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ロマンオンザターフ  作者: 間形 昌史
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第1話 ロマンオンザターフ

 春のある日、北海道新ひだか町静内の戸有牧場で、武川優一は寝ずの番をしていた。一緒にいた牧夫が、その眠そうな様子を笑う。

「やっぱり眠いか。子供に夜の番はまだ早かったか」

「大丈夫だ、俺は来年から競馬学校に行くんだ。だから、このくらい平気だよ」

 牧夫の言葉に優一はムッとした様子でそう答えた。

 優一は今年中学三年になったばかりの少年だ。父がこの牧場の従業員の一人で、彼自身も競馬が好きで、来年には競馬学校の騎手課程を受験することを決めている。

 普段から競馬に対する経験を積むために牧場の手伝いをしており、今日は金曜日、翌日が学校休みと言うことで、志願して、と言うか頼み込んで夜の番の手伝いをさせてもらっていた。

「まあ、いいさ。だけどこの時期は母馬が出産する時期だ。気は抜くなよ」

 牧夫は笑いながらそう続ける。優一も素直に頷いた。

 と、そこでいななきの声が聞こえてきた。牧夫は声のした方に様子を見に行く。

「おっと、言ったそばからだ。産気づいたぞ!」

 牧夫がそう言って優一を呼ぶ。優一は慌てて駆け付ける。

 とは言っても、出産時の牝馬は気が荒くなっている。あまり近付くと暴れられる可能性も有る。とりあえずは様子を見るしかない。

 だが様子がおかしい。仔馬の前脚は出てきたが、そこから先が中々出てこなかった。母馬がいきんでも、ほとんど仔馬が出てこなかった。

「難産だな! このベニヤエシダレは初産だから、慣れてないんだ。手伝うぞ!」

 そう言って牧夫が馬房の栓を上げる。牧夫に続き、優一も入っていく。幸い母馬のベニヤエシダレは賢い馬で、自分を助けにきたとわかっている様子だ。優一たちのすることに任せていく。

 優一たちは、仔馬の前脚を掴んだ。そして、母親のいきみに合わせて牧夫が合図を出し、タイミングを合わせて優一たちは仔馬を引っ張り出していく。

 しばしの格闘の後、仔馬は見事母親の胎内から全身を出すことができた。優一は感動する。自分が出産を手伝ったのは、これが初めてだった。

「お前、走る馬になれよ」

 母親のそばにより、初乳を飲んでいる仔馬を見て、優一はそう願いを込めるのであった。


 夏になり、仔馬は放牧場を駆け回っていく。その中でも件のベニヤエシダレの仔は、良く動いているように優一には見えた。

 秋になり親離れしても、ベニヤエシダレの仔は一頭平然として見えた。優一の期待は高まる。

 そして冬になり、冬の終わり、競馬学校の合格発表が有った。優一は、見事騎手への道を歩むことになった。

「俺は勝てる騎手になる。だから、お前も勝てる馬になるんだぞ」

 優一は、ベニヤエシダレの仔の馬房の前で、そう誓った。心なしか、幼駒の食べっぷりはいつもより良く見える。

「お前はきっとGⅠに勝つ。そのお前に、俺が乗れたら最高だな」

 優一は期待を込めて、そうベニヤエシダレの仔に話しかけてやった。


 時は過ぎ、3年後の2月末。優一の騎手としてのデビューが近付いていた。

 優一は栗東の相原玄次厩舎に配属された。奇遇にもこの厩舎には、あのベニヤエシダレの仔が入厩していた。彼は今ロマンオンザターフという名前で走っている。

 優一はデビューに向け、気分を高めるため彼の馬の馬房の前に来ていた。ロマンオンザターフは機嫌良さそうに優一の方へ顔を近付けてきた。

「それにしても予想外だったなあ。この時期になって、お前がまだ未勝利なんて」

 優一は、そう苦笑いした。

 そう、ロマンオンザターフは、四歳になり若馬の時期を終え、古馬になった今ですら、いまだ一勝もできていなかったのだった。馬っぷりの良さを考えると、これは意外なものだった。

「まあ、仕方ないよ。今までどの騎手の人が乗っても、気に入らないで振り落としちゃうんだもん。気に入らないと我慢できない性格だから、こればっかりは仕方ないよね」

 そこに、ロマンオンザターフに飼葉を与えていた担当厩務員小山内多賀子がそう言って笑う。彼女は小柄で愛嬌のある顔立ちをした、朗らかでいつも笑顔な女性だ。こう見えて京都大学を卒業しており、学生時代は馬術部に所属していて、中々に知識も経験も有る人だった。

 そんな彼女の言う通り、ロマンオンザターフはとにかく気性に問題が有った。気に入らない騎手が自分に乗るのを嫌がり、いつも振り落とし、乗せたとしても言う事を聞かない、そんな性格だったのだ。騎手と呼吸が合わなければ、どんなに能力が有っても勝つことなどできない。

「それでも騸馬にはされてないんだよな」

「まあね。デビュー戦に乗った鉄二さんが、この馬は力が有る、去勢なんてしたら日本競馬界の損失だ、って言ってくれたんだよね。その時振り落とされてたのにそう言ってもらえて、嬉しいよね」

 優一の言葉に、多賀子は笑ってそう言った。つまりはタマを取ってしまいおとなしくさせる策も有るが、種牡馬としての価値が無くなるため、騎手が止めた、という話である。いまだ未勝利でそれだけの期待をかけられる馬など、ほとんどいない。ロマンオンザターフは例外の馬だった。

「普段はこんなにおとなしいのにね」

 多賀子はそう言って、ロマンオンザターフの顔をまさぐった。彼の馬は気持ち良さそうにしている。

 まあ、この人が担当なら、普段はおとなしくもなるさ。優一はそう笑った。

 多賀子は、普段からおっとりしたところが有る性格のため、気性に難が有るロマンオンザターフの担当になった。癇が強い馬には、こういう性格の厩務員の方が向いている。

「でもさあ、やっぱり気に入った騎手が乗ると違うと思うんだよね。だから、もうすぐ勝てると思うんだ」

 多賀子は、そう話し出す。

「へえ、いい騎手の人でも見付かったの?」

 優一は何の気も無しにそう相槌を打つ。相性がいい騎手がいるなら、ちょっとばかし嫉妬するなあ、そう思いながら。

「いや、優一君のことだよ。優一君がいた牧場の出身だから、もしかしたら優一君が乗るのを待ってるんじゃないかって」

 多賀子はロマンオンザターフの顔を撫でながら、そう言ってくる。優一は一瞬の間の後、苦笑交じりの笑いを浮かべた。

「そうかい、そうだといいんだけどねえ」

 優一はそう答えるしかなかった。騎手を振り落す癖が有る馬であるから、デビュー前の優一が怪我しては大変と、調教でも一度も乗せてもらったことが無いのだった。相性がいいかなど、見当もつかない。

「おい、優一、テキが呼んでるぜ」

 そこに、別の厩務員が優一を呼びに来た。おそらく騎乗予定の話だろう。優一は師の相原の元へ向かう。

 厩舎の事務室に入ると、硬い表情の相原がいた。おそらく、言いにくいことを言われるのだろう。

「お前の、デビュー週の騎乗予定だが」

 相原はそう切り出す。予想通りのことで、優一の緊張は解けた。

「悪いが、うちの厩舎の一鞍、それしか確保できなかった。他の調教師にも頼んだが、今週は一頭も作れなかった。すまない」

 相原は申し訳なさそうにそう言ってくる。

「・・・まあ、そうでしょうね」

 覚悟していた優一は、そう答えた。

 優一は、気の強い方である。人に頭を下げるのが好きではなく、あまり他の調教師にも愛想良くしてこなかった。自厩舎以外の依頼が無いのも、仕方ないと思っていた。

「それで、うちの一鞍についてだが、お前、デビュー初日から怪我して休養する覚悟は有るか?」

 相原は、続けてそう切り出してきた。

「何の話です?」

 優一は意味が理解できず、そう聞き返した。相原が、一瞬間を置いて、続きを話し出す。

「うちの一鞍というのは、ロマンオンザターフなんだ」

 相原はそう切り出す。優一の胸が高鳴った。

「あの馬は、騎手を振り落してきた馬だ。お前が振り落されたら、怪我するかもしれない。タイミングが悪ければ、レース中だ。他の馬に蹴られでもしたら、どうなるのかわからない。

 だから、お前の気が向かないなら、デビューをずらした方がいい。無事を望めない馬なら、乗らない方がいい」

 相原はそう暗い顔で続けた。それに対して、満面の笑顔で優一は頷いた。

「乗せてください!」

 優一はハッキリと言いきった。

「あの馬に乗るのが、俺の夢だったんです。それが最初から叶うなら、どうなったって構いません。あの馬に乗って落ちて死ぬなら、それも本望です。本当ならあの馬は出世して、乗ることなど無理なはずだったんです。だから俺からお願いです。あの馬に乗せてください!」

 優一は朗々とした表情で、そう言った。相原が、憑き物が落ちたような顔で、頷いた。

「なるほど、そこまでお前はあの馬を思っていたか。ならば、是非は言わない。あの馬に乗ってくれ」

 相原が、そう決断した。優一は大きな声で、返事を返した。

 ある意味予想以上の最高のスタートが切れるかもしれなかった。


   *


 デビュー戦、レース前のパドック脇で、優一はかなり緊張していた。さすがに初めて実戦に乗るのだ、緊張しない方がおかしい。

 係員の合図が出る。周回は終わり、優一はロマンオンザターフに騎乗するため近付いていく。途中、彼の馬と目が合う。

 彼は、何緊張してんだよ、と笑いかけているような気がした。優一は緊張してないし、と虚勢を張って笑い返す。

 隣に立った時には、いつの間にか緊張は消えていた。

 鞍を掴み、ロマンオンザターフの鞍上にまたがる。彼の馬は完全に落ち着いていた。いつもの振り落す仕草は無い。

「やっぱり、相性良さそうだね」

 馬を引く多賀子が、のんびりとそう言った。

 地下馬道を通り、芝コースへと進んでいく。その途中、優一の胸が高鳴っていく。緊張の物ではない。何だろう、これは、まるで恋をしたような、例えるならときめき? 言いようのない喜びの感情が、自分の中に沸き立っているのを感じた。

 やがてターフの上にたどり着く。多賀子がロマンオンザターフを離し、返し馬に移っていく。

 とんでもない加速感だった。軽く体を慣らしているだけなのに、優一は後ろに飛ばされるような圧力を感じる。それはどの馬の調教でも感じたことのない感覚。例えるなら、実際に乗ったことは無いが、馬力のあるスーパーカーに乗るとこんな感じではないか、と空想する。

 レースが始まるまで待避所で輪乗りを続ける。優一の胸は、どんどん高鳴っていく。ワクワクが止まらない。

 そして、とうとうスターターが準備し、ファンファーレが鳴り、レースが始まろうとしていた。優一はロマンオンザターフをゲートに誘導する。ごく簡単に、彼の馬は言う事を聞き、ゲートの中でも落ち着いていた。

 果たして、ゲートが切られた。ロマンオンザターフは互角のスタート、まずまずの出だしである。

 先行するのは逃げ馬2頭。その2頭が激しく競り合い、前を飛ばしている。ロマンオンザターフはその後ろ、3番手に付けた。優一としては溜めていきたかったが、前の方にいる。と言うか、全力で溜めている。手綱を押さえたまま、好位置をキープしていた。やはりこの馬は能力が有る、優一はそう判断していた。

 優一は、仕掛けどころを考えるべくペースを計る。そして、2つ目のハロン棒を通過して、優一は自分の時間感覚が間違っているのではないかと疑った。

 ペースが、早すぎるのだ。前2頭が競り合い、飛ばし、それなりに速くなっているとは思っていた。だが、その予測より、実測はさらに早かった。全体のペースは、500万下の下級条件、にしては異常なほど速くなっていた。

 それにもかかわらず、ロマンオンザターフは楽に追走しているのだ。しかもその速さが、全く体感できていなかった。楽に走っているのだから、そんなにペースが上がっているように感じない。

 もう1ハロン数える。やはりペースは速い。おそらく体内時計は間違っていない。ならば、これは馬が強いのだ。抑えたままハイペースに付いていける、それだけの強さをこの馬は持っている。

 そう言えば、強い馬はその速さを感じないと聞いたことが有る。やはり楽に走っているので、速度が出ているとわからないのだそうだ。そうすると、この馬はそれだけの格が有る、そういうことなのか。

 優一の胸の高鳴りが一層大きくなる。

 レースは進んでいき、第3コーナーに差し掛かる。前方の2頭は早くもバテていき、ずるずると後ろに下がっていく。それをかわす形で、ロマンオンザターフが先頭に立つ。

 後ろから足音は聞こえない。先行馬はみんなバテていったらしい。後方からくる馬は、全然追い付けないでいる。レースは一方的にロマンオンザターフの物になっていた。そして直線を迎える。

 優一はここで、仕掛けるべきか悩んだ。このまま走らせても楽勝だろう。しかし、まともなレースを体験したことが無いロマンオンザターフに、レースのやり方を教える必要が有るはずだ。最後まで追わないと、馬がそういうものだと思い込んで、実力が出せなくなるかもしれない。

 だから、優一は軽くであるが追い出しを開始した。

 その瞬間、グングンとロマンオンザターフは加速していく。風景が、超高速で後ろに飛んでいく。それでいて、疾走感は無いのだ。まるで足が地についていない、飛んでいるかのようだ。

 軽やかな調子で、ロマンオンザターフは他馬を引き離していき、大差の圧勝でレースは終わった。優一としては初騎乗初勝利の記録が残る勝利であった。

 レースを終えると、にこやかな笑顔の多賀子と、仏頂面の相原が待ち構えていた。検量が終わった後で、優一は相原のところへ行く。

「どうしました、先生。勝ったのにそんな不機嫌な顔で」

 優一はそう聞いてみる。

「勝ったのはいいが、着差が付きすぎなんだ。2位入線の馬ですら、ロマンオンザターフから4秒以上遅れてゴールしている。これじゃあみんなタイムオーバーだよ」

 相原はそう言って溜め息をつく。

 中央競馬にはタイムオーバーという制度が有る。1位入線の馬から一定以上のタイムを付けられた馬は一定期間出走できないという制度である。今日のレース1600m戦では、4秒がそのラインだった。

 弱すぎる馬をあまり出走させないように、という制度だが、今回のように1着馬が強すぎる場合も適用されてしまうのだった。

「これじゃあ他のテキに怒られちまうよ」

 相原はそう愚痴った。優一は苦笑いする。

 その後、口取り写真を取るため、優一はもう一度ロマンオンザターフにまたがった。彼の馬は誇らしげに写真に写っていた。

「なあ、お前に乗ることは、これまでの俺の夢だった」

 優一は馬上から話しかけた。

「だけど、もっと大きな夢ができた。お前は、GⅠで通用する馬だ。だから、お前に乗ってGⅠを勝ってやる。それが俺の、新しい夢だ」

 優一は、そうロマンオンザターフにしっかりと話してやった。彼の馬はどことなく嬉しそうだった。


   *


 その日から、優一の態度は変わった。他人に頭を下げるのをあれほど嫌がった優一が、次々と他の調教師のところを回っては、騎乗依頼を願い頭を下げていったのである。レースがだめでも調教だけでも乗せてくれ、と優一は信頼を集めるべく動いていった。

 嫌いだから何だ。自分の目標は、GⅠに乗らないと始まらない。GⅠに乗るには一定の勝利が必要だと制度で決まっている。それなら、嫌だとか言ってられない。嫌でも、それでも、なりふり構わずやってやる! それが優一の決意だった。

 その甲斐あって次の週には乗鞍が3に増えた。その中から1勝を挙げることができた。更に次の週も、それ以上の乗鞍を決めている。

 優一は、夢に向かって邁進しはじめた。

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