イキった訪問者
「玲兄〜朝ごはんできてるよ〜!」
「あーい」
軽く返事をし、階段を降りながら欠伸をする。
「おはよう、玲太」
「おはよう玲兄!」
「ああ、おはよう」
うんうん。君達はいつも通りだね。
エプロンを巻いて朝食と弁当を作る母さんと、ココアを飲みながらテレビを見ている制服姿の彩奈。うんうん。いつも通りだね。だけどおかしいな?
「玲太もココアでいい?」
「あー、うん。ありがと母さん。ってか彩奈、お前……まさか学校行く気じゃないだろうな?」
「ほえ? いくよ〜?」
何言ってんの? って目で見られたからお前馬鹿なの? って目で返してやった。今も報道を続けているテレビに指を差す。
「ずっとテレビで報道してるだろ。魔物っていう危険な未確認生物がそこら中に溢れかえって、日本どころか世界中が大変なことになってんだよ」
「ほえ〜」
「ちゃんとわかってんのか? 今外に出たら危ないんだよ。普通に死ねるぞ」
「でもさあ、台風の時みたいに連絡網回ってきてないよお?」
「内々で連絡を回すような事態はとっくの昔にすぎてんだよ。みんな自分の身を守るのに必死なの」
「あのね玲兄、彩奈は絶対皆勤賞とるんだあ。おっきな賞状貰えるし、入試に有利になるんだって!」
ダメだこいつ頭に綿菓子が詰まってやがる。
「はあ……母さんからも何か言ってやってよ」
俺が説得を諦め、縋るような目を向ける。台所から俺専用のマグカップを持ってきた母さんは、
「そうねえ。いーい、彩奈? 知らない人に声かけられても、着いてっちゃだめよ?」
「母さん!? 声かけられるどころか、食いつかれるからね!? そのまま腹の中に直行だよ!」
母さんに頼んだ俺が馬鹿だったよ。そうだよな、大型の台風が直撃してものほほんと買い物に出かける人だもんな。父さんも苦労したんだろうな。
「お菓子くれるって言ってもダメ?」
「ダメに決まってるだろお前は小学生か」
「そうよ~。きな粉パンくれるって言われてもダメよ~? うふふ」
「お菓子が妙に古臭いんだよ母さん」
ていうかうふふじゃねえから。笑い事じゃねえから。娘の生き死にに関わる重大な事態だから。
「もしノコノコとついていっちゃったらね~?」
「ノコノコついていっちゃったら……ごくり」
二人してノコノコ言うな。そわそわするから。
「お婆さんに化けてた狼さんに、食べられちゃうぞ~!!」
「「きゃ~っ!!」」
もうヤダこいつら。どうして拉致された先が赤ずきんズ祖母の家なんだよ。急に童話の世界に入るんじゃねえよ。ていうか食べられるってのがあながち間違いじゃないからまたなんとも度し難い。
俺は熱々のココアに口をつける。
「とにかくダメだからな。家から出るな、ていうか俺が出さない。彩奈はもちろん、母さんも藤姉もだ」
「ええ~彩奈学校休みたくな〜い~!」
「今日は買い出しに行こうと思っていたのだけれど……」
「どれだけ駄々こねたってダメだね。俺は父さんに任されてんだ。家族を守れ、お前だけが頼りだってな」
父さんに言わせてみれば俺もマイペースなのらしいが、家族の中では一番マシな部類。だから父さんは俺に言い聞かせてきた。家族を守るのはお前の役目だと。けっこう必死に。
「玲太……」
母さんが目を丸くして、感動したように目を潤ませる。やめろよそんな目で見るな。普段言わないようなことを口にした自覚があるから気恥ずかしい。
と、ピンポーンとチャイムが鳴る。
「は~い、今いきま~す」
母さんがパタパタと足音を立てて玄関に向かった。その姿があまりに自然で、俺は反応するのが遅れた。
「いや今行きますじゃないからね母さん!? こんな時に人が尋ねてくるわけないだろ!」
慌てて追いかけるも、どこまでもマイペースな母さんは既に扉を開けた後だった。
※※※※※※※※※※
小綺麗な一軒家の玄関前で、三人の若い男たちがたむろしていた。堅気を逸してはないが、緩いチャラ男感が漂う近隣大学の学生だ。
「ゴブリン入ってこねえな……」
短髪ピアスの男がそう言って訝しがる先には、一匹のゴブリンの姿が。さっきまで自分たちを追いかけてきていた個体だが、家の敷地内には足を踏み入れようとしなかった。
「どうするよ? 緊迫感出すために必要なんだろ? サクッと半殺しにしてこっちまで引きずり込むか?」
問われた茶髪パーマの男は首を振った。
「まあ大丈夫だって」
「ほ、ほんとかよ。俺はまだ捕まりたくねえぞ」
「ビビりだなーもう」
若干気が引けている様子を見せている帽子マスクの男の背を叩き、躊躇なくインターホンを押す。するとパタパタと家の中から足音が聞こえてきた。
「どちら様ですか〜?」
ガチャり、と顔を出したのは女だった。それも決して若くはないのに輝きを損なっていない美しい女だ。ウサギのエプロンを付けてなかったら母親だと気づけなかっただろう。
おお、と反応しかけた短髪ピアスの男の足を踏み黙らせる。三人は媚びるように頭をヘコへコ下げた。
「すいません奥さん、ちょっと助けて欲しくって」
「外は魔物だらけで、ちょー怖いんスよ! 夜はなんとか公園で隠れてやり過ごしたんスけど、このままじゃ死んじゃいます!」
「家の中だったら襲われないって聞いて、出来ればお宅に少しお邪魔させてもらえないかなーって」
「ほんと急にすみません! お礼なら何でもしますんで、どうかお願いできませんかね!?」
「他の家はチャイム押しても誰も出てこないんスよ! 奥さんだけが頼りなんス! どうか! この通り!」
玄関に押し入って土下座する。すると、
「あらそうなの。大変だったわねえ。何もないところだけど、上がっていって〜」
母親は穏やかな笑みを浮かべて受け入れてくれた。ある程度は拒まれると思っていたから、案外アッサリで拍子抜けするも、男たちの伏せた顔は愉悦に歪む。
「すみません。帰ってもらっていいですか?」
その時だ。
彼らの前に黒髪の少年が立ち塞がった。
「へ?」
「うちはうちのことで精一杯なんで。申し訳ないですけど、出てってください」
言葉は丁寧だが、節々に敵意を感じる。
その少年はまだ高校生くらいの子供で、これといった特徴がなく印象が薄い。背丈だって男らに比べて頭一つ分小さいのに、態度だけはやけに堂々としていた。
茶髪パーマの男は、思わず眉根を寄せる。
「えっと、息子さんか? 君のお母さんは、上がっていいっていってくれてるけど?」
「ダメなもんはダメです。帰ってください」
「あー……」
意味ありげに視線を交わしていると、息子はスッと目を細める。茶髪パーマの男は目敏く悟った。選択肢がこちらにあることを見抜かれた。
こうなったら強行突破だ、と行動に移そうとする男達だったが、
「玲太〜? ママはそんな人に意地悪するような子に育てた覚えはありません」
「かあふぁん……へもほいふら……」
母親がむぎゅーっと頬をつねって息子を黙らせた。
「こいつらじゃありません。さあどうぞ〜、お茶くらいなら出せるから、ゆっくりしていってねっ」
入っていいらしい。
おいおいおい。なんて脳天気な母親なんだ。
男たちは取り繕うことすら必要ないのでは? と感じ「お邪魔しマース」と息子の横を飄々と通り過ぎる。
すれ違いざま、睨めつけるような視線を向けられたから、くつくつとせせら笑ってやった。
「わっ、お客さんだー!!」
リビングには制服姿の少女がいた。息子よりさらに若い。明らかに中学生だが、出るところはしっかり出ていて女の色気を放っている。顔も幼さが多少残るが、かなり可愛い。
母親がお茶を出してくれたので寛ぐ。
テレビでは相変わらず報道が流れていた。生活ラインが止まるのも時間の問題だろう。
「…………」
その間、息子はずっと射殺さんばかりの視線を送り付けてきた。この状況を楽しんでもいいのだが、そろそろ煩わしいので気持ちを切り替えよう。
「んじゃそろそろはじめよっか」
茶髪パーマの男は、唐突にそう言って立ち上がった。何するのー? と興味津々な娘とにこにこ微笑む母親だが、……おいおい、こいつら本当に呑気だな。
「いやあ、まさかこんなにうまくいくとはね。君ら知ってるよね? 今、日本全土で人が死んでるんだぜ? 」
にやにやが止まらない。
とんでもない世界になったもんだ。
一人一人にゲームみたいなステータスが設けられ、ギフトを消費して異能が使えるようになった。茶髪パーマの男は自分のスキルを知り、真っ先に試したのが『人に効くのか否か』である。
「家の中で一人や二人、死体で見つかったって誰が人間を疑う?」
そしてこの作戦を思いついた。
母親と娘は「はえー」と口を開くばかり。
やはりというか、言葉を返したのは息子だった。
「確かにな。そもそもこんな状況じゃ警察は機能しない。それで? お前らホントは何しに来たんだ?」
何をしに来た? 愚問だな。
「少し前に夫を事故でなくした未亡人と娘二人。話には聞いてるぜ? 物凄い美形揃いの一家だってな」
男たちの顔には、ゴブリンより醜悪な笑みが張り付いていた。
茶髪パーマの男がギフトを2消費する。するとバチッとスタンガンのような音がして、息子が壁を背に膝をつく。
「っ、……やっぱあんたら、有用なスキル持ちか」
身体が痺れて自由が効かないのだろう。息子は呻くように言った。知ってて家に招くとは具の骨頂よ。
「正解。俺の第一スキル〈電気ショック〉――要するに俺はスタンガンが使えるわけだ。しかも素手で、対象に触れずともね。それじゃあそこで指をくわえて見てなよ、母親と妹が犯されるのを」
「おいおい、利き手だけは自由にしてやれって。オナニーできないだろ?」
「ああ、それは盲点だった。ぎゃはははは!!」
あまりに事が上手く運ぶものだから、つい本性が丸出しになった汚い笑声が出た。
「ひゃっほう! さっきからむらむらしてたまんねえんだわ! 彩奈ちゃんだっけ? この子もーらい!」
「なあ」
「確か姉もいたよね? 俺、二階行ってくる。俺らと同い年くらいでめっちゃ可愛いって聞いたしな!」
「なあって」
「じゃあ俺は母親か。いやしかし、子持ちとは思えないスタイルだ……大人の色気もたまにはいい。くくくっ、十分楽しめそうじゃん」
「聞けよおい」
しつこく口を挟んでくる息子に、イラッとした。
「あ? んだよ興が削がれるから男は黙って――」
その瞬間、男達はピタリと動きをとめた。
見やった息子の目には、静かな怒りがあった。
「そんなに死にたいのか?」
な、なんだ? 身体が動かない……!?
というか痛い。肉も骨も潰れて内蔵が飛び出そうだ。まるで前後から壁に挟まれているような、そんな感覚がした。それなのに、目の前には何もない。何をされているのか全く理解できない。
「ぐっ!?」
「なんひゃほれ!?」
「ぐるしっ、うほへねえっ!?」
混乱する二人だが、茶髪パーマの男は探った。というか思考する余裕が僅かでも残っていれば、これが誰の仕業かなど分かりきってるようなものだ。
この息子のスキルか……!
まさかこんなに強力なスキルを保持しているとは。予想外だ。茶髪パーマの周りには禄なスキルを持っているやつがいなかった。だから調子に乗っていたのに。
「ぷぷぶぷぷぷぷぷぷぷ!!」
娘が指をさして笑ってきた。
ま、まさか嵌められたのか? と一瞬勘繰ったが、単純に潰れて変形した顔が面白くて笑っているようだ。例えるなら窓ガラスに顔面を押し付けられている感じ。
「実はこいつら俺の知り合いでさ。さっきまでの茶番はこの渾身の変顔を披露するための前座だったんだよ」
息子が立ち上がる。馬鹿な、なぜ立てる? あらあらそうだったの、と微笑む母親。そんなわけあるか。
「ちょっとあまりに面白いから、向こうでこっそり変顔の秘訣を教えてもらってくるわ」
「えー玲兄ずるいずるい! 彩菜も変顔できるようになりたーい!」
「後で俺が教えてやるから楽しみに待ってろ。ほら行くぞ酔っ払いども、ちゃんと歩けるか?」
足下の圧迫感が霧散し、上体を挟む透明な壁が息子の後を追うように平行に動く。バランスを崩すが絶対倒れないので、男たちは酔っ払いのように千鳥足を踏んだ。
「ぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ!!」
リビングの扉が閉じて、腹を抱えて笑っていた娘の声が途絶える。その瞬間、男たちは後悔を覚えた。
「んじゃ、そろそろ始めようか?」
この少年に手を出したのは、間違いだったと。