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失われた未来の再建  作者: 水素
18/18

discrimination

新聞では絵を盗んだヘクサが持ちきりになっている中、大理石の建物が広がるロドンの中心地では血気が満ちていた。街中に掲げられる、ドラゴンの描かれた旗がその血気を煽り立てるかのように翻っている。人々は政府官邸の広場で、一点に視線を集中し騒乱している。

「汚れたヘクサが」

「醜悪極まりない」

「地獄に落ちろ、革命の時代にお前らなど必要ない」

「自由を乱す野蛮な種族が」

「人の悪はすべてこいつらが作り出した幻想さ」

「ヘクサがいなくなれば平和的に解決する」

 ぼろ切れに包まれ、鎖に繋がれた痛ましい姿の男女二〇名が革命軍兵士に引かれ、広場の中央までの直線の道のりを歩いている。一人を除いたほぼ全員が、空を見ることなく沈黙から生まれる絶望の海に沈んでいたが一人は誇るかのように、口を真一文字にし、一歩ずつ踏みしめて歩いている。

 広場の中央に、人々を畏怖せしめるかのように存立する鉄の台。その上に乗る赤い架。

 兵士によって架がどかされると赤黒い染みが広がる真の鉄の台が露わになる。

 まず一人が、台の隣で待機していた男にごみのように押さえつけられる。押さえつけられた女は恐怖に蒼白とし、息さえしていないように見える。全身はすでに周囲の憎悪の目により射抜かれ、風前の灯だ。

 押さえつけられ状態で、兵士が書類を広げ、言う。

「そなたはヘクサであり、善良なるロドン市民の恥である。そなたはこの天の御前でヘクサであるという罪を受け入れ、許しを得たいと願うか。天は皆に平等だ。天に対し、今許しを乞うのならそなたは天に召され安心して罪を償うことができよう」

「私は、ヘクサじゃない。私はヘクサじゃな…い。ヘクサなんかじゃないんだ。死にたくない。私は何もしてない。貧しいまま死にたくない。助けて。何もしてない」

 女は必死に恐怖から絞り出された涙を浮かべ、最後の悲鳴を上げる。

「もういい、このような醜い女に慈悲をかけるのが間違っていたのだ。やれ」

 兵士が最後まで手に持った書類を読み上げることなく合図を送る。押さえつけていた男が鉄の台にうつぶせの女を紐でくくりつけた。そして一人の男が女の首に、持っていた冷たい剣を静かに当てる。薄笑いを浮かべると間髪入れず剣がわめいた。

 剣から静かに音が消える。

 人々は女の姿に祝福の熱狂を捧げる。

 また一人、また一人、剣はわめいていく。

 その度、人々の熱狂は増していく。血を崇拝している信者が開く祭りのようだ。血を見て叫び、わめき、呻き、悲鳴を幾度となく()ねていく。

「革命軍万歳!」

「これこそ革命の正義、旧政府を追い出し、醜いヘクサに大いなる報いを」

「社会を乱す悪魔!」

「秩序を知らない者に革命軍が眩い炎を放ち火あぶりにしてくれるのだ」

 人々の喜びは止まることを知らなかった。

「そなたが最後だ。これだけ、行った者はわめき散らしたのだ。そなたには必要ないだろう」

「そうか。つまらないな」

 男は馬鹿にしたような笑いを浮かべる。

「我らが革命軍になんという口答えだ」

 人々が罵声の海を作り出す。

「お前らも随分馬鹿だな。何も見ることも考えることもしないでただ死んでいくのを喜んでいるなんてこれこそ死んでも治らないって奴か」

「天の御前だ。口を慎め」

 兵士の一人が腰の剣を抜き、首に突き付ける。

「何が天だ。お前はそんなものがいるとでも思っているのか」

「もちろん。天は我々の行いをずっと見ていらっしゃる。天は善い行いをしたものに善い未来を、悪い行いをしたものに悪い未来をもたらす」

「天こそ偉大なる存在だ」

 兵士の言葉に呼応して熱を上げる。

「いいもんだな。考えないのは」

「さあ、早く乗せろ」

 口答えの分が上乗せされ、兵士たちは男を鉄の台に押さえつける。

 押さえつけられた男は横に顔を向け、彼を嘲笑う人々を彼は逆に嘲笑っていた。

「さあ殺すなら早く殺せ。俺の血を見たいだろ」

「そうだろうな」

 一人の男がそれに答える。

「おやおや、随分な身分の奴が来たもんだな」

「ティウス総帥!」

 人々がブロンドの男に崇拝の眼差しを向けている。革命軍のトップにして革命政府の指導者であるイアーゴ・ティウスは隣にキャシオ・エンノアを従え、醜い広場の中央で、押さえつけられた男に凍てついた視線を送る。

「無実の人が死んでいく姿を見てお前は楽しいか?女でも金でも好き放題の身分だしな。ヘクサは基本女だ。貧しい女が入る場合が多いからな。だがな、貧しい女だからって全員がヘクサじゃないんだ。お前は無実の女を何人もヘクサとして、大義のため、世間の正義のため、体裁のために散々葬ってきただろ。お前こそが悪魔だ。俺の惚れた女も断首台の餌食だ。で俺はヘクサになった。そうさ、俺こそ正真正銘のヘクサだ。ヘクサの証である水晶のついた長い杖を持っている。別にゼウス教とは違う天もしくは神を信じたいとは思わない。だがヘクサは平等を唱える。ほとんどの奴らはヘクサ=悪者の図式だけで中身を知らない。中身をな。今の世じゃ俺は珍しいだろう。なぁ、ふざけた目をしてねぇで言ったらどうだ?」

「口を慎め」

「いい、しゃべらせておけ」

 ティウスが制止する。

「何卒そのようなことは…」

「最後の悪あがきだ。しゃべらせておいた方が奴にとっても幸せだろう」

「ふざけたこと言ってくれるじゃないか。革命軍の指導者が革命を否定してやるよ。笑えるぜ」

「お前はヘクサ、それだけで死ぬ理由になる」

「死なんて俺は怖くねぇ。惚れた女がいるところだ。むしろ嬉しいぐらいだ」

「そうか、なら何故今ここでわめいている?」

「決まってる。社会に未練があるからだよ」

「未練?どういう意味だ」

「よくもわからない差別で人が死んでいく社会に対する未練だ。男は女を抱くことしか考えていねぇ。政府は売春宿から金を受け取り、その代わりに商売を認めている。その宿の中で何が起きていようとな。俺の惚れた女もそこに居たんだよ。俺はあいつを助けられなかった。毎日、はした金でおもちゃにされて体も心も殺されていく。俺だって元々は屑な連中と同じやつらだった。だがな、あいつに惚れてから気づいたんだ。愚かだとな」

「別に金銭が効率的に政府に入る方法だ。止めるわけがない。それに、愚かな行為が普通に起こるのが社会の正常。そうは思わないか?」

「屑な連中のトップからそんな言葉が出るとは」

「ふん」

 ティウスは押し返すように荒い鼻息を鳴らす。

「ふざけるな。お前の嘲る顔がいけ好かない」

「そう思うのはお前の自由だ」

「どこに自由があるんだ。あいつに自由はなかったんだ。わかるか」

「政府が金銭の受け取りを止めたところで裏ではびこる。もし、端から端まで政府が取り締まって売春を殲滅したところで女に対する差別はなくならない。死体に湧く虫のようにどこからでも生まれる。どんなに見てくれの社会が平和で、素晴らしい法治国家だろうとな。ヘクサも同じことだ。差別は社会の根幹にあるのだ。変えられないし変えようとも思わない」

「お前のような奴がいるから社会は変わらないんだ」

「これが正常だ」

 初志貫徹した凍てついた目つきが一瞬曇った。

「言わせておけば物々と汚らわしいことを」

 書類を持った兵士が怒りを露わにする。

「自由などそなたのような醜い存在のためにはない。ティウス総帥のような崇高な方のためにあるのだ」

「そうか、じゃあその自由とやらをお大事……」

 男の言葉の最後は唇の痙攣で歪んだ。

 ティウスは目を、淀んだ雲がかかる空に寄せ、冷たい風を顔に浴びながら深く溜息をついた。


 日が沈み、神秘的な夜がやってくる。アルビヨンの大地に如何なる偏見が渦を巻き、如何なる汚辱が根付こうとも夜空の虹色の光だけは褪せることがなかった。

 ティウスの自宅は豪華絢爛という言葉がみすぼらしい言葉に聞こえるような、緻密に築かれた美の屋敷だった。外観は虹色の光を圧倒するように輝く大理石の光に包まれ、闇夜でも異彩を放つ。庭にはロドンで生育可能なあらゆる植物が埋め尽くし、植物の楽園のようである。門には、これも大理石でできた、生きているかのような、その中に絶大な艶めかしさを秘めた女の像が両脇に聳える。玄関もエンタシスを持つ柱が建物を不動の存在へと変えていくかのようだ。ガラスの張った窓から淡い黄土色の光が漏れている。

 中ではサロンが開かれていた。サロンはゴルゴンの時代にはほとんど開かれなかった。少しでも怪しい動向を見せればたちどころに鉄の台。そういう時代だった。会話することすら許されなかった時代だ。寡黙は美徳とされた。だが革命で変わった。寡黙は恥とされた。美徳は饒舌ともいえよう。貴族だけでなく民衆も会話を楽しみことができるような時代になった。そう人々は思っていた。

 その部屋の天蓋はドーム状で、ゼウス教で崇められる聖像が描かれている。ガラス張りの窓が壁面の代わり三方に広がる。床にはアルビヨンにとって高尚なるヘクサ弾圧の歴史の絵画が描かれている。

 多くのテーブルを囲み、様々な貴族、議会議員がガーネット色のネクタールを片手に談話を楽しんでいる。

 貴族の婦人たちは話題のファッションで盛り上がる。

「そのドレス、コルセットなしで着るものなんて先進的ね」

「そうでしょ。仕立屋に前から考えていたことを言って作らせたの」

「コルセットなんてきつくて何のために着るのかわからないぐらいよ」

「装飾とかも付いていなくて革命が服まで変えちゃったって感じ」

「いいこと言うね。私もそういうことを考えていたの」

「女性も政治参加ができればいいのにね」

「まぁでも自由に服のデザインが考えられて、男がデザインした服を着ないだけでも私にとっては幸せよ」

「そういうもの?」

「人それぞれでしょ。時代が何であろうと私は幸せ」

 議会議員は今度議会で審議されるロドン市民の人権にまつわる法案の是非を問あっている。

「私は今まで貴族は自明なものとして受け入れられてきた自由を、革命を機に民衆にも与えるべきです」

「お前に言い分ももっともだが自由は無知の者に与えすぎるのもよくない」

「民衆が無知とでも言いたげですね。私は貧しい土地の出ですが実力で議会議員になったのです。一切のコネを使わずにです。あなたのように生まれが良いわけではありません」

「そう言うとは思った。だが私は自由というものがあまり好きではないのだよ。自由にもルールがあるだろう。無知な者にルールを守ることはできない。まだ民衆は自由の怖さを知らないのだよ。今の社会には早熟なのさ」

 グラスを運ぶ使用人は身なりのいいスーツを着こなし、愛想笑いを浮かべている。

「何でこんな愛想笑いしなきゃいけないのか」

「仕事だからだ、マノン君。誰もむっつりした奴から酒をもらいたいと思うか?愚痴をこぼすなら働きなさい」

「私も愛が欲しいな」

「愛?ずいぶん話が変わったな」

「何か、婦人たちを見ていると楽しそうで仕方がないんですよ。あんなに笑ってて好きな事をしゃべれて好きな事ができて。でも私らのような明日生きていけるかわからない身は仕事ばかりしなくてはいけない。明日、路地で男に襲われるかもしれない。明日、解雇されて路頭に迷うかもしれない。明日、私の家が荒らされてお金がとられているかもしれない。大邸宅の使用人として働いている限りはそんなに不自由することはない。でも…」

「考えすぎじゃないか?でっ、愛とどう関係があるんだ?」

「明日どうなっているかわからない。これが不安でたまらない。愛してくれる人がいて、愛せる人がいれば案外不安にならないかなっと思って」

「泣けることを。トレーを落としそうではないか」

「男でしょ。泣かないでよ。もともと仕事しろって言ったのはあんたでしょ」

「そうだったな。ぐすっ、働かないとな」

 科学者たちは天文学の新発見について熱い議論を交わしている。

「アルビヨンはアメリゴという恒星を中心に公転をしている。それは数学の見地から明らかだ。ゼウス教にように我々の星が中心にあるわけではない。おそらく我々の星があるこのテルス銀河も同じだろう」

「賛成だ」

「そこで観測結果を最新の数学の理論で考証した結果、テルス銀河の中心からこの星は二百五十光年離れていることがわかった」

「つまり、銀河のバルジにこの星は存在すると」

「いや、テルス銀河は他の銀河に比べ規模が小さい。一番テルス銀河に近い銀河であるヘリオス銀河の幅は五万光年。これも計算でわかっている。テルス銀河の幅はだいたい六百光年」

「ほう、そうだったな。だからハローの辺りか。それでは小惑星やら塵やら星間物質が漂うところに我々の星があるということになるな」

「そういうことになる。それでだ。最近、小惑星がアルビヨンを中心に公転しているようなんだ。しかも二つ。それぞれカストルとポルックスと呼ぼう。ヘリオスの重力を考えて、四体問題として解くとカストルはおそらく五五日で一周する」

「化物みたいな複雑な計算をよくこなしたな」

「一年かかったよ」

「一年でも早いぐらいだ。普通の人間なら十年かかるかもしれない」

「褒めなくていい。だが特筆すべきはポルックスなのだ。軌道、さらには周期も計算と合わないのだ」

「それは興味深い」

「そうだろ。なぜかはまだ調査中というわけなんだよ。そこで是非とも協力してほしい」

「もちろんだ」

 作家たちは一つの小説を持ち出し、著者がいる前で批判をしている。

「この『スペラタ』という小説は構成も最悪、展開も最悪、主人公の発言は恐ろしいほどに矛盾がない。だがどこか物悲しいものばかり。それに主人公の言葉と違って筋らしい筋もない。お前のただの嘆きをぼやいていているだけ。誰も読みたいとは思わない」

「私はわざと筋を作りませんでした。意識の流れるままに筆を進めたんです」

「なぜだ」

「人それぞれ見解はあると思いますが、私は社会の世情を反映したいと考えました。不条理な社会。矛盾だらけの社会。とにかく人が作り出すものには筋も何もない。だから私はそれをこの小説に映したいと思いました。私の考えですが、小説はできるだけ社会を映し出す鏡として、良いところも悪いところも偽りなくありのままに示すことに意義があると思います」

「そんな血腥い現実がそのまま書かれた小説など誰も読むはずはない」

「私はそうではないと信じます。この世にあるのは筋ではなく時代の流れです。時代の流れの中には感情があるのではなく強欲があります。それが社会をどんどん無茶苦茶にしていきます。人の不幸を喜ぶようになったり、人の死を楽しんだり。強欲には筋など必要ありません。後先考えず、その場だけの利を行動にするだけです。だから社会はどんどん無茶苦茶になっていくのです。その無茶苦茶さを私は筋を設けず、筋という理屈を見出したいけど見出せない、強欲にまみれた社会に対する主人公の感じるもどかしさとともに表現したつもりです」

「それを聞くとこの小説の見方が変わっていきます。構成も展開もとても理にかなっている」

「ごもっともな意見ではありますかな」

「私もそう思う。だが君のような有能な哲学者はおそらく作家としての未来はないだろう」

 哲学者は政府の政治の根拠を煮詰め、議会議員も同様に考える。また犬のような小型の、斑模様の動物が会話に参画している。やはり地球ではありえない光景だ。

「政府は何らかの最新兵器を用いてヘクサ弾圧を進めるという話がある」

「バワン、それはおいらも聞いたバワン。仲間から聞いたバワン」

「そうか。議会議員である君は哲学者である私にどういった助言を?」

「私はその情報を聞いた時、目が飛び出そうになりました。まさか旧政府が行っていたことを再びしようとするなんて」

「そう思うのも当然だバワン」

「あなたたちの口を信じて申し上げますが私はヘクサです。ヘクサの中でもそれなりに学を身につけていたので私が議会議員に立候補し、少しずつ社会の体制を変えていこうと考えたのです」

「なるほど」

「ですが、確かに議会選挙は行われましたが議会ではどう見ても議員一人一人に発言権があるとは言えません。私はほとんど発言する機会がなく、発言しようと思えば口を慎めと言われます」

「大部分の民衆の支持を得るために議会議員が君の様な少数派に圧力を加えているのだろう」

「革命の時代のはずがおかしいではありませんか。饒舌が美徳なのではないでしょうか?」

「饒舌は過ぎている。礼節をわきまえた、適度な発言が大事だ」

「ですが私にはそれすら許されません」

「社会は戦場バワン」

「バワンの言う通りだ。社会は戦場だ。君もヘクサの偏見をなくしたいと思ったら戦うしかない。口を大きく開いて訴え続けるしかない。私も最初の頃はそうして少しずつ受け入れられてきたものだ」

「そうですか。戦いですか…」

 テーブルの端で、商人である男がおどけた声でサロンにいる人々にゲームの参加を呼びかける。

「ここに三つの石があります。一つは煌びやかなダイヤモンド、いや、何度見ても美しい。もう一つは鉄の欠片。最後の一つは道端に落ちているただの石ころです。みなさんは私に何か言ってください。もしそのことが正しければあなたに三つの中の一つを渡しましょう。ですが間違っていればどの石も渡せません」

「どういう意味だ?」

「まぁ、お金は一ガロンヌしか取りませんしサロンにいる皆さん、まずは挑戦してみてはいかがですか?」

「それはいい、私がやってみたい」

 議会議員の一人が先を行き、男とテーブルを挟んで座り、腕を組む。

「どんなことを言ってもいいのか?」

「はい、構いません」

「もし正しければあなたにどれか一つを差し上げましょう」

「石ころをもらっても嬉しくない」

「ですが何をあげるか決めるのは私です」

「じゃあ、試しに言ってみるか。お前は青いベストを着ている」

「正しいので、これをあげます」

 そう言い、石ころを議会議員の一人に渡した。眉を吊り上げ、怒りを露わにするのをさておいて、商人は「はい、次」と言う。

 次々とサロンの人は挑戦していくが、何もあげないか、石ころもしくは鉄の欠片をあげるかそれだけがルーチンのように数時間続いた。

「もう、誰も挑戦者はいないのですか?」

 商人の後ろには一ガロンヌ紙幣の山ができている。

「ではもういないなら私はこれで失礼させていただきますよ」

「私がやる」

 一人が、挙手をした。人々はそれを見て振り返る。

「若い女か。また無理だろうな」

「綺麗だけど目が怖いわね」

 眉をひそめて彼女を見る人々をよそに、椅子に座り、宝石をじっと見始めた。

「さてあなたは何をおっしゃいますか?」

 彼女の服は簡素なものだった。白いワンピースで、着ている本人にはない茶目っ気のある服だったが彼女によく似合っている。だが、腰の部分の縫い糸が少しもつれていた。

「あれ、頸の部分に痣があるように見えるが気のせいか?」

 別の議会議員が言う。

「さぁな」

「言う前に見ろよ」

 女は黙ったまま肘をつき、宝石をじっと見ていた。

「できればそろそろ言っていただいほしいですな」

「そう、最初から答えはわかっていたんだけどどうにも言い出す気がしなくてね」

「ではどうぞ」

「あなたは石ころも鉄も渡さないでしょう」

「はっ?」

 人々は女の言葉に耳を疑った。

「意味不明だな。あいつは何を言っている?」

「見ろ。男がダイヤを渡すのをためらっているぞ」

「でも、何でダイヤをあげなきゃいけないんだ?」

「そうか、そういうことだ」

「何だ?どういうことなんだ?」

「女の言葉は本当でも嘘でないんだよ」

「馬鹿が二人に増えた」

「最後まで聞け。もし本当のことを言っているのなら男はダイヤをあげなきゃいけない。だって石ころと鉄をあげたらあいつは嘘をついていることになってあげることができない」

「なるほど」

「だが嘘だとしてみろ。もし嘘ならあいつは何もあげない。だが、石ころも鉄も渡していない。つまり本当になるんだよ」

「よく分からないな」

「本当とすれば本当になるが、嘘だとすれば本当になるということさ」

「つまり絶対にダイヤを渡さなきゃいけない言葉を言ったわけだ」

「そういうこと。あの女、相当な切れ者だ」

 解説をし終えた一貴族は拍手で女を迎えた。すると人々は次々に拍手で迎えた。

 女はためらう商人の手をどけてダイヤを握ると席を立ち、無言のまま歩き去ろうとした。しかし、

「待て、クソ女」

 商人の男が額から怒りの皺を寄せてどなり声を上げる。

 彼女は無視して歩き去る。

「俺のダイヤを返せ。それは五千万ガロンヌの値打ちがあるんだ。盗人!」

「負け惜しみ」

 彼女は嘲るようにそれだけ言った。商人の顔は蒼白とし、握りこぶしを壁に一発打ち付けた。頬を引きつりながら、商人は突然口火を切った。

「言ってもいいのか?」

「何を?」

「お前が娼婦だということをだ」

 サロンの人々が商人の言葉に一瞬にして空気がざわめき、彼女を見る。

「根拠は?」

「お前の顔には見覚えがあった。どこで見たかと思えば娼婦じゃないか。しかも娼婦の中でも何でも屋だ」

「こいつがか」

 最初に拍手を送っていた議会議員が後ずさりした。またそれを機に次々に体を後ろに寄せ、彼女から離れていった。

「服を見ればわかるだろ。何でも屋は娼婦の最底辺だ。極貧の女しかならない。生まれの汚らわしいやつだ」

「阿婆擦れ」

「そうだ、お前は阿婆擦れだ。ダイヤをひったくった」

「「阿婆擦れ」」

 事態を聞きつけ兵士が駆けつけると、彼女を取り押さえ、ダイヤを無理やり奪うと商人に返した。

「ティウスのサロンは誰にでも開放しているというのは嘘か」

 小さく言葉を隠すようにつぶやいた。

 そしてサロンの人々は誹謗中傷をダイヤに代わりに与えた。数学者、作家、哲学者と連れは黙って見物していた。

「こいつをティウス総帥の邸宅から早く連れ出せ」

 兵士は強引に彼女を連れて行った。

「離せ。盗んだのは商人だ。私のダイヤになったはずだ」

「黙れ、屑女」

 門の外に出ると、サロンにいた貴族の何人かと商人、巨大ながたいの男が待っていた。兵士は腕を縛って彼女を地面に投げつけるとティウスの邸宅に戻っていった。

「阿婆擦れ、落とし前を付けようじゃないか」

 星の光が雲で陰る。虹色の光は彼女の肌を決して照らそうとはしなかった。

 殴る音。殴る音。殴る音。彼女は何も言わない。ただ殴る音だけが偽善たる平穏の空気を揺らす。

「謝れよ。阿婆擦れ」

 貴族が言う。

「何か言ってみろ。口があるだろ。無くしてやろうか」

「虫けらが。同じように服なんて着ずに生きたらどうだ?」

「火で炙ってやるか」

「そのための松明だ」

 星の光がまた雲で陰る。鮮明に聞こえた。必死に押し殺しても聞こえる悲鳴が。


 彼女は目を開けた。なぜか空が見えない。天井があった。手が思うように動かないことに気づく。目で見ると包帯が巻かれていた。体にはコートがかけられている。ベッドではなかった。周りを見る限り小屋の地べたで寝かされていた。誰が一体が…。

「裸同然で、全身傷と痣と火傷だらけ、腕の骨も折れている女を介抱したかって思ってるだろ?」

「お前は」

「驚くだろうな。私の身分を考えれば」

「ティウス」

「革命軍の指導者、この私が女の介抱。いや、傑作だ」

「随分驕った言い方。民衆の前じゃ革命の王子気取りのくせに」

「私は冗談が好きなんだよ。考えることと同じくらいな」

 女は無視し、沈黙の唇を浮かべる。

「同情はする。だがそれだけだ」

 ティウスは凍てつく視線で彼女を否定した。

「簡単な話だ。人は…」

「人は私のような存在をあざ笑うものだから…」

「やはりお前には理知があるようだ。お前の言う通り、何でも屋の女に手を差しのべる者はいない。現実をよくわかっているじゃないか」

「現実は痛いほどよく分かっている。毎日、生きるために男のおもちゃにされていれば」

「でもそこしか働ける場所がなかった。この世の中だ。女に対する差別は根強い。貴族の女か貴族に嫁いだ女には未来はあるだろうがお前のような女には散々使い物にされてゴミのように捨てられるのが世の常だ」

「私は売られたんです。兄に」

「そうか、それは悪かった。だが…」

「はじめはどうであれ、最後は死しか待っていない。でも死ぬつもりはない。別に現実から目を背ける者しかいなくても私は現実を見てその上で自由に行きる。サロンにも自由が欲しくて来ているだけ」

「ほう、自由か。よろしい」

 ティウスは円を描いて歩きながら手を顎につけて頷いた。

「ヘクサが教会から絵を盗んだ話は知っているだろう。理知が人より働くお前だ。これをどう思う?」

「盗んだのはヘクサでない。さらに盗まれた物も絵ではない」

「何故そう思う?」

「ヘクサがアルビヨンで神聖なるゼウス教教会から絵を盗んだことにしておけば、いつの日かの弾圧の口実になるから」

 終わりと同時に聞いていたティウスが拍手を送る。

「先ほどの皮肉ですか」

「いや違う。本心だ。教会の勢力が革命で弱体化し、ヘクサ狩りもしくはヘクサ迫害、弾圧が落ち着いている中で、旧政府の政策をおしすすめても意味がないと考える者も少なくない。だがお前のように考える者は少ない」

「革命でも人の心の奥底に根深く残っている考え方は変わらないと」

「素晴らしい。お前はどんな政治家よりも優れた政治をし、どんな哲学者よりも優れた哲学を広げるだろう」

「変えられる立場にありながら変えようとしていないだけでは?」

「人は変わることを恐れる。永遠なるものを信じたいのだ。無条件に、無意識に。まぁわざわざ危険な道を歩くことを望む奴はいないだろう。私も歩かせるつもりはない」

「社会は差別を欲していると言いたげだ」

「まさに私の言いたかったことさ。君に指導者の地位を譲りたくなってくる」

「腹たってくる」

「これが私だ。人々が知っている私は作り物の私だ」

「大層素晴らしいことですね」

「政治をする者には何かを変える意志など必要ない」

「革命は何かを変えるために起こしたのでは?」

「私は今回の革命を、正義のために起こした。つまり弾圧という正義を社会で貫くためにだ」

「弾圧が正義?ふざ…」

「けるな、か。そういえば今日、アンリポアも言っていた。ふざけているのが社会そのものだ。そしてふざけたことを…」

「求めるのが人だと」

「お前を愛人という名目でそばに置いておきたいほどだ。まだ私には妻がいないが、な」

 そう言い、ティウスの凍てついた視線が窓の外を向いた。

「そろそろ離れたほうがいいだろう。私はもう行く。キャシオに私を探さないように連中を丸め込んでくれと言っているが限界だろう」

 ティウスは小屋の、古い扉の前に立った。

「現実に即した演技をすることが政治屋のすべきことだ。現実は私らのような考えを望まない。それだけだ」

 星の光が冷たく、蹲る彼女の瞳がティウスの背中を見送った。


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