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五月は虚無の国【打切】  作者: 八雲 辰毘古
月曜日のサボタージュ
4/7

月曜日のサボタージュ(4)

 ところが、ぼくは学校には行かなかったのである。


 なんでなのかはわからない。行く必要を感じなかったからかもしれない。とにかくぼくは学校には行かなかった。代わりに何をしていたのかというと、ただぼんやりと川沿いに歩いて、どこかよさそうな場所で寝転がっていたのだった。

 十時ごろになっていた。登校するひとたちも、お仕事に行くひとたちも、すっかりいなくなっていた。ものさびしい道路を背後に、だだっ広い芝生にごろんとあお向けになって、どこまでも透き通るような青空だけがただひとりのともだちのような気分になっていた。それは限りなく透明な青色で、ぼくは、ずうっと見つめているうちに、それが橙色に変わるまで、気づかないくらいに、こころが吸い込まれてゆくのを感じていた。


 やがて、薄暗がりがカーテンのようにあたりを包み込んでしまうと、ぼくは立ち上がって、家への道を走った。同級生や同じ小学校のともだちとはひとりも会わなかった。

 ランドセルを取って、家に帰ると、おかあさんが怒った背中をしているのが見えた。


「ただいま」


 おかあさんは返事をしない。ただかちゃかちゃと皿を洗う音がしている。

 ぼくは気まずくなって、ランドセルを置いた。なにがどうおかあさんを怒らせているのかはわかっていた。わかっていたからこそ、すごくやるせない気持ちになっていた。こういうとき、宿題があるといいのに、と思った。なにも考えなくていいからだ。勉強だけしていれば、だれかがなんで怒っているのか、泣いているのか、考えなくて済むからだった。


 けれども、学校はサボったから、そんなものはないのだった。仕方なく本棚にあったマンガを手に取っていると、とつぜん、おかあさんがやってきて、それを取り上げた。


「なんでおかあさんが怒ってるのか。わかっているよね?」


 ぼくは胃の底が冷えてくるのを感じた。怖かったんじゃない。それもあるけど、それ以上にどうしようもないものにぶつかってしまったのだと思い知って、うんざりしたからだった。だから返事をしなかった。それがおかあさんの気を、さらに悪くしたようだった。


「なにか言ったらどうなの。おかあさんはこれだけ心配したっていうのに、ごめんなさいのひとつも言えないワケ?」


 ぼくはそこまで言われて、初めて謝った。まるで自分が歯車仕掛けのロボットにでもなって、ただ言うことを繰り返しているような心地だった。こんなんじゃ収まらないだろうなって思っていると、案の定、おかあさんは怒った。すごい剣幕だった。


「あんた、学校無断で休んで、帰ってこないで、ずっとずっとひとりでどこをほっつき歩いていたのよ。こっちは学校から電話を受けて、心配で心配で、仕方なかったっていうのに、すこしも悪かったとも、思わないの? 親を、なんだと思っているの?」


 ぼくは黙っていた。答える気にもならなかった。べつにいたわってくれとも、心配してくれとも頼んだわけでもないのに、いや、たしかに心配はするとわかっていてそれはとてももうしわけないと思っていたのだけれど、ちゃんと話そうというつもりにはならなかったのだ。

 ぼくの家族はいつもこうだった。それは、いつもぼくに対してきびしいということではけっしてない。むしろ、ふだんは優しくて、おいしいごはんもちゃんと作ってくれて、そこそこいい洋服を買ってくれて、背伸びをしてゲームをいっしょに楽しんでくれる、すごくいい家族だった。同じ小学校でゲームが禁止されていたり、増田くんの家のように勉強勉強とがなりたてられたりしているところや、教科書や文房具を買う余裕のないところよりはずっと恵まれている家庭だと、わかってもいる。


 けれども、そんな恵まれた家でも、こうした、どうしようもない不自由なことがあるのだ。それはお金では解決できないからこそ、虚しいのだと感じられる。

 ぼくはきっともう少しはやくに謝って、もう少しはやくに自分のことを話せばよかったのだろう。もしくは朝の時点で、なんとなく学校に行きたくないことを、相談していればよかったのだろうか?


 でも、どっちにせよ、いまこうして怒られていることには変わりはなく、そして、怒られたところで、このあと何かが変わることもないのだ。ぼくは知っている。さんざん怒鳴ったあと、おかあさんは、おとうさんに対して愚痴をこぼし、寝て起きたらなにもなかったように過ごしてしまうことを。ぼくがしょんぼりして謝ったところで、こんどは気をつけてね、とやさしくさとしてくれることを。

 けれども、そうしていつのまになかったことにされたものが、いったいどれだけあるのだろう? ぼくもきっとなにかをなかったことにして、自分に都合よく生きているのかもしれない。ふと、増田くんのことばがあたまによみがえる。


『友達百人できるかな、て歌って暮らしたはずのちびっこたちがさ、三年経ったらとつぜん互いに死ねとか言い始めるんだぜ?』


 ぼくらはどこかでおとなになる。けれども、その途中でどれだけのものが、手のひらからこぼれ落ちるのだろう。おかあさんの怒った顔をみながら、ぼくは、そんなことをえんえんと上の空で聞いていた。

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