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失われた未来の再建  作者: 水素
9/18

暗号

 とある建物の廊下を希の哲学者が黒猫を肩に乗せ歩いている。壁面は彼女の姿を映すほど滑らかで、床には埃一つ落ちていない。淡い茜色の照明が等間隔に灯されている。

 彼女は口を開くことなく黙々と廊下を歩き続ける。

 荘厳な趣の扉の前で足を止めた。

 扉の両脇には銃剣で武装した兵士が一人ずつ警備している。

 彼女が会釈すると兵士は一歩扉から離れる。扉を開け、部屋に入った。

 部屋の中では一人の中年の男が、大きな机で、深く腰掛けながら書類に目を通している。

 だだっ広い部屋で、窓はない。天井は案外低い。灰色の壁には、細かい装飾が額に何枚かの絵が入ってかかっている。絨毯は鼠色で埃一つ落ちていない。机と椅子以外部屋には何も置かれていない。

 中年の男は痩せており、背は高い。洗練されたスーツを着こなし、黒いネクタイを締めている。整った銀色の短髪。顔は卵形。清潭な面構えをしている。

 男は彼女たちが部屋に入ったことに気づくと書類を机に置き、彼女の方を見る。

「どうだったかね?」

 無音だった部屋に男の快く爽やかな声が響く。

「命の哲学者だった」

 希の哲学者が答える。

「やはり我々の予測どおりだったわけだね」

「残り二つのブレスレットの行方は?」

 黒猫が聞く。

「心配することはない。パートナーと共に位置は特定できている。あとは哲学者の出現を待つだけだ。それにしても命の哲学者にわざわざカードの怪物を使うとは一体なぜ?」

「単純に僕らは、命の哲学者に覚醒させるために少し脅したんだよ。危機的状況下であればなってくれるかと思ってね」

「なるほど」

 そう言い、男は椅子からのそりと立ち上がる。

「硫黄のカードを奪われたのは残念だった。だが計画に大した支障はない」

「アルビヨンにある二枚のカードを感知しているけど僕らが探しに行くべきかい?」

「いや、君たちの手をあまり煩わせたくはない。それに一枚はアルビヨン政府、一枚は教会が有しているようだ。まぁ僕らの戦力を持ってすればたやすく手に入れられるだろうけど労力の無駄だろう。それよりアルビヨンの地下にあれが埋まっている情報を得た」

「四つの力か」

 希の哲学者が答える。

「ああ。我々の探知機が回収した波長を分析した結果、ウィークボソンのようだ。惑星メンデレに存立するラプラス神殿。そこに九十二枚のカードとともに収められていた十八の素粒子。その中で最上位のものが四つの力。グラビトン、フォトン、グルーオン、ウィークボソンの四つ。計画には必要不可欠な存在だ。そして四つの力を我々の物にするためにもブレスレットが哲学者の手に渡らなければ意味がない。つまり哲学者が揃わないことには四つの力を手に入れても役には立たないというわけだ」

 男は希の哲学者に近づき肩に手を乗せる。

「しかし神殿の襲撃の時に三人を殺してしまったことは申し訳ないと思っている。我々の計画のペースを送らせてしまったわけだからね」

「気にはしていない」

 希の哲学者は目を背けて答える。

「それならありがたい」

「僕らには少し用事があるんだよ。これで失礼するよ」

「わかった。これからも引き続き互いに持ちつ持たれつということでよろしく頼むよ。ネイル・アーエル君にプルートー君」

 二人は表情を変えることなく振り返りドアを開く。すれ違い様に一人の若いスーツの男が部屋に入ってきた。

 若い男は細い目でネイルとプルートーを睨みつけ、中年の男に近づく。

「おぉ、アレクサンドル君か」

 ドアが閉まり、ネイルたちが歩き出す靴音が響く。

「社長。あんな女、必要なんですか?」

 人を食ってかかるような卑屈な喋り方で話す。

「もちろんだとも。くれぐれも手を出したりするなよ。それよりカードの調整の方はどうだね」

「硫黄の実戦データによれば、あまり出力は出せていないようです。実験場での試験も同様です。引き続き調整が必要と思われます」

「そうか。まだカードの力を十二分に引き出せてはいないのか」

「しかし、社長。カードを怪物化してどうするつもりですか。今の所カードよりも強力な兵器ならば我々はすでに製造していますよ」

「いや、カードは強力な兵器よりも強力な一面があるのだよ。なんといっても物質を構成する元素の力を宿したものだ。火力はなくともいくらでも有用性はある。それにカードを欲しがる連中は腐るほどいる。それにネイル君の計画にとって必要なことなのだよ。哲学者の存在と共に」

「その、復活した命の哲学者についてのことなんですが二つのブレスレットと同様に追跡はしなくてもいいんですか?もしカードを入手したなら我々が回収できますよ」

「意味がない。というよりできないのだよ。社員の二人に尾行をさせていたが見事に巻かれたようだ。なぜかはわからないがブレスレットが哲学者という使い手を見つけたことで本性を現したのだろう。不確定性原理が働いているのだよ。カードだけでなく哲学者自身にも。おそらくブレスレットが、哲学者が追跡されていることに気づいて尾行を巻いたのだろう。ずいぶん賢い道具だよ。何と言っても哲学者の意志で動いているわけではないからね」

「そんな技術が…」

 アレクサンドルが驚愕する。

「ラプラス神殿の物のだ。未知の性能があってもおかしくないだろう。誰が作ったのかも未知の、存在だけが一部に知られるなぞめいたラプラス神殿。まだまだ我々が知らないことも多いだろう。研究の余地は大いにあるわけだ」

 社長はアレクサンドルの肩を叩き、穏やかで柔和な顔に悪魔のような不吉な笑みを浮かべるのだった。

 社長室を後にしたネイルとプルートー。

 ネイルは目を伏せ、白く平滑な床を見ながら、沈んだ表情を浮かべ黙々と歩く。

「ネイル、大丈夫?どこか具合が悪いの」

「心配ない。私は平気だ。それより早くカードの位置を特定しないと」

「三人の哲学者のことを気にしているの?」

「なぜその必要がある?もう始まったことだ。その邪魔をしたから犠牲になっただけで何も問題はない。命の哲学者はもう復活した。残り二人の哲学者が復活するのは時間の問題だ」

「でもミネルヴァのことが心配だよ。ネイルが悪態をつけというからあの時そうしただけでミネルヴァは寂しがりやだし、前の命の哲学者だったアルケラの死を深く悲しんでいるはずだよ。口は平常でも相当悪いけどさ」

「もう我々は神殿の守護者でもない。私と対立する存在は全て敵だ。パートナーを我々の陣営に取り込む気はない。でも哲学者は復活させる必要がある。四つの力と九十二枚のカードの本来の力を発揮するためにはなくてはならない。例え敵であっても。そして私はこの力を自分の使いたいように使う。その邪魔は誰にもさせない」

 目を鋭くし、決意と憎悪を露わにする。だが、彼女が抱く憎悪は一体どこに向けられていたのかそのとき誰も知ることはなかった。


 朝、町の街灯からは灯が消え、雀のような小さい鳥たちが一日の始まりを甲高い歌で教えてくれる。

 雛は一人、宿の玄関のソファで思索にふけっていた。

「ロドンに落下した二枚のカード。それぞれネオジム、ツリウム。ネオジムは教会の絵に隠されていた。あのような場所に隠せば見つからないと考えるのもどうかと思うが教会の人は関係があるはずだ。そして私たち三人は今では指名手配犯となっている。『教会の絵を盗んだへクサ』として今朝発行された新聞の表紙を飾っていた。もちろん絵を盗んだ訳ではないし、へクサでもないがなぜかそう書かれている。明らかな誤報である。しかしもし一部の人物がカードの存在を隠蔽するために別の情報を流したのであれば話は別だ。他にも目的があるかもしれない。カードの価値を知っている者たちだ。何かしらの目的があってもおかしくはないだろう。おそらく哲学者の存在も知っているにちがいない。

 ここでアルビヨンにて解明しなければならない点について整理してみる。


 その一 教会と革命軍のカードにおける具体的なつながり。

 その二 カードを一体何に使おうとしていたのか。

 その三 ヘクサの存在。


 カードのつながりと使用する目的を知ることはツリウムのカードの捜索の手がかりになるかもしれない。

 おそらくヘクサも何らかの形でカードの件に関わっているはずだ。教会にいた人物もディアナ教を口にしていたわけだから何かしらの情報が得られる可能性がある。調査することが望ましいだろう。

 ディアナ教とヘクサについてわかっていることを列挙すると、

 ・女神ディアナを神として祀る。

 ・ゼウス教から激しい弾圧を受けている。

 ・ディアナ教の信者がヘクサ。

 ・ゼウス教によって根も葉もない噂が広められている。

 ・ヘクサでない者もゼウス教に反駁する者はヘクサとして弾圧を受ける。

 しかしディアナ教がどういった教えを説いていてどうしてゼウス教から激しい弾圧を受けているのかはわかっていない。

 

 また硫黄の怪物が出現した時にいた希の哲学者。彼女はミネルヴァ君たちを裏切り、ラプラス神殿が九十二枚のカードを全宇宙にばらまいた、原因の一人だ。一体何を考えているのだろうか?そして希の哲学者の協力者の存在。その者が私を別宇宙のアルビヨンに連れてきたと希の哲学者は言った。おそらくは命の哲学者としての兆候が見られたからと考えられるが本質的な目的は未だに不明だ」

 雛は深く閉じていた目を開け、ブレスレットに左手を翳すとケースが開き、カードを取り出す。

「現時点で私たちが回収したカードは十枚。原子番号順に言うと

  一番 水素

  六番 炭素

  七番 窒素

  八番 酸素

  一六番 硫黄

  一九番 カリウム

  二六番 鉄

  四五番 ロジウム

  五九番 プラセオジム

  六〇番 ネオジム

 残り八十二枚。その内、確実に希の哲学者に渡っているのは

  二番 ヘリウム

  一〇番 ネオン

  一八番 アルゴン

  三六番 クリプトン

  五四番 キセノン

  八六番 ラドン

 の六枚だとミネルヴァ君が言っていた。

 見事に希ガス元素だ。希ガスとは単純に言ってしまえば他の物質とほとんど反応することがない十八族元素の総称である。まぁアルゴンなんて名前の由来がギリシャ語で『怠け者』というぐらいだし名前こそ本質を示すというのはこのことと言える。希の哲学者はエレメンタリー・レアガスへの変身に上記の六枚のうち番号が小さい四枚を使うらしい。彼女の場合は私の『アライブ』と異なり、『レアガス』とミネルヴァ君が言っていた。何とかこれらの疑問を解明しなければこの状況を打開できないだろう」

 カードを元に戻すと立ち上がり背筋を伸ばした。

 ソフィとミネルヴァは部屋にいた。

 ミネルヴァは相変わらず表情を一切変えることなく視線をずらすこともなくテーブルで書類を読んでいた。一睡もしていない様子だった。少し気が立っており、翼に握られたペンをお手玉のように空中に投げて遊んでいる。

「特に問題ないような内容ばかりですよ」

 ソフィが一通り書類を読んで言った。

「そうだが昨日も言った通り紙質の違う書類が幾つか紛れていた。これらは他の厚手の紙に比べて薄く水がしみこみやすい。何か変だ」

「暗号とか?」

「それも考えた。だから幾つかの初歩的な暗号解読を試してみたが手応えがない。カードと教会はつながっているんだ。何かしらの書類が残っていてもおかしくはないだろう」

「そういった書類がないかもしかして回収しきれなかったか」

「それだったらおしまいだ」

 そう言い、手に持っていた書類をテーブルに投げる。

「はぁー、疲れた」

 ミネルヴァはその場で横になり、だるまのように転がる。

「何かあるでしょうか…」

 ソフィは目を凝らして書類をよく見る。

 ふとあるアイデアが浮かぶ。

「ミネルヴァさん、火にかざしてみるというのはどうでしょう?何か浮き出たりというのはないですかね」

 ソフィの言葉にミネルヴァは重そうにしていた瞼をすかさず開き、飛び起きて書類を何度も眺める。

「なるほど。哲学者でない君も案外役に立つな。まぁ火ではないだろうが良い案が浮かんだ」

 ミネルヴァは急いで書類をかき集め、部屋を飛び出した。

 雛は部屋に戻ろうと階段を上ろうとした時、猛進してくるミネルヴァに気づき、咄嗟にかわす。ミネルヴァは雛を気にすることなく一心不乱に地下のバーへと駆け下りていった。

「一体どうしたんだ?」

 ミネルヴァの後を追ってソフィが降りてきた。

「ミネルヴァ君どうしたの?」

「先ほどまで書類の解読をしていたんですけど突然部屋を飛び出したんですよ」

「ミネルヴァ君のことだ。何かしら理由があるだろう」

 二人は地下へと向かう。

 バーの明かりがついている。行ってみるとミネルヴァとアゴバールがいた。カウンターに書類が広がり、その隣には水で満たされた大きな、鉄の、銀白色の器が置いてある。

「一体全体どうしたの?」

 カウンターに立っているアゴバールに聞いた。

「おはようございます。ミスター・尾野。そしてソフィ。何でもミスター・ミネルヴァが大至急必要と申されまして用意した次第です」

「よしこれでいい」

 ミネルヴァが書類をつかむと全てを水に放り込んだ。

 時間が経たない内に紙に水が浸透していく。紙に染み込んでいた黒いインクが水で流れていき、器の水が黒くなっていく。

 十分ぐらい経ってミネルヴァが書類を器から出し、水を切り布で簡単に拭いた。

「やはりな。思い込みは時として誤った結論しか生まないとはまさにこのことだな」

 そう言い、水を拭き取った書類を雛とソフィに渡した。

「嘘!」

「文字が浮き出ていますね」

 書類で水が染み込んでいない部分が、文字となって浮き出ていた。

「ずっと暗号だと思っていたが暗号でもなんでもなかった。おそらくアセトンを混ぜた溶液で文字を書いたんだろう。化学式はC3H6O。有機溶媒の一つだ。つまり水に溶ける物質だ。だがその溶液で文字を書けば紙のその部分だけが水を通しにくくなる。だから水に浸せば文字として浮き出るというわけだ。アセトンの溶液はとても乾きやすいから書類に皺をあまり残すことなく秘密の文章を相手に伝えることができる」

「なるほど。でっ何て書いてあるの?」

「哲学者でない君が読め」

「あっ、はい。

『シュプレンゲル司祭へ。

 この度はエレメンタルカードの提供をありがとうございます。怪物化させる技術は我々も持っているので強力な兵器として大いに活用できることでしょう。その見返りとしてあなたが望んでいた教会への資金提供と計画の推進は約束いたしましょう。怪物化させる技術を知りたいとの返事もありましたが我々としてはこの技術の提供者の意に反するということで申し訳ありませんが控えさせていただきます。あの者は邪悪な存在です。何としても排除しなければなりません。また我々の思想に反しています。これは障害になりかねない。そのためにも計画を進めなければならない。そのためにも今後の支援をよろしく願いたい。

キャシオ・エンノア』

 以上です」

「手紙だったんですか。ところでキャシオ・エンノアって誰です?」

「革命軍のNo.2ですね」

 ソフィが答える。

「計画とは何のこと?それにあの者についても」

「何とも言えないな。これは調べる必要がある。それよりカードを革命軍が所有しているということだ。さらにカードを怪物化させる技術を持つ存在との接触を思わせる記述がある」

「これからどうしますか?」

「決まってる。革命軍の内情を探るつもりだ。そうすれば自ずと怪物化させる技術を持つ組織の把握が可能だ」

「しかしどこに行けば…」

「まずは手紙に残っている手がかりからだ」

 そう言い、一枚の書類を雛とソフィに投げる。

 厚手のなめらかな書類だ。折り曲げた跡やインクの擦れ跡が残っている。その下の隅に鮮やかなガーネット色の染みが付着していた。

「これは?」

「おそらくバルバレネクタールですね」

 アゴバールが答える。

「ネクタールの一種で高級酒の一つです。ロドン内であれば買えるところは限られるでしょう」

「全部で四件。そのうち最も政府官邸に近いのは『デスデ』と言う酒屋だ」

「いつの間に調べたの?」

「まぁな。深夜に少し新鮮な空気を吸いに飛んできた時に確認してきただけだ。まぁちっぽけな手がかりだが案外そのあたりから近づいた方が僕らにとって都合がいい。とにかくまずはそこに偵察に行ってきてくれ」

 ミネルヴァの冷徹で、威厳を含ませた恐ろしい視線が雛に注がれる。

「私ですか?」

「哲学者以外誰が行く?」

「ですよね」

 雛は目を細め、仕方ない様子で椅子に腰を下ろした。


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