第3話 地方騎手の実力
「優一、今度園田に乗りにいってくれないか?」
優一は、囃子調教師からそう誘われた。
園田競馬場は、国営の中央競馬とは違う、地方自治体が運営する公営の競馬場である。これらの地方競馬場では交流重賞の他に、中央の下級条件の馬が出れる交流レースが有る。そのレースに乗らないかと誘われたのである。
優一としては実績を伸ばすチャンスである、ここでしっかり勝つと評価は上がる。JRAでの通算勝利数には入らないが、結果的にGⅠに乗るチャンスは近くなる。優一はほぼ二つ返事で受けた。
正直地方競馬の交流レースは、勝つ馬はほとんど中央馬である。だから勝つチャンスも多いだろうと軽い気持ちだった。
しかし、地方競馬もそう簡単じゃないことを優一は思い知らされる。
*
「まったく、こっちの競馬はきついったらあらへんわ。睨みを効かせても効果無いから、先手が取りづろうてかなわん」
待合室で富士島はそう愚痴るように言う。優一が苦笑いする。
「やっぱり、富士島さんでも不得手なところは有るんですね」
優一はそう聞いてみる。
「不得手ではないな。俺にはこの腕と度胸が有る、そやから実力で先手を奪うまでや」
富士島はそう言って歯を見せて笑う。
「それよりお前の方が問題やないか? 次のレースお前が乗るのは後ろから行く馬。向こうのトップジョッキー、本村剛が乗る馬と脚質が被ってるやろ? 相手も地方の馬にしては能力が有るみたいやから、あの騎手が乗るとヤバいんやないか」
富士島はそう言って、顎で一人の騎手を指示した。彼が園田の有力騎手である、本村らしい。
「まあ、それでも馬の能力はこの中では上です。何とかしてみせますよ」
優一はそう言って不敵に笑った。しかし、今度は富士島が苦笑いを浮かべていた。
「そうか頑張れよ。相手も腕一つでこの世界を渡ってる一流や。油断せん方が良いと思うけどな」
富士島はそう言って、苦笑いのまま去っていった。優一は少しムッとする。
そうこうしているうちにレースが始まる。優一は外枠からスタートする。ゲートが開き、レースが始まった。優一はすぐに後方に下げ、脚を溜める。ちょうど横には件の本村騎手が乗る馬が付けていた。
園田競馬場は中央の競馬場に比べると、かなり小回りで、直線も短い。レースが始まってすぐコーナーに入った印象すら受ける。コーナー自体はそつ無く回りながら、優一は競馬場を改めて観察する。
そして実感したことは、仕掛けどころが難しそうだということだ。中央で普段仕掛けている距離から仕掛けると、そこは小回りのコーナーである。そうなるとスピードに乗せるのは難しい。場合によっては大外に振られるのではないだろうか。
だけど、他に仕掛けどころが有るだろうか? 優一は、仕方なくコーナーで仕掛ける算段を付けた。物は試しだ、やってみよう。
淡々とレースが進み、1週目の直線を過ぎていく。小回りの園田では1400mですら1週半する。まだまだ仕掛けどころは遠い。
第1・第2コーナーを回っていく。向こう正面に入ってようやく半分くらいだろうか。と、向こう正面に入った瞬間、隣の本村がスパートをかけ始めた。優一はギョッとする。いくら何でも、仕掛けが早すぎるだろう! これだけ長い距離を仕掛けたら、最後まで持つはずが無い。
優一はそれを見送り、自分の仕掛けどころを探る。そして、第3コーナーの手前でスパートをかけ始める。
そしてすぐに、それが失敗だったことを悟る。外に、振られてしまう。日本の競馬場の中でも最小レベルの小回りなのだ、ちょっとスピードに乗っただけで上手く回れない、外に外にと飛ばされてしまう。
このスピードじゃあ、コーナーを上手く回れない。優一は思う。それじゃあこっちの騎手はどうやってスパートをかけるんだ? 上手くコーナーを回るコツでも有るのかよ!
優一は前の方に目を向ける。そこには先に仕掛けた本村の馬がいるはずだ、彼はどうやって回っているんだ?
すると、目を疑う光景が見えてきた。彼の馬は、馬群の外側、あまり外過ぎない位置にいた。そして驚くべきことに、彼の手綱はしっかり押さえられていた。彼は今仕掛けていない。さっき仕掛けたはずの彼が、今は全く仕掛けていないのだ。
外に飛ばされながらも優一は馬群を観察する。直線に入り、本村はまた仕掛けはじめた。グングン伸びていき、そしてしっかり1着でゴールインした。2着は逃げた富士島の馬が粘って残る。優一の馬は外を回った分、何とか5着で掲示板がやっとだった。
馬を流しながら、優一は今のレースを振り返る。そして、本村の仕掛けの秘密を見抜いた。
「随分下手に乗ったな。次のレース、大丈夫か?」
検量室には囃子が待っていて、そう声をかけてきた。今日彼からは2レース依頼を受けている。その先のレースで精彩を欠いたのだ、心配もするだろう。
だが、その囃子に優一はしっかりした顔で、真っ直ぐ向き直す。
「この競馬場のレースは大体わかりました。さすがに完璧とはいかないですが、勝つレースはできます」
優一は囃子にそうハッキリと言いきった。それを聞いた囃子は、薄く笑い、満足そうに頷いた。
「大丈夫そうだな。よろしく頼むよ」
囃子はそう言って、スタンドの方に引き上げていった。
*
優一はさっきのレースを分析する。
本村の騎乗はこうだ、まず向こう正面で加速し、スパートする。だが、第3コーナーではスパートを止め、手綱を抑えて回る。スピードを落とすことでスムーズに回れる。そして、最後の直線で再びスパートする。
つまりは、ラストスパートを2回に分けているのだ。中央の競馬なら最後の直線前後で1回で終えるところを、直線の短い園田ではあえて2回に分けているのである。これには優一も感心する他無い。
だが、種さえわかれば優一もマジックを披露することができる。差し馬に乗った時は二段階でスパートすればいいだけだ。
とは言え、次に優一が乗るのは先行馬。二段スパートをしなくても、最後の直線だけ仕掛ける手が普通だ。
だけど、優一は考えていた。次のレース、本村が乗るのは中央の馬。しかも条件戦で好走している有力馬だ。地方交流競走は中央馬と地方馬で賞金が違う、より上の賞金が貰える中央馬で挑むこのレース、本村は本気で挑んでくるだろう。
それを出し抜いてやる、優一は気持ちを込めた。
ゲートインは順調、スタートした、まずはそろったスタート。優一はそこから3番手を取りに行く。このレースは行きたい馬が少なく、すんなりと隊列が決まる。
優一は狙い通りの3番手、好位置からの競馬である。優一は後方を窺う。本村の馬は後方待機、能力は有る馬だから、件の二段スパートを活かせば差しきられるだろう。
それを、出し抜くのだ。優一は仕掛けどころを考え、そこに意識を集中させる。
今回のレースも園田で多く行われている1400m戦である。1週目の直線を走っていく。もちろんまだ動かない、仕掛けどころはまだまだだ。全馬抑えたまま、第1コーナーを回っていく。
どの馬も、ゆっくりとコーナーを回っていく。
差し馬は向こう上面で仕掛け、好位に押し上げて直線へ、そして、先行馬と末脚勝負がこの競馬場の常らしい。ならば動くのは第2コーナーを回ってからである。
そして、向こう正面に入る。そこで本村を始め、差しを狙う馬達は仕掛けはじめる。
だが、その瞬間優一も動いた。彼もまた手綱をしごき始めたのだ。
先行馬と差し馬が近い位置で直線を回ることが多い園田では異例の光景である。しかし、優一には勝算が有った。
今乗っている馬は切れ味に欠ける馬だ。その代わり長くいい脚を使うことができる。ならば、差し馬と同じタイミングで仕掛けても、最後まで持つはずだ。優一は1頭抜け出し、後続に大きな差を付けて第3コーナーに入る。
そこで、優一は手綱を抑え、ゆっくり回った。それで距離損を無くす、それがこの競馬場の乗り方。差し馬もスピードに乗ってコーナーを回ることはできないのだ、差はなかなか縮まらない。
最後の直線に入る。さすがに道中控えていた馬の方が末脚は切れる。後続はグイグイと伸びてきて、優一の馬との差はここにきて縮まっていった。
だが、園田競馬場の直線は短い。最後は本村の馬に1馬身差まで詰められたものの、優一は何とか押しきって勝利することができた。優一はホッと大きく息をつく。
「いやあ、やられたよ。中央のアンちゃんだからって甘く見てたよ。こんな大胆な騎乗をするなんて予想外だった」
隣に付けた本村が、そう言ってくる。
「ありがとうございます、これも本村さんのおかげです」
優一はそう返す。本村は意味がわからずポカンと間抜けな顔をしていた。
「さっきのレース、俺は大外に飛ばされながらも、レースを観察していたんです。そこで見えたのが、本村さんの完璧な騎乗。あれを見て、この競馬場の乗り方がわかったんです。だから、俺が勝てたのはさっき本村さんが完璧な騎乗をしたおかげです」
優一はそう言って笑う。ようやく飲み込めた本村も、笑顔を見せた。
「俺の騎乗が良かったから、俺が負けた、か。そんなことは初めてだな。君は学ぶのが上手い。こっちの騎手にも真似してほしいくらいだよ」
本村はそう言って苦笑いする。優一は嬉しくて笑う。
「いえ、そんなことは無いです。ここには学ぶことが多い。まだまだこれからも勉強させにこさせてもらいます」
優一はそう言ってやる。お世辞でもなんでもなく本心だった。
「貪欲だね。地方の騎手の方がハングリーだと思っていたけど、中央にもいるもんだね、ギラギラした目付きで一流騎手を見る奴は。こっちも負けてらんないよ」
本村はそう笑って、離れていった。
正直、最初は地方競馬なんて中央に入れなかった人間がいるところだとしか思っていなかった。しかし、その考え方はすっかり変わってしまった。
地方にも本気で勝負できる一流の人間がそろっている。まだまだそこから学ぶことは多い。
また、この競馬場に乗りにこよう。優一はそう誓うのだった。