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ロマンオンザターフ  作者: 間形 昌史
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第2話 信念の人

 調教を終えて、優一は調教に乗せてもらった調教師へ挨拶に行く。

「経験を積ませてありがとうございます。よろしければレースでも乗せてください!」

 優一は元気良く頭を下げた。

「まあ、調教にも乗ってもらってるからねえ。考えとくよ」

 調教師は、そうあまり前向きではない答えを返した。それでも優一には充分である。これで頭の隅には優一の存在が残った。いつも乗せている騎手が皆空振りだった場合、優一のことを考える可能性は有る。今週じゃなくてもいつか、それは小さくとも大きな一歩である。

「おや、随分元気がいいのがいるな。今年デビューの新人だったか」

 そこに、横から声がかかった。その方を見ると、調教師の囃子修がそこにいた。彼は今は勢いが落ちたが、かつてリーディングも取ったことが有り、海外GⅠも勝ったことが有る有名調教師であった。

「どうも、今年デビューした武川優一です。先生もよろしかったらぜひ乗せてください。よろしくお願いします」

 優一は、そう言って頭を下げる。しかし頭を上げると、囃子は無愛想な表情で立っていた。

「悪いが、頭を下げられても君には依頼する気は無いよ」

 囃子はきっぱりとそう言った。

「なぜです?」

 優一はすぐさまそう訪ねる。

「簡単なことだ。君には実績が無い。私は勝ちに行くことしか頭に無いから、上手く乗れるジョッキーしか依頼しないんだ」

 囃子は、全く悪気も無く、そう言いきった。

「でも、俺は初騎乗で勝ってます」

 優一は間髪入れずそう引き下がる。囃子が吹き出し笑いをした。

「何を言っている。あれは馬が強かっただけだろう。君はまたがっていただけ、馬に勝たせてもらっていただけだ。それが何の実績になるんだね」

 囃子は、そう言って溜め息をついた。確かにその通り、優一としても言い返すことができなかった。

「時間の無駄だったね。また出直していらっしゃい」

 囃子はそう言い残し、去っていった。優一は何も言わなかったが、心の中で反感を強く持っていた。

 それだったら認めさせてやる。優一は心が燃えていた。


   *


 土曜日、900万下条件のレース前。優一は騎手の待合室でオッズを確認する。

 1番人気は囃子厩舎の馬だった。その馬は、優一が乗る馬と同じ逃げ馬。1レースで逃げられる馬は1頭、難しいレース運びが予想された。

「おう、次のレースは俺が逃げるからな、お前ら、わかってるやろな」

 レース前、その1番人気の馬に騎乗する富士島騎手がそう周りの騎手に言って回っていた。彼は逃げ馬に乗るときは、レース前にそう脅して回るのが常だった。こうすると目下の人間は競りかけにくい。競馬ファンの間からは「恫喝逃げ」と皮肉も込めて言われる手法だった。

 だが、それを一概に悪いとは言えない。そのような腕力も含めて騎手の力である。威圧で先手を確保できるなら、それは勝負師としては当然するべき手段だ。

「おい、優一、お前も逃げ馬に乗るんやろ。先手は俺や。わかっているやろうな」

 富士島は、そう優一にも念を押しに来る。その雰囲気は嫌とは言わせない、迫力が有った。

「ええ、逃げませんよ。先手はお譲りします」

 優一は、そう軽い口調で答えてやった。その手ごたえに、富士島は怪訝な顔をして優一を睨んでくる。

「おや、お前の馬も逃げ馬やろ。そんなあっさり。後から裏切ってかぶせてきたらアカンぞ。大外枠のお前の方が有利やないか」

「大丈夫ですよ。競りかけたりしませんって。大先輩の富士島さんに、当然先手は譲りますよ」

 念を押してくる富士島に、優一は笑ってそう言った。しかし、優一の目をじっとのぞきこんだ富士島は、その奥に笑っていない熱い心が有るのを察してか、硬い表情をしていた。

「まあええわ。先手は俺や。それを忘れるんやないで」

 富士島はさらに念を押し、その場を離れた。優一は、心の中で笑う。


 果たして、レースが始まった。スタート良く飛び出したのは、富士島が乗った1番人気の馬。楽に他馬を引き離し気味の競馬だ。

 これで、後の馬が競りかけてこなければ良しだ。富士島はそう確信する。そして、後ろの様子を窺う。様子が怪しかった優一の馬はどうや? 気配は、無い。と言うか、追いかけて先行する馬も外には感じ取れなかった。

 不思議に思い、富士島は腋の下から後方を確認する。すると、優一の騎乗馬は先行するどころか、中団に付けていた。出遅れた様子ではない。むしろわざとそうしている気配だ。その位置は、馬群から離れた大外を追走している。

 富士島は、その馬の特徴を思い出す。そうか、あの馬は他馬に砂をかけられるのを嫌がる馬。そのための逃げ馬やったな、と。

 このレースはダート戦、砂の上で行われるものである。馬が砂を蹴る勢いというのは凄まじく強いものだ。だから、馬によっては前の馬からぶつけられるのを嫌がる馬がいる。優一の乗る馬はそういう性格だった。

 ということはである、逆に言えば砂をかけられない状況、たとえば今日のような大外枠ならば、逃げる必要性は無いのだ。馬群から離れたところにいれば、砂は避けられるのである。優一め、味な騎乗をしよるわ。富士島はニヤリと笑った。

 レースは淡々と進む。第3コーナーを回っていき、先頭は富士島の馬。単騎で気持ち良く逃げたのだから、手応えはまだまだ充分だ。

 そこに、中団から進んでいく馬がいる。優一の騎乗馬である。彼の馬はするすると大外を上がっていき、富士島の馬に迫っていく。それを気配で察して、富士島は動く決心をした。

 第4コーナーを曲がり、直線に入る直前、優一の馬が富士島の後ろに迫ろうとしたところで、富士島の馬は大きく外に逸れていった。

 それはコーナーを曲がりきれないような、自然に外に寄れたように見えるが、実際には違った。富士島はパトロールビデオに映る外側では必死に内に誘導するように見せかけて、映らない内の方の手は思いっきり外に馬を動かしていた。

 そして、富士島の馬が蹴り上げた砂が、わずかに外の優一の馬がいる場所へと吹き飛んでいった。これであの馬はやる気を無くす。他馬の前をカットしない程度ならば、降着にはならない。上手い騎乗をしよったが、惜しかったな。富士島は勝利を確信し、ニヤリと笑った。

 その瞬間、さらに外側から影が襲いかかってくる。富士島は驚きながらちらりとそちらを見る。そこには、優一の馬が、予想以上に大外に位置して、伸びていっていた。

 まさか、こいつ俺の動きを察して、コーナーで更に外に持ち出しよった? 富士島は驚く。少なくとも外を回るということは、距離損が有るので、その分不利なはずだ。それにもかかわらず、優一は躊躇無くさらに外に向けたのである。恐ろしいまでの度胸だった。

 富士島も懸命に追う。しかし、脚色は後ろで溜めていた優一の馬の方が有利だった。

 果たして、優一は富士島を半馬身振りきり、先頭でゴールした。優一にとっては、会心の騎乗だった。


 口取り式が終わり、優一は検量室に戻る。すると、そこで囃子調教師と富士島が話していた。囃子が優一に気付き、向き直してきた。

「よう、こっちが勝てるレースだと思ったが、君にしてやられたな」

 囃子が、悔しそうに、だけど笑っていた。

「どうです、俺だってやれるんですよ」

「まあ、今日のレースを見ると、そういうことだろうね」

 胸を張る優一に、囃子はそう返してきた。優一の鬱憤は晴れた。

「ところで優一君、来週の土曜はどこで乗るんだね?」

 そこで囃子が、そう話を変えてきた。

「地元の阪神で乗りますけど、どうしました?」

 優一は、戸惑いながらそう返した。いきなり何の話なのか、優一は飲み込めなかった。

「何って、騎乗依頼をしたいんだよ。来週斤量負けして、減量騎手で走らせたいレースが有ってね」

 囃子は、あっさりとそう言った。優一はさらに戸惑う。

「俺は、乗せないんじゃなかったんですか?」

 優一は思わず聞き返す。

「そりゃ、実績は無かったからね。だけど今のレースで君に能力が有るのがわかった。だから、考えを変えた。それだけだよ。何かおかしいかね?」

 囃子は、あっけらかんとそう続ける。優一は慌てて頷き騎乗依頼を承諾した。

 そうか、自分の実力は認められたんだ。あの偏屈な囃子師に。優一は心が躍り出しそうなほど嬉しかった。


   *


 週が開けて、休み明けの火曜日に、優一は調教師達を挨拶回りに行っていた。その中で、囃子のところにも行った。

「騎乗依頼ありがとうございます。よろしければ調教も乗せてください。調教だけの馬でもいいので!」

 優一は元気良くそう頭を下げた。しかし、囃子は困った様子で、首を横に振った。

「乗せるのは、騎乗予定の馬の追い切りだけだ。騎手はレースに乗るためにいる。調教は、我々に任せてもらいたい」

 囃子は、そう言いきった。優一は、首を傾げる。

「俺、気に入られてません?」

 優一はそう聞く。

「そんなことは無い。このままの調子なら、これからも依頼するよ。だけど、あくまでレースの話。調教は、調教助手というプロがいる。だから任せてほしい、というだけだよ」

 囃子は、そう言って朗らかに笑ったのだった。

 どうやら、彼は彼なりの信条が有るらしい。ちょっと変わった信念の人だった。

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