小さな家
雛は朦朧とした意識の中、ここはどこか確かめようとする。
体は自由に動く。
しかし酷く倦怠感を感じる。
一体ここはどこなのだろうか?
目を開け、まず自分の姿を確かめる。
服は意識を失った時とそのままだし、持っていた鞄も私の傍に落ちている。
ポケットに手を入れてみた。
不意に発光した、あのカードもあった。
この光のせいで確か意識を失ったはずだ。
一体このカードは何だというのだ?
それは去ることながら地面に倒れ伏していた雛は顔だけを動かし周囲を確認する。
森の中にいるようだ。茂った木々の隙間から光が差し込む。
風が戦ぎ初々しい緑色の木の葉が数枚落ち、剥き出しの土に彩りを添える。
何匹もの鳥の囀りが森の中で響く。
木の幹でカブトムシのような表面に光沢のある大きな甲虫が樹液をなめている。
その周りに数匹の蝶のような昆虫やカナブンのような昆虫がたむろしている。
ただ、雛の知っていた昆虫と若干姿が異なっていたためである。
カナブンの表面には光沢が一切なく、黒い塊が始めごそごそ動いているようにしか見えなかった。
なんとか力を振り絞って起き上がる。
なぜこんなところにいるのだろうか?
見る限りここが大学であるはずがない。
どこなのかを探るため雛は歩くことにした。
幾らか時間が過ぎ、歩く中で茂みが増えてきたがなんとか分け入って進み、少し開けた場所に出た。
そこには快晴の空のように透き通った青や、人の心を優しく包み込む暖かく、淡いピンク。太陽のように快活さに満ちた黄色など色とりどりの花が咲いていた。
そしてその花には様々な昆虫が花の蜜を吸いに集まっている。
ハチと思われる昆虫は体色が赤く、目が複眼ではなく瞳を持つ丸い目をしている。蝶と思われる昆虫は羽がなぜか4枚ではなく6枚である。さらに口がストロー状ではなく、ブラシのようになっており花の蜜を夢中で舐めていた。
その光景を眺めた後、また足を進めた。
あちらこちらに昆虫以外の動物の姿が確認できた。
鹿のような動物や、タヌキのような黒と灰色の縞模様をした動物などのように見慣れた動物もいたが、ウサギのように耳が長いが鼻も同様に長く、その鼻を使って地面を歩く動物もいた。さらに三日月型の、兜のような立派な角が生えた、牛のような、2メートル近くある動物も目にした。
歩いてから数時間が経ち、茂みが少なくなって通りやすくなる。
森の端にさしかかり、うっすらと建物のようなものが木と木の隙間から見えた。
走ってそこに向かう。
木でできている、倉庫のような建物の壁はいたるところ穴が開き、屋根は一部掛かっておらず、泥で汚れている。周りに木屑が落ち、よく見るとシロアリのように白いがたった一匹の昆虫が壁を、耳障りな音を立てながら食べている。大きさも30センチと大きい。
少し外見にたじろいだ雛はその場を離れ、建物の入り口前に立った。
中に入ると、ひんやりした空気が漂うその部屋には穀物が蓄えられていた。
ただ、今までと同様に全く見たこともないもので穂先には赤い実がついていて毛が長く既存の穀物のどれでもない。
雛は人を探すことにした。
倉庫から出て、周囲を歩き回った。所々に同様の倉庫が見られ、数分歩くと開けた大地に出た。
そこは畑で、倉庫で見たあの植物が一面に植えられている。
ただ人の姿がどこにも見られなかった。
「ここは田舎だろうか?しかし」
道を外れて赤い実の穀物に近づき、穂先をじっくりと見る。
「変な形の植物があり、動物もいて、昆虫もいる。どう考えても普通の状況下ではない」
そんなことを考えていると、
「お前何してる?」
突然の声に振り返ると、道に一人の男が立っている。
彼は手に赤い実の穀物があふれんばかりに詰められた籠を持ち、服は泥だらけで、肘と膝、足元あたりが顕著である。所々服からはみ出た糸がもつれている。外見からして農家であることは一目瞭然である。
体は大きく、肌は黒くごつごつしている。四角い顔にヒョウのようなぎらついた目がついている。眉は太く額には多くの汗を浮かべ唇が厚く厳しい顔つきである。
口元を引きつり、眉間に皺を寄せ鋭い目つきで雛を睨みつける。
「こんな真昼間に堂々と俺の畑からアカザを盗もうってわけじゃないよな」
憤りの混じったその口調に雛は圧倒され言葉が出ない。
「なんとか言え」
動揺しながらも言葉を絞り出す。
「別にそういうわけでは」
「だったら何してるんだ?」
さらに目つきを鋭くする。
「こちらも何をすべきか迷っているところです」
「質問投げ返すな。それより俺の畑から離れろ」
「それは失礼」
雛は畑から離れ、道に戻る。
「あの、突然の質問で恐縮ですがここってどこですか?」
「頭をお大事に」
そう言い、彼は去っていこうとする。
「ちょっと待ってください。本当にどこか聞きたい。別の場所にいたのですが意識を失ってここで目覚めたんです」
「うるさい、答えてやるから邪魔をするな。ここは惑星アルビヨンのザルツ。わかったか?」
「はいっ?今何と」
「惑星アルビヨンのザルツ。同じことを二度言わせるな」
目を丸くして口を開き、蝋人形のように固まる。
「おい、日の当たりすぎで熱中症にでもなったか?」
雛はあまりの驚きでその場に頽れ、再び意識を失った。
「おい、しっかりしろ」
彼の声に雛はふと目を覚ます。
「あれ?」
雛はベッドに寝かされていることに気づく。
そのベッドはとてももろく表面は黒ずみちょっとした振動で激しく揺れる。布団もあまり清潔とは言えない。
「道のど真ん中でぐたって倒れたから仕方なくうちに連れてきた」
彼は椅子に座っており、威圧的な態度で告げる。
「これ、食べるなら食べろ」
そう言い、彼はベッドの脇のテーブルに置いてある食べ物を指差す。
アカザと呼ばれていた、先の赤い身の植物の穂先の赤い実を茹でたと思われるものが皿に入っている。
ここに来てから飲まず食わずで歩いてきたため空腹ではあった。
「ではありがたくいただきます」
雛はお辞儀をしてスプーンを取り、実を掬って口に含む。
食感は米に近く、弾力性がある。味は小豆のように甘い。
ここではこのアカザが主要な穀物なのだろうか?
「美味しいですね」
「それはどうも」
スプーンを皿に置くと、雛は自分のいる部屋を見渡した。
あまり広くないその部屋は、壁は石膏で固められ、先ほど見た倉庫よりは頑丈な壁ではあるが一部は崩れ落ち、建物の柱がむき出しになっている。壁の隙間には木の葉などが蓄積されている。その部屋にはベットと彼女の座る椅子以外は古びた家具しか置かれていなかった。床も、木の一部が反り返り腐っている。白い天井には雨漏れの跡が二つあった。
「あまり部屋を見るな」
彼は雛から目をそらして言う。
「申し訳ありません。いろいろと迷惑をおかけしたようで。倒れた私をここで寝かしてくださり、さらに食事もさせてくれてありがとうございます」
「確かに相当迷惑したな。この辺には医者もいないからこうしてうちに運んできてやった」
彼はそう言って立ち上がり窓から外を眺める。
「お前はまず何者だ?」
彼はそう聞く。
「名は尾野雛と言います。年齢は33。職業は大学教授です」
「教授、裕福なやつか。それでこんなところに教授が何の用だ。革命から逃げてきたか?それともへクサか?」
雛は最後の二つが何を指しているのかわからなかったがそれについては質問することはしなかった。
「残念ながらどちらも違います。先ほど言いましたように何をすべきか迷っています。今置かれている状況が複雑ゆえにです」
「そうかい」
そう言い、深く溜息をつく。
「ところでお前、教授と言ったな。専門は何だ?」
「数学の群論という分野です」
「数学かい。俺の知り合いにも数学者がいたな」
彼はぼろぼろの椅子からぎしっと音を上げて立ち上がると窓から外を眺める。
「あいつはいいやつだった。貧しい俺に友達だからと無償で数学を教えてくれた。学問に対する熱意は誰にも負けないやつだった。あいつの言葉を聞いていると学ぶが楽しく思えてくる」
「数学は学ぶとは何かを教えてくれる最上の学問とも言えます。厳密な理論の下に築かれる秩序だった自然現象を記述する公理体系。これ以上に学問の真価をまざまざと教えてくれるものはありません」
「お前さんもあいつと同じぐらい熱意がありそうだ」
「数学に対する熱意では負ける自信はありませんね」
「そうかい、あいつは死んだがな。へクサとして」
雛はその言葉を聞き、少し気まずくなる。
「もう体は元気だろう、お前は二時間ほど眠っていたんだ。元気ならとっとと出て行ってくれ」
「ではそうします」
威圧的な態度に苛立ちを覚えたが、彼の顔に浮かぶ悲しい表情を見ると苛立ちが消えていった。
「ところで名前は?」
雛はそれだけ尋ねてみた。
「ディートリッヒ・レンプだ」
ベットから起き上がり身支度を整えた。
「少しの間ですがお世話になりました」
雛はレンプに深くお辞儀をする。
「では」
「じゃあな」
レンプの家を後にした。
雛は先歩いていた道を進みながら今までの出来事について考えていた。
カードの発光による別の場所への移動、そこに生息する未知の生物、今自分が立っている場所が惑星アルビヨンという地球でない惑星、しかしここにも地球人と何ら変わりない存在が住んでいる。
雛は透き通る爽やかな青空に浮かぶ羊のような雲を眺めた。
その時、
不意に背後で大爆発が起こり、爆風が雛を通り抜ける。
雛はすぐさま振り返り、光景を目の当たり