20部
「教育とは、教え育てる事を指す言葉です。
ですが、教える側も人間であり、感情を持っている以上は完璧な存在ではありません。
また、昨今の教育者による不祥事も後を絶たず、表面化していないだけで多くの問題を抱えており、マスコミ等で騒がれている事は氷山の一角でしかありません。
これらの事を踏まえて、教える側も生徒と共に学びながらより良い指導と学ぶ事の意義を十分に理解できるような体制を整えるために改革を進めております。
まずは、従来の教えて育てる『教育』から、教師と生徒が共に教え合い、お互いに育つ事を意味する『共育』に漢字を改めます。
漢字の読みは共に『きょういく』ですが、従来との区別化を図るためにこのように変更します。
改革の内容に移らせて頂きます。
先の大久保厚生労働政務官による会見で一部話がありましたが、小学3年生より新たに『職業』の授業を新設します。
この授業では、どのような職業があるのか、どうすればその職業に就く事ができるのか等を厚生労働省が認可した専門家が授業を行います。
各職業の概ねの説明や必要な資格の有無等を説明し、職業についてを学びます。
4年生で選択授業になり、本人と保護者の意見を聞き取り、職業を選択してもらいます。
複数の職業に関する授業を受けてもらいます。専門資格が必要な職業の場合は必要に応じた資格取得の勉強をしてもらいます。
特に医学部等を目指す生徒に関しては学力の向上が必要になりますので、志望職業によって勉強の量が増えることもあります。
当然ですが、製造業志望だから勉強しなくても良いと言うことではなく、高度な専門知識を学ぶためにも学力の向上が必要になる生徒は他の生徒よりも勉強量が増えるということですので、全生徒の学力の向上を目指すなかで更にプラスワンで勉強を頑張ってもらうことになります。
5年生の10月に志望職業の絞り込みを行い、より詳しく職業の事を学んで行きます。
6年生では更に詳しい内容になり、専門知識の習得に入ります。
当然ですが危険物を取り扱う内容に関しては行わず、専門知識の基礎の基礎を学んでもらいます。
子供の未来は、その子のものであり誰かが強制するものではありません。そのため、志望していた職業よりもやりたい事が見つかった場合は本人と保護者の同意のもとでいつでも変更できるものとします。
ただ、勉強が遅れてしまう分に関しては本人に頑張って取り戻していただくしかありません。
補習授業は行いますが、選択時期によってはかなりの遅れとなりますので、本人の強い意思と努力が必要となります。
現在、各小学校・中学校の生徒に職業希望調査書をお渡しさせて頂き、本人と保護者の希望する職業を聞き取っております。
集計結果に応じて、早期に『職業』の授業を開始していきます。
中学の間は色々な変化と共になりたい職業も変わってくると思いますので、高度な知識の習得と共に進路変更のための予備期間となります。
高校受験に関しては、従来通りの各都道府県による実施方法で行いますが、高校ではより専門的な知識の習得や専門技術の習得も始まります。
医師や看護師等の専門職を希望される場合は国立の専門高等学校を新設します。
もちろん、その学校に行かなければ医師や看護師等の専門職につけない訳ではありませんが、専門高等学校に進学した場合は志望職業を変更することができなくなりますが、その専門職に必要な授業を中心としたカリキュラムを行っていきます。
就労期が18歳からなので高卒でも就職はできますが、高度専門職については大卒以上が就労条件になりますので、医師等になる場合は大学を卒業する必要があります。
高卒・大卒ともに希望職業別に試験を行います。
試験の結果が良かった人から入りたい企業との優先面接権を手にすることができます。
希望した企業との面接が上手く行けばそのまま内定が貰えますし、
上手くいかなければ次の希望企業との面接となります。
ただ、優先権は第一希望企業との間に認められるものであり、第一希望に落ちたから第二希望に行こうとしても定員が既に埋まっている場合は第三や第四希望の企業となります。
その点は理解した上で希望企業を選んで頂きます。
子供の頃から努力した結果が入りたい企業に必ず繋がるため、漠然と勉強を頑張るのではなく、明確な目標に向かって勉強していくことになります。
政府は反社会的な事以外は職業としてあらゆる業種を認めています。プロスポーツ選手を目指す子供には練習時間として授業を使いますし、専門のトレーナーをつけたり技術的な指導も行います。
子供の未来は明るいですが、その分危うさもあります。
そのため、保護者が希望する職業についての勉強も頑張ってもらいます。
全ての国民が未来を夢見て、楽しい将来を描き暮らしていくための共育改革です。
国民の皆様の協力なくしては実現が難しいため、国民の皆様に心よりご協力をお願い致します。」
文部科学政務官になった福沢はそう言って頭を下げた。




