マイペースな血筋
気分は爽快、戦意は上々。強くなるため存分に魔物と戦いたい気持ちはあったが、俺はあれから直ぐに帰路についた。
家がどうなっているか心配になったからだ。
路地裏を駆けながら携帯端末を弄る。
三人とも電話に出なかった。チャットアプリの家族グループに既読もついていない。
「……何かあったのか?」
不安を押し殺しながら、手を前にかざす。
「ギギャッ!?」
右手の通路からひょっこり出てきたゴブリンを透明な箱が包み、圧縮して解き放つと灰が舞う。道中何度も繰り返したからか、言葉に出さなくてもイメージは容易い。
ちなみに冷静になった今気づいた事だが。魔物が死んで灰となった後、蛍火のようなものが出てきて俺の身体に吸い込まれる。おそらく可視化された経験値だろうな。
それから赤紫色の魔石も落とす。
ゴブリンだと小指ほどもない大きさだが、魔石が役に立つファンタジーは多いので一応拾ってく。
既にSNSでは魔物にステータス、スキルや魔法などに気づいた奴らが各々の見解を綴った投稿を重ねていた。そしてこの世界がRPGゲームのようにファンタジー化していると解釈され、多くの話題が沸騰している。
『なんだよこの化け物!』『助けて』『どうなってんの!?』『痛い』『助けて』『魔物って架空の存在だろ!?』『救急車呼んで』『誰か、誰か助けて!』『いやだ、死にたくない!』『警察は、自衛隊は何してんの!?』『助けて』『世界終焉のお知らせ』『助けて』『と、友達が食べられた……』『助けて』『血が止まんない』『助けて』『助けて』『死ぬ』『助けて』『助けて』『助けて』『助けて』『助けて』
高速で流れていくSNSの投稿。本来届かないはずの声がこのような形で集う。それは現代ならではの終焉の形だが、無常にも俺は流し読みした。
大丈夫か? と反応するのは簡単だ。でもそれで投稿主が救われるとは到底思えない。そもそも匿名なんだから情報が足りなすぎて助けに行けない。
流石に目の前で襲われている人を見かければ適度に助けたが、絶え間なく上がる悲鳴を聞いて行き先を変えることはない。俺は悪人ではないが、善人でもないのだ。
というか、人は個人で出来ることに限界がある。どこの誰とも知らない赤の他人を助けている間に、大切な家族が襲われてしまったら死んでも死にきれない。
「頼むから、無事でいてくれよ……!」
角を曲がり表通りに出ると、そこには酷い惨状が広がっていた。逃げ惑う人、血を流し苦しむ人、助けを求めて泣き叫ぶ人、既に事切れた人人人。
うっぷ。吐きそう。祭りをやっていたせいで、ここら辺の人的被害は途轍もないことになっていそうだ。
「邪魔だ……俺ん家の近所で騒ぐんじゃねえ!」
家の近くでこれ以上死なれても目覚めが悪いので、片っ端から無属性魔法をぶっ放す。ゴブリンの他にも、直立した犬の魔物コボルトや豚頭にでっぷりとした人身の魔物オークなどがいたが、俺の敵ではない。
目に見える範囲の魔物を透明な箱に収める。一度にやりすぎたのか、イメージが崩れて歪な形になったり魔物の全身を囲めなかったりしたが、構わずそのまま圧縮。
右半身を囲われていたゴブリンは左半身が残り、上半身を囲われていたオークは下半身だけ残った。これはあれだな、ちゃんと囲むより余計グロいな。
出来上がった血泥の肉塊と、唐突に身体を抉られ血を吹き出す魔物たちを見て、顔を青くした人々はゲロを吐いていた。灰になって消えるまでのタイムラグが無駄に長いんだよな。しっかりしろ運営。
「あっ、あの……今のはあなたが?」
「え? まあ、はい」
「ありがとうございます!」
子連れの母親が頭を下げてくる。俺は純粋に驚いた。こんな状況だというのに、子を守る母は強いな。
ふと抱かれる子供と目が合う。おかっぱの女の子はびくっと肩を震わせ、まるでお化けでも見たかのように怯えて涙ぐんだ。
「……たまたま通りかかっただけです。次は助けられませんから、早く逃げてください」
俺に出来るのはこうやって魔物を殺すことだけだ。彼女にとっては俺はヒーローなんかじゃなく、魔物と同じ畏怖すべき存在なのだろう。
親子から視線を外すと、俺はその場をあとにした。
「……別にヒーローになりたいわけじゃない」
気分が悪いのは死臭のせいだ。
どうしてこんなに無性にイライラする。
そして家にたどり着いた。
親父が立てた築十年の一軒家。まだまだ小綺麗な外観は――変わりないように見える。中がどうなってるか分からないので、急いで鍵を開けて玄関に転がり込む。
「母さん! 彩奈、藤姉! 生きてるか!?」
しん、と。
異様に静まり返っている。
嫌な予感がしてリビングに駆け込んだ。消された照明、暗闇の中で光るテレビ。抱き合う男女。流れ出すそこはかとなく悲しいメロディ。ううっ、と苦しげな声が聞こえた。
ソファで膝を抱えているのは母さんだった。
「か、母さん……?」
胸が締め付けられるように痛む。動揺に震える足を叱咤し、どうにか近づいて様態を確認する。
「ド、ドラマ見て泣いてやがる……」
うううう、とティッシュで涙を拭う母さん。あらおかえり玲太、じゃないから母さん。このドラマしゅごい……、しゅごいのはあんただ母さん。俺は手元のレジ袋から取り出したイチゴのかき氷を渡した。
ありがとう、と鼻をかんで録画画面から次の回を選択した母さん。狂ってやがる。外の状況知らないの? 人がたくさん死んでんだぜ?
俺は呆然と部屋を見渡した。
姉と妹の姿が見えない。ま、まさか……
リビングを出て階段を上がる。木材が軋む音が、今は俺の心をガリガリと掻きむしる。
彩奈の部屋、と書かれたドアを開けると、机に向かって何かをしている妹。よく見ると握っているのはシャーペンで、机上に開かれているのは参考書だ。
「べ、勉強してやがる……」
あ、おかえり玲兄、じゃねえよお前バカ妹。かき氷買ってきた? 買ってきたよお前溶ける前に食べろよバカ妹。玲兄と同じ高校にいけるように頑張るね、そんなこと言うなよお前兄ちゃん嬉しいじゃねえかよバカ妹。
おう、頑張れよ。
かき氷を投げ渡してそれだけ言うと、俺は部屋を出た。狂ってやがる。阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえないのか? この家防音対策バッチリか?
ま、まさか……姉はどこだ?
俺は彩奈の隣の部屋の前に立ち、ドアノブを捻る。中は真っ暗で人の気配がなかった。廊下の奥から、おえええと激しく嘔吐く音が聞こえる。トイレだ。
開け放たれたトイレで、便器に吐瀉物をぶちまけているのは姉だった。
「さ、酒の飲みすぎで吐いてやがる……」
おかえりい玲太、って口を濯ぐために酒を飲むなよ藤姉。ちょっと飲みすぎて気分悪い〜、ってだから酒を飲む手を止めろよ藤姉。部屋まで連れてってえ、ってほら背負うから乗れよしっかりしろよ藤姉。
姉の部屋のベットに寝かせると、袋をつけた洗面器と水と薬を取りに行った。戻った時には既に、姉は夢の中へと旅立っていた。
狂ってやがる。心配して損した気分だ。
俺は自分の部屋に戻り、扉を閉めると叫んだ。
「俺の家族みんな、マイペース過ぎるだろ!?」
そうだった。失念していた。昔から俺の家族はみんな、驚くほどマイペースなんだった。
家全体を不可視の箱で囲んだ。
時間をかけて強度がバカみたいに高まるように念じる。これで魔物に襲われても大丈夫なはずだ。
「なんか眠くなってきたから、もう寝るか」
家族が無事で安心したのと、意外にも疲れていたのと、安全が確保できたのと、理由をあげればキリがないが、とにかく眠いので寝るったら寝るのだ。
お前もマイペースじゃねえか、なんて突っ込みは受け付けないこととする。以上。
おやすみ世界。明日には滅んでろよ。