような狭い部屋に押し込められては、息が詰まって仕方ありませんわ。貧乏臭い匂いも染みついていますし」


 聖女の居室は代々引き継がれているため、室内の家具は変更できても部屋そのものは同じだ。聖女セシリアの住まいは、贋物の聖女マリスがかつて使用していた部屋なのだった。侯爵令嬢として生を受け豪奢を極めてきた彼女からすれば、王宮内の居室とはいえお下がりが与えられるなど屈辱でしかなかった。


 一方で貴人の最高位である王族のアフォカトロ王子は聖女セシリアのそうした負の感情には気付かない。良く言えばおおらか、悪く言えば他者の心の機微に疎い。自分のことにしか興味がないのだ。


「ははは、近いうちに改装させようか」

「改装よりも、王子殿下と私のお部屋を作ってくださいまし」

「それもそうだ。一度陛下に相談してみよう」


 聖女セシリアの不満はまだ収まらない。

 彼女は自分の服を傷ひとつない指先で撫でながら見下ろした。


「この装束の安っぽさといったら、お話になりませんわ。こんなゴワゴワした生地、テーブル拭きでももう少しマシでしょう」

「そんなにひどいかい?」

「王子殿下も一度お召しになられたらすぐにおわかりになりますわ」


 王位継承権者に対して無礼極まる物言いだったが、アフォカトロ王子は気にも留めない。こういう気性の女性だとは承知の上で婚約している。


「王国を支える聖女に対する処遇として不適切極まりないと思いますの」


 代々聖女たちは服にも部屋にも何一つ不平を述べてこなかったという事実はあるのだが、今代の聖女であるセシリアは知る由もない。


「聖女には立場に相応しい処遇を与えるべきです」


 当の聖女本人が言うのだから大した面の皮だ、とアフォカトロ王子は内心で呟いた。傲慢がそれこそ服を着て歩いているような侯爵令嬢が新たな聖女に選ばれたのには至極単純な理由があった。

 アールンド侯爵家が己の発言権を強めるために擁立したのだ。自家から聖女を輩出したともなればそれだけで権勢は高まる。アフォカトロ王子との婚姻も合わせればその地位は盤石になる。


 この案はアフォカトロ王子の元に持ち込まれ、彼自身が承認した。

 王子にとっても魅力的な提案だった。アールンド侯爵家は領地に広大な農地となかなかの採掘量を誇る鉱山を抱えており、商会の規模も年々大きくなっている。王宮内での発言力も小さくなく、今後、自身が玉座につく際の後ろ盾として結びつきを強めておくのは良い手だと考えた。

 傍らに立つ伴侶としても、孤児院育ちの平民より貴族令嬢の方がずっと見栄えがよく、対外的に好ましいと思えた。聖女の力は確かに重要だ。しかし治癒の奇跡が代替できないわけでもあるまい。神殿には治癒術の使い手が数多く在籍しているのだから、必ずしも聖女の奇跡に頼らずともよい。

 幸い、セシリアにも治癒術の心得はあった。幼少期に神殿で僅かばかりの期間修業を積んでいたのだ。


「聖女の在り方については、僕が即位した後に改善していければいいと思っているよ。アールンド侯爵に力添えいただきながら進めたいと思う」

「すぐには無理ですの?」

「急にあれこれ変えるのは、反発もあるだろうからね。君の御父上に迷惑をかけるわけにもいかない。お忙しくしているようだし」

「ええ、あれこれと足を掬おうとする輩が多いようですわ」

「聖女の君がいるんだ。アールンド侯爵家の権勢は揺るがないよ」

「だといいのですけれど」

「不安かい?」

「先代の贋物のように居場所がなくならないようにしたいですわね」

「ははは」


 いかなアフォカトロ王子といえど、侯爵令嬢を相手にマリスにしたような真似はできない。失うものが大きすぎる。第一得るものが無い。


「参考までにお伺いするのですけれど、その贋物の聖女とはどのようなご交流を?」

「今、君としているようなことさ。お茶を飲んで話をする」


 こんな明け透けで真っ黒い会話ではなかったが。


「聖女の務めの話が殆どだったよ。呆れるほどの人数を治癒をしていたから、話題には事欠かなかったみたいだ」

「正気の沙汰とは思えませんわね。私に同じことを要求しないでくださいましね」

「しないよ」


 真似してできることでもない、とは思ったがアフォカトロ王子はそれを口にするほど愚かではなかった。


「婚約者にあまり頑張られるとこちらが気疲れしてしまうよ」

「残念な王子様もいらっしゃいましたわね」

「無理をしても長続きはしないよ。一生王族としてやっていかなければならないんだから」

「確かに仰せの通りです。適度な息抜きも必要ですわよね」

「近いうちに観劇にでもいかないかい?」

「聖女がそのような娯楽を楽しんでもよいとお思いですの?」

「ああ。贋物マリスもそんなようなことを言っていたね。清貧を尊ぶべしとか、享楽に堕してはならない、とか。やめておくかい?」


 聖女セシリアは聖女の戒めを鼻先で笑い飛ばした。


「御冗談を。是非ご一緒させてくださいな」


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