違和
かぽーん。
午後。何故か俺は温泉に入っていた。
それも、冴えない男と一緒にだ。
「まさか客が一人もいないなんてな……」
貸切状態の露天風呂。呟くだけで声が響く。
都合のいい後輩を得て意気揚々と近所の温泉に向かったのだが、いざ透過して浴場を覗き込むと、人っ子一人の気配すら感じられなかったのだ。
「だから言ったじゃないですか!」
「え、何? 俺に口答えするの? 死にたいの?」
「すみませんでしたァ!?」
せっかく来たのに帰るのもなんだし、最近やたらと疲労が溜まるので、露天風呂で身体を休めることにした。
店の人は居なかったが湯は健在だ。こうして男二人が温泉に浸かっているというわけである。
ちゃっかり防犯カメラが起動してたので、ソバカスのスキルで透明になってすり抜けてきた。ソバカスの悪い子。捕まっちまえ。
タオルを頭に乗せ、寛ぎながら感心する。
「でもお前のスキル、触れた対象も透過できるんだろ? やっぱり俺の目に狂いはなかった。今度ちゃんと下調べして、人が居そうな温泉まで覗きに行くぞ」
ソバカスのスキルは触れている物や人間にも作用する。一分ごとに1ライフを消費するらしく、燃費は思ったより良い。やはり有能なスキルである。覗きし放題である。
「クズですね先輩」
「馬鹿、男の浪漫と言え」
かぽーん。
俺の目の前には丸いの水塊が浮いていた。
水中で〈結界〉をつくり、持ち上げるようにイメージしたものだが、ソバカスには水を扱うスキルにでも見えているかもしれないな。
基本となる〈結界〉の大きさは、一辺が三十センチ程の立方体だ。それは〈結界:立方体〉と呼び、今作りだしたこれは〈結界:球体〉でいいか。
俺のスキルは基本、この〈結界〉をイメージして作り出すのに1ライフを消費する。複雑な形、硬度、大きさなどを特別に意識したもの――〈攻撃結界〉や〈防御結界〉とか――を作るには、難度に準じて2ライフからそれ以上消費する。
イメージが完全に絶えると消滅するのだが、継続している限りはライフの消費が少しで済むらしい。今も家を囲って守る〈防御結界〉は、頭の隅で意識し続けているおかげで継続し、ライフの消費も抑えられている。
つまり何が言いたいかというと。
ライフ1で作り出すただの〈結界〉であれば、継続するのに必要なライフはほぼゼロに等しい。これを動かして殴りつければ雑魚い魔物は倒せそうなので、常にイメージして傍において置くことが出来るようになれば、究極のライフ節約術になりそうだってこと。
イメージしやすいからやってた〈攻撃結界〉で囲んで圧縮させる戦法だが、これからは控えようと思う。
「それにしても、先輩のスキルどうなってるんですか?」
「知りたい?」
意味深に笑みを返すと、ソバカスは「やっぱやめときます」と頬をひくつかせた。賢明な判断だ。
俺はまだお前のこと信用してないからな。
ステータスについて語らうのは時期尚早だろう。ソバカスのステータスは脅して喋って貰ったけどね!
かぽーん。
「へえ、お前ん家はみんな無事だったんだな」
「そうなんですよ。俺に掴まってればスキルで透明になりますからね、そのまま家族を避難所まで運んだんですよ」
透明スキル様々である。やっぱ願望が『覗き魔』の奴は違えよ。神聖なる七夕で覗きたいって書いてみるもんだなホントに。しゅげえや。書いたお前も、叶えた神様も。
「避難所?」
「知らないんですか? ここらじゃ三箇所、学校と工場と病院ですかね。自衛隊と警察、一部のスキル持ちが守備してるから、家に籠ってるより安全ですよ」
「へえー。でも魔物より人間の方が怖いだろ。俺は家にいた方が安全だと思うけどな」
「先輩の家を見た後だと否定できないのがまた……あ、因みに知ってますか? 学校は【雷の勇者】が守ってるらしいですよ!」
「おまっ、勇者ってあの勇者か!? 今SNSで三人の勇者って言われてる、あのっ!?」
「ちっちっち〜。先輩、遅れてますねぇ。今は五人の勇者になってるんですよ」
「マジか。ソバカスのくせにムカつくな」
朝一番に見た時は三人だったろ。情報が拡散されるスピードがえげつないな。流石ネット社会。
「マジもマジです。その一人がなんと、この県のこの市の近所の高校にいるんです。すごいですよね!」
「へえ、気になるな。この後行ってみるか」
どんな人間なのか、一目見てみたい。
純粋な興味からそう提案したら、ソバカスは胸を抑えて苦しみ始めた。
「ウッ」
「どうした?」
「学校に行くってなると拒絶反応が……」
「筋金入りの不登校だなおい。俺も学校嫌いだからわかるけどさ……ああもう、いいよまた今度で」
予定を引き伸ばすと拒絶反応が収まったらしい。ケロッとした顔がまたウザいな、無性に殴りたい。
いい感じにのぼせてきたところで俺は立ち上がった。ふと違和感を覚えて、自分の胸板に目がいく。なんだろう、何かが足りない気がする――あ。
「そういや、痣が消えてる」
「痣ですか?」
「そうそう。産まれた時から胸にある大きな痣。なんで消えてんだ……? 」
首を傾げたその時、二の腕に激しい痛みが奔った。
「ッ、いってえ……」
「おわ、その怪我どうしたんですか!?」
ソバカスが顔を青ざめさせて指摘する。
俺の二の腕には痛々しい一筋の切り傷が奔っていた。血がボタボタと垂れ、湯に滲んで溶ける。
「あー。よくわからんけど、たまにあるんだよね」
ソバカスが動転してるとこ悪いが、俺としてまたかーって感じだ。俺の身体ってふとした拍子に裂傷が奔って、血が吹きでるんだね。不思議、なんでだろ。
「たまにあるって、それ大丈夫なんですか!?」
「平気平気。気がついたら消えてるから」
何でもないように答える俺に、化け物でも見ているかのような目を向けてくるソバカスだった。
※※※※※※※※※※
七月七日。七夕の日。
学校の友達と七夕祭りに来ていた鳴宮ひよりは、複雑な心境で大流星群を見上げていた。
「……またやっちゃった」
思い起こされるのは、放課後の出来事。
幼馴染のくずたに誘いを断られた。それもそうだ。あんな酷い誘い方、癪に障るに決まってる。本当はもっとお淑やかに、ちゃんと向き合ってって、そう思っていたのに……また、失敗しちゃった。
「あたしのバカ……くずたもバカ、バカ……」
葛原玲太という男を前にすると、ひよりは素直じゃいられなくなる。昔は毎日一緒に遊んでいた仲だったのに、いつからこうなってしまったのか。
誘ったのは罰ゲームなんかじゃなく、純粋にこの景色を共有したかったから。けっこう勇気を振り絞ったのにひどい。くずただって悪いのだ。それに、少しでもくずたが元気になればって。
「くずた……」
これは、本当は彼と見ようとして、叶わなかった景色。ひよりは心から楽しむことができなかった。
「え、なに? 今なんか言ったひより?」
「ううん、なんでもない! 綺麗だねって!」
「ねー! すごいっ、これ絶対映えるから写メ撮ろうよ、ほらひよりもっと笑って、はいチーズ!」
空を埋め尽くす大流星群がピタリと止んだその時。空に罅が入るのを見た。罅は広がって黒い穴を開ける。穴からは見たこともない生物が出てきた。
「なに……あれ……」
誰かが呆然とこぼした。
黒い穴は瞬く間に増えた。右に、左に、上に、後ろに、目の前に。穴から怪物がいっぱいでてきて、無差別に人を襲い始めた。テロでも起きたのかと言わんばかりの悲鳴が上がる。
「ヤバいってあれ、逃げるよみんな! 動画撮ってる場合じゃないって! ほらひよりもぼーっとしないで!」
「う、うん!」
聞いた事のない警報が街中に鳴り響いていた。
悲鳴は悲鳴を産み、人が沢山倒れていた。
道路では車が炎上、交通は機能を停止した。
警察や消防が駆けつけても手に負えなかった。
一夜にして世界は変わってしまった。
死に物狂いで逃げ込んだ学校は、災害時の避難所としての役割をしっかり果たしていた。地獄のような夜を過ごし、避難してきた人達から色々な話を聞いた。
ステータスのこと。スキルのこと。願望のこと。称号のこと。魔物のこと。RPGのようなファンタジーな世界、と言われてもピンと来ないが、要するに漫画やアニメの世界のようになってしまったらしい。
そして、ひよりのステータスには。
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名前:鳴宮 ひより
英雄願望:『拗れた恋慕』
レベル:1
ライフ:50
第一スキル:〈原初:雷〉Lv1
第二スキル:なし
第三スキル:なし
ギフトスキル:〈勇気〉
ギフトスキル:〈スキルの蕾〉→開花条件『告白』未達成
称号:【七番目】【雷の勇者】
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称号:【勇者】の文字があった。
友達にひっそり告げると、驚いて「勇者!?」と声を上げてしまい、すぐに情報は周知されることに。
どよめき、憧憬、羨望、安堵の空気が広がった。
よかった。これで避難所は大丈夫だ。
勇者がいるなら守ってもらえる。
警察なんかよりよっぽど頼りになるな。
もう安心だ。よかった。よかった。
この瞬間、ひよりの肩にはとてつもなく重い何かがのしかかった気がした。それは重責。力がある者の責務として、人々を守らなければという責任の重さ。
戦わないという選択肢はなかった。
正門に簡易的なバリケードを設置し、夜通しで魔物を退けていた警察や勇気ある志願者達に合流、凄いスキルを持っていることを説明。
最初こそこんな若い娘が、と憂慮の視線を集めたものの、ひよりがスキルを使って魔物をいとも簡単に黒焦げにしてしまえば、すぐに戦力の要として認められた。
ひよりのスキルは圧倒的だった。
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〈勇気〉
称号:【勇者】を獲得したものに与えられるギフトスキル。恐怖に耐性がつき、勇気が湧き上がる。
・恐怖耐性。勇敢補正。
・獲得経験値、獲得ギフトが5倍。
・身体能力強化。
・限界突破。
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戦い方なんて知らないのに。ゲームのことだって詳しくないのに。ギフトスキルで恐怖が和らぎ、立ち向かう勇気を得られたのも大きいだろう。死体が残らない点も、殺生を忌避せずにすんだ。
ひよりは尽く魔物を退けた。
迸る紫雷。時折人の命を奪う絶大な自然の力を、思うがまま操る少女。第一スキル〈原初:雷〉の力を見て、周囲はチートスキルだと褒めたたえた。
モデルの仕事をやっているくらいだ。知名度や美貌も相俟って、誰もがひよりを認め頼りにした。
「あんた今、どこにいるのよ。生きてるよね。ちゃんと避難してるよね。大丈夫よね。……ねえ、くずた」
幼馴染のことが心配でたまらなかった。
それでも学校を離れるわけにもいかなかった。ひよりにはひよりにしか出来ないことがある。かなぐり捨てて走り出すには、背負うものが増えすぎてしまった。
「まだ一人でいたりしないよね……いい加減目を覚ましてよ、くずた」
想いながら、ひよりは魔物を倒し続けた。
一夜明け、SNSやネットに動画や写真がアップされたひよりは『五人の勇者』の一人として有名になっていた。
拡散された情報を見て、動き出した男がいた。