終わりの始まり
「って、今はそれどころじゃねえ……!」
吹き飛んだ仲間を見て、他のゴブリンも俺の存在に気づいたようだ。ぞろぞろと押し寄せてくる。早く逃げなければ、って膝が笑っちまって思うように立てねえ!?
「ああくそっ! こっちに来るなッ!」
やけくそ気味に叫ぶと、またもやヴン、と何かの起動音のような音がする。
すると異変が起きた。先頭を走るゴブリンが何もないところで激突してひっくり返ったのだ。
後続の餓鬼らも次々にぶつかり、驚いた様子を見せる。張り付いたり何度も拳を叩きつける奴もいるが、一定のラインから先に進めないようだ。
これではまるで、
「……透明な壁、か?」
ほっと胸を撫で下ろす。
俺はそれを為したであろう自分の掌を凝視。
「ゴブリン……ステータス……スキル……まるでRPGの設定みたいだ。だとすると、これは俺の力……?」
確証はない。だが現に、化学では立証できそうにない超常現象が目の前で起きているのだ。大丈夫。失敗しても厨二かよって恥ずかしくなるだけ。
試してみる価値は、大いにある。
「おい聞こえるか、変な声!」
呼び掛けに応える声はない。くそ、反応してくれればまだ気が楽だったのに。ある程度予想はしていたが、あの謎の声は一方通行の通知みたいなものか。
だがなあ、こういうのは定石ってやつがあるんだよ。俺が培ったオタク知識を舐めるんじゃねえ! お願い何も起きなかったらホントに恥ずかしいからお願いお願いお願い!!
「ステータスオープン!!」
強い願いが通じたのか、眼前に薄青の文字列が現れる。よっしゃ成功! よかった! やっぱり異世界ものはこれだよね。まんまRPGのステータス画面。本物はしゅげえや!
そこにはこのように書かれていた。
――――――――――――――――――――――――
名前:葛原玲太
英雄願望:『破綻』
レベル:2
ライフ:146
第一スキル:〈原初:無〉Lv1
第二スキル:なし
第三スキル:なし
ギフトスキル:〈成長促進〉
ギフトスキル:〈スキルの蕾〉→『開花条件未定』
称号:【零番目】【暁の勇士】
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保険証に記載されているような基本的な情報に加え、レベルやスキルといったファンタジーな要素もある。やはり世界の在り方が変わったのだ。それも俺にとって好ましい方向へと。
……テンション上がってきたあー!!
「そういやさっき、変な声が言ってたな。第一スキルがなんとかって……確か――おわっ」
――――――――――――――――――――――――
〈原初:無〉Lv1
全てのスキルの起源となった【八つの原初】に属する存在しないはずの零番目。原初の無属性魔法を行使できる。――――――――――――――――――――――――
パッと文字列が変化した。
どうやら知りたいと思うだけで詳細が反映されるらしい。ボタンなんかないんだから妥当ではある。
「存在しないはずの零番目? 意味不明だが無属性魔法ねえ。しかも原初ときたか、いいぞ凄そうな響きだ……ゴブリンを吹っ飛ばしたのはこのスキルで間違いなさそうだな――さて」
もう足の震えは止まっていた。
俺はゆっくり立ち上がると、手を伸ばした。
詳細画面にもスキルの使い方までは書いてない。が、何も知らない状態でゴブリンを吹っ飛ばせたし、こうして透明な壁が作れているのだ。
あとはもう勢いだろう。なんとなくいける気がする。未知なる魔法をイメージしろ。想像力をかき立てろ。俺ならできる。昔から妄想ばかりしてきたじゃないか。
「閉じ込めろ」
想像したのは不可視の箱。
流石は行使者と言ったところか。俺にはその位置、その数、その形状、その硬度、手に取るようにわかる。
「そこか。数は十。形は正方形でいい。硬さはコンクリートくらいだ。一匹残らず閉じ込めて密封しろ」
透明な壁に阻まれていたはずが、今度は透明な箱の中に入れられている。異変に気づいたゴブリン達が暴れ出すが、残念無念もう手遅れ。
喉を駆け上がる高揚感、俺はニヒルな笑みを浮かべた。伸ばした腕の先、掌をぎゅっと握る。
「圧縮」
――ピキャッ。
瞬く間に収縮した箱は濃緑一色に。中に入っていたゴブリンの末路は考えるだけ無駄だろう。行き場を求めるように膨張した箱を解除。途端に緑色の飛沫が爆発し、ぼとほど、と醜い肉塊が地面に転がった。
飛び散った緑色の血もゴブリンだった肉塊も、次の瞬間にはぼひゅ、と綺麗さっぱり灰塵に帰す。
〝レベルが3にあがりました〟
〝ライフを150獲得しました〟
「は、はは、ははははは……なんだこれ、なんだこれ強すぎるだろ俺! 無敵じゃねえか」
この無属性魔法。なんでもありだ。最強すぎる。この力があれば俺は何だってできる。何にだってなれる。何をしようが俺の自由だ! 誰も俺をとめられやしな――、ほぁッ!?
「……なんだ、今の嫌な感じ?」
空気が数度冷えた感覚。俺は背中で訴える悪寒の正体を確かめるべく、そろそろと足を進める。ゴブリンはゴミ箱を漁っていた。確か、左側の路地からわらわらと出てきて――覗き込んだ先に、奇妙なものを見た。
空間に奔る蜘蛛の巣状の罅。中心は脆く崩れており、一寸先も見通せない暗闇へと通じていた。穴だ。空間に穴が空いている。
「…………」
なにあれ。近づきたくない。俺はしばらく身を潜め、観察することにした。ややあって、ごぷっと水泡が弾けるような音がして、ゴブリンが出てくる。
「へえ、あれがゴブリンを産んでぇあッ!?」
その時、ゴブリンがぐちゃりと潰された。
穴から這い出てきた巨大な腕によって。
あれはやばい……やばすぎる……!!
筋骨隆々の腕は錆びた鎧に覆われていて、鎖を引きずる篭手は小鬼を易々と捻りつぶす。禍々しいオーラに空気が震え、あまりの重圧に心臓が鷲掴みにされた感じがする。
待て、お前は出てくるな……! 出てきたら最後、地図から街が消える、そういう類の怪物だ……!
「圧縮しろ! はやく!」
つき動かされるように無属性魔法を行使する。穴から這い出でる腕ごと透明な箱に収め、間髪入れずに収縮させる。だが、ゴブリンのようにはいかなかった。
拳を握ろうとしているのに、俺の五指はピクリとしか動かない。阻まれている。あれを潰すことができない。逆に腕の形に箱が変形する有様。見てくれだけのやばさじゃないってことだ。
「それなら……っ」
俺は反対の手も持ち上げ、さらに無属性魔法を発動する。既に箱をイメージしているからか、簡単な球体でも作り出すのが困難だ。とにかく重くなれと我武者羅に念じた。
そして出来上がった透明な鉄球を高速で飛ばす。
狙うは蜘蛛の巣状に奔った罅。巨大な腕の周り、あの壊れかけの空間だ。
バリンバリン、と硝子が割れるような音。障子に指を突き刺したみたいな丸穴が二つ空いた。穴を広げた愚行に見えるが、これは確認。俺の無属性魔法は、想像次第で空間に干渉できるらしい。
俺は透明な箱を解除し、より具体的な創造を行うため言葉に出して強く念じる。
「形状変化、 あれだあの、末端の丸いとこに紐が付いたクナイになれ――よし出来た早く飛んでけバカ、周りの罅に突き刺して縫いつけろ!」
俺の周りに浮かぶ透明な球体が、二本の大きめなクナイへと姿を変える。そのまま飛ばしたらしっかりと貫通。よかった、向こう側にいっても操作できそうだ。
クナイの末端には紐がついているので、こちら側と向こう側を往復させて、縫い合わせるように動かした。
巨大な腕は何かを察したのか、暗闇の中へと戻り始める。それはこの作戦が有効であることの証左。いける。あらかた縫いつけて帰ってきたクナイを掴み、俺は力の限り引っ張った。
「縮め!!」
念じると縫いつけた紐が収縮する。ぐぐぐぐ……と徐々に閉じ始める穴。閉じきった瞬間、戻り損ねた人差し指が謎の力で切断されてズン、と落ちた。
向こうの世界とこちらの世界の繋がりを断絶したのだ。いくらあのヤバそうな奴でも危機を感じたのだろう、撤退させた俺の勝利である。
〝レベルが4にあがりました〟
〝ライフを200獲得しました〟
〝レベルが5にあがりました〟
〝ライフを250獲得しました〟
〝レベルが6にあがりました〟
〝ライフを300獲得しました〟
〝レベルが7にあがりました〟
〝ライフを350獲得しました〟
〝レベルが8にあがりました〟
〝ライフを400獲得しました〟
〝レベルが9にあがりました〟
〝ライフを450獲得しました〟
脳内に連続して声が響く。縫い付けられた肛門みたいになった空間は、ホロホロと崩れ消えていった。
「はあっ、はあっ、はぁあああぁああ……っ」
あーよかった。マジで死ぬかと思った。
まだ鳥肌が収まらない。ゴブリン相手に無双して調子に乗っていた俺は、頭から冷水をぶっかけられたような気分だ。一瞬で素面になった。そして弱気にもなった。
「あんなのいるとか聞いてねえって! マジで有り得ねえ、何がどうなってんだ一体……って、おいおいおいおい!」
腰に手を当てて息を整える。その時見上げた夜空に流れる大流星群は既になく、その代わりに至る所で蜘蛛の巣状に空間が砕けていた。
今のやつほどのヤバさは感じないが、その数が半端ない。誇張抜きで星の数ほどある。
〝異世界戦線Phase1がスタートします〟
脳の中に無機質な声が響いた。なんだよこれ。何が始まるってんだよ。
俺は震える手で顔を覆った。
「はは……いよいよぶっ壊れるんだな、世界。あんなのが次に沸いた時にはお前、間違いなく終わるよ」
遠くで悲鳴が上がる。異世界に通じる穴から這い出た魔物が、人を襲ってるんだろう。この調子じゃSNSも荒れてるだろうな。それどころか政府が、国が、世界が大混乱の渦に呑み込まれる。
異世界と現代を繋ぐ夥しい穴、現界する魔物たち、錯綜する人々の悲鳴、車の事故による爆発、倒壊する建物、これは世界が終焉に向かっていく音だ。
俺は、生き残れるだろうか?
「――は。上、等、だよッ!!」
指の隙間から覗く俺の瞳は、絶望の闇に閉ざされてなどいなかった。むしろその逆、子供の頃のように無邪気な輝きを発している。
難しいことは何もない。単純だ。あんな怪物がいるなら、勝てるようになるまで強くなればいい。そのための力が俺にはある。そのための手段が世界にはある。現にレベルが上がって、身体の芯から迸る全能感を感じる。
なんだよなんだよ、面白い事になってきたじゃねえか! そうだ、俺はずっとこういう世界を望んでいた!
さあ、終わりの始まりだ。
「滅びろ世界、俺が無双する!」